「守沢先輩は子供の頃、近所の人にお菓子貰いに行ったり、友達とハロウィンパーティーしたりしました?」
「ん?急にどうしたんだ?」
「いや……守沢先輩ってどんなふうに子供時代を過ごしたのかなぁって……」
扉の向こうにいる守沢先輩がすぐに返事を返さなかったことが気になって、扉の近くに寄って耳をそばだてる。聞こえてきた音はシュルシュルという衣擦れの音だけで、俺は早くも自分の軽率な行動を後悔した。
今日は10月31日、つまりハロウィンの日だ。今ごろ街中を仮装した人たちが歩いているのだろうか。少し前までの俺は浮かれた格好で練り歩く人たちが理解できない側の人間だった。しかし今年の俺は違う。なぜなら、ハロウィンは恋人に違和感を感じさせることなくコスプレをさせることが出来る素敵なイベントだと気づいたからだ。そんなわけで、俺は守沢先輩に頼み込んでハロウィンの仮装を見せてもらうことにした。事前に「俺の好きそうな仮装を選んできてね……♪」と一言添えて。今の俺は去年までの俺が理解出来なかった浮かれきったリア充そのものだが、『俺だけに見せる守沢先輩の仮装』という目先のご褒美のことを考えればそんなことは全く気にならなかった。
仕事終わりの守沢先輩を家に呼んでさっそく仮装させる。目の前でじゃなくて、俺の寝室で着替えてもらっているのは守沢先輩が何を着てくれるのかのワクワク感を楽しむためだ。守沢先輩のことだからヒーローの衣装を着て「これが俺の仮装だ!」とかドヤ顔で言いそうで、それはそれで守沢先輩らしくてかわいいし、かわいい系の仮装で来たら守沢先輩が尊すぎて天を仰ぐだろうし、万が一にも少しえっちな感じで来たら即刻押し倒す自信がある。そんなことを考えていたら俺の妄想で頭がパンクしそうで、この先の展開への期待が膨らみすぎるのも怖くて、それをかき消そうとして冒頭の質問に繋がるのだ。
守沢先輩が服を脱ぐ音か、それとも着ている音なのか、いずれにせよ扉の向こうの守沢先輩の姿を想像してしまって俺は急に緊張してきてしまった。守沢先輩の姿が見えないのも、逆に想像の余地がありすぎて俺を増長させる。守沢先輩が何も喋らないから相も変わらず聞こえる音はシュルシュルという衣擦れの音のみで、俺は一人で興奮したり焦ったり緊張したりとてんてこまいだ。そうしているとふいに守沢先輩が喋りだしたので、これ幸いと俺は守沢先輩の声に意識を集中させる。
「子供時代かぁ……。う〜む……おまえが期待しているような話は出来ないぞ?」
「……?守沢先輩のお家はあまりハロウィンとか興味なかった感じですか?」
「いや……そういうわけでもないんだが……」
守沢先輩、どうしたんだろう?なんだか歯切れが悪いような……?もしかして聞いて欲しくないこと聞いちゃったかな……。
少しだけしぼんだ気持ちになっていれば守沢先輩が再び喋りだしたので、俺も守沢先輩の声に耳を傾ける。
「実は子供の頃の俺は病弱で入院ばかりしていてな。ハロウィンの思い出といえばもっぱら病院での思い出なんだ」
「そうだったんですか……」
「ああ。だから近所の人にお菓子を貰いに行ったり、友達とハロウィンパーティーをしたり、というのはなかったな」
守沢先輩の話を聞いていたら、直前まで守沢先輩がどんな仮装をしてくれるのかと浮かれていた自分が恥ずかしくなってきた。何と返せばいいのか分からなくて俺が何も喋れないままでいると、そんな俺のしぼんだ気持ちを上書きするような守沢先輩の明るい声が聞こえてくる。
「だけど、悪いことばかりじゃなかったぞ。病院でもハロウィンのイベントがあってな、仮装して看護師さんたちにお菓子を貰いに行ったりしたんだ。俺がお化けが怖くて泣いていたら他の入院している子が俺を守ってくれたり、看護師さんが手をつないでくれたりして……。……本当に優しくて温かい思い出なんだ」
守沢先輩の過去を懐かしんでいる穏やかな声色から、その思い出が守沢先輩にとって本当に大切なものなんだと伝わってくる。気づけば俺もしんみりとした気持ちになって守沢先輩の話に聞き入っていた。
「そっか……。守沢先輩にとってハロウィンって悪いことばかりじゃないんですね……」
毎年、この時期の守沢先輩は普段が嘘みたいにビクビクしている時があるから少し心配だったけど、守沢先輩がハロウィン嫌いじゃなくて良かった。
「どうしたどうしたっ!?元気がないぞ高峯!今日は楽しいハッピーハロウィンの日だぞっ!」
「………はぁ。せっかく俺が守沢先輩の話を聞いてしんみりした気分になってたのに台無しですよ……」
「あはは。すまんすまんっ!だけどしんみりした気分にはなってほしくないんだ」
「……?」
守沢先輩の意図がすぐには分からずに俺は思わず黙ってしまう。そんな俺に守沢先輩はいつも通りの明るい声で話を続けた。
「俺は今、高峯と一緒にハロウィンを楽しみたい!おまえには笑っていてほしい!高峯と一緒に過ごすこの時間が、今の俺にとって何よりも大切なものなんだ」
「………守沢先輩」
守沢先輩の言葉に胸がいっぱいになる。俺も守沢先輩と同じ気持ちだ。守沢先輩と一緒に過ごせることが俺にとって何よりも嬉しいことだ。そんなことを考えていたら、俺の耳元でガチャリという扉が開く音が聞こえて俺の意識は一瞬で音の方向に向いた。
「というわけで、待たせたな高峯!ハッピーハロウィン!」
そう言いながら俺の目の前に現れた守沢先輩に一瞬で目が奪われる。まず目に付いたのは頭の上で存在を主張しているふわふわの耳と、足の間からチラリと見えるふわふわのしっぽ。守沢先輩の首には首輪のようなものが付いていて、そのまま目線を下にずらせば丈の短いジャケット。しかし、何よりも目を奪われるのは胸元と腹が見えるくらい布面積が少ないインナーだ。ジャケットと同じ色のローウエストが守沢先輩のおへそを隠すことなくあらわにしているし、守沢先輩の細い腰が俺の目線の正面にあって目のやり場に非常に困る。正直、十中八九ヒーローの格好で来ると思っていたので、期待を遥かに超える仮装に俺はもはや言葉を発することすら出来ないでいた。
「がおー!どうだ高峯!かっこいいだろうっ……☆」
「……かわいいとえっちのダブルパンチで来るとか聞いてない……!」
「……?すまん高峯!なんて言ったのかよく聞き取れなかった!」
言葉に合わせて「がおー!」のポーズをしている守沢先輩がかわいくて、えっちで、もはや天を仰げばいいのか、押し倒せばいいのか分からなくなった俺はパニック状態だ。
「い、いや……なんでも……。ていうか『俺の好きそうな仮装を選んできてね』って言ったじゃん……」
結論から言って『好きそう』どころかクリティカルヒットをくらって瀕死状態なわけだが。
「むう……。高峯のお気に召さなかっただろうか……?その……、こういうちょっとえっち……?な格好をすると恋人が喜ぶってネットに書いてあったから……、高峯に喜んでもらえるかなって……思ったんだが……」
言いながらどんどん顔を赤くさせていって、とうとう恥ずかしさのあまり顔を逸らしてしまった守沢先輩に、あえて言葉にはしないが色々な感情が押し寄せてきて俺はごくりと唾を飲む。
「いや、まあ……だいぶ予想とは違ったけど……悪くないんじゃない……?」
「……!そうかっ!実はさっきまで少し不安な気持ちだったんだが、高峯が喜んでくれたなら良かった……!」
「ぐう………!」
「高峯!?大丈夫か……?どこか痛いのか……?」
「だ、大丈夫なんで……あんま近づかないでもらっていいッスか……?」
俺の素直じゃない言葉にも顔をぱあっとさせて喜ぶ顔や、安心したといわんばかりに眉毛をへにゃりと下げて笑う顔がかわいすぎて、俺は思わず喉の奥から漏れ出た声と共に胸の辺りを抑えた。心配して近づいてきた守沢先輩が俺を覗き込むが、位置的にインナーの隙間から胸元が見えそうで今の俺には刺激が強すぎる。
「そ、そんなことより……それは何の仮装なんスか……?」
「む?見て分からないか?狼男だぞ!」
俺の問いかけに改めて俺の目の前に立って「がおー!」のポーズをする守沢先輩にいい加減ナニがとは言わないけど爆発しそう。
「……狼ってよりかはどちらかというと犬って感じですけどね……」
色々なものを抑えながら必死にひねり出した俺の言葉に、守沢先輩はムッとした顔で俺を見てくる。もう勘弁して欲しい。このひと、俺を無自覚に煽る才能がありすぎて困る。
「むう!なんだとうっ!確かに牙や爪は俺がこわ……じゃなくて、高峯が怖がるといけないと思って付けていないが、心は立派な狼男なんだぞっ!」
「はぁ〜〜〜……もうほんっとに無理……勘弁して欲しい……襲うぞ……」
「……?ごにょごにょと何を言っているんだ?」
守沢先輩が「ふふん!」とドヤ顔で俺を見てくるのでたまらず俺の欲望が口から漏れ出てしまう。もうこれ以上は本当に色々と耐えきれなくなりそうだ。そう思い、物理的に両手で目を塞いだので守沢先輩が俺に近づいてきていることに俺は気がつけなかった。
「と、いうわけで!高峯!トリックオアトリート!お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ……☆」
理性の最後の砦である俺の両手は、守沢先輩が俺の手をどかしたことによってあっさりと崩された。開けた視界には満面の笑顔で俺を見つめる守沢先輩。子供みたいに無邪気な顔で俺の次の言葉を今か今かと待っている。
その瞬間、俺の理性の糸はぷつりと切れた。
目の前の守沢先輩を一瞬でお姫様抱っこして迷わず寝室へ向かう。
「うわっ!高峯!?な、なにするんだ!へっ……!?やっ……ちがっ!そっちはベッドだぞ……!」
「ううん、全然違くないよ、守沢先輩?」
守沢先輩をベッドの上に押し倒して、体の上に覆い被さる。あらわになっているおへその辺りをさらりと撫でれば、ピクリと反応して守沢先輩は途端に顔を真っ赤にさせた。
あー……たまんないなぁ……。さっきまであんなに無邪気な顔してたのに、これから俺に何されちゃうのか分かってるんだ……。ほんっと……イケナイ狼さんだなぁ……?
「じゃあ守沢先輩にはとびっきり"甘い"お菓子をあげますね……?」
守沢先輩の耳元で囁いてやれば、ふるりと体を震わせてゆっくりと俺を見上げてくる。その潤んだ瞳には明らかに期待の色が含まれていて、俺はたまらず守沢先輩の薄く空いた口元に噛み付いた。
守沢先輩を存分に堪能してからゆっくりと口を離せば、守沢先輩はキスだけで顔を真っ赤にして既に泣きそうだ。それでも俺から目を逸らさないから、今更「このひとは俺の恋人なんだ」って実感が湧いてくる。俺も守沢先輩を想いを込めて見つめ返した。
「次にハロウィンのこと思い出す時は俺にしてください」
「高峯……?ヤキモチ妬いちゃったのか……?」
「ふふ。そうかも……?今日は俺のことだけ考えて。俺のことだけ見て……?」
「俺の知らない守沢先輩を俺だけに見せて?」
とびっきり耳元で吹き込むように囁けば、ピクリと体を震わせた守沢先輩がたまらずといったように甘い吐息をこぼすから、その吐息ごと閉じ込めたくてもう一度深く深く守沢先輩の口元に噛み付いた。