左から右へと流れていく景色を窓からぼんやりと見つめる。時刻は夜の10時を少し過ぎた頃だ。今日は早めに帰れた方だな。家に着いたら、明日のバラエティ番組の台本を読んで、お風呂に入って、ドラマの台本を覚えて…………いや、その前にご飯まだ食べてなかったな。あまりお腹も空いていないし、今日は食べなくてもいいかもしれない。
そんなことを考えていたらタクシーは目的地に到着したらしい。「ありがとうございます!」と笑顔で運転手さんにお礼を言ってタクシーから降りた。忙しい中でも身近な人への感謝は忘れたくない。ファンのみんなの応援や、俺を支えてくれる多くの人のおかげで俺は頑張れるのだから。
流星隊がデビューしてから本当に有難いことに多くの仕事を頂いている。夢だった特撮ヒーローになってからは、朝の子供向け番組からドラマ、バラエティと多くのテレビに出させてもらい、ファンの人以外からも「守沢千秋」を知ってもらえることが増えた。それは純粋に嬉しいことだ。俺の仕事が流星隊を知ってもらえるきっかけにもなるかもしれない。仕事は楽しいし、刺激を貰えて、俺の成長にも繋がっていると思う。しかし、いくら仕事が楽しいとはいっても、体まではそうはいかないらしく。連日の寝る暇もない忙しさに体がそろそろキツくなってきた気がする。最近は家に帰ってからソファで寝落ちてしまうこともしょっちゅうだ。良くないことだという自覚はあるが、睡眠を優先した結果、仕事がおざなりになるのは嫌だった。
ワーカホリックである自覚はあるが、自覚しているからといってどうにかできるものでもない。これはもはや俺の性分なんだろう。ふう、と一つ息を吐いて俺はエレベーターに乗り、自宅がある階のボタンを押した。俺に足を止める暇はない。気合いを入れろ、守沢千秋。みんなが俺を求めてくれている。今頑張らないでこれから先どこで頑張るんだ。流星隊のみんなも、ファンの人たちも俺を応援してくれている。俺はその期待に応えたい。流星隊のみんなやファンの人たちの喜ぶ顔を思い浮かべれば、どんなに忙しくても頑張れる気がした。
チン、と軽い音がして、エレベーターが目的の階に着いたことを知らせる。俺の頭の中はもうこれからの仕事のことを考えていた。まずは今日出させてもらったバラエティ番組の反省からだな。そんなことを考えながら自宅へと足を動かす。もうすっかり慣れたいつも通りの夜のはずだった。
俺の部屋がある通路を歩いていると、ふと違和感があるのを感じた。俺の部屋の前に何か黒い物体がいる。まさかお化け!?と思ったのも束の間、その物体は俺の足音に反応したのかモゾモゾと動いて、俺の顔を見た。
「守沢先輩……?」
「た、高峯!?こんな所で何をしているんだ!?」
黒い物体改め、高峯が俺の部屋の前で蹲っている。俺は慌てて高峯に駆け寄った。一体どうしたんだ?何か良くないことがあったのか?俺の心に不安が渦巻く。高峯がスッと立ち上がって俺の方を見た。
「いや……何となく守沢先輩の家に行きたいなって思って……」
「それなら言ってくれれば……まさか、ここでずっと待ってたのか!?」
「落ち着いて。別にずっとじゃないですよ。俺もさっきここに着いたんです」
「本当か……?とにかく中に入ってくれ!体が冷えてしまう!」
まだ9月とはいえ、夜は肌寒い。動揺からか中々鍵が取り出せず、若干焦りながらもなんとか部屋の鍵を開けて、高峯を先に中に入れる。高峯は「お邪魔します」と小さく呟いてから、靴を脱いで迷うことなくリビングへと歩いていった。俺も靴を脱いで慌てて高峯を追いかける。
リビングに入ると、高峯は俺の部屋を静かに見渡していた。俺がリビングに入ったことに気がついたのか、後ろを振り向く。
「高峯!」
「守沢先輩、俺来る前にスーパー寄って買い物してきたんです」
「おお……ん?」
「守沢先輩、ご飯食べました?まだなら一緒に食べませんか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ高峯!高峯は何で俺の家に来たんだ……?」
あまりにも淡々としすぎている高峯に思わず質問してしまえば、高峯はムスッとした表情になった。しまった、聞かれたくないことだっただろうか。
「さっきも言いましたよね。なんとなく、ですよ」
「なんとなくでわざわざ俺の家に来たのか……?」
「何か文句あります?」
「な、ないない!来てくれて嬉しいぞ!」
相変わらずムスッとした表情で言われてしまい、これ以上俺も追求する気は起きなかった。それに高峯が来てくれて嬉しいことは本心だ。仕事が忙しすぎてゆっくり話す時間もなかったしな。
「俺だからいいけど、そうやって家に来た人すぐに家に入れちゃうのどうかと思いますけどね」
「え?」
「…………なんでもないです。それよりも、夜ご飯食べました?」
高峯がふいっと顔を背けてしまう。何となく顔を逸らされたことが寂しくて、高峯を目で追った。
「いや、まだ食べてないぞ!あ、でも……」
「どうしました?」
「い、いや、なんでもない!」
本音を言えば今はお腹が空いていない。何か食べるという気分でもないが、せっかく高峯が来てくれたのだし、俺の気分で誘ってくれた高峯の好意を断りたくなかった。高峯がじっと俺の顔を見る。今度は俺が気まずくなって何となく目を逸らしてしまった。相変わらず高峯が俺の顔をじっと見ているような気配がする。
「食べたくないなら無理に食べなくても良いですよ」
「ち、違う!食べたいぞ!」
俺の言葉に高峯は一瞬苦虫を噛み潰したような顔をした。高峯に俺が誤魔化したのがバレてしまったのだろうか。だけど高峯と一緒にご飯を食べたい気持ちも本心だった。お腹は空いていないが、高峯と一緒なら食べられる気がする。
「…………それなら今から準備しますね。鍋のだしと具材買ってきたんで」
「鍋か!体が温まりそうでいいな!」
「俺も手伝うぞ」と申し出たのだが、高峯に頑なに「守沢先輩は座っていてください」と言われたので、仕方なしに俺はソファに座ることにした。一息ついてしまえば、なんとはなしに仕事のことを考えてしまう。鞄の中に入れていたドラマの台本を取り出し、一度読み始めてしまえば集中してしまい、高峯の声かけにもすぐに気づくことが出来なかった。
「……せんぱい……守沢先輩!」
「ん?あ!す、すまん……。台本読むのに集中していて……」
「鍋出来ましたよ」
「うむ……」
せっかく用意してくれていたのにがっかりさせてしまっただろうか。こんな時、不器用な自分が情けなくなる。何となく高峯と目を合わせることが出来なくて、下を向いてしまう。ダメだな、仕事が終わって気が抜けてしまったのか。俺がこんな調子では高峯も居心地が悪いだろう。
「おお!美味しそうだな……☆」
「スーパーで買った普通の鍋ですよ」
「お前が作ってくれたんだ。それだけで俺にとっては特別だ!」
「…………そうですか」
少しだけ意識して明るい声を出せば、高峯も特に追求してくるようなことはなかった。椅子に向かい合わせで座って、手を合わせる。二人で「いただきます」と言ってから俺たちは鍋を食べ始めた。鍋の湯気が顔に当たって熱いのだろうか、少し顔が赤い高峯を見て、改めて俺の家に高峯がいるということに感慨深くなる。突然のことに驚きはしたが、高峯が来てくれて、間違いなく俺の心は喜びでいっぱいだった。
最初は食べられるかどうか心配だったが鍋の温かさにお腹も温まり、自然とお腹が空いてきた俺は結局美味しく鍋をいただいた。さすがに洗い物まで高峯に任せるのは申し訳なさすぎて手伝おうとしたのだが、断固として受け入れてくれない高峯に、それでも食い下がらずに手伝おうとすれば、さすがに諦めたのか二人で片付けをすることになった。キッチンの狭いシンクの前に二人で並ぶ。横に並ぶと高峯がいつもより大きく感じて、高峯の成長を感じて嬉しくなる。
「ふふ」
「何笑ってんスか」
「いや、高峯は大きくなったなと思って。顔つきもカッコよくなった」
「…………あんたが変わらなさすぎるんですよ」
「ふふん!俺もまだまだピチピチの20代ということだ!」
「20代ってよりかは10代って感じの顔ですけどね」
「なにっ!?」
文句を言ってやろうと高峯の顔を見れば、高峯がゆるキャラを見ている時と同じくらい優しい顔をして俺を見ているから、思わず口ごもってしまう。
「この間のドラマで高校生時代もそのまま守沢先輩がやってましたけど、違和感なさすぎて逆に面白かったです」
「う……」
「もしかしたら赤ちゃん役でも違和感ないかも……?」
「さすがにそれはないだろう!?」
「あはは、冗談です。守沢先輩はちゃんとカッコイイですよ」
高峯が珍しく素直に俺を褒めるから思わず顔を赤くして、口をつぐんでしまう。照れ隠しで手元のお皿に目を向ける。胸の辺りがムズムズして、なんだか落ち着かない。俺は一体どうしてしまったのだろう。
「カッコよくて、かわいいです」
「か、かわいい!?年上にかわいいって言うのはどうなんだ!?」
高峯の付け足された言葉に思わず顔を上げて高峯の顔を見れば、ニヤニヤといたずらっ子のような顔をして俺を見ている。高峯にからかわれている。気づけば胸のムズムズがドキドキに変わっていて、何故か熱くなった顔を誤魔化すように俺は皿洗いに集中することにした。
皿洗いが一通り終わった後、高峯に強制的に風呂に入らされ、今、何故か高峯にドライヤーで髪を乾かされている。ソファに座っている高峯の足の間に挟まるようにして、俺は床に座っている状態だ。
「た、高峯……?これくらい自分で出来るぞ……?」
「そんなこと分かってますよ。俺がやりたいからやってるの。何か文句あります?」
「な、ないない!その脅しみたいなのやめてくれ!」
「分かったら大人しくしててください」
「うむ……」
正直すごく恥ずかしい。ただでさえこういうことをされるのに慣れていないのに、相手が高峯だと思うと余計に気にしてしまう。お風呂上がりだというのに、変な汗をかいてしまいそうだ。なんとか気を逸らしたくて、ソファの前のミニテーブルに置いていた台本に手を伸ばそうとしたら、高峯に手をペシッと優しめにはたかれた。思わず後ろを振り向いて高峯の顔を見上げてしまう。
「台本読むの禁止」
「ええっ!?お、俺は何をしていればいいんだ……」
「何もすんな。大人しく俺に髪乾かされててください」
「う、うぅ〜」
再び優しい手つきで高峯が俺の髪を撫でながら、ドライヤーの温風を俺の髪の毛に当てる。なんだかムズムズとして体を動かしてしまう。
「ふふ、じっとしてて?先輩、犬みたい……♪」
「い、いぬ……」
高峯にさらりと髪を撫でられる。後輩に犬扱いされているというのに、さっきから何故か胸がドキドキ、いやもはやバクバクとしている。俺はおかしくなってしまったのだろうか。初めてのことに、もしかして心臓の病気か何かか?どうしよう、病院に行った方がいいのか!?などと考えているうちに、気づけばドライヤーは終わっていた。高峯にポンと軽く両肩を叩かれる。
「はい、終わり」
「う……。お、終わったのか……?」
「ふふ、もしかして物足りないんですか?」
「い、いや、そういうわけでは!」
高峯がまたニヤニヤとして俺の顔を見るから、反射で断ってしまった。決して高峯に髪の毛を乾かされることが嫌だったわけではない。ただこれ以上続けていると俺の身がもたなさそうだ。
「ふふ、分かってますよ。じゃあ、俺はもう帰りますね」
高峯がさらりと俺の髪を撫でて立ち上がる。今俺の髪を撫でる必要あったか!?いや、そんなことよりも……!
「え!?か、帰るのか……!?」
「帰りますよ。もう夜遅いんで」
「そ、そうか……」
あっさりと俺から離れていく高峯に、なんだか急に少し寂しくなって高峯を目で追ってしまう。荷物をまとめて玄関の方へ向かう高峯に、俺も立ち上がって慌てて高峯を追いかけた。
「た、高峯!」
「ん?」
「あ、いや……その……」
思わず高峯を引き止めてしまったが特に何を言おうとかも考えていなかったため、口ごもってしまう。本当にこのまま帰してしまっていいのだろうか。もう夜も遅いし、何よりも俺は今日高峯にしてもらうことばかりで、高峯に何もしてあげられていない。仕事の疲れを高峯には見せまいとしていたはずが、気づけば高峯に疲れをほぐされていたような気もする。これでは俺は情けない先輩じゃないか……。黙ったまま俯いてしまった俺を見て、高峯は何を思っているのだろう。高峯に心配をかけたくない。せめて笑顔で見送ってやらねばと思うのに、何故か顔を上げて笑顔を作ることは出来なかった。指先が冷えていくような心地がする。そうして何も言えないままでいると、ふと高峯が微笑んだ気配がした。
「守沢先輩、今日は暖かくして寝てください」
「……え?」
「これは命令。俺が帰ったら何もしないですぐにベッド行ってくださいね」
「…………」
「何ですか?もしかして俺に泊まっていって欲しいの?」
「い、いやいや!そういうわけでは!ああいや、泊まるのもやぶさかではないんだが!」
「ふふ、じゃあ帰りますね。またね、守沢先輩」
「あ、ああ。高峯……ありがとう……」
高峯の思いがけない言葉に俺は思わず固まってしまった。何だか今日の高峯はいつもより優しい気がする。驚きのまま尻すぼみに言った俺の言葉はドアの向こうに消えてしまった高峯に届いただろうか。高峯が本当にあっさりと帰ってしまい、しばらく呆然と玄関に立ちつくす。フラフラとリビングに戻れば、高峯がさっきまで俺の家に居た形跡は一切残っていなかった。ふいに寂しさを感じてしまい、目についたミニテーブルの上の台本に手を伸ばそうとしたところで、携帯の着信音が鳴り響き、俺は驚いて、少し飛び上がってしまった。
「も、もしもし……?」
「守沢先輩、俺が帰ったらすぐにベッドに行ってって命令しましたよね?」
「い、行ったぞ!」
「はい、ダウト。守沢先輩のことだからどうせまた台本読もうとか思ってたんでしょ」
「うっ……」
「お見通しですからね。今すぐベッドに行ってください」
「し、しかし……このままベッドに行ったところで寝れる気がしないんだが……」
「寝れなくてもいいから、部屋の電気消して、ベッドに寝転がってください。命令ですよ」
『命令』と口で言う割には優しい高峯の声に、強ばっていた体から力が抜けてしまう。ソファに座り込んでしまい、動けないでいると高峯の「ほら早く」という優しい声が耳をくすぐった。先程までの温かさを思い出して、体がほぐれていくのを感じる。俺は立ち上がって寝室に向かい、部屋の電気を消して布団にくるまった。
「高峯、寝たぞ」
「ん。そのまま目閉じて」
言われた通りに目を閉じる。
「守沢先輩が頑張ってるのも分かるけど、お仕事のことは今は考えないで」
「でも……」
「考えないで。守沢先輩のことだから明日の台本だって本当はもう全部頭に入ってるんでしょう?心配しすぎなんですよ……」
高峯の言う通り、明日の台本の内容は全て頭に入ってはいるが、それでも確認はしておきたい。俺のミスで周りの人に迷惑をかけたくないのだ。思わず息を詰めてしまう。高峯にも聞こえてしまっただろうか。
「あー……。すみません。仕事の話した俺が悪かったです……」
「高峯、俺は別に仕事が嫌なわけじゃ……」
「分かってますよ。明日も元気に仕事するために言ってるんです。守沢先輩、体の力抜いて」
体の力を抜くなんて、日常生活の中で意識してやったことなかったな。高峯の言葉に再び目を閉じて、体の力を抜こうとする。しかし一度仕事脳になってしまえば、眠るという気分にならない。この時間、もっと他に出来ることがあるのではと思ってしまうのだ。体の力を抜くどころか、再び肩に力が入ってしまう。
「高峯、ダメだ……。眠れる気がしない……。すまん、わざわざ電話までかけてくれたのに……。やっぱりもう一度台本確認してから……」
「守沢先輩。俺の言い方が悪かったです。俺の声聞いて。俺の声だけに集中して……」
「高峯の声……」
高峯の言葉に一度起こしかけた体を再びベッドの中に戻して、目を閉じて今度は高峯の声に集中する。
「守沢先輩、ゆっくり息吸って……吐いて……」
高峯の声に合わせて呼吸する。電話越しに高峯も息を吸って、吐いている音が聞こえる。
「そうそう上手です……。もう1回、ゆっくり吸って……吐いて……」
高峯の穏やかな声に合わせて呼吸していれば、段々肩の力が抜けてきたような気がする。微睡み始めた意識の中で、高峯の優しい声が俺の名前を呼んでくれた気がしたのを最後に俺の意識は途切れた。
◇
「守沢先輩……?」
「………………」
「ふふ、寝ちゃったかな」
守沢先輩の穏やかな寝息が継続的に聞こえることを確認して、俺は名残惜しくも電話を切った。ここ最近働き詰めでまともな休息が取れていないらしい守沢先輩は、それでも俺たちやファンの人たちにはそんな姿を見せようとしない。守沢先輩が自分のことで誰かに心配をかけたくないのは分かっている。守沢先輩のその優しさを尊敬しているけれど、同時にもっと自分を大切にして欲しいとも思う。
今日守沢先輩の家に行ったのも俺のエゴだ。守沢先輩を休ませてあげたいと思っていたけど、これを機に少しでも俺のこと意識して欲しいっていう邪な気持ちもあった。最初は恥ずかしくてぶっきらぼうな言い方しちゃったけど、無理やり明るい声を出す守沢先輩を見て俺が強がっていては守沢先輩もいつも通りに振舞ってしまうと気がついた。それからはできるだけ素直になろうと頑張ったけど、ちょっとは守沢先輩も休めたのかな。それに、あの守沢先輩の赤くなった顔、俺も少しは意識してもいいのかな……なんて。守沢先輩のことだからきっとまだまだ全然なんだろう。それでもいい。恋愛1年生の守沢先輩相手だ。元より長期戦は覚悟のこと。これから少しずつ近づいていけたらいい。
守沢先輩が住んでいるマンションのエントランス前。手を挙げて軽く振ればタクシーが一台俺の方へ近づいてくる。乗り込む前にもう一度守沢先輩が住んでいる部屋の辺りを見上げて、どうかゆっくり眠れますように、と密かに願った。
◇
あの日から数日。
目が覚めれば驚くほどスッキリとした目覚めに感動し、思わず高峯に電話をかけてしまったことは記憶に新しい。あれからも俺は忙しく仕事をしている。出来る限りベッドで寝るようには心がけているが、ワーカホリックという俺の性分がすぐに治るわけもなく。あまり俺の生活習慣は改善されないまま日々を過ごしている。
今日も仕事が終わり、家に着く頃には時刻は夜の10時半を少し過ぎた頃だ。これでも早く帰れた方だから良しとしよう。頭の中でこれからのスケジュールをまとめていれば、あっという間に部屋の前。鍵を使って、部屋のドアを開けるはずだった。俺の部屋に続く通路を歩いていれば、ふと違和感を感じた。俺の部屋の前に何か黒い物体が……ってこれデジャヴじゃないか……?
「た、高峯!?」
「あ、やっと帰ってきた。待ってましたよ」
立ち上がって俺に微笑んでくる高峯を見て俺は頭を抱えてしまう。家に来るのはいいが、せめて事前に連絡の一つでもしてくれ……。驚きこそするものの決して嫌ではない。むしろ高峯が来てくれて、ホッと肩の力が抜けたような気がした。今度こそ鍵を使って部屋のドアを開ける。勝手知ったるようにリビングに向かう高峯を追いかければ、ふと高峯が振り返った。
「守沢先輩、お腹空いてます?もし良かったら……」
「ああ、一緒に食べよう」
一瞬目を見開いた高峯が、嬉しそうに口元をムニュムニュさせているのを見て、また胸の辺りがムズムズするような心地がした。