「はぁぁ………。守沢先輩とこんな狭い所で二人っきりって最悪……鬱だ……」
「まぁまぁそう言うな高峯!こういうのも冒険!って感じでワクワクしないかっ!?」
「はしゃいでる場合か」
こんな状況なのに何故かテンションの高い守沢先輩を横目に俺は特大のため息をこぼす。本当にどうしてこんなことになっちゃったんだっけ……?
俺と守沢先輩は今日一日、朝からバラエティのロケをしていた。ロケ自体は『山登りをして山頂の絶景を見よう!』というありきたりな企画であったものの、逆に言えば使い古されたネタだからこそ積み重ねてきたノウハウがあり事故なんて起こらない……はずだった。
俺と守沢先輩、数人のスタッフさん、ガイドさんたちと雪山を登っていく。序盤で体力が早くも尽きてきてあまり喋らなくなった俺とは対称的に、守沢先輩はあのテンションの高さをキープしたまま喋り続けていたので、守沢先輩が喋ってくれるなら俺は楽してもいいかな……なんて考えながら地道に登っていれば山の中腹あたりまで来たらしい。思い返せばこの辺りから既に雲行きは怪しかったような気がする。
結論から言おう。俺と守沢先輩は雪山で遭難してしまった。
吹雪の中、奇跡的に見つけることが出来た山小屋の中に二人で駆け込む。人が住んでいる気配はない。暖炉と中央にポツンと置いてある木製のベンチ以外には何も物がない殺風景な部屋だ。小屋というよりかは物置という表現の方が近いかもしれない。せっかく体を休められる場所に来たというのにこんな小屋では休まるものも休まらない。その上一緒にいるのはテンションの高い守沢先輩だ。俺の元気が守沢先輩に吸われること間違いなしである。
「はぁぁ………。守沢先輩とこんな狭い所で二人っきりって最悪……鬱だ……」
山小屋を見つけてほっとひと息つけるはずが、口から出たのは特大のため息だった。かくして俺はやたらテンションの高い守沢先輩と二人っきりで過ごす羽目になってしまったのである。
『冒険みたいでワクワクする!』などと訳の分からないことを言う守沢先輩にツッコミを入れながら改めて小屋の中を見渡すが本当に何も無い。こういう小屋って普通は備蓄とか何かしらあるものじゃないのか。期待していただけに中身がこれでは不安な気持ちになってしまう。そんな俺の鬱思考に被せるように守沢先輩が相変わらずの元気な声を出した。
「安心しろ高峯!スタッフさんたちとは連絡が取れている!スタッフさんたちは無事に下山出来たそうだぞ!」
「俺たちを置いてそそくさと下山したってことですか……?はぁ……鬱だ……」
「そう言うな高峯、こういう状況では命が最優先!下山したスタッフさんたちが助けを呼んでくれたみたいだぞ!俺たちの未来は明るい……☆」
「うぜぇ……。なんでそんなにテンション高いんですか……?はぁ……一緒にいるだけで疲れる……」
不安な気持ちのまま話せば口から出る言葉もチクチクしてしまう。でもしょうがないじゃないか。雪山で遭難とか最悪命の危険に関わるのに冷静でいろ、っていうのが無理な話だ。むしろこの状況でテンション高い守沢先輩がどうかしてると思う。俺の鬱思考に自分でも自分が嫌になってきた頃、守沢先輩がそんな俺のチクチク言葉も意に介さず、再び笑顔で俺に話しかけてきた。
「今日のところは吹雪が強くて助けに行くのは難しいが、明日の朝には吹雪が止むそうだから、吹雪が止み次第助けに来てくれるそうだぞ!」
「つまり最低でも明日の朝まではこの状況は変わらないってことですね……」
「そう悲観することもないぞ高峯。この小屋は作りがしっかりしているみたいだからすきま風が漏れてくることもないし、意外にも寒すぎるということはない!」
「寒いことには変わりませんけど……」
「そういうことなら二人で抱き合って温め合うかっ!?俺と高峯が一体化すればこの寒さも凌げるかもしれないっ!」
「はあ!?絶対に嫌だ!!気持ち悪いこと言うな!!」
「あはは。冗談だ!高峯は疲れているみたいだし、今日は体を動かさず体力を温存した方がいいだろう」
そう言うと、守沢先輩はベンチに座って背負っていたリュックの中を物色し始めた。バラエティ企画とはいえ本格的な山登りなのでリュックの中には色々なお役立ちグッズが入っているのだ。しばらくゴソゴソとリュックの中を漁っていた守沢先輩が立ち尽くしていた俺を見上げて不思議そうな顔をする。
「どうした高峯?座らないのか?」
「座りますよ……」
なんだよ冗談かよ……。守沢先輩のことだから本当にやりかねないと思ってドキッとしてしまった。雪山で遭難というハプニングに既に心臓が弱っている俺をこれ以上ドキッとさせないでほしい……。
そんなことを考えながら守沢先輩とは人一人分くらい間を開けて隣に座る。座った俺を見て満足そうに微笑んだ守沢先輩は再びリュックの中を漁り始めた。俺が守沢先輩のせいで心を乱されていることには全然気づいてなさそうなのが無性に腹が立って守沢先輩をじっと睨んでいれば、ふいに守沢先輩が立ち上がって暖炉の方へ歩いて行った。
「ライターで火をつけられるかと思ったが……。うーん……。焚き木が湿っていて火がつかないな……」
残念そうな顔でこちらに戻ってくる守沢先輩をぼうっと見つめていれば守沢先輩と目が合って再びドキッとしてしまった。特に意味もなく目を逸らしてしまう。
「すまん高峯……。この寒さは我慢してくれ……」
「へっ!?あ、ああ、はい……。それはもう分かってるんで……」
俺の隣に守沢先輩が座った気配がする。しっかり人一人分開けて座った守沢先輩に、自分のことは棚に上げて何故か少しがっかりした気持ちになる。どことなく気まずい空気を感じてしまい次の言葉を探していると、隣から守沢先輩の穏やかな声が聞こえてきて俺の意識は自然と守沢先輩に向いた。
「ふふ。こんなことを言っては高峯に悪いかもしれないが、高峯がいつも通りでいてくれて良かった」
「はあ?全然いつも通りじゃないです……」
「そうか?俺とくっつくのは嫌だ〜、とか言ってたじゃないか」
「それは……まぁ、はい……。嫌だし……」
「こらこら、一応先輩だぞ?いいけどなっ、むしろこういうところが高峯らしくて安心するっ♪」
「えぇ……?守沢先輩ってMなんですか……?」
言いながら守沢先輩に目を向ける。恥ずかしがったり、否定してきたりしたらからかってやろうって、それだけのつもりだったのに。守沢先輩がびっくりするくらい優しい顔で俺を見つめているから呆気にとられてしまった。心臓がバクバクとうるさくなって、寒がっていた体が熱くなったような心地がする。
「ん……?M……?とかはよく分からないが」
そこで一度言葉を切った守沢先輩はゆっくりと俺と目を合わせて微笑んだ。いつも見る熱血な表情とは違う、大人っぽくて優しい表情に何故か目がそらせない。
「ふふ。本当は俺も少し心細かったんだ。だが高峯が居てくれたから落ち着くことが出来た。高峯と一緒ならこういう夜も悪くないかもな、なんて考えてしまった」
「すまん……。不安がっているおまえに言うことじゃないよな……」なんて眉を八の字にして笑う守沢先輩に「全然落ち着いてなかったでしょ……」なんて返すのが俺の精一杯だった。俺の言葉に「あはは。本当にその通りだな」なんて返す守沢先輩の笑い声が妙に耳に残って離れない。守沢先輩から目を逸らして、熱くなった体を冷そうと今の距離から更に一人分距離を開けて、守沢先輩の方に背を向けてベンチに座り直した。
これはいわゆる吊り橋効果ってやつなんだ……。遭難して不安な気持ちでドキドキしてるだけだ……。なんて考えながら。
それからしばらく経っても俺と守沢先輩の人二人分空いた距離感は変わっていなかった。守沢先輩に背を向けた俺に対して、守沢先輩は明るい声で俺に色々な話題をふって話しかけてくれるが俺が何も反応しないので、その全てが長続きしないまま終わってしまっている。かたや俺は自分から開けた距離をもう一度詰めるなんて出来やしなくて、タイミングを見失っていた。熱くなった体を冷やすためとはいえ、数十分も経てば普通に寒い。ペラペラと話し続けている守沢先輩と比べて一言も話していない俺は先程から寒さに震えていた。俺の隣にはこういう時にうってつけの暖房器具がいるというのに、俺はこういう時に限って勇気が出ない。
「くしゅん」
「高峯!?大丈夫か……?寒いか……?」
「くしゃみ一つで大袈裟すぎ……。別に大丈夫ですよ……」
ふいにくしゃみが出てしまった。守沢先輩は相変わらず大袈裟に心配してくるけど、俺のくしゃみに反応した守沢先輩が咄嗟に俺に近づいたので俺は少し気分が良くなる。実際本当にそんな大袈裟に反応されるようなことでもないのだ。この小屋に来たばかりのころは不安になっていたが、いつの間にかそんな気持ちは消えていた。というかそんな気持ちを感じさせる暇も守沢先輩のせいでなくなったと言うべきか。寒いことには寒いが想像していたよりもずっとマシだし、本当にたまたま出てしまっただけのくしゃみなのだ。でもそんなただのくしゃみでも大袈裟に俺を心配してくれる守沢先輩を見ているとやはり気分が良い。そんな俺を見て何を思ったのか守沢先輩がおもむろに立ち上がったので、俺も守沢先輩を目で追った。
「高峯、これを着てくれ」
「え?これ守沢先輩の着てたやつですよね……?」
「気にするな!俺は体温が高いんだ!これくらいどうってことない!」
おもむろに自分の上着を一枚脱いだ守沢先輩が俺に脱いだ上着を差し出してくる。反射でつい受け取ってしまったが本当に守沢先輩は大丈夫なんだろうか。心配になって守沢先輩を見上げれば守沢先輩は「ふふん」と腰に手を当ててドヤ顔をしているので心配して損をした気持ちになる。
「そういえば守沢先輩はリアル暖房器具でしたね……」
「ああ、俺の体で直接高峯を温めてやってもよかったんだが……。くっ……高峯が嫌がるからな……」
「我慢してくださいね。俺こんな狭い所であんたと密着とか生理的に無理なんで」
先程は妙に大人っぽい表情をしていたからドキッとしてしまったが、やっぱりいつも通りの熱くてウザイ守沢先輩だ。内心ほっとしつつ、守沢先輩から受け取った上着を肩に掛けてみればあまりの温かさに驚いて思わず声を出してしまう。
「あったか……。ほんと冬場にこの体温は羨ましいですよ……」
「そうだろうそうだろう!高峯が望むなら俺はいつでもおまえの暖房器具になろう……☆」
「結構です。勘弁してください」
「うむ!こんな状況でもブレないな高峯は!素晴らしいことだ!」
いつも通りのウザいノリにさっき見た守沢先輩はもしかして俺の幻覚だったんじゃないかと思えてきた。でもさっき守沢先輩が言ってたことは本当だったみたいだ。いつも通りでいてくれた方が安心する。守沢先輩の上着をギュッと引き寄せて、より守沢先輩の体温を感じる。どことなく守沢先輩の匂いがして心が穏やかになった。
「よし高峯!これもつけるんだ!」
「え?」
「あと、これとこれと……。このリュックもだな!高峯のリュックも開けていいか!?」
自分のリュックを漁ってタオルを取り出した守沢先輩が俺の膝を上にそれを掛ける。リュックの中の暖を取れそうな物を一通り出して俺の周りに並べた守沢先輩は、俺の困惑の声をよそに最後にリュックも俺の隣にピッタリとくっつけて置いた。俺の返事も聞かずに勝手に俺のリュックも開けた守沢先輩は同じようにタオルやらなんやらを俺の周りを囲うようにしてピッタリと置いたので俺の周りにはこんもりと物が溢れ返っている。俺の膝の両隣には守沢先輩と俺のリュック。膝の上にはタオルが掛けてあるし、それ以外にも色々と掛けてある。
確かにさっきよりかは明らかに温かくなってるけど……。心を休めようと俺が思えば目の前を守沢先輩が忙しなく動き回るからやっぱり心休まらない。まったく守沢先輩はいつもいつも俺の視界にチョロチョロと入ってきて……。
「ふふ」
「ん?どうしたどうしたっ!ちゃんと温かくなったか!?」
「あーもう……やかましいなぁ……。おかげさまで温かくなりましたよ。守沢先輩の暑苦しさで逆に熱くなっちゃうくらいです」
「そうか……。それなら良かった!」
一通り俺の周りに物を敷きつめて満足したのか守沢先輩はさっきと同じ位置に戻って行った。すっかり温かくなった体だけでなく、なんだか心までポカポカしているようで不思議な気持ちだ。「ありがとう、守沢先輩」なんて直接本人には言えないけれど心の中で感謝する。俺も守沢先輩と一緒ならこういうのも悪くないかもな、って流石に守沢先輩に毒されすぎかな……。
あれからまた数十分。
俺の体はすっかり温まり、命の危険を感じることはなくなったわけだが、俺には先程から別のことが気がかりになっていた。
「守沢先輩……?」
「……ん?どうした高峯?お腹空いたか?」
俺の言葉に反応した守沢先輩がゆっくりと顔を上げて俺を見る。その顔は穏やかで優しい顔だが、どこかいつもの守沢先輩とは違うような気がする。
「いやお腹は空いてないです。それよりも大丈夫……?」
「ん?何がだ……?」
「守沢先輩、さっきから元気がないような気がして……」
先程まで明るく俺に話しかけていた守沢先輩が、数分前から急に静かになってしまったのだ。俯いて動かないし、もしかしてどこか体調が悪いのだろうか。疑いの目で守沢先輩を見れば、守沢先輩は困ったように笑った。
「うむ……。さすがにずっと喋り続けていたから疲れてしまったのかもしれないな?あ、もちろんおまえと話していて疲れるとかじゃないぞ!」
なんとなくだけど守沢先輩、嘘ついてる気がする。なおも守沢先輩をじっと見つめれば守沢先輩は気まずそうにシャキッと背を伸ばした。
「安心しろ!俺は元気だぞ!本当に……」
守沢先輩の最初は勢いがあった声も尻すぼみに小さくなっていく。シャキッと伸ばしたはずの背もだんだん丸まっていって、結局すぐにまた俯いてしまった。
「守沢先輩……」
「うむ!ヒーローと言えども休息は必要だ!だが心配することはない!休息を取ればまた元気いっぱい元通りだ!」
「守沢先輩」
「心配するな高峯!本当にちょっと疲れただけだ!それよりもおまえの話を聞かせてくれないか?今度はおまえが話す番だぞ!」
「…………。」
さすがにこれで「はい分かりました」と素直に聞くほど俺は馬鹿でも鈍感でもない。明らかに守沢先輩の様子がおかしい。見ていて痛々しくなるほどの空元気だ。黙ってしまった俺に守沢先輩は気まずそうに目を逸らした。その態度になんだか無性に腹が立つ。目を逸らすな、俺を見ろ。
「守沢先輩、ちょっと失礼します」
「えっ!?高峯!?」
俺は立ち上がって守沢先輩のおでこに自分の手をくっつける。守沢先輩が俺を静止しようとしたのか手を伸ばしたが、その手は力なく膝の上に落ちた。
「あっつ……。何度あるんですか、これ……」
「た、高峯!心配するな!少し待てばスタッフさんたちが来るし、俺は全然大丈夫だぞ!」
「あんたの大丈夫は全然『大丈夫』じゃないんで」
守沢先輩のおでこからサラリと髪をとかせば手にベタっとした感覚があり、考えるまでもなくそれが汗だと分かった。こんなになるまで気づけなかった自分に腹が立ってつい舌打ちが出てしまう。それにピクリと反応した守沢先輩が慌てて謝ってくる。
「すまん高峯!汚いだろう……?俺は本当に大丈夫なんだ!元から体温が高いからこんなのは誤差みたいなもので……」
守沢先輩は何も悪くないのに謝らせてしまったことに更に腹が立つが、いちいち自己嫌悪もしてられない。こんな状況で守沢先輩のことを放っておけるわけがない。
「言い訳はいいから。熱いのと寒いの、どっちですか?」
「………………寒い」
「寒い?それじゃさっきまで俺が来てた上着を守沢先輩が……」
「それはダメだ!高峯が寒くなってしまう!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
守沢先輩が急に声を大きくするから釣られて俺も声が大きくなってしまう。守沢先輩を見れば俯いた顔で弱く首を振って、震える手で俺の服の袖を掴んでいるから俺は二の句が継げなくなってしまった。
「高峯に辛い思いをしてほしくないんだ……」
「それは……」
そんなこと言われたって俺にはどうすれば良いのか分からない。守沢先輩の気持ちを汲んであげるのが優しさ?心配するな、大丈夫だって?ぜんっぜん良くない。こんな状態の守沢先輩を見てるだけとか出来るわけがない。助けを震えて待つだけのやつにはなりたくない。まだまだヒーローとしては未熟だけど、俺にだって隣で震えている守沢先輩を温めるくらいは出来るはずでしょ?いいや、そんなことも出来ないんじゃ俺はこの人に貰ったものを一生かかっても返せない。
散々「嫌だ、気持ち悪い」とか言っておいてなんなんだって自分でも思うけど、これくらいしか思いつかないから。
「守沢先輩言いましたよね?いつも通りの俺を見て安心したって」
「え……?高峯?」
「だから俺は俺らしく、俺が思うようにしますね。守沢先輩の言うこととか聞かないんで」
「たかみ……うおっ!?」
守沢先輩の膝裏に手を入れて守沢先輩を抱き上げる。いわゆる『お姫様抱っこ』のような形だ。突然のことに驚いた守沢先輩が俺の首元に抱きついたことを確認して、俺はベンチに座り直した。改めてこうして密着するといつもよりも明らかに高い体温にやっぱり守沢先輩の『大丈夫』は全く信用ならないなと確信する。そのまま横に脱ぎ捨ててあった守沢先輩の上着を守沢先輩の肩に掛けてから俺は守沢先輩を抱きしめた。
「た、たかみね!汗が……汚いから……!」
「うわっほんとだ……。すごい汗……。なんで言わないんですか……ってあんたに言っても無駄ですよね」
「は、離してくれ!」
「なんで?いっつもあんたの方からくっついてくるじゃん」
俺は自分のことは棚に上げて、俺から離れようとする守沢先輩にムッとする。いつもは異常なくらい距離が近いのにどうしてこういう時は遠慮するのか。
「高峯に汗がつく……」
「別に気にしないですけど……。ああ、でも汗かいてるとベタベタして気持ち悪いですもんね……?じゃあ汗拭くんで。服脱いでください」
「えっ!?や、やめろ!」
言いながら守沢先輩の服を脱がせようとしたら咄嗟に守沢先輩に服を抑えられた。
「な、なんだその目は……!?わ、分かった!汗は自分で拭くから、後ろ向いててくれないか……?」
「はあ?なんで?男同士で何を恥ずかしがってるんですか?」
「は、恥ずかしがってな……こらっ、脱がせようとするなっ!」
「何をそんなにベソベソしてるんですか……。服脱がせて汗拭いただけでしょ……?生娘でもあるまいし……」
「うぅ……ひどい……こんなのあんまりだ……」
「でも汗でベタベタしてるのなくなりましたよね?」
「それはそうだが……」
この状態の守沢先輩から目を離したら何があるか分からない。これはあくまで看病のためだ。それに恥ずかしがってはいるが守沢先輩は俺の膝の上からはどこうとしない。それなら本気で嫌がられてるみたいでもないし問題ないだろう。
「守沢先輩?」
「……ん?」
「まだ寒い……?」
「…………さっきよりかは、寒くない……」
「いいですよ、俺にくっついてて」
「………ん」
俺の言葉を聞いた守沢先輩がギュッと俺に抱きつく。相変わらず守沢先輩の体温は異常なほど高いけどその体は小刻みに震えていて、先程までぎゃあぎゃあと騒いでいたがやはりまだ具合が悪いんだろう。
しばらくは無言で守沢先輩を抱きしめている俺に「高峯は寒くないか?」とか「お腹空いてないか?」とか自分よりも俺を心配するようなことを言っていたが、そのうち喋る気力もなくなったのかぐったりと俺の体にもたれかかるだけになった。
守沢先輩の息苦しそうな呼吸を感じながら、俺は今更ながら後悔する。もっと早く気づけていれば……。俺が守沢先輩の上着を受け取らなければ……。ぐるぐると頭の中で思考の渦が巻いているがそのどれもが形にならずに消えていく。何もかもがままならない自分に嫌気が差し始めたころ、ふいに耳元で守沢先輩の声がした。
「たかみね……」
「守沢先輩……?どうしました?」
俺の声に守沢先輩は反応しない。ただの寝言だったのかもしれない。たった一言俺の名前を呼んだだけ。そこに深い意味などきっとないんだろうけれど、俺の中で腑に落ちてしまった。俺はこの人を放っておけない。守沢先輩が夢の中で俺の名前を呼んだなら、俺はそこに駆けつける、この人にとってのヒーローになりたい。
「大丈夫。ここにいるよ」
守沢先輩の体を抱きしめれば、守沢先輩の肩の力が少し抜けたような気がした。
◇◇◇
「ふはは!守沢千秋、完全復活………☆」
「うわぁ……。病み上がりくらい大人しくしててほしい……」
聞きなれた大声が寮に響き渡る。あれから数日後、あの一夜があったからといって『守沢先輩は熱くてウザイ』という俺の中の印象が変わることはない。
「そんなこと言って、守沢殿がお休みしていた間、翠くんしきりに守沢殿のことを気にしていたでござるよ」
「忍くん……印象操作やめてよ……。"しきりに"は言ってないでしょ……?」
「高峯〜!心配してくれていたのか!嬉しいぞ〜!」
「うわっ、いきなり抱きつくなよ……。そりゃ心配はするでしょ。メンバーなんだし……?」
いつものように大袈裟に抱きついてくる守沢先輩を軽く受け止める。これくらいはもう慣れっこだ。
「あれ……?守沢先輩、少し痩せました?ちゃんとご飯食べてんだろうな……?」
「んん……!?食べてる食べてる!」
言いながら守沢先輩の腰辺りに手を持っていき再度抱きしめるが、やはり少し痩せてる気がする。守沢先輩は慌てて弁解しているが言い訳が苦しい。
「はいストップ。二人ともイチャイチャするのやめてほしいッス」
「え?なんで?俺、守沢先輩とイチャイチャしてないよ……?」
言いがかりをつける鉄虎くんに思わず守沢先輩から手を離せば、気まずそうに守沢先輩が俺と少し距離を取ろうとする。それにムッとした俺が追いかけようとしたところで、すかさず鉄虎くんの声が割り込んできた。
「それにしても本当に大丈夫だったんスか?雪山で遭難したって聞いたッスよ?」
「ぶじでよかったですね?」
「話を聞いた時は普通にヒヤッとしたでござるよ!」
「まぁなんとか生きてる……」
「ふはは!心配するな!遭難と言っても山小屋があったし、夜が明けたら助けがすぐに来てくれたからな!」
なんで守沢先輩はこんなに高笑い出来てるんだろう……。ああそっか、この人まともじゃなかった……。俺の気苦労を返して欲しい……。
あの後、最初におでこに触った時よりも熱くなっていく体温に、守沢先輩の呼吸もだんだん苦しそうになっていって、俺は気が気じゃなかった。救助隊の人が来てくれた時は思わず泣きそうになったくらいだ。その後守沢先輩はすぐに病院に搬送、俺も念の為と連れて行かれたけど二人とも命に関わるようなことではなかった。
「覚えてないくせに……。よく言うよね……」
「うむ……。スタッフさんたちにも迷惑をかけてしまったな。俺たちの不注意だというのに企画が一つボツになってしまった」
「まぁそれに関してはお詫びとばかりに後で地元の美味しいご飯食べるだけのロケやったしいいんじゃない?」
なにはともあれ、結果的に無事で良かったと思い思いに口にしあって俺たちはそれぞれの仕事もあるため解散となった。俺と守沢先輩はこの間の一件で念の為と休養を取るように言われているので手持ち無沙汰になってしまう。なんとなく気まずい空気になってしまい話題を探していると守沢先輩の方から声をかけてきた。
「高峯、この間はありがとう。おまえがいてくれてよかった」
「いや……俺は何もしてないですよ……。救助隊の人が来るまで何も出来ませんでしたし……」
本当に俺は何もしていないのだ。出来たことといえば苦しそうな守沢先輩の背中をさすってあげることくらい。俺は医者でもなんでもないし、守沢先輩の苦しみを減らしてあげることは出来ない。
「ううん。それは違うぞ高峯。たしかに俺たちを助けてくれたのは救助隊の人や医者かもしれない。彼らがいなければ俺たちは助からなかっただろう。それは感謝するべきだ」
「…………。」
「だが、俺が一番苦しい時にそばにいてくれたのはおまえだ、高峯。おまえだって不安でしょうがなかっただろうに俺のそばにいてくれたんだろう。俺はそれが嬉しかったし、おまえのおかげで安心出来たんだ」
「…………。」
「よくがんばったな、高峯。そしてありがとう。おまえは間違いなく俺にとってのヒーローだ」
「……買いかぶりすぎですよ」
「ふふ。そうか?俺はもうずっと前からおまえのことをヒーローだと認めているんだけどな」
口ではいつも通りに振舞ったって、どうしたって口の緩みは抑えられない。俺の中で抑えていた感情も抑えられなくなりそうで俺は慌てて口を噤んだ。俺にとってこの感情はこんな嬉しさのあまりに言っていいようなものじゃない。黙ったまましゃべらない俺に守沢先輩が言葉を続ける。
「それに」
「………?」
一度言葉を切った守沢先輩に目を向ければ、あの日と同じように優しい顔で俺を見つめているからやっぱりドキッとしてしまう。
「ふふ。笑われるかもしれないが。あの日、記憶が朧気なんだが、夢の中におまえが出てきたんだ」
「え?」
「一人ぼっちで心細くて『高峯』って名前を呼んだら、どこからともなくおまえが来てくれて『大丈夫。ここにいるよ』って俺を抱きしめてくれた。覚えているのはこれだけなんだが、俺にとってはそれで十分だった。本当に嬉しかったんだ」
「…………夢の中でも俺とか、守沢先輩、俺のこと好きすぎなんじゃないですか?」
「あはは。そうかもな!ううん、その通りだ!俺は高峯のことが大好きだ!」
「うわっ……!またいきなり抱きつく……」
「ふはは!俺の愛はこんなものじゃないぞ!」
そう言いながら俺の肩口に頭をグリグリ押し付けてくる守沢先輩に、嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが半々だ。いや、やっぱり嬉しい気持ちの方が大きいかも。俺の『好き』と守沢先輩の『好き』は多分違うけれど、それでも守沢先輩の真っ直ぐな『好き』の気持ちを向けられて嬉しくないわけがない。とはいえ、いつまでもこうして寮の一室で抱き合っているわけにもいかないだろう。誰かに見られたりしたら恥ずかしすぎるし。
「守沢先輩、もう離れてください」
「ふふ。すまんすまん!つい感情が高ぶってしまった!」
「犬か。まぁいいですけどね。それももう慣れました」
「ああ。これからもよろしく頼むぞ、高峯」
守沢先輩が真っ直ぐな目で俺を見つめるから俺も見つめ返した。
「お世話を、ってことですか?」
「ええっ!?本当に俺のことを犬だと思っている!?」
「ふふ。冗談です。言われなくとも。守沢先輩にこれだけ構い倒されてるのも多分俺だけだし……?」
「うむ!自覚があるようで何よりだ!嬉しいぞ高峯!」
言われなくたって離れるつもりなんてない。むしろ今回の件で守沢先輩から目を離しちゃダメなんだと学んだ。ほんと、あんた放っておけないんだよ。自分が体調悪いこと隠して俺のことばっかり気遣って。その優しさが好きだけど、もう少し自分にも優しくしてほしい。
ニコニコと俺を笑顔で見ている守沢先輩に犬の耳としっぽが生えているように思いながら俺は目を細める。守沢先輩が自分に優しくできないなら、守沢先輩が苦しんでいる時、そばで寄り添ってあげる、そんな存在になりたい。守沢先輩が俺をヒーローだと認めてくれた今ならきっとなれる、そんな気がするのだ。
「はいはい。暇だし空中庭園にお散歩にでも行きますか?」
「高峯!?俺は犬じゃないぞ!?」
「ふふ。分かってますよ。ほら行こう?守沢先輩……♪」