「ありがとう、すごく助かったよ」
研究院の中、飾り付けがされていない相里のアトリエで2人息をついた。アトリエの外では仮装した研究員たちが普段と違って羽目を外してはしゃいでいる。
ちょっと待っててね、と言われて扉のすぐそばで待つ。相里は乱雑に椅子の上の資料をまとめて机の上に置いた。うん、また掃除しに来よう。
しばらくすると2人分の座るスペースが何とか確保され、促されるままそこに座った。相里は隣に座らず、2人分のコーヒーを入れてくれているようだった。テーブルの空いたスペースにさっきまで付けていた猫と兎のつけ耳を置き、楽しそうな相里の背中を眺めた。
事の発端は意外にも意外でモルトフィーだった。でも経緯を知れば納得で、彼は自分の技術を研究はもちろんのこと、子供たちの笑顔のためにも振るうことがある。様々な知育玩具を子供たちにプレゼントをしている姿は俺も何度か見たことがあるし、彼から玩具の素材集めの依頼も受けたこともある。
そんな彼が、子供たちからハロウィンというイベントを楽しみにしていると聞き、急遽研究院を上げて地域の子供たちとの交流イベントを開催することとなった。
子供たちの笑顔や、研究の成果を一般の人たちにわかりやすい形で披露する機会の獲得、それを見た人が研究を志してくれることを目的とした立派なイベントに昇華され、モルトフィーから直々にフォローの依頼が来た。飾り付けや配るお菓子の材料集め、イベントの宣伝などここ数日は至る所を走り回っていた。かなりハードな依頼だったが、今日見られた子供たちの笑顔や、お菓子を配ったり仮装したりする研究員たちの楽しそうな顔、新作の玩具を披露して笑っていたモルトフィー、そして影からこそっと見ていた今汐など、素敵なものが沢山見れて俺も満足だった。
「来年もするのか?」
「んー……どうだろうね。研究が第一だから状況によるけど、僕としては来年もしたいな」
もちろん主催はモルトフィーで、と少しだけ悪戯っぽく笑った。とはいえ、彼の現場を指揮するリーダーとしての素質は素晴らしく、彼の的確な指示があっての成功だった。その裏でたくさんの新作の知育玩具を作っていたというのだから、研究員という職種の人たちの頭や体力は想像もつかない。
コーヒーの香ばしい匂いがアトリエに漂う。トレーに乗った2つのカップから湯気が立ち上がっている。戸棚から砂糖とミルクを探す相里の背中を見て少し悪いことを思いついた。
そっと立ち上がって音を立てずに近付いて、背中に隠したうさぎの付け耳を。
「……へっ?」
「こっち向いて」
「う、うん」
状況が飲み込めていない相里にお願いを畳み掛けると素直に聞いてくれた。真っ直ぐこちらを向いた彼を写真に収める。つけ耳は少しズレていたが、少し目を丸くして困惑している表情と不思議とマッチしていてこれはこれで、と思えるものが出来上がった。
まだぱちぱちと瞬きだけ繰り返して固まる相里に出来上がった写真を見せる。すぐに顔を真っ赤にした相里は頭に手を伸ばしてつけ耳を取ってしまった。似合っていたのに。
「驚いた。君って、妙なところで悪戯っぽくなるというか……」
「ハロウィンだから」
「うっ……そうだね、趣旨の通りだよ……」
少し唇を尖らせた相里は少し背伸びをしてキョロキョロと目を動かした。その視線が止まった先には黒猫のつけ耳があり、俺の横を小走りで走り抜けてそれを手に取った。
「トリックオアトリート」
と、つけ耳を手にした相里は得意げに言った。
可愛い悪戯を受けてもいいが……。
「はい、お菓子」
ポケットからモルトフィーに報酬としてもらったお菓子を出した。お菓子と俺を交互に見た相里は不服そうにお菓子を受け取った。
「君の写真も撮りたかったのに」
「ごめん、からかった」
拗ねるふりをする相里の頭を撫でてから少し屈んで俯く。彼の指が数回髪を梳き、頭につけ耳が装着された。前を向くと既にカメラを構えた相里が居て、ここは突き抜けた方がいいだろうと思い至り、両手で猫の前足を真似たポーズを取ってみた。
……シャッター音が何度も繰り返されたが気にしないでおこう。
「すごく可愛い」
と、恋人に可愛い笑顔で褒められるのは満更でもない。
コーヒーと砂糖、ミルクをトレーに乗せた相里についていきながら、休憩するにしても飲み物だけでは物足りないと気付く。まだ余っていたお菓子があったはず。モルトフィーはまだ忙しくしていたから、白芷に聞きにいってみよう。
相里の隣に座らずにお菓子を貰いに行くと伝え、アトリエを出ようとすると腕を引っ張られた。もちろん引っ張ったのは相里で、彼の義手が少し開いて淡く光っていた。
「駄目、待って」
凄い剣幕で言われ、無言で何度も頷いた。
もしかして、戦闘でよく使っている義手の追尾機能を使ってまで追いかけて来た……?
頷きを見た相里は少しだけ表情を柔らかくして付けたままだった猫のつけ耳をそっと外してくれた。その後、丁寧に乱れた髪を手櫛で整えてから相里はいつもの表情に戻った。
「余っていればチョコレートのクッキーを貰ってきてくれるかい?」
「わ、わかった」
いつもの調子でお願いをしてくる相里に頷いてアトリエを出る。さっきのは何だったんだと思うがひとまずは恋人の依頼をこなさなくては。
疲れて談笑したり、まだ仮装して遊んでる研究員たちと話しながら白芷を探す。彼女は少し離れた場所でゆっくりお茶を飲んで賑やかな光景を眺めていた。少し手を挙げて挨拶をすれば軽く会釈して返してくれた。
「お疲れ様、漂泊者。手伝ってくれて感謝するわ」
「俺も楽しかったよ。来年もぜひ誘ってほしい」
素直に伝えるとクールな彼女にしては珍しく目元をほころばせた。クールで感情表現が控えめなだけで、いつも心優しく慈愛の気持ちを持っているとわかっていても彼女の笑みを見ることができると嬉しくなる。
「それで、どうかしたの?」
「余ってるお菓子があれば欲しい。いくつかあったと思うんだけど」
「それならここに。好きなだけ持っていって」
「ありがとう」
ハロウィンらしい装飾が施された箱にいっぱいのお菓子が詰め込まれていた。チョコレートクッキーを中心にいくつか貰っていく。
「そうだ。今、相里のアトリエで彼と休憩しているんだけど白芷もどう?」
一人の時間を好む彼女ではあるけど、賑やかなのが嫌いなわけじゃないことも知ってる。彼女も俺の大切な友人だし、せっかく休んでいるなら一緒に楽しく話せればと思ったのだが。
彼女は数回瞬きをしてからゆっくり首を振った。
「気持ちだけありがたく頂戴するわ。でも遠慮する」
「忙しかった?」
「いいえ。誤解しないで、あなたと話すのは楽しいわ。でも、彼、案外嫉妬しそうだから」
白芷の視線が俺からアトリエに移った。そうだろうか、と首を傾げる。誰にでも優しく、困っている誰かのために全力を尽くせる人が嫉妬……。
……あ。
「思い当たる節があった?」
「うん。ついさっきだけど」
「なら、戻ってあげて。きっとそわそわしながら待っているはずだから」
さっきとは違う笑みを浮かべた白芷に手を振って別れ、小走りでアトリエに戻る。相里はコーヒーに手をつけず待っていたようで、アトリエに戻った俺を見た途端笑顔を浮かべてから俯いてしまった。
貰ったお菓子をテーブルに置いて隣に座る。ぽふ、と肩に相里の頭が控えめに乗せられる。
「お菓子、貰ってきた」
「……うん、ありがとう」
カチャカチャと義手を開いて閉じてを繰り返している相里の頭を撫でてあげる。今日は兎のつけ耳をつけたり、珍しく嫉妬する相里が見れて嬉しい。
「あの」
顔を上げた相里は下げた眉のまま何度も口をもごもごさせてから。
「さっきは、ごめんね」
と言ってまた俯いた。
「怖がらせてしまったよね。でも、何故かつけ耳をつけた君を他のみんなに見られたくなくて……。そんなの君の自由なのに……解析が難しいな、なんというか……えぇっと……」
「…………」
なんということだ。
嫉妬を知らない……?
うーんと唸る相里を落ち着かせるために頭を撫でながら俺も考える。
誰にでも優しい彼は、どんな人にも分け隔てなく時間と手間を惜しまない。この華胥研究院もそんな彼が中心にいるから温和な人ばかりで、だからこそこんなハロウィンイベントも成功できた。
嫉妬という二文字から程遠い場所ではあるだろう。彼の母もここに勤めていたらしいというのは何となく知っているし、彼の父も月樹屋を運営するほど思いやりに溢れた人というのはわかっている。そういった人の少し怖い感情とあまり触れ合ってこなかったのかもしれない。
「相里」
「な、何かな?」
思案中に声をかけられて驚いた相里はじっと俺を見つめてくる。
「多分それは嫉妬だ」
「しっと……嫉妬?」
「うん。恋人の普段見なれない姿を他の人に見られたくなかった、というのは嫉妬という感情だと思う」
自分で言うのも恥ずかしいけど彼の助けになりたくて言語化してみる。
みるみるうちに頬を赤くしていく相里は俺から離れて何かを言おうとして口を閉じるのを繰り返した。
「嬉しいよ」
「嬉しい……?だけど、嫉妬は良くない感情のはずだろう?」
「過度なのは俺もよくないと思うけど、さっきのくらいならむしろ可愛かったよ。嫉妬するくらい俺のことが好きなんだってわかって嬉しかった」
研究員らしく答えが出ないことを困っていたから、一つの解答を提示してみる。俺も少し恥ずかしくて頬に熱が集まる。
「好き……うん、君のことは大好きだよ。でも、いいや、そう……だね……」
眉間を数回とんとんと指先で叩いた相里は俺を見て恥ずかしそうに笑った。
「君の可愛い姿を僕だけのものにしたかった。ほかのみんなには秘密にしたかったんだ」
「…………」
これは。
「漂泊者?」
どんなことも素直に言葉にする相里と嫉妬。
あまりにもとんでもない組み合わせができてしまったみたいだった。