孕ませないと出られない部屋遠征の帰り、いつも通りに本丸に戻ったはずが、桑名は気付けば松井と二人、見知らぬ部屋にいた。
やけに広い寝室のような部屋の奥にキングサイズのベッドが鎮座していて、あとはソファとローテーブル、冷蔵庫、ウォーターサーバ、バーカウンター。
玄関のドアノブをガチャガチャやってみたけれど、もちろん開きはしない。玄関脇のあと二つあるドアを開けてみると、トイレと、これまた無駄に広いバスルームだった。
「らぶほてるみたいな部屋だね…」
まだ事態を飲み込めていない声で松井が呟く。
確かに、2000年代の遠征中に思わぬ空き時間ができた際、松井と二人で共犯者めいてくすくす笑いながら部隊の目を盗んで忍び込んだその施設に、この部屋は酷似していた。
「本丸に繋がるはずの時空がズレた? のかな…?」
辺りをきょろきょろと見回しながら部屋中をチェックしていた松井がバーカウンターの上で見つけたのは、一枚の紙。
『この部屋からは、どちらかを孕ませるまで出られません』
絶句する松井の様子を不審に思って後ろから覗き込んだ桑名の、途方に暮れたような「なんなん、これぇ…」という声が部屋に響いた。
腰が沈み込む程ふかふかしたクッションのソファに並んで腰掛けて、しばらく呆然と黙っていた二人が、口を開いたのもまた同時だった。
「あの、桑名は」
「ね、松井は」
声が重なってしまって、また黙る。目線で促しあって、次に話し始めたのは桑名のほうだった。
「松井は、嫌だよね? 孕むなんて…。大丈夫、何とか他の方法を考えるから。僕らが戻らなければ、本丸の方からもきっと探してくれるよ。だから、心配しないで。ここから出るために松井に無理なことさせたり、しないから」
松井は目を伏せて、消え入りそうな声で「すまない」と呟いた。
「松井が謝ることなんかないよぉ。急に孕むとかそんなこと、受け入れられないのが当たり前なんだから」
「違うんだ」
柔らかく宥める桑名を遮って、松井は続けた。
「多分、僕のせいだ」
「松井…?」
「こんなことになったのは…僕が、きっと僕が無意識に望んでしまったから」
松井は俯いていた顔を上げて、桑名と向き合った。
「桑名の…、いや、僕達の間に、消えない確かな証が欲しい、って…。手入れをしても戻らない、僕が折れたとしても残る、そんな何かで桑名をいつまでも縛ってしまいたいと、そう、例えば」
松井の瞳から涙が溢れた。
「僕の腹の中に二人のややこが出来たら、そうだったらどんなにいいだろうって、一瞬でも思ってしまったことがあるから」
だからきっと罰が当たったんだ、罪深いことを望んでしまったから。桑名をこんなことに巻き込んでしまってすまない、ごめんなさい、そう言ってぼろぼろと泣く松井を、桑名は呆気に取られて見つめた。
そして、はっとしたように松井を抱き寄せる。
「泣かんで、松井…」
しゃくりあげる松井の背中をさすりながら、桑名は一言一言確かめるように、ゆっくりと話し始めた。
「松井のせいじゃないよ。それなら、僕も、多分…。循環の中で、松井と僕も、ここが行き止まりじゃなく巡っていく何かを育むことは出来るだろうかって、時々思っていたから、それで」
ねぇ、顔見せて、と言われて、松井は涙に濡れた顔を上げた。
「具体的にどうしたいって訳じゃなくてもっと抽象的な思考だったけど」
言いながら、桑名は松井の顔を覗き込んで、濡れた顔に張り付く前髪を指先で払って、自分の袖で拭った。
「松井が、僕との間に、ややができてもいいと思ってくれたなら、嬉しい」
松井は瞬きも忘れたように桑名の顔をぽかんと見つめた。
「僕達、子を成すことが出来るの…?」
「わからないけど、そうなったら、松井は僕の子を産んでくれる?」
松井は、本当にいいのか、と上目遣いで桑名を伺いながら、おずおずと頷いた。
「松井、大好きだよ」
桑名は松井の目を見つめ返しながら、頬にかかる髪に指を差し込んでくすぐるように撫でた。
「だから、笑って」
松井の表情がくしゃりと歪んで、再び桑名の胸に顔が埋められた。その顔が笑っているのかまた泣き出してしまったのか、わからないまま桑名は松井を強く抱きしめた。