扶揺と将軍 こんなに沢山いるなんて聞いていない。
扶揺は思わず目を見開きながら後ずさった。
鬼一体だけじゃなかったのか? だが目の前の地面からは、次から次へと妖が現れてくる。気づいた時には完全に囲まれていた。他の神官も連れてくればよかったと思ったがもう遅い。
刀を握り直し、ぎらりと睨みつける。
足が地面を蹴り、目にも止まらぬ速さで手下の妖どもを倒しながら親玉たる鬼に斬りかかった途端、鬼がニヤリと笑い口を開けた。
ねとりと熱く、死の匂いを纏った空気が顔に襲いかかる。頭がぐらりと揺れ、気が付くと扶揺は地面に叩きつけられていた。
片腕で鼻と口を覆いながら、全ての法力を奮い立たせ刀を構えるが、突然石の塊になったように腕が動かない。
もう駄目か──そんな思いがよぎった途端、空が割れんばかりの音が鳴り響き、天が光りに包まれる。がくりと膝を折った扶揺の視界の隅で、銀色の刀と俊敏な人影が空中を舞う。いくらもたたずに、鬼の気配はなくなった。
「扶揺」
まだガンガンと余韻が残る耳に聞き慣れた声が聞こえ、扶揺はゆっくり頭を上げた。
「ひとりで何をやっている」
険しい声に、扶揺は唇を噛んだ。
「……大丈夫か」
少しばかり険しさが和らいだ声に扶揺は頷く。「はい……将軍」
まったく、と呟きながら刀を仕舞う、その威厳に満ちた姿から隠れるように扶揺はまた俯いた。
「街道の辻に巣食う鬼なんて、タチが悪いにきまっているだろう? なぜ一人で来た」
なおも地面に手をついたままの扶揺の前で影が動き、片膝が地面につくのが見えた。目の前に小瓶が差し出される。
「飲め」
「だ、大丈夫……です」
「そうは見えないが。それとも将軍にずっと膝をつかせるつもりか?」
ぐっと言葉に詰まり扶揺は観念して差し出された薬瓶を煽った。すぐに体が暖かくなり、力が戻り始める。ぐっと腕を掴まれて立ち上がった。
「……例の件のせいか?」
扶揺はなおも逃げるように顔を逸らす。
玄真殿は近頃、武神らしい行いを全然していない──。文神に宗旨替えでもしたのか? いやいや、お掃除神だろう?
暇を持て余した神官たちが、ひそひそとそんな事を囁くのが流行りだしてしばらくたったある日──。
「あれは単純な連絡の手違いだと帝君も言ったではないか」
武神達が集まる会合に、玄真将軍が呼ばれなかったのだ。あとで手違いだったとわかったが、玄真将軍と玄真殿に泥を塗られたように見えたことはもはや取り消せない。
「だからって、はいそうですかと笑って水に流せるわけがないじゃないですか⁈」
扶揺がキッと目を怒らせて見上げた顔は、それをフンと鼻で笑った。
「そんなことで笑う馬鹿な奴らなど、相手にする価値もないだろう」
そしてぐっと扶揺の目を見た。
「だがお前も馬鹿ではない。そんなことわかってるだろうになぜ──」
「なんででもいいじゃないですか!」
なぜ自分は柄にもなく冷静さを欠いてしまったのか。見返してやりたいなどという幼稚な気持ちに焚き付けられたのか。たまには中天庭の若い神官らしく無謀な真似でもしてみたかったのか。だがそんなことをここで言うなら腰に差した刀で首を切ったほうがマシだ。
「私だって……私だって……」
言いたい言葉は口から出るのを拒み、唇の端で震える。
「とにかく、無茶なことなどするな」
子供を諌めるような声色に、扶揺の頭がカッと熱くなる。自分は中天庭の神官ということを忘れて、気がつくと叫んでいた。
「別にいいでしょう⁈ お掃除殿の神官が一人くらい欠けたって、神官なんて星の数ほどいるんだ!」
その途端、扶揺は頬に衝撃を感じよろめいた。
「馬鹿なことを言うな!」
「なんでそんなに……」
頬を押さえながら見返した顔を見て、扶揺は固まった。
「お前に……いなくなって欲しくないからだ! わからないのか!」
その顔は赤く上気し、目がかすかに潤んでいた。
荒げた声には驚かない。だが潤んだ瞳は扶揺を怯ませた。
両手でぐっと顔を引き寄せられる。固まったままの扶揺の額に、少し上からそっともう一つの額が触れた。
「お前は狡い」囁くような声が降ってくる。「お前が大事だと、いつだって俺に言わせる」
扶揺の顔にわずかな笑みが浮かぶ。
「……ありがとう…ございました」
助けに来てくれて、と絞り出すように呟いた声が続けた。
「──南陽将軍」