雷が怖い青野寺と名津黄バラバラと打ち付ける雨音が、会議室の窓ガラスを震わせた。
それに混じって、低く唸るような雷鳴が空気を揺らす。
「うわあ、すごく降ってきちゃったね。青野寺くん、傘は持ってきたかい?」
名津黄さんの穏やかな声が響いた。
でも、俺は──答えられなかった。
「…………」
雷がまた鳴った。
その瞬間、背筋が凍る。身体がびくっと反応して、視線が下を向いたまま固まる。
「……青野寺くん?」
「っあ、だ、大丈夫……です……」
口ではそう言いながら、手が震えていた。
指先がじっとりと汗ばんで、膝の上に置いた書類がしわくちゃになる。
(だめだ……なんでもないフリをしないと……っ)
でも、雷は昔からだめだった。
家の中で独りきりで過ごした夜。誰にも名前を呼ばれずに、ただ布団にくるまって、耳をふさいで過ごした夜。
雷の音は、今もその記憶を容赦なく引きずり出す。
「……青野寺くん、こっちおいで」
静かに──でも、しっかりと。
名津黄さんの声が、俺を呼んだ。
「っ……え……?」
「大丈夫、大丈夫だから。……こっちにおいで」
気がつけば、名津黄さんが椅子から立ち上がって、腕を広げていた。
仕事中。ましてや会議室の中なのに、そんな──
「……っだ、大丈夫です、から……っ」
「……だいじょうぶ、って。言わなくていいよ」
その言葉に、喉の奥が詰まった。
やさしい声だった。でも、それだけじゃない。
“強がらなくていいよ”って、全部見透かしてるような、そんな声。
「…お…俺、駄目なんです。……雷、っ……っ、こ、子供、みたいですよね……はは……す、すみません…」
落ち着こうとすればするほど手の震えは強まるばかり。
誤魔化したくて、無駄にたくさん喋ってしまう。
「……青野寺くん」
名津黄さんがゆっくり歩いてきて、俺の隣にしゃがんだ。
そして、俺の手にそっと手を重ねる。
「君は、子どもみたいなんかじゃないよ。怖いものがあるのは、誰だって同じ。……ただそれを、“怖い”って言える人は、とても強い人だと、僕は思ってる」
──ズドン、とまた一発、雷鳴が落ちた。
その音に、無意識に名津黄さんのシャツを握っていた。
「あっ……す、すみませ…」
名津黄さんは優しく微笑みを浮かべて、何も言わなかった。
「……うん」と、ただ一言だけ添えられて、
そのまま、背中に腕がまわされた。
「じゃあ、落ち着くまで、こうしていようか」
胸元に顔をうずめると、名津黄さんの匂いがした。
スーツの柔らかい生地の向こうに、ちゃんと人間のぬくもりがある。
(……あったかい……)
手が震えて、頬も熱くて、でもなぜか涙が出そうだった。
「名津黄さん……」
「なに?」
「……雷、こわいです。でも、名津黄さんが……そばにいるから……今は、だ…大丈夫、かもしれないです」
「ふふ。……僕も、君にそう言ってもらえるのが、嬉しいよ」
ぽん、ぽん、と頭を撫でられる。
まるで子どもみたいだと思ったけど、なぜか安心してしまった。
俺の弱さを、恥ずかしいと思わないでいてくれる人がいる。
それが、名津黄さんだったことが、俺はどうしようもなく嬉しかった。
──雷が過ぎるまで、
ふたりの距離は、ずっと近いままだった。