今日も明日も君といよう 自宅のときよりも、丁寧に、すこしゆっくりめに、千早は食器を洗う。
藤堂はその後ろのダイニングテーブルを作業台替わりにして、食器を拭いて棚にしまっている。
「ご馳走さまでした。味噌汁もおいしかったですよ。顆粒出汁でしたけど」
「出汁取るのは性に合わねーんだよ。がーっと作って、すぐ食べてーじゃん。腹減ってるし」
千早は別に顆粒出汁に一家言あるわけではない。なんなら、千早の家は顆粒出汁だけでなくレトルト、冷凍食品も常備品だ。父も母もがフルタイムで働いていて、千早が高校生となった今はどちらも定時で上がれることの方が少なく、家事に使える時間は少ない。調理には時間をかけないための手段だ。
だから小手指野球部の面々と初めて藤堂の作った味噌汁を食べた時、すぐに顆粒出汁を使ってると分かった。家で食べる味噌汁と同じ味がしたから。むしろ、母親が作る味噌汁よりも好みの味だったのは母親にも藤堂にも内緒だ。顆粒出汁を使ったことを言ったのは、照れ隠しに近い。
蛇口をひねり、食器についた洗剤を水で流す。
「……千早、好きだ」
水音でかき消されないのが不思議なぐらいの声量。
じゃぐちをひねって水を止める。隣の部屋から、藤堂の妹が笑う声が聞こえる。
「俺もですよ」
もう一度蛇口をひねり、水を出す。お椀を水ですすぎ、水切りかごに入れていく。
「そうか」
「そうですよ」
「……千早、お前、俺が何言ってんのか分かってんの?」
「藤堂くんこそ、自分で告白しておいて何言ってんですか」
「いや、もっとごねるんじゃないかって」
ごねるって。
「子どもに使う単語でしょう」
「あーだこーだ理屈つけて逃げられっかなって思ったんだよ」
「ご家族がいつ来るかも分からないのに、そんな回りくどいことできませんよ」
今この場所で告白してきた藤堂の気が知れない。呆れの言葉と共にため息をついてやれば、ぼそぼそ藤堂は言い訳をする。
「姉貴にはとっくの昔にバレてんだよ。最近じゃ、とっとと千早を掴まえるか諦めるかどっちかにしろってせっつかれるし」
「……この手のことに、積極的に介入されるような感じの人じゃないと思ってましたけど」
藤堂への態度は家族ゆえの気安さというか横暴さは見えるが、本当に触れてほしくないところに無遠慮に立ち入るような性格には見えなかった。
そのような性格だったら、こんなに家族と円満な藤堂はいなかったはずだ。
「俺と千早の場合は、寝かした方がこじれそうだと」
「女性に言うのは失礼かもしれませんが、年の功ですけね」
藤堂の姉は、弟の性格も千早の性格もよく把握している。
たしかに、藤堂と千早が恋愛面で進展がなかった場合は、めんどくさくなる気がする。
二人とも一生独身で、白髪が生える頃に諦めてくっつくか。もしくはほどよい異性と結婚し、幸せだけど思い残したまま人生を生きるか。
たしかに、こじれる。
「うちも、母親にはバレてる気がするんですよね」
「は?なんで?俺、お前んちの親と会った記憶ねーんだけど」
「俺もありませんよ。でも、なーんか『藤堂くん』の名前出したときの反応が違うんですよ。山田くんも清峰くんも要くんも先輩達も、名前出してるんですけど」
「……髪黒くして、切った方がいいか」
「不要です。『金髪ロン毛の腰パン居眠りヤンキー』とは言ってはあるんで。トレードマーク二つも消したら認識されませんよ」
「何お前。そこで認識してんの、俺のこと」
「“バカ”と“アホ”も追加しておいてください」
「ハラパンしていいか」
「ダメでーす」
「……っは」
「……っふ」
なんとなく、おかしくて、二人で笑う。やっぱり藤堂が好きなんだと思うと、さらにおかしくなった。
手に持ったままになっていた千早専用の箸の泡を水ですすぐ。
これが今日の洗い物の最後だ。
「じゃ、今日はこの辺で帰ります。藤堂くん、浮かれて眠れなくて朝練に遅刻なんてみっともないマネしないでくださいね」
「おめェこそ。嬉しいからって帰りの電車でニヤけんじゃねえぞ。不審者扱いされっぞ」
「見るからに不良の君に言われたくないですねー」
タオルで手を拭いて。床に置いていた鞄を手に取る。
藤堂が姉と妹に声をかける。千早帰るってよ。
すぐに玄関に来てくれる二人にお邪魔しました、と挨拶をする。
藤堂の姉は、藤堂と千早の空気で何かがあったのを察したのか、やけに笑みが綺麗だ。妹の方も藤堂の浮かれた空気を読んだのか移ったのか、心なしか瞳が輝いてる気がする。
自分の家族にバレるのと、どちらが気恥ずかしいは、微妙なラインだ。
「じゃ」
「また明日」
団地の敷地の外まで見送ってくれることも多い藤堂だが、今日はしないらしい。
千早も今日はそれがちょうどいい。
玄関から外に出ると、昼の空気が残っているのか、風は生ぬるい。
いつもならそれにだるさを覚えるが、今日は気にならない。きっと、今からでも明日が待ち遠しいからだ。
まあ、明日もただ学校に行って、野球をして、藤堂でからかうだけの日常だけど。
鞄を肩にかけ、千早は自宅へと向かって歩き出した。