体がガタガタと震えているのは機体の振動なのか、自分の恐怖なのか。
視界で点滅し続ける警告サイン。異常を知らせる警告音は止めたはずなのに耳の奥で耳鳴りのように響き続けている。
どれだ。何が原因だ。どうすれば――。
あらゆる可能性を取捨選択するのに与えられるのは数秒。
思いつく限りの操作を試す南風を嘲笑うかのように、機体はもうどんな操作にも反応しない。
割れた氷に覆われた海面がみるみるうちに迫る。操作しようとする腕ももう動かない。固く目を瞑る。
もうだめだ――。
どうして――。
耳をつんざくような音は自分の口から出た悲鳴だろうか。
頭がぐらりと揺れ、その向こうから声が聞こえ――
「南風、夢だ、それは夢だ、目を覚ませ……」
はっと目を開ける。
大きな手が心配そうに肩を揺すっていたが、ぼんやりとした南風の目線を捉えると止まった。
体の下のシーツ、布団の中のぬくもり。安全なベッドの中にいることを知り、こわばっていた体がほどけていく。頭はまだくらくらするが。
「大丈夫、ただの夢だ」
薄闇の中、じっと南風を見つめるそのハシバミ色の目が驚くほど近くにあった。肩におかれていた手がそっと動き、南風のうなじをゆっくりとなでる。
「風信機長……」
その瞳を見て油断したかのように、またさっきの光景が蘇ってきて、鼻頭と目のあたりが熱くなる。
「大丈夫だから。安心しろ」
静かな声とともに、力強い腕が南風の体をぐっと抱き寄せた。
頭が、頬が、あたたかな皮膚に押し付けられる。それが風信機長の胸だということは、ゆっくりと上下する動きでわかった。
少しばかりしっとりとしていて、ボディソープと機長の匂いの混じった香りを纏った肌。
その胸の奥のゆっくりとした鼓動が伝わってくる。南風の胸はまだ、超人的な強肩の鐘つきでもいるかのように早鐘を打っていた。だがそれも風信機長の規則的でゆったりとした鼓動に、真っ赤な絵具にたっぷりと混ぜた白が瞬時にそれを薄桃色に変えてしまうように、落ち着きを取り戻していく。
少し前の操縦シュミレーター訓練のことだった。
突然繰り出された異常事態はあまりにも複雑で、一瞬、電源プラグを引っこ抜かれたように頭の中が真っ白になったのだ。手順が一つも出てこず、腕が硬直する。なんとかやるべきことを思い出した時には、もう遅かった。
訓練のあとで、どうすれば良かったのか問われた時に、すべては頭の中にちゃんと入っていたことを知った。そのことが一層に南風を打ちのめした。
パニックになるべからず――そんな基本的なことがなぜ――。もう二度と繰り返してはいけない。
そのあと、毎日過去の事故記録を読み漁り、自分ならどうするか頭をフル回転させた。緊張状態でできなければ意味がない。暗い部屋で目を瞑り頭の中でできるだけリアルに想像する。異常な振動、鳴り響くアラーム、点滅する警告、低下する気圧と酸素――。
考えろ考えろ考えろ。冷静になれ――。
「前の訓練でのことは聞いた」
頭の上から静かな声が聞こえた。風信機長の耳に入るほどの失態――沈んだ南風の心を読んだように、その声が畳みかける。
「訓練を監督してた機長が俺にこっそり言いに来たんだ。お前がダメージを受けているようだったら面倒をみてやれと」
それはおそらく、南風が精神的に支障をきたしているようであれば上司へ報告しろということも含まれているのだろうが。だが風信機長はそんなことを仄めかしはしない。
「過去の事故報告で勉強してたんですが……」
その中のあるボイスレコーダーの最後の記録があまりにも生々しくて、と呟くと、南風の汗で濡れた背中に回された腕にいっそう力がこもるのを感じた。瞬きをした目から、ひとしずくが流れ落ちる。ぴたりと寄せられた肌を濡らしたことを感じとられただろうか。
「大丈夫だ」
優しい声がまた繰り返す。なんの隔たりもなく密着した胸から響く声と、上から聞こえてくる声が、両方から南風を包み込む。
南風は無言で小さく頷いた。南風の頭を抱きとめるようにしていた両胸の膨らみが一緒に柔らかく動く。
風信機長の鍛えられた厚い胸はしっかりと固いのに、どこか柔らかさもあると初めて知った。
体操選手でもボディビルダーでもなく、一人のパイロット――そして機長。
しっかりとレバーを握るための指が、今は南風の髪をゆっくりと梳いている。信じられないほど優しく、柔らかく。
大丈夫だ、大丈夫――。そう繰り返すかのようなその優しい動きと温かな肌は、どんな言葉よりも雄弁だった。