「あ、プロデューサーさん。こんな遅い時間までお疲れ様です。………はい。俺は仕事終わりでこれから帰るところです。………え?俺に頼みたいこと?俺で良ければ聞きますけど……?………え?守沢先輩が……?はぁ……何やってんだかあのひと……。すみません、アレのせいでプロデューサーさんに迷惑をかけてしまって……。………ああ、気にしないでください。アレの対応には慣れてるんで」
◇◇◇
スマホで流していた音楽を止めて、思わず大きく息を吸う。吸っても吸っても体内に酸素が入っていかない感覚に、ぼんやりとした頭では思考もうまくまとまらない。体は鉛のように重く、思うように動いてくれない。
一体何時間ぶっ通しで踊り続けているのだろうか。脳に酸素が回らない状態ではそれすらも思考するのに労力を使う。いいや、そんなことを考えたってしょうがないか。とにかく時間がない。今は少しでも早く振り付けの精度を高めないと。俺のせいであいつらに迷惑はかけたくない。
今、俺は個人の仕事に、流星隊としての仕事とありがたいことに本当にたくさんの仕事を頂いている。日々朝から夜まで仕事をする、そんな毎日だ。そんな中、同時進行で流星隊の新曲のMVの撮影も控えていた。しかし問題なのは俺が新曲の振り付けをまだみんなと合わせられていないことだった。時間の都合上、俺はみんなと一緒にダンスレッスンに参加出来ていない。参加出来たのはみんなで振り付けを確認した最初の一回きりだ。それ以降振り付けの動画を渡されたはいいものの、他の仕事にかかりきりになった結果、今までまともにダンスの振り覚えの時間が取れていないのだ。ラジオや雑誌の撮影でみんなと会う時に進捗状況を聞いてみたところ、どうやらみんなもう振り付けを覚えて合わせる段階まで来ているらしい。つまり俺だけみんなと足並みが揃っていないということだ。もう新曲の撮影まで時間もない。俺個人の仕事の忙しさは流星隊の仕事を中途半端にしていい理由にはならない。だからこそ、こうして仕事終わりにESのレッスン室を借りて一人で踊っているのだ。
ふらついた足に力を入れて、もう一度スマホから音楽を流す。何時間も踊り続けたおかげである程度振り付けは頭に入ってきた。大丈夫、ちゃんと踊れてる。流れる音楽に合わせてステップを踏む。鏡を見ながら表情、指先まで自分がどう見えているかを意識する。本番は横にあいつらがいるから立ち位置はこの辺りだろうか?呼吸も忘れて一心不乱に体を動かし続ける。
「うおっ!?」
途中までは完璧ではないにしろ踊れていたのだが、ターンをしようと足に力を入れたところでふいに足の力が抜けた。衝撃に備える余裕もなく、鈍い音がして床に体を強く打つ。体の節々がジンジンと痛みを訴えている。大丈夫、足は挫いてない。少し転んだだけだ。まだ踊れる。まだ立ち上がれる。立ち上がれるはずなのに……。
「ままならないな、何もかも……」
レッスン室の天井の照明が眩しくて、目の上を腕で覆う。強く打ちつけた体の痛みよりも思い通りにできない自分の無力さを痛感する刺すような痛みの方が大きかった。
レッスンに充分な時間が取れないだろうことは最初から分かっていたはずだ。それでもみんなの前では「問題ない!」と大口を叩いた。多少無理してでも流星隊のためなら頑張れると思ったから。流星隊の仕事を調整することも出来た。だけどそうしなかったのは俺のせいでみんなに迷惑をかけたくなかったから。俺がちゃんとしていれば何も問題ないはずなんだ。
だけど現実は思ったようにいかないものだ。踊っても踊ってもうまく踊れている気がしない。頭の中には全ての振り付けが入っているはずなのに体が言うことを聞いてくれない。ただ覚えるだけじゃダメなんだ。魅せ方をもっと研究したいのに。時間がない。とにかく早く振り付けだけでも体に叩き込んで……。
ガンガンと打ち付けるような頭の痛みの中で思考がグルグルと渦巻いている。汗で張り付いたレッスン着が気持ち悪い。早く立ち上がらなければと思うのに、体は床に横たわったままピクリとも動かない。
「くっ………」
腕で覆って暗闇になった視界が滲んだような気がした。
床に横たわったまま呼吸を整えていれば、ふいにガチャリと扉が開く音がして思わず体を固める。
「あれ?守沢先輩……?こんな時間まで何やってるんですか……?」
「高峯……!?」
聞き慣れた後輩の声が聞こえて、俺は思わず体を起こして扉の方を見た。高峯は不思議そうな表情で俺を見つめている。
「あ、この曲……。流星隊の新曲ですよね。練習してたんですか?」
「ああ、まあな……」
「ふーん……。練習するのは良いですけど、こんな時間だしもう帰ったらどうですか?」
そう言いながら後ろ手でドアを閉めた高峯を目で追う。正直に言えば不完全燃焼だ。まだ自分の思うように踊れていない。こんな状態じゃみんなと合わせることすら出来ない。
「あ!そういえば高峯はどうしてレッスン室に来たんだ?仕事はもう終わりじゃないのか?」
「今誤魔化しました……?まぁ、あんたが何考えてるかは大体予想つきますけどね……」
高峯の言葉に思わず苦笑する。一応元気に振舞ってみたものの、やはり高峯には通用しないようだ。
「実はここのレッスン室に忘れ物しちゃって……。取りに来たら守沢先輩がいたんです。偶然ですね」
「なにっ!?忘れ物!?それは大変だな!俺も探すの手伝うぞ!」
「あーいや……大丈夫ですよ。どこにあるかは分かってるんで」
そう言うと高峯は一直線に部屋の隅の方へ向かい、何かを拾い上げるような動作をした。あんな所に何か置いてあっただろうか?もしかしたら俺がダンス練習に夢中になりすぎて気づかなかったのかもしれない。俺が気づいてやれれば高峯がわざわざここまで来る労力を割かなくて済んだだろうに。申し訳ない気持ちになっていると、高峯の声が聞こえて俺の意識は再びそちらに向いた。
「……で?」
「ん?」
「誤魔化されませんよ。レッスン室のど真ん中で寝転がってましたけど、こんな時間まで練習してたんですか?」
「……見られていたのか。かっこ悪いところを見せてしまったな……」
苦笑しながら返せば、「別に。今更なんで」という素っ気ない言葉が返ってきた。うん、そうなんだけどな。今まで散々かっこ悪いところを見せてしまったが、それでもかっこつけたいものだろう、先輩として。
「うーむ……。恥ずかしながらまだ振り付けを覚えきれていなくてな……。こんな状態ではみんなに合わせる顔がないし、こうしてここで練習していたんだ」
「…………」
「……やはりもう少しここで練習していってもいいだろうか?不完全燃焼のままで終わらせたくないんだ」
「…………」
高峯は無言のまま床に座り込んでいる俺を見つめている。その顔はいかにも「正気か?」とでも言いたそうな怪訝な顔だ。高峯の気持ちも分かる。俺も逆の立場だったなら無理やりにでも止めていただろう。だけど今回ばかりは無理にでも練習させてほしい。多少無理したって、その先でみんなが笑ってくれるならこれくらいはどうってことないんだ。「止めないでくれ」という思いを込めて高峯を見れば、高峯も何かを感じ取ってくれたらしい。一つ息を吐いてゆっくりと俺に近づいてくる。
「まぁ、焦る気持ちも分かりますけどね……」
「……!そうか、それなら……!」
「ん」
「……!高峯……!」
ゆっくりと俺の目の前まで来た高峯が座り込んでいる俺に手を差し出した。どうやら俺を立たせてくれるらしい。昔はよく座り込んでいる高峯を俺がこうして立たせていたというのに……。成長したんだな、高峯……!親のように嬉しい気持ちになりながらも高峯に手を伸ばせば、その手を高峯がしっかりと握ってくれた。
「ありがと……うおっ!?」
高峯が俺の手を引いたはいいものの、すぐに引く力を抜いたので、俺は再び床に尻もちをついてしまう。何が起こったのか分からず高峯を見上げれば、思っていたよりも至近距離に真剣な高峯の顔があったので俺は思わず固まってしまった。固まっている俺にはお構い無しに高峯は俺の肩を優しく押してくる。疲労からかろくに力の入っていない俺の体は、高峯の手によってあっさりと床に倒れていった。
「へっ!?た、高峯!?」
身構えていた衝撃は高峯が俺と繋いでいない方の手で俺の後頭部を守ってくれたおかげで訪れなかった。ゆっくりと目を開けば目の前には俺を真剣な表情で見つめる高峯がいる。一体どうしたのかと俺も高峯を見つめ返せば、突然高峯が体を俺の方に傾けてきた。あ、ぶつかる……!そう思って反射的に目を瞑ったが思ったような衝撃は来ない。ゆっくりと目を開ければ視界に入ったのはレッスン室の天井。ふと気配を感じて横を見ると、俺と同じように高峯も床に寝転がっていた。
「高峯……?」
寝転がった時に一瞬離れてしまった手を高峯がもう一度繋ぎ直してくる。条件反射で俺も握り返せば、高峯が俺の手を握る強さを強めた気がした。
「俺はもう疲れたんで寝ます」
「……?寝るのはいいが、自分のベッドで寝た方がいいぞ?疲れが取れないからな」
手を繋いだまま高峯の方へ体を向ければ、高峯はもう既に目を閉じてゆるやかに呼吸している。もしかして相当疲れているのだろうか。だとしたら起こさない方がいいかもしれないな。高峯が俺の手を繋いだままなので起き上がるのも忍びなくて、ゆっくりと体の向きを戻そうとするとふいに高峯が喋りだした。俺の意識も必然的に高峯に向く。
「帰る気力もないくらい疲れてるんでここでちょっと休憩してから帰ります」
「……そうか。俺は踊っててもいいか?」
「だめ。俺、無音じゃないと寝れないんで」
「だよな。一応言ってみただけだ」
言うやいなや再び高峯の規則正しい呼吸音が聞こえてきて、俺も自然と肩の力が抜ける。高峯の呼吸音に合わせて俺も息を吸えば、今度は肺の中にちゃんと酸素が入っていく感覚があってそのまま自然と呼吸出来ていた。不思議だな。さっきまでずっと頭がグルグルしていたのに、今はすっきりしている気がする。横を見れば目を閉じてすうすうと呼吸している高峯のあどけない表情がかわいくて、俺は思わず高峯に抱きついてしまった。
「うわ、最悪……。寝ようと思ってたの暑苦しい体温のせいで寝れないじゃん……」
「起きてたのか……。もしかして起こしてしまったか?」
「……別に。元々寝てなかったし」
「寝てなかったのか……。寝てていいぞ?」
口では嫌がるようなことは言っても俺を押し返すようなことはしないから、高峯に許されているような気がして自然と頬が緩んでしまう。いつもなら「何ニヤついてんだ」と高峯に嫌がられるところだが、今の高峯は目を瞑っているし嫌がられる心配もない。「かわいいなぁ」なんて思いながら抱きつく力を強めれば、高峯は俺と反対の方へ体の向きを変えたもののやっぱり押し返してはこないから、そんな高峯に対する愛おしさはますます募るばかりだった。
「ふふ。俺が起こしてあげるぞ。こんな時間だし、俺には高峯を寮まで無事に送り届ける義務があるからな」
「はいはい。学院時代もそんなこと言ってたけど、それって『義務』じゃなくて守沢先輩がそうしたいだけでしょ」
「むう……。バレていたのか」
「ふふ。じゃあ、俺を起こしてあげたいらしい守沢先輩のために起こされてあげますよ。守沢先輩がちゃんと起きれたらの話だけど……♪」
それだけ言うと再び高峯の穏やかな呼吸音が聞こえてきたので、俺の反論が口に出されることはなかった。高峯との会話が終わってしまったことが少し寂しくて、そっと高峯の背中に抱きつく。今度は嫌がるような反応もしなかったから、もしかしたらもう寝てしまったのだろうか。
呼吸と一緒に上下する高峯の肩を眺めながらつい感傷に浸る。まさか高峯に会えるだなんて思っていなかった。偶然とはいえ、嬉しい。一人でいる時はピリピリしていた気がするが、高峯が来た途端に空気が柔らかくなった気がする。そういうところも慈愛のグリーンたる由縁だろう。やっぱり高峯を流星隊に選んだ俺の目は間違っていなかったと思える。
「高峯、流星隊に入ってくれてありがとう。おまえに出会えて俺は本当に幸せだ」
お互いの呼吸音しか聞こえない穏やかな空間の中、心地よい充足感を感じて、俺の瞼は自然と閉じていった。
◇◇◇
「あ、プロデューサーさん。まだ残ってたんですね。俺たちが心配で……?ああ、なんかすみません、お騒がせして……。ふふ。そうなんです。電池が切れたみたいにぐっすり……。寝顔が子供みたいでちょっと面白いですよね……♪……え?このままおんぶして帰るんですかって?良ければ他のスタッフさんを呼びに行ってくる?いやいや、プロデューサーさんにそこまで手を煩わせるわけにはいきませんから。でも心配してくれてありがとうございます。……え?次のMVの出来上がりが楽しみ……ですか?ふふ。期待しててください。絶対良いものが見せられると思います。それで良かったらこのひとに感想伝えてあげてください。きっと喜ぶんで。……あ、そうだ。俺が守沢先輩を迎えに行ったことはこのひとには秘密でお願いします。なんでって……そっちの方が運命的でいいじゃないですか……な〜んて……♪」