今日もよく働いた。
頼まれ事もいくつか達成出来たし、道すがら巨浪級の残像に挑んでいた夜帰軍の人たちを助けられたし、大事な花や草もたくさん採集出来た。
その分どっと疲れたが、それに見合う達成感に足取りが軽くなる。さて、明日は何をしようか。珍しく予定もない。合成や訓練をして万が一に備えるもよし、リフレッシュ第一で今州城下の観光をするもよし。
鼻歌でも歌ってしまいそうな充実感を胸に家に向かう。
今汐が用意してくれた家は一人暮らしをするには広すぎるような気もするが、せっかくだから甘んじて過ごしている。そういえばインテリアとか揃えたこと無かったな。明日は数日空けていた家を掃除して、観光をしながらインテリアでも探してみるか。
明日への期待を膨らませながら家の鍵を開けようとすると。
「おかえり」
「…………」
扉を閉じた。
見間違いじゃなければスカーだったと思う。
今汐がこんな豪華な家を用意してくれたのは、俺への気遣いもあるだろうが、何よりはセキュリティの問題だろうとも考えていた。鍵も鍵穴に差して回す、というレトロなものではなく、生体認証が求められるものだ。ありがたくも今州の客人の安全を保証する小さな城のはず。
「帰らないのか?せっかく晩御飯も用意したのに」
どうしてごく当たり前に残星組織の監察が内側から開けて家主を招いているのか。
「…………わかった、入るから」
「そうじゃなくて?」
「……………………ただいま」
長い沈黙の後に期待された言葉を返せば満足げに満面の笑みを浮かべ、俺の肩を抱いて俺の家に招いた。
家の中は荒らされた形跡も特に無く、というかむしろ家を出る前より片付いているような気もする。
あまり使わなかったキッチンからはいい匂いがする。この匂いは多分、香檸草と獣肉煮込み。肉の香ばしさとレモングラス、香油の爽やかな香りが働き詰めたお腹にクリティカルヒットする。
「今日もお疲れ様。赤の他人の厄介事に残像の撃破、趣味のお花摘みとよくそんなに動けるもんだ」
ああ、やっぱり全部見てたんだな。
フラフラと椅子に座ってスカーを見上げる。見慣れた赤い服の上からエプロンをしている。戦いに特化したような服装に庶民的な無地のエプロンはアンバランスすぎる。
いやそんなことはどうでも良くて。
言いたいことも聞きたいこともたくさんあって、ありすぎて何から言えばいいか口が渋滞する。あー、とか、えーっと、とか意味の無い単語が出る。
「夕飯ももう出来上がるし、風呂の準備もしてあるぜ。あれだけ動き回ったら汗や汚れも……あ」
まるで城下をはしりまわる子供みたいに悪戯っぽい顔をしたかと思うと、俺の脚元に跪いて指先を俺の膝に乗せて。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも、俺?」
「お風呂」
と、軽いデコピンと一緒に返した。
「酷いな。人がせっかくお誘いしてるのに。それとも一緒に風呂に入りたいってことか?」
「疲れたから1人でゆっくり入りたい」
椅子を引いてスカーから距離を取って立ち上がる。
「それもそうか。脱衣場に入浴剤もいくつか置いてあるから好きなの入れていいぜ」
「…………」
案外あっさり引き下がったスカーはすっと立ち上がってキッチンに戻って行った。
妙な居心地の悪さを払えずに風呂場に向かうと、ふかふかに選択されたタオルが畳まれていて、着替えも準備されていた。さっき言われた入浴剤も着替えの横にある。
勝手にクローゼット開けたんだな、と思ってから、家に勝手に入られた時点でもうその程度はそんなに問題じゃないとため息をついた。
ぽいぽいと服を脱いで入浴剤を一つ選んで浴槽に入れる。全身を洗い終わった頃には入浴剤は溶け切っていて、軽くかき混ぜてから浴槽に入った。
肩まで湯船に浸かって気付く。少しぬるめの温度は疲れた体を程よく温めて癒してくれる。
何なんだろうか、この至れり尽くせり。
スカーが用意するものを躊躇無く使えるのは、スカーが俺に危害を加えることはありえないからだ。俺から戦いを挑むことが無ければ、アイツから何かをしかけてくることはそうそうない。
それはアイツの妙な好意の上にあぐらをかいている訳で。
それに一抹の申し訳なさを感じない訳でもない。だが、だからといって絆されていい関係でもない。
可能ならここで捕まえて引き渡すべきだろう。可能なら、だが。
ここで俺が剣を片手に襲いかかれば、スカーは残像の姿に変わって迎え撃つだろう。そうなると今州城にいる人たちも巻き込んでしまう。
それを避けるためには。
要求を聞いて満足してもらってさっさと帰ってもらう。
今の俺に出来ることは多分これ。
ぶくぶくぶく、と顔の半分まで湯船に沈めて目標を決める。そうと決まればさっさと風呂をあがってご飯を食べてご馳走様と告げて感謝を示して満足させるべきだ。
そう決めたのに心地よいお湯が決心を揺らがせる。
……気がつくとしっかり体が温まってほぐれるまで風呂を堪能してしまった。
こんなはずでは、と着替えて髪を乾かして脱衣場を出ると、食卓には出来上がった料理がいくつも並んでいた。ちゃんと二人分。
「疲れも取れたみたいだな、顔がすっきりした」
「いいお湯でした」
「それは良かった。次は腹ごしらえだ」
食卓に並べられた料理は、空腹をこれでもかと刺激してきて、お腹は無力にもぐぅ、と鳴ってしまった。それを聞いたスカーは嬉しそうにクスクス笑って、お茶を持ってくると言ってキッチンに戻った。
頭は居心地の悪さを訴えるのに、お腹は空腹を主張する。
……空腹の勝ち。
素直に椅子に座ってお茶が運ばれるのを待った。
運ばれてきた涼茶は多分、肉料理の脂をさっぱり流せるような組み合わせでわざわざ選ばれたものなのだろう。
「さて、どうぞ召し上がれ……と言いたいところだが」
テーブルにお茶を置いたスカーはくるりと軽やかに俺の背後に回った。流石に即座に振り向いて背後を取らせないようにするが、スカーは心外だと言いたげに両手をひらひらと振った。
「普段見なれない髪を結ばない姿も魅力的だが、食事の時は邪魔だろう?一つにまとめた方がいいかと思って」
「あ……うん、まあ、そうだな」
「そのまま前を向いてくれ。せっかくだ、普段しなさそうな結い方をしてみよう。三つ編みは?」
「跡がつきそうなんだけど……」
「緩く編めばそう残らないさ」
うなじにスカーの指が触れる。丁寧に髪を掬いとって三つの束に分けていくだけで、それ以上のことはしない。
しばらくの沈黙を苦痛に思っているのは俺だけで、スカーは楽しそうに俺の髪を編んでいく。
ほんの数分もない時間で背中を流れていた髪は緩い三つ編みに変わった。無意識に大きなため息をつけば、スカーはそれに笑った。
「ここでは何もしない。漂泊者にだけは嫌われたくないから」
そう言って向かいの椅子に座った。
「さあ、どうぞ」
「い、いただきます」
スプーンで煮込まれた肉とスープを掬って食べる。お店の味、とまではいかないにしても空腹という最高のスパイスのおかげもあってつい二口、三口、と食べ進めてしまった。
「おかわりもあるぜ」
スカーに呆れ笑いをされて、何だかすごく恥ずかしくなってスプーンから手を離してお茶を飲んだ。脂や濃い味がさっぱり喉へ流れていく。
「何で」
「うん?」
「何で、こう……家にいて、料理とか風呂とか用意して、特に襲ったり誘拐したりとかせずに、一緒にご飯食べてるんだ?」
つい思っていた疑問を一気に聞いてしまった。流石のスカーも困るだろうと思っていたら、表情を少しも変えず。
「好きだから」
「は……?」
「言葉の通り。漂泊者のことが好きだから」
ストレートすぎる言葉に呆気に取られてお茶も飲めない。だが、スカーは正反対で、当たり前のことを当然だと言って自分が作った料理を食べ始めた。
「家に入るのは簡単だった。ずっと働き詰めだったお前を労ってあげたくて見様見真似で料理をして、簡単に部屋を片付けて風呂の用意もした。襲ったりしたら漂泊者が傷付くだろう?何度でも言うが、そうなったら俺が傷付く。そんな自傷行為はナンセンスだ」
「……好きだから?」
「好きだから」
と言った後にスカーはお茶を飲んで。
「いや、少し違うな。嫌われたくないから、と言った方が正しいかもな。お前は俺のことが嫌いだろうから、少しでも為になることをして嫌われないようにしてる」
よく分からない。
素直な感想はただそれに尽きる。
だって、スカーは凶悪な残星組織にいて、自分自身と残像を融合させているような狂気的なこともしていて。
そんな奴が、対極にあるような言葉をずっと言い続けている。
「聡明なお前なら理解してくれると思ったが」
「買い被ってくれてるようだけど、流石に分からないな」
思ったことを素直に告げると、初めて見たような穏やかな笑顔のまま「料理が冷めるぞ」と言った。
つまりはこの場ではこれ以上小難しい話はしない、ということだろう。
相手がそのつもりならこっちが食い下がったところで何も聞けるはずもない。
素直にスプーンを持ち直して食事を再開した。
その間に話したのは記憶の片隅にも残らないような他愛のないこと。俺が話すことをスカーは頷いて聞いて、笑ったり、返事をしたり。
何も知らない人が見たら仲のいい友人同士の食事でしか無かったと思う。
不釣り合いの平穏な食事を終え、食後の暖かいお茶を飲んでいる間にスカーは洗い物も終えてしまった。
あとは寝るだけだし、流石にそろそろ帰るかな。
帰る時にはもう来るなよ、と釘を刺すくらいは許されるだろうかと絆されないように意志を固めていると、今度は櫛を片手に持ったスカーが現れた。
「寝るまでいるのか?」
「もちろん」
スカーはいつかに見たようにウインクをして、俺の手を引いてベッドまで連れてきた。
ベッドの縁に2人して座って、スカーは俺の編まれたままだった髪を解いた。そのまま持っていた櫛で丁寧に髪を梳いていく。
「ここまでされても」
「ああ」
「好きにはなれない、と思う」
「何故?」
「お前は残星組織で、その監察で、俺は今州の客人として、彼らの仲間としてここにいる」
「そうだな」
「どうやったってスカーのことを好きにはなれない」
「出来た、綺麗になったぞ」
さっきまで俺の話に相槌を打っていたのが嘘だったみたいに、綺麗に梳かれた髪を見て満足そうに笑っていた。
それに毒気を抜かれてこれ見よがしに肩を落として、スカーを振り払うようにベッドに潜り込んだ。
「本当に襲ったりしないんだな」
「本当は期待してるのか?」
「そんな訳ないだろ」
「だろうな、お前が嫌がっているのはわかってる」
スカーの手が掛け布団越しに胸の上に置いた手に重ねられた。
「結局、こんなことは茶番でしかない。物語にもなれない三文芝居だ」
横になって数分も経っていないのに意識が朦朧とする。瞼を上げているのが辛くなる。ぼやける視界の向こうでスカーは重ならない手を見詰めている。
「それでも、その時が待ち遠しくてこんな何にもならないことをしてしまった。お前になら、馬鹿げている、無意味な事だと笑われてもいい。だが、今日までのこともこれからのことも、全て俺の本心だ」
「何、を……」
「全てを知った時、お前はこの手を取ってくれる」
そこまで言うなら。
虚ろになる輪郭を何とか捉えて声に出す。
「そこまで言うなら、その全部を教えてくれよ」
「それはしない。漂泊者自身の意思でこの手を取ってほしい」
そろそろ目を開けられなくなってきた、意識を保つのも限界だ。
襲い来る微睡みに為す術もない俺を見てスカーは笑う。
「おやすみ、大好きな漂泊者。今日は楽しかった」