【00課陸】呪物蒐集家殺人事件【二】【2】
「燃やせーッ!!!!」
「ダメだ」
間島 純は発狂し発光した。索敵探索班の班室に光が迸る。生守 正継は虚な目でそれを制しながら聴診器を藁人形に当てた。呪いが浄化される音がした。呪いが浄化される音ってなんだろう。
現在時刻は15時45分。本日の00課はまさしく師走全力疾走の真っ只中。五万点の呪物の識別と鑑定と浄化という約束された大惨事を朝から駆け抜けている上に、昼ごろにはパトロールに出ていたという未障班の班員が工事現場から多数の霊的不審物を発見するという追い打ちが重なった。002課の担当刑事たちが被害者の周辺調査を進めながら対象範囲を絞っているが、それでも五万点プラスアルファは馬鹿の数だった。00課とか無関係にそれはもう処理に困る数なのである。大抵の場合、数は質に勝る。
それでも職員たちの涙ぐましい努力と死屍累々の果てに、徐々にではあるが、無関係であろうと判別されるものも増えていった。そうなればどうなるか。浄化の時間である。するとどうなる。知らんのか? 浄化能力持ちたちが地獄を見るのだ。
そういうわけで索敵探索班の班室には鑑定を終え「無関係」「浄化してよし」「霊的能力は無いが念の為浄化しておいてください」などのラベルが貼られた呪物たちが次々に運び込まれてきては片っ端から浄化され続けていた。トリアージもかくやと言わんばかりのそこはさながら呪物の野戦病院とでもいうべきか、浄化を本分としていない索敵探索班でこれなら浄化班は一体果たしてどうなってしまっているのか、答えはメリーさん人形に聴診器を当てる哀れな生守の姿である。
この地獄はいつまで続くのだろうか。せめてクリスマスまでにカタをつけたい。愛する娘が家で待っているのだ。間島は切に祈った。祈りながら発光した。目の前に積まれた掛け軸の山が運び出され、入れ替わるように古書の山がきた。間島は発狂した。
「火を放てーッ!!!!」
「ダメだ」
◆◆◆
「ははあ、なるほどねえ。うん、うん、それは確かにね、障りがあってもいけないしね。分かりました、こっちで動ける人を向かわせます。はい、じゃあその子たちは、ええ、よろしくお願いします」
未障班班長・稔 柾はいつもの調子で会話を終えて、いつものようにもたもたと手間取りながらスマートフォンの通話を切った。
時刻は間も無く16時を迎えようとしている。冬の最中の雪国は日照時間が短く、窓から見える空は既に夜の帷が降り始めていた。さりとて署内は未だにてんやわんやの大騒ぎが続いている。
未障班案件としての依頼を受けはしたものの、さて今動ける人員は誰が居たかしらんと稔は頭を捻らせた。昼時に発見された犬神群の影響もあり、元々足りない手は更に枯渇しているのが実情だ。連絡を入れてきた現場の彼に任せれば良かっただろうかという思いがチラと過りはしたが、流石にそれは無責任が過ぎようと邪な思いを追い払った。
既に発症から数日が経っているというし、出来たら今日中に詳しい話を聞きに行かせたいところだが、はて。
「その案件、自分に任せて頂いても?」
考えを巡らせる稔の傍らから、落ち着いた青年の声が向けられた。おや、と顔を上げれば、人当たりの良い笑みを浮かべたベスト姿の青年が、いつの間にやらそこにいた。
「良いのかい、忌島くん。君も忙しいんじゃないの」
「いやあ、それが大変不思議なことに、朝からどこに顔を出しても、出ていけ近づくな頼むから近寄らないでくれのラブコールの嵐でして」
「ええ……何したの……」
「何もしてません」
「なんて澄んだ目をしているんだ」
浮かべる笑顔は変わらないはずなのに、この短いやりとりの間で、稔の目には忌島の笑顔が大変うさんくさいものに見えてきていた。印象とは不思議なものである。
とはいえ、大量の呪具を迂闊に浄化できない状態である以上、自動的に霊に嫌われる体質を持つ彼が解析現場への立ち入りを拒絶されることは致し方のない話なのかもしれない。何事も得手不得手、忙しない者があれば暇に苛まれる者もまたあるのが社会だ。稔はとりあえず好意的にそう受け取ることにした。
「う〜ん、じゃあ頼んじゃおうかな。お願いできる?」
「やったぜヒャッホウ。失礼しました、お任せください」
忌島鬼介は足取り軽やかに廊下へと躍り出た。すれ違う疲労困憊の職員たちへと応援の言葉を投げかけながら、現場で人足に励んでいるだろう相棒の現在地を聴取する。いつものように道連れにする気満々であった。
「いやあ、気になっていた場所だったんですよねえ。実に丁度よかった」
ずらりと並んだスマートフォンのブックマークを読み込めば、目的の心霊スポットの情報にはすぐに辿り着いた。
ラブホテルであった。
◆◆◆
金剛雲母はしょんぼりとしていた。加納の期待に応え、クリティカルな情報を得られたと思ったのだ。被害者の自宅へ向かい、暗い画面のデスクトップコンピューターに触れ、金属の記憶を読み取ったのはよかった。そこから、被害者の東鎮館がコレクションの呪物を通販サイトやネットオークションで転売していることを掴んだのもよかった。問題はそこからだった。
サイコメトリーは調査に有用ではあるが、法的な証拠にはならない。能力者個人が『そう感じた』というだけの、極めて感覚的な情報でしかないためだ。そのため、サイコメトリーを使用した調査はあくまで情報の足掛かりを見つけるためのものであり、その先で証拠や証言を確保できてこそ意味があった。
しかし電子の海を調べてみれば、東鎮館は五年前に登録していた各種通販サイトやネットオークションのアカウントを全て削除していた。転売が行われていたのは過去の出来事でしかなかったというわけだ。開示請求を行おうにも、この情報社会において五年の壁は絶望的に大きかった。果たして結果が出るのはいつになることやら。
この情報は金剛にとってショックだった。いやいや、嘘を吐いた訳じゃないんです、だって本当に転売してるって感じたんだもんホントだもんトトロいたもんキララちゃんは嘘吐かない。
「……なーして読み違ったかなー…?」
だからこそ解せぬ。
被害者自宅から回収したHDDを見やった。
物言わぬ無機物は何も語らない。
◆◆◆
「状況を見るに、トウビョウあたりじゃないかなあ〜って思うんですよねえ」
喋るシロクマ改め安養白真はそう言いながら、テオバルドへ資料を差し出した。
「トウビョウというと、憑き物筋の?」
「ですです。蛇蠱(へびみこ)の一つですね」
テオバルドが視線を書面へ向ければ、まず目を引いたのは着物を着た擬人化された蛇の絵だった。添えられた文言や参照資料に目を通す。
トウビョウ。トンボカミとも呼ばれるそれは、四国・中国地方を中心として伝えられる憑き物の名称である。
トウビョウは蛇の憑き物といわれ、その姿は10cm〜20cm程度の蛇であると語られる。トウビョウを持つ家はトウビョウ持ちと言われ、屋内でこの蛇を飼育していたり、人目につかないよう土瓶に入れて飼育する。
多くの憑き物筋と同様に、トウビョウ持ちの家は裕福であり、飼い主の意思に従ってトウビョウが敵対者へ災いをもたらす。その反面、トウビョウの飼育を怠れば、この蛇は逆に飼い主へ襲い掛かるという。トウビョウに災いを齎された者は、体の端々に激しい痛みを訴え、ついには死んでしまう。蛇神信仰の名残と言われることもある。
類似の憑き物に蛇蠱があり、これは香川県小豆島に伝わる憑き物筋である。トウビョウと同じく蛇の憑き物であり、家の敵対者に災いをもたらすというのも同様だ。家系の者が恨みを抱いた相手には蛇の霊が取り憑いて相手を苦しめ、挙句にはその人の内臓に蛇が食い込んで命を落とすという。
かつて海岸に由来不明の長持が流れ着き、これを見つけた村人たちの間で奪い合いとなった。公平に中身を分配しようと長持を開いた時、中に詰まっていた無数の蛇が這い出し、村人たちの家へと入り込んだ。これが蛇蠱の家系の始まりであると伝えられている。
「被害者は大量の呪物を家に保管していました。この中にトウビョウの土瓶が含まれてたんじゃないですかね。あるいは本当に興味本位で飼育していたのかも」
「そして管理を怠り、呪いを受けたと? あり得そうな話ではあるが……」
「あるいは本当に蛇憑きの家の誰かを敵に回したのかもしれませんけどね〜。でも蛇の憑き物ってたいてい西の方なんですよ。北海道にもホヤウカムイを始めとした蛇神の伝承とかはありますけど、それは今回の状況には合わない気もしますし……あの呪物の山の中にトウビョウの土瓶が混ざってたら、疑って良い気はします」
とはいえ自分も調べた以上の情報はわからないんですけどね! フットワークもノリも軽い新卒のシロクマはフンスと胸を張った。テオバルドは礼を告げ、去りゆく班員の背を見届けた。
思考を整理する。
被害者は過去にコレクションの転売に手を出していたが、近年はそれを辞めていた。現状でもあれだけの量のコレクションを保管していた以上、当初から転売目的で収集していた訳ではあるまい。金銭的に困窮していたと考えるのが妥当だ。
そうした中で、トウビョウを用いて富を得ようとした。しかし飼育を怠り、その祟りを受けて死亡した。つまり、これは呪物の管理不行届による事故死である。
辻褄は合う。だが、違和感は残る。
テオバルドの脳裏に過ぎるのは、検死結果と遺体の写真だ。被害者は肉体を変質させながらも苦痛を感じることなく、最期まで精神状態は穏やかであった。
呪物の根底にあるのは、怨みである。
飢えさせた犬の首を刎ね、死後もその亡骸を穢して生まれる犬神。無数の虫同士を食らい合わせ、最後に残った一匹を神霊として祀る蠱毒。憎い相手への攻撃手段として見立てに用いられる藁人形やブードゥー人形。いや、そういった古くから伝わるものでなくとも良い。粗末に扱われ捨てられた人形が意志を持って持ち主の元へと帰ってくるだとか、歴史に翻弄され悲劇の中で死んだ著名人が身につけていた宝石だとか、呪いが生まれる裏には誰かの怨みの念がある。その怨みのパワーをコントロールして他者を害するか、あるいはコントロールしきれずに自滅するか、呪いとはそうしたプロセスを辿る。そこには必ず何らかの害意が存在している。
ならばこそ、被害者が呪物によって死んだのであれば、あの穏やかな表情は奇妙であった。愛するものに害されることを悦べるほどの狂気に陥っていたとでもいうのか? 否、被害者はコレクションの転売に手を染める俗物的側面を持っていた人物である。まして肉体のストレス反応が確認されていない以上、それは外的な精神汚染と考えるのが自然であった。
この疑問に対する一つの仮説をテオバルドは既に見出している。しかし結局、仮説の域を出なかった。
呪いによる憑依と考えるから矛盾が生じる。
ではこれが『降霊』であったならどうか?
ここでいう降霊とは、より広義の、シャーマニズムによる超自然的存在との交信的行為のことだ。シベリア東部から満州にかけて流布していたツングース族の言葉で呪術師を意味するこの言葉と宗教的行為は、口寄せや霊媒といった言葉に置き換わり、この国でも数多の事例がある。東北のイタコや沖縄のユタが著名であるが、それを行う霊能者や巫女の存在は今も広く存在する。
シャーマニズムの定義として、脱魂と憑依のどちらを基本と捉えるかは意見が分かれる。裏を返せば、その双方が降霊の特徴でもある。
憑巫(よりまし)となる人物は極度のトランス状態に入って霊との交信を行う。この時、その間の行動や発言を本人自身が覚えておらず、声や表情、肉体が、憑巫(よりまし)本人のものからかけ離れる現象も多数発生する。動物霊の降霊を行う場合は対象の霊の模倣をするような、常識では考えられない肉体行動を示すことも多い。捨て置けば命を落とすような自傷行為を行うことも珍しくない。
沖縄のウマレユタのように、一度選ばれてしまった以上、自らの意志で拒絶することが困難なタイプの降霊者もいる。00課職員にもそういう者はいるし、他ならぬテオバルドも、広い目で見ればその一人ともいえた。
だが、果たして被害者に、そのような資質があったのだろうか。そのような資質が、突如として芽生えたのだろうか。トランス状態を伴う降霊術は術者本人が降霊中の自我を維持できないことから、単独で執り行われることは滅多にない。
これは呪具の管理不行届による『事故』なのか。
或いは──その時、そこに、『誰か』が居たのか。
けれど結局、全ては仮説。
糸口となり得る証拠は五万という数に埋もれ、辿るべき人縁は杳として知れぬまま、気の早い夜が訪れようとしていた。
◆◆◆
ホテル『ビッグバン』は道道73号線沿いに存在するラブホテル跡地である。
住宅街に程近い高台に存在するが、周囲は木々に囲まれて昼でも薄暗い。まして冬の夕方ともなれば、懐中電灯なしに探索を行うのは物理的な危険が伴った。
手にした備品の懐中電灯を灯しながら、真品道行は幾度目かの自問を行う。俺、本当にここに居て良いんだろうか。言葉にして書き表すとなんだか重苦しい命題だが、実情としては修羅場極まる職場を抜け出し心霊スポット探索を行なっている現状に対する疑問である。
「忌島サン、学生の方は良いんスか? 障りがどうとか言われてたじゃないスか」
「三日大丈夫だったなら四日目も平気ですよ」
満面の笑顔──瞳孔が開き口の端から涎が垂れているが紛れもない満面の笑顔──で周囲を散策する忌島はこともなげに言い切った。ここに未障班班長が居たら頭を抱えただろうこと間違いなしである。真品も正直「大丈夫かな」と思ったが、忌島があまりにも自信たっぷりだったので、何か理由があるのだろうと流した。
瓦礫に埋もれた、かろうじてホテルであったことが分かる廃墟だ。部屋の作りや壁の色、時折散見される営業時の名残などがラブホテルであったことを見る者へ悟らせる。荒れ果てた今は落書きや不法投棄の類も多く見受けられ──要は典型的な心霊スポットであった。懐中電灯に照らされた夕刻の廃墟は不気味ではあったが、00課職員を怯えさせるほどの異常性があるようには感じられない。
はて、と真品は内心首を傾げる。
忌島は基よりオカルト的事象への興味関心の強い人物ではあったが、一体ここの何が気になっているのだろうか。五万点の呪物の方が、余程彼の関心を惹きそうなものであったが。
「ここ、廃業になったのは2015年のことなんですよ。別に何か事件があった訳じゃありません、よくある経営破綻が原因です。にも関わらず、取り壊し工事の際に業者に事故が相次ぎ、いくつもの建設会社を転々とした末、未だに取り壊されず今らしいです」
「まあ、よくある話スね」
現在の担当建設会社が残したのであろう、『危険立ち入り禁止』の錆ついた看板が虚しく枯葉に埋もれているのを、懐中電灯の灯りが照らす。
忌島は続ける。周囲を散策する足取りでありながら、彼の歩みは目的を持って進められているように見えた。
「そう、よくある話です。しかし面白いことに、ここが心霊スポットとしてネットで噂になり始めたのはね、1年前からなんですよ」
「随分はっきりしてますね」
「インターネットの噂は日付が残りますからね。複数のSNSやインターネット掲示板にある心霊フォーラムに、同時期にこの場所で心霊現象に遭遇した、という書き込みが投稿されました。内容もほぼ同じです。解体工事時の事故、跡地から聞こえる唸り声や異音、不気味な人影を見た、などなど」
「同じ投稿者が言いふらしたか、誰かがコピペして拡散したんじゃないスか」
「ええ全くその通り、大いにあり得ますね」
「……忌島サン、何がそんなに気になってんスか?」
業を煮やした真品の問いに、それでも忌島は答えない。軽やかな彼の足取りが廃墟の瓦礫を踏み締める。
顔を上げれば、梢から、道道73号線を走る車の灯りが見える。そうした真品の視線の動きを察するように、忌島が話題を変える。
「ここ、アクセスいいですよね」
「まあ、中坊が遊び半分に来れる場所スからね」
「国道からも近くて、遠方のお客さまもお招きしやすそうです」
「もとがラブホですからねえ」
パキン、と大きな音がした。
足元を見下ろせば、壊れた『危険!立ち入り禁止!』の立て看板が落ちている。ヘルメットを被った作業員の姿は、サビと暗闇でなかなか迫力があった。
「起きてなかったんです、事故」
「?」
「いやね、ちょっと趣味で調べてたんですよ。2015年に廃業してから、ただ取り壊し工事が行われてないだけなんです。ここが受け持ってるんですけどね」
忌島の懐中電灯が、看板の片隅に記された建築会社の名前と連絡先を照らし出す。
「事件は起きてない。事故も起きてない。評判の原因はインターネット上の噂だけ。アクセスが良い立地に存在していて、物理的な危険もそう高くない。つまりね、ここ、作られた心霊スポットなんです。一人の誰かが言いふらして、それに尾鰭がついていっただけ」
真品は改めて周囲を見回した。
瓦礫に埋もれた、かろうじてホテルであったことが分かる廃墟。部屋の作りや壁の色、時折散見される営業時の名残などがラブホテルであったことを見る者へ悟らせる。荒れ果てた今は落書きや不法投棄の類も多く見受けられる、典型的で異常性のない、ただの心霊スポット。
霊の気配がないのはてっきり、傍を忌島鬼介という『霊に嫌われる男』が歩いているせいかと思ったが。
違うのだろうか。
「ところで、心霊スポットで一番怖いことってなんだと思います真品さん」
忌島が足を止めた。徐にしゃがみこみ、何かを探すようにダイナミックに瓦礫を退かし始めた姿に真品はぎょっとした。
慌てて近寄って二度ぎょっとした。
「俺は生きた人間に会うことだと思いますね」
瓦礫に隠されるようにして、地面に『蓋』があった。
否、それは金属製の小さな扉というべきだったのだろう。問題は、その扉は明らかに真新しかったこと。真品道行の目から見て、その中に呪詛の気配が感じられたこと。
「本当に危ない場所を見つけてしまいましたね。さ、行きましょうか、真品さん」
忌島鬼介はうっとりと笑い、興奮を隠しきれぬ震える指先で愛おしげに蓋を撫で、開く。
「例の双子、本当にここに来てないんですかねえ?」
◆◆◆
犬神とは。
狐憑きなどと共に、西日本に広く分布する犬の憑き物。一説によれば、平安時代に禁止された蠱術が民間に流布した末に生まれたものとされる。
飢餓状態の犬の首を打ち落とし、更にそれを辻道に埋め、人々がその頭上を往来することで怨念を増させた犬霊を呪物として用いる方法が広く知られる。別の伝承も存在するが、共通しているのは飢餓状態に追いやられた犬の怨念を用いる呪物ということだ。
術者の身に富をもたらし敵対者に災いを成すが、扱いを誤れば術者本人にも牙を剥くことも、多くの憑き物と同様である。
通報を受けた十字路は封鎖され、現地に居合わせた職員の指示と、作業員たちの手によってアスファルトは迅速に撤去された。その下の地面1メートル地点から発見された犬神は計25体。各種手続きと、全ての犬神が掘り出しが完了したのは、19時を回った頃だった。
「養殖場だな」
「養殖」
うんざりといった様子で吐き捨てた鷲吏の言葉を、祥馬は不思議な心地で聞き返した。その横で合点がいったと言いたげに、雅弥がうんうんと頷く。
「交通量の多い交差点は効率的だよなあとは思ってたけど、そういうことかあ」
「『素材』を用意して、あとは埋めるだけ。然るべき期間が経った後に回収するという訳だ。手順さえ守れば、手軽に呪物を大量生産できる」
納得し合っている二人の言葉に、一人疑問が残ったままの祥馬は素直にハイと手を上げて質問した。素直さは彼の美徳である。
「しかし、それなら回収が困難なのでは。アスファルトの下に埋められた多数の物品を、望むタイミングで取り出すことができるのでしょうか」
「ああ、そうか。春原にはピンとこないか」
鷲吏が交差点の一角を示す。頭を下げた作業員が、道路工事中であることを示す看板が、所在無さげに道路の片隅に鎮座していた。ご迷惑をおかけしております、工事中ご協力をお願いいたします。期間はいつまで、時間はいつから、発注者と施工者の連絡先、云々。
鷲吏は続ける。
「路上工事を始めとした公共工事は、手続きの性質上、同じ時期に集中しやすい。多くは年末や年度末だな。特に雪国は降雪や除雪車によってアスファルトが傷みやすいから、おおむね今の時期にやる。北海道もその例に洩れん」
「成程。しかし必ずしも同じ業者が担当するとは限らないのでは」
「そうでもないぜ。インフラ整備系の工事は国や地方自治体によって発注され、民間企業がそれを受託することで成立するが、この契約は競争入札……簡単に言えば逆オークションみたいなものなんだが……によって権利が与えられる。表向きは公平を期すためって事だが、お生憎。官民問わず、談合は今でも『よくある話』さ」
「ときどきニュースになるよね」
「氷山の一角だろうけどな」
なるほど、と祥馬にもようやく合点がいった。イギリスで育てられ、この国へと渡ってきて間もない祥馬には馴染みのない、この国の慣例や裏事情。そこまで分かればドミノ倒しに、祥馬にもこの件の関係者がどういった肩書きを持つ者であるのかを理解できた。
「接触時、鷲吏さんが強制的に介入することを選んだのは、結果として正解だった訳ですね」
「どうだか。現場作業員なんぞ下請だろう、どこまで知らされてたのやら」
「それはこれから調べないとだ! 忙しくなるぞ〜!」
伸び上がりながら肩を回す雅弥が、待機中の作業員の一団のもとへ駆けていく。白い山犬がその後に続く。
祥馬が後に続こうとした時、耳馴染みのない着信音が響いた。どこか訝しげな顔をした鷲吏が仕事機とは異なるスマートフォンを取り出し、素早く耳に当てる。甘ったるい声が電話の先へと向けられた。
「お兄ちゃんだぜ♡ どした?」
◆◆◆
「よう、しょぼくれてんじゃねえか」
「ホギャーッ」
首筋に当てられた冷たい缶の温度に、思考の海に沈んでいた金剛雲母は飛び上がった。実際尻が10cmぐらい椅子から浮いた気がする。その勢いで尾骶骨を強かに打ち付け金剛は悶絶した。
背後では缶コーヒーを三つ手にした加納が爆笑している。
「せめてホットにしてくださいよお」
「悪かったって。ホレ相棒も呼んで息抜きだ息抜き」
「ぎい〜ケツが痛ェ……テオなら五万の方すよ、土瓶? 探すとかなんとか」
「ははあ、向こうも何か掴んだか。なら尚更作戦会議しなくちゃな。ちと面倒なことになってきた」
加納は無慈悲に金剛の襟首からアイスの缶をストンと放り込んだ。
金剛は椅子から転げ落ちた。
「あまり相棒を虐めないでやってくれないか」
「いやスマン、リアクションが良くてつい」
時刻は18時を迎え、窓から見える空はすっかり夜の帷に包まれている。積まれた蜜柑の段ボールの上に缶コーヒーを三つと資料を添えて、男刑事三人衆は再び集う。
「しっかし、蛇だろうとは思ってたが、トウビョウねえ。これってそんなおっかねえの?」
テオバルドが持ちよった資料に目を通しながら、加納がサングラスの下で眉を顰める。霊能者となって間もない彼には、憑き物筋だ呪物だと言われても、どうにもいまいちその脅威がピンとこない。
「どうだろうな。結局のところ、使い手次第だとは思うが」
返すテオバルドの言葉も歯切れが悪い。彼は基よりトウビョウ説に懐疑的であったし、そもそも憑き物筋は事実としての霊能者一族であることもあれば、ただなんらかの理由で集団から排斥された者たちへの蔑称でしかないこともある。呪物としての土瓶も実際に霊的能力を持つこともあれば、ただ小型の蛇を飼育していただけの飼育器でしかない可能性もある。呪いとは然るべき手順を踏めば発動するプログラムではあるが、その結果が受け取りよう程度のものなのか、致命的な結果をもたらすものになるのかは、結局のところ作り手の能力に依存する。
テオバルドの態度に、加納も察するところがあったのだろう。話を切り上げ、彼は次いで金剛に話を向けた。金剛はしょぼくれた。あの後もHDDをはじめとした周辺金属機器へのサイコメトリーを試みたが、得られた情報は少なかった。被害者の仕事について第一発見者に話を聞いてもみたが、近年で大きな変化は見られなかったという。ライティング業を主に行い、時折オカルト本を出版し、稀にラジオ等に出演する。界隈における知名度としては中堅程度。収集癖に関しては界隈でも有名な人物であり、浪費家としても知られていた。
「そうしょぼくれんなよ。お前のお陰で分かったこともあるんだぜ」
加納は段ボールに置かれた資料を小突いた。テオバルドがそれを広げてみれば、それは多数の数字が羅列された銀行の口座データであった。
「取ってきたのか!」
「ちと時間はかかったが、何も霊能パワーだけが調査手段じゃねえだろ」
元刑事課所属のベテランはニヤニヤと肩をすくめながら、一枚の紙片を手に取る。手にしたペンで、資料の中にいくつも下線を引いていく。
「コレクターがコレクションを手放す状況なんざ、金銭難以外にゃ考えられん。最初から転売目的っつーには、あの量と経歴はちと情熱的が過ぎる」
同じことを考えていたテオバルドは頷き、加納の手の動きを見つめる。そしてそれが意味するところを読み取り、ほう、と納得の声を上げた。
「だが転売自体は五年前に手を引いてる、何故か? 金銭難が解決したからだ。ところが仕事が好調になったかと言えばそうでもないし、支出が減ったかといえばそうでもない。どちらもいつも通り、じゃあ変わったのは何か?」
同じことを考えて行き詰まっていた金剛は頷き、加納の手の動きを見つめる。それが意味することを悟った時、若き刑事は自分の額を叩いた。どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか!
加納のペンが記したのは入金記録。いずれも海外の銀行を経由した、見慣れぬ企業からの入金だ。さりとて馬鹿正直にこの企業を調べたところでろくな情報は得られまい。
マネーロンダリング。
「このクソ忙しい時に、悲しいほどに話がデカくなってきやがった。今年の年越し、家で迎えられるといいな」
下線を引き終え、加納はサングラスの位置を正した。黒猫のジャンゴがニヤニヤと笑いながら、書棚の上から三人を見守っていた。
被害者への入金は五年前から始まり、その合計金額は3000万円を超えている。
「この素敵なパパ、いったい誰だろうな?」
◆◆◆
時は少し遡る。
「はい、そういうことで。現地を訪問してから既に三日が経ってるってことなんで、はい。念の為、ええ。よろしくお願いします。自分はこの子たちを送ります、もう暗いですし」
時刻は間も無く16時を迎えようとしている。冬の最中の雪国は日照時間が短く、人気のない公園はすっかり薄暗がりに包まれていた。ベンチの傍らに立つ街灯がチカチカと瞬き、パッと明かりが灯る。報告を終え、乙成明也はスマートフォンから耳を離してフゥと一息吐いた。
傍らで固唾を飲んで見守っていた双子に、指で丸サインを送る。素直な少年たちの顔はそれだけで輝いた。
「ヤッター! おっちゃんありがとーッ!」
「おまわりさんサイコーだぜ! ヨッ、地域のヒーロー!」
「調子がいいなあ」
鵜助(うすけ)、鴉介(あすけ)と名乗った婆谷峨家十人兄妹の四・五男はやんややんやと乙成をもてはやす。警察嫌いが顕著である長男との差異に、乙成は複雑なものを感じながら笑って流した。
近隣の家からは早くも食事の香りが漂い始めている。彼らの家でも今頃、姉や兄たちが夕飯支度を始めているのだろうか。
「すっかり日が暮れちゃったねえ、送るよ。それともお兄さんに連絡の方がいいかな」
「バス停までで良いっすよ、兄貴忙しいっしょ」
「バスかあ。そういうわけには……車出せるかなあ……」
齢を聞けば、14歳。時刻としては余裕があると言えども、暗くなってからの一人歩きには些か危機感を抱く歳である。とはいえこの程度であれば本来の登下校時刻とそう変わりはしない。さてどうしようかと乙成の中で天秤が揺れた時、双子の片割れが焦った様子でちょいちょいと乙成の肩を突いた。
「あー、相談すんなら一回トイレ行っていっすか!? 漏れそう」
「テメェなんてこと言いやがる! 釣られるだろうが!」
「あはは、行っておいで」
冷たいコーラで腹を下した少年たちは、公園内の公衆トイレへと駆け出した。その様はどこにでもいる、ただの子供たちにしか見えなかった。
「あの〜……警察の方ですよね」
乙成の背後から女の声がしたのは、少年たちを見送ってすぐのことだった。
振り返れば、身なりの良い中年女性が、不安げな顔を浮かべて立っていた。
「? えーと、はい。何か?」
「すみません。あの子たち、何かしたんでしょうか」
「???」
奇妙な問いかけである。もしや彼らの知り合いだろうか。なるほどそうだとすれば、側から見れば補導でもされていたように見えたのかもしれない。疑問を内へと仕舞い、出来る限り安心させるように、笑顔を浮かべて女性へ向き直る。
「いや、なんでもありませんよ。ちょっと相談をしてくれただけです。それが何か?」
「そうですか……」
「あの、失礼ですが、あなたは……」
「……申し遅れました。二人の母です」
「えっ」
驚きの声は妙に大きなものになった。
女性は一瞬訝しげな表情を浮かべたが、畳み掛けるように続けた。ご迷惑をおかけして申し訳ない、通りすがりにたまたま気付いてしまって、よく言い聞かせておきます、帰りはこちらで……。
乙成の驚愕は困惑へ変わり、困惑は気後れを伴った疑念へと変わっていく。「あの」乙成は女の申し出を遮った。
「……あの、すみません。本当に、違ってたら申し訳ないんですけど、そんなわけないと思うんですよ」
女が乙成の顔を見る。緩いパーマのかかった茶髪が揺れる。非難と困惑の色が滲む表情を見て、もし本当だったらという可能性を捨てきれない中で、乙成は言葉を続ける。乙成明也は婆谷峨家の母親のことを、そう詳しく知っているわけではない。けれど唯一、確かに知っていることがある。
「あの子たちの家のことは、その、ちょこっとだけ知っていて。だからええと、お母さんがそんな簡単に出てこられるわけがないというか、もしそうならまずお兄さんに連絡してあげてほしいというか……いや、あの、違ったら本当に申し訳ないんですけど……」
覚悟を決め、知らずうつむき気味になっていた顔を上げ、女の顔を正面から見据える。
「あなた、誰です?」
背中に何かが叩きつけられる衝撃と、全身を撃ち抜く衝撃が走った。女の顔が歪み、何事かを乙成の背後へと告げているが、その声が聞こえない。気づけば乙成の身はどうと地面に倒れていた。
辛うじて身を捩って見えた視界の先で、公衆トイレから二人の少年が連れ立って出てくる様が見える。その二人に、見知らぬ男が声をかけ、その手に──。
乙成明也の意識は、そこで途切れた。
【続】
【主な拝借】
乙成明也さん
春原祥馬さん
飯桐雅弥さん
加納利彦さん
金剛雲母さん
竹川テオバルドさん
忌島鬼介さん
真品道行さん