怠惰な同居人たち 片付けをする人間がいないまま生活をすると部屋が荒れる。
そんなことをカブルーは同居して7日ほどで気付いた。洗濯済みの衣服や下着がない。シーツが汚れている。バスタオルがない。
問題はそれだけではなかった。
床には大小のホコリやゴミが滞留していた。
トラッシュボックスは中身を凝縮して限界まで入れられているが、限界を超えてティッシュが周囲に散らばっている。当然冷蔵庫の中身は空っぽ。炭酸水とミネラルウォーターしか入っていない。
買い置きのカロリー補給バーもない。
何もかもがこの部屋には足りないか、または溢れすぎていた。
「……どうしようかな」
同居人と分担して片付ける、というのは困難に思えた。ミスルンの生活能力には全く期待できない。自分以上に自活ができない男だ。
しかし二人で暮らすのならば、やはりふたりでやらなければならないだろうと思った。
その困難さがどれほどのものでも。
「ミスルンさん。話があります」
「うん。なんだ」
「家事をしましょう。俺たち」
「したことがない。必要がない」
「あるんです! この部屋を見てください! 俺も大概無頓着だと言われますが、さすがに汚い! 着る服がない! 食料がない! ディストピア世界ですかここは!」
「お前は今まで一人暮らしだっただろう。その時はどうしていたんだ」
「知り合いが好意で片付けや料理などを……」
「女か。お前の多方面への愛は大きくて広いな。大陸を横断しそうなほどだ」
「もう会っていませんし! 連絡もとっていません! 全員と切れたのは知っているでしょう。まったく、妙な拗ね方をして……」
「拗ねてなどいない」
「拗ねています。今はあなた一筋だと言うのに。もし女を呼んで片付けてもらえなんて言われたら暴れていました」
「お前の方こそ妙な拗ね方をする」
「似合いのカップルですね俺たち」
「ああ、最高の相性だな。部屋の片付けができないところもそっくりだ」
「とりあえず家事をしなくてはいけません。ミスルンさんこそ今までどうしていたんです」
「部下がつくか、ハウスキーパーにすべて任せていた。自分でなにかをしたことはない」
「やっぱり俺たちはお似合いみたいですね。最初の共同作業は片付けですか……」
「ハウスキーパーに頼めばいいだろう。呼べばすぐ来る。それで不自由したことはない」
「ミスルンさん、俺はね、あなたとの同棲を楽しみたいんですよ。ふたりで暮らすというのは、困難も多いでしょう。現状最大の困難にぶち当たっていますし。誰かの手を借りるもいいですが、自分で生活するということをやってみませんか」
「……私と生活をするというのはそういうことだ。お前はわかっていると思っていた」
「わかっていますよ。いえ、真の意味ではわかることなんてないのかもしれませんが。あなたに習慣をつけてほしい。ふたりで人の生活を送る、ということを。俺は諦めません。必ず悪魔に打ち勝ってあなたに家事をさせます」
「小さな願いだな……」
「小さくて結構。人類史の歩みはいつでも最初の一歩を踏んだものから生まれています」
「私の生活環境が人類史のスケールとは思えないが?」
「俺とあなたの生活環境です。そして生活環境の改善はあなたが悪魔に食われた欲を取り戻し、打ち勝った証左でもある。あなたには三食たべ、歯磨きをして、適切なときに排泄をし、シャワーを浴び、清潔なベッドで寝てもらいます」
小さな子供への言葉のようだが、眼前の男は185歳だ。エルフの年でももう中年にさしかかる。
「難儀に思える」
「難儀なことも、難解な話も、まとめてしまえば小さくなるものです」
ふたりはさしあたって話し合いをはじめた。
「食事はフードデリバリーでいいだろう」
「夜中に帰宅して腹が減ったらどうします」
「たべない」
「はい、ダメです。たべましょう」
カブルーは手でバツマークを作った。
「冷凍で健康的な食事を配達してくれるサービスがあるようです。電子レンジで加熱すればすぐたべられるようになるとか。ストックしておけば安心でしょう。それから栄養バランスが取れたパンもあります。今後はこれらを注文しましょう。ミスルンさんはこのページからおすすめをクリックして注文すればいいです。もし何か食べたいものができたら追加してください」
「うん」
「あとは、洗濯でしょうか。とりあえず中に放り込んで、このジェルボール型の洗剤をひとつ入れてスイッチを押せば洗濯から乾燥まですべて自動で行なってくれます」
「うん」
「俺は部屋の掃除とゴミのまとめ、調理なんかを担当します。他にも様々な家事はあるでしょうが……ひとますばそれで。冷凍の食事以外を食べる際は俺が調理します。ネットスーパーでいくつか食材を頼んだので、夕食前には届くはずです」
「うん。今はなんでもインターネットで注文できるな。便利なものだ」
「そうですね。しかし、料理なんてしたことがないので、あまり期待しないでください」
「期待せずにおく。だがいつも涼しい顔をして何事も受け流すお前がどんな悪戦苦闘を見せてくれるのかは楽しみではある」
「悪魔的な楽しみですね……大丈夫ですよ。簡単だっていう料理を選びましたから! そうそう失敗する人間はいないらしいですし!」
「破滅を導きそうな言葉だ」
かくして、カブルーは人生初めての料理をすることになった。とりあえず寝室とダイニングに掃除機をかけ、買い物の際にもらったビニール袋にゴミを移し替えているとちょうどネットスーパーがきた。
料理はビーフシチューだ。
ルーを使用するので箱の裏に書いてあるとおり調理すれば、たいがいの人間はうまくいく。
しかしそれは、全く未知の、包丁すら触ったことのない人間にとってしてみれば知らないことだらけのものであった。
油、適量。適量とは何かがまずわからない。ひとまず鍋に半量ほどいれた。
具材を切る。人参やじゃがいもの皮を剥くことをカブルーは知らない。切り方も店で食べるものを思い浮かべて切ったものの、不揃いでゴロゴロとしたサイズになった。
肉は幸いカレー、シチュー用のものがあった。
しかし残念なことにそれは大容量パックだった。
もはや油煮といっていいほどの量の油に、食材が投入される。IHコンロの表記に弱火や中火があったのは幸いだった。
しかし火力を箱のとおりにしても、多すぎる油が四方八方に散らばる。カブルーは熱した油に水を切っていない食材を入れると爆発めいた破裂が起きるのを初めて知った。
材料を入れ終えると鍋は瞬く間に食材でいっぱいになった。指定通りの水を入れると鍋は溢れんばかりの様相になった。
カブルーは鍋選びもうまくできていなかった。
しばらく箱の指示通りにつくる。
ぐつぐつと煮込むたびに、鍋から水が溢れてはふくを繰り返した。
ミスルンの方はネットで宅配食品の注文を終え、あとは洗濯の乾くのを待つばかりだ。
それもカブルーが教えながらやったので、ほとんど自分ではなにもしていない。
当然皿を用意するだとか、ドリンクのグラスを用意するだとか、そんな気が利くはずもない。
何十分か煮込んで、ビーフシチューは完成した。
味見という概念もカブルーの中にはない。
「できました。お口にあうといいんですが」
揃いの食器に盛り付け、ふたりは食事を取り始める。サラダや付け合せはもちろんない。あるのはパンだけだ。
ひとくち食べて気付いた。脂っこい。
「かたい」
ミスルンのいうとおり、人参は大きなサイズのものは火が通りきっておらずかたかった。
逆にじゃがいもは同じだけ火を通したのでぐずぐずと煮崩れしている。肉もかたく、咀嚼にひどく時間がかかった。
「失敗ですね……」
この食卓で料理と言えるものは袋から出しただけのパンのみだった。
「人類史の初めの一歩は」
ミスルンが声を出した。
「失敗からだ」
ミスルンはまずいシチューにかたい、あぶらがおおい、ぐちゃぐちゃしていると素直な感想を述べながらも完食した。
「残しても構わなかったのに」
「失敗した際に。何が原因かわからなければ改善はできない」
「そのとおりです。あなたは正しい。正義の天秤でも持っているみたいに」
「次はうまく作れ」
「ええ。次は必ず」
「次は何が食べたいですか?」
「なんでもいい」
「あなたが食べたいと思うものを呼び起こさせるのも、俺の役目ですね」
「したいのなら、そうすればいい」
「ええ、俺は負けません。あなたの心も胃も生活空間も、満たして欲を生み出してみせますよ」
ミスルンは恋人の自信満々な、けれどどこかから元気にも見える表情を愛おしく思った。
欲ならもうある。おまえを愛している。