Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    sugiru_futsu

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 11

    sugiru_futsu

    ☆quiet follow

    田口がインフルに罹るたかたぐです。

    My Funeral Rehearsal『ごめん、熱出たから今日休む』
     田口から連絡があったのは、火曜日の冷えた朝だった。鷹見はスマートフォンを操作し、承知した旨を返信する。手袋をしていても尚悴む指は、何度かキーを押し間違えた。通学路のアスファルトは凍った名残に黒く濡れていた。前日の練習の様子を思い返す。クリスマス兼学期末ライブを控えた最後の視聴覚室でのバンド練習だったが、田口の演奏は本調子と言えるものではなく、遠野からも何度か指摘を受けていた。帰り道で頻りに寒いと繰り返して身を震わせていたのも、てっきり元来の寒がりの質によるものと見えたが、発熱に伴う悪寒だったのだろう。田口はいつも通り蒼褪めた頬で申し訳なさそうに笑っていた。はぁ、と鷹見の吐き出した息が白く形を持った後に溶け消える。晴れていてもくすんだ寒空の通学路に同じ制服の後ろ姿が増え始める。学校に着くまでの間に水尾と遠野からも端的な返信がついた。
     昼休みになると鷹見は廊下を真っ直ぐに二つ隣のクラスへと向かった。冬休みを目前に控え、校内には浮足立った雰囲気が漂っていた。休みの予定を話すお喋りの声も他愛のない笑い声もどこか弾んで響いている。教室の出入口で立ち止まった鷹見は手近にいた女子に人当たりのいい笑みと共に声を掛ける。
    「幸山さんおったら呼んでくれる?」

     次の日も田口は欠席だった。前日と同様、通学時に連絡が入った。
    『まだ熱下がらんから、医者行って検査受ける。結果出たら連絡するわ』
     昼休みになって、鷹見のポケットのスマートフォンが振動した。一緒に昼食を取っていた水尾にも同時に連絡が入ったらしく二人は顔を見合わせた。齧っていた焼きそばパンを置いて端末を操作すると、
    『インフルやった』『今週は学校行けんって。ライブあるのに、迷惑かけてごめん』
     と田口からの続報があった。
    『まあ、しゃーないやんな。ライブのことは気にせんでええから、お大事に』
    『分かった。お大事に』
     鷹見と水尾の返信が並ぶ。遠野もいずれメッセージに気づくだろう、と見当をつけて鷹見はスマートフォンをしまう。水尾も自分の弁当に戻った。鷹見はパック飲料のストローに口をつけ、水尾が唐揚げを頬張るのを見、埃っぽく光る教室の窓を、その外に広がる冬の薄水色の空を見た。すっかり葉の落ちた銀杏の樹の立ち並ぶ向こう、一羽の猛禽の遠い影が悠々と飛んでいく。
    「ライブどうするん?」唐揚げを飲み込んだ水尾が尋ねる。率直な問いかけに鷹見はストローを口から離した。真っ直ぐな目を見つめ返して答える。
    「もちろん、出る。代わりのベースは俺の方でどうにかするから、水尾は心配せんで」
    「分かった」それ以上追及せずに頷く水尾に、鷹見は肩を竦めてみせる。
    「っていうか、俺らもインフル罹ってないとええけど」
    「数日経って熱出てないから大丈夫やない」
     そうやね、と答えたところでまたスマートフォンが震えた。遠野からの返信だった。

     低い日差しが放課後の廊下を斜めに横切り、窓枠の形をした青灰色の長い影を投げかけている。昼の温度の名残が急速に消えていこうとしている中、鞄を背負った生徒が足早に鷹見を追い抜いていった。上履きのサンダルの足音がぱたぱたと遠ざかっていく。ギターを背負った鷹見の足元を、引き伸ばされた影が追う。
     1-6の前を通り掛った時、聞き慣れた名前が耳に入り、鷹見は足を止めた。「えーっと、これで全部かな」「田口くんの家ってどの辺?」教室の出入口近くの席で男子と女子が一人ずつ、机に立てた紙の束の端を揃えている。学級委員やったっけ、と思い出し、鷹見は声を掛けた。
    「それ、田口宛て?」
    「あ、鷹見くん」
    「そう。先生に、課題とか連絡のプリント渡してって言われてん」
    「なら、俺持って行こうか? 家知ってるし、ちょうど用事あるから」
     できるだけ自然な調子でそう申し出て、鷹見は二人の様子を窺った。少し間をおいて顔を見合わせた二人が、
    「ええの?」と尋ね返す。
    「うん」鷹見は愛想良く首肯した。じゃあ宜しく。遠慮がちに渡されたプリントを荷物に加えて校舎を出る頃には、西の空に棚引く雲が薄らと朱く染まり始めていた。
     北風が建物の間を吹き抜けて落ち葉を散らし鷹見の頬を打つ。すっかり冷え切った空気は鋭かった。鼻の頭を赤くした鷹見はコートのポケットに突っ込んだ手を握り締め、足早に街路を歩いていく。店先や人通りの多い通りは、クリスマスと年末年始の祝いの入り混じったイルミネーションに灯りが点き始めていた。色とりどりの電飾や、その前で立ち止まり写真を撮る人々の横を無感動に通り過ぎる。陽気なクリスマスソングがどこかから聞こえていた。
     実際、田口の家には何度か訪れたことがあった。ホームで地下鉄を待ちながら、クラスメイトからの預かりものを持って訪ねる旨を連絡すると、暫くして『有難うな。ついでに家あがる? って言っても俺の部屋の前までだけど……』と返事があった。液晶画面に視線を落としたままの鷹見の耳を、次の電車の到着時刻を知らせるアナウンスの割れた音が掠めていく。キーの上で暫く指を彷徨わせてから、『家の人とか体調とか大丈夫なら』と返した。
     一つ前の信号待ちで連絡を入れる。田口の言った通り辿り着いた時には玄関の鍵は開いていた。
    「お邪魔します」ドアノブの音と共に鷹見の声がしんと静まり返った中に響き、同時にセンサーが音もなく明かりを灯す。これも聞いていた通り、返事はなかった。閉めたドアの向こうで、前の通りを車の行き過ぎる音がした。鷹見は靴を脱いで揃え、冷えた廊下を自動的な灯りに従って奥へと進んだ。
     二階にある田口の部屋からは細く灯りが漏れていた。ドアの前で立ち止まった鷹見はノックをしようと手を持ち上げたところで、そのままドアを見つめた。動くもののない沈黙を感知したセンサーが再び明りを落とす前に、
    「鷹見?」とドア越しに田口の声がした。少し掠れた、しかし常と変わらず気安く穏やかな、まるで喉の痞えを解きほぐすような声だった。鷹見は手を下ろして口を開いた。
    「うん。預ってきたプリント、ここ置いとくから」紙の束を取り出していると、
    「わざわざ悪いなぁ」と返事があり、更に乾いた咳の音が続いた。収まったところで鷹見は尋ねた。
    「具合大丈夫なん?」
    「咳はまだ出てるけど、熱は下がったわ。来週は行けると思う。……ライブ、本当にごめんな」
    「ええって。インフル今流行ってるし、まあ田口やからこんなこともあるやろ」
    「ええ……?」困惑したような声に鷹見が答えずにいると、諦めたのか田口は続けた。
    「誰かサポート頼めたん?」
    「うん……幸山さんにお願いしたわ。今回予定してた三曲のうち、二曲は個人的に弾いてみたことあるって。あと一曲は今回はパスやね。今はとっち達とスタジオ入ってて、その後合流することになってる」
     そこまで説明したところでドアの向こうから、ははっ、といかにも愉快そうな笑い声がした。
    「そっか……一本取られたなぁ」
    「一本……何?」
    「いや、こっちの話。り……幸山さんやったら安心して任せられるんやない。鳩野さんのとこやから、鷹見さえよければ……」
    「別に。お願いしたの俺やし」鷹見の答えはやや棘を含んでいたが、
    「ならよかったわ」先程の笑いは収まり、田口の声はまた柔和な調子に戻っていた。鷹見は口を噤み、足元に置いた紙の束に視線を落とした。一番上にあるのは数学の課題だった。一問目を読み、解答を脳裏に浮かべた。近所で犬が吠えている。
     再び明かりが消える前に鷹見は顔を上げた。
    「なぁ、田口」何を言いかけているのか鷹見自身にも判然としなかった。唇が微かに戦慄く。息を継いだ瞬間、田口がその先を遮った。
    「鷹見、ドア開けたら怒るから」
     禁ずる声は、不思議と帯びた力をはっきりと感じさせて響いた。鷹見は乾いていた口内を湿してから口を開いた。唇の端に、はぐらかすような、或いは僅かに甘えるような微笑みが浮かぶ。
    「田口が怒るとこ見てみたいかもなぁ」
    「そんなん、治ってからいくらでも見せたるわ」
     ため息混じりの言葉に咳の音が続く。廊下の突き当たりの窓の外では残照の暗い火が静寂のうちに没し、紺青の闇に街灯がぽつぽつと滲んでいた。やがて田口の苦しげな呼吸が落ち着くと、不安定な静けさが廊下に降りた。
    「あ~……ちょっと長居したなぁ。もう帰るから」踵を返そうとした時、
    「なぁ、俺抜きでライブしてきたらええんよ」淡々とした田口の声に、はっと鷹見は息を飲んだ。
    「鷹見やプロトコルにとって、その方がええ。なんていうか……こういうのって、多分いつかはあることやろ」
     鷹見の唇が僅かに動き、再び閉じられる。長い前髪の蒼い翳りが落ちかかる下で目が瞬き、じっとドアを、その向こうを射る。
    「って穴開けた俺が言えることちゃうけど。この後、スタジオ行くやんな。気いつけて」
     茶化すように付け加えた田口に、うん、とだけ返して鷹見は首を縦に振った。そして何も言わずに今度こそ背を向け、階段を下り家の外に出た。まもなくその背に従うように明りが消えるのを鷹見は見ずに、地下鉄の駅に向かって戻っていった。きらびやかな街の灯をただ反射して、深い眼がガラスのように瞬く。先程よりも鋭さを増した風を肩先に、鷹見はコートのポケットに入れていても尚悴んだ手を、強く握り締めた。

     放課後のざわめきをイヤホンで遠ざけ、田口はスマートフォンに見入っていた。再生されているのはクリスマス兼学期末ライブのプロトコルの演奏を軽音部員が撮影した動画だった。演奏に合わせて机に置いた指が僅かに上下する。鷹見はギターを立て掛けた後ろの机に自らも軽く腰を預け、田口の肩越しに画面を眺めた。現れる面子は普段とは違う。やがて演奏が終わり、机の上で踊っていた田口の指も止まる。イヤホンを外しながら田口は、はあ、と深々とため息をついた。
    「悔しいなぁ」
    「え?」
    「ライブうまくいってよかったけど、正直めっちゃ悔しい……俺がこれとあと一曲弾く筈だったのに……」
     がっくりと机に突っ伏す。未練がましい左手の指先がまた心地よい雨垂れのように机を叩いた。率直に感情の表れる、少しやつれてこそいるが顔色の戻った横顔を見下ろし、鷹見はふっと頬を緩めた。
    「なんか安心したわ」
    「ええ……どこに?」
    「家行った時、殊勝なこと言って、物分かりが良くてびっくりしたからなぁ」
    「そんなん、鷹見こそ弱気やったから……」
    「え?」
     田口は腕の上に伏せて顔を横向けた姿勢のまま、目だけを動かしてじっと鷹見を見上げた。先程までのおどけた表情は不意に消え、視線がかち合うと覗き込まれるような心地のする黒々とした眼が向けられている。田口は瞬きを一つした。
    「なんでもない」常の人懐っこい微笑みが取って代わる。「でも本当、皆に迷惑かけたなあ。なんかお詫び……」
     身を起こして考え込む様子を見、鷹見はふっと目を細め、田口の肩先を小突いた。
    「あ、コーラとか全然割に合わんから。借りは次のライブで返してもらうわ」
     さっさと部活行こ、と腰を上げる。ギターを背負い、金色の日差しの眩しい廊下へと、田口の答えを待たずに踵を返した。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭😭😭🙏🙏🙏😭👍❤🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works