チョコレイト・ディスコ 春コミサンプル版「桑名は、いっぱいチョコレートを貰うんだろうね」
桑名のアパートに向かう途中、二人で寄ったスーパーのバレンタインデー特設コーナーに色とりどりに積まれたチョコレートのパッケージを思い出しながら、松井が言う。
「もらわないよぉ」
葱のはみ出した、大学生男子にしては生活感溢れるビニール袋を片手に提げて桑名は答えた。
「そんな訳ないだろ。桑名は格好良いし、優しいし、モテると思うよ、普通に」
「モテないってば。高校のときも、義理ならいくつか貰ったけど」
そのうちの何割が秘めた本命チョコだったんだろう、と横目で桑名を睨め付けながら松井は言い募る。
「でも大学デビューっていうのもあるしね。そろそろ周りの女子も桑名の魅力に気付いてると思うよ」
なんだかえらく褒めてくれるのは嬉しいけど、と笑いながら、桑名は重いビニール袋を右手に持ち替えて松井の手を取った。
「もしくれるって子がいても、貰わないよ。『付き合ってる子がいるから』って言うから」
松井は驚いたように顔を上げて桑名の顔を見た。
「…僕は別にいいのに。一年に一度のイベントなんだし」
桑名は松井の手を指と指を絡めた形に握り直しながら言う。
「松井、そういうこと言いながらほんとは気にするでしょ。僕の前ではなんでもない風にしてるけど、実はやきもち焼きだよねぇ?」
松井は反射的に口を開いて何か言いかけて、しかしみるみる頬を紅潮させて黙った。
「でも僕は、松井のそういうとこが可愛いって思うから」
「…物好きだね」
にっこり笑う桑名に負け惜しみのように呟く。
「良い趣味でしょ? とにかく、松井がぐるぐる考え込んじゃって辛そうなの、僕が嫌だから、もし誰か女の子がチョコくれるって言っても貰わないよ」
松井は黙ったまま、繋がれた手をぎゅっと握り返した。もうすぐアパートに着くから、他の住人と出くわす前に手を離さなきゃ、って思う気持ちとは裏腹に。
「あ、でも、松井は別に貰ってもいいよぉ。僕は松井が他の女の子に好かれても気を揉まないから」
なにそれ、と松井は頬を膨らませる。
「それってなんだか、僕が桑名のこと信用してないみたいじゃないか?」
別に桑名が女の子と浮気するとか、告白されたら心変わりしてしまうかもとか、いちいちまともに心配している訳じゃないんだけれど、でも、それなら何故「バレンタインデーに女の子からチョコを貰う桑名」を想像しただけで気持ちが翳るのか、自分でも上手く説明できない。
「ふふ、理屈じゃないんだよねぇ。大丈夫、解ってるから」
結局、手を繋いだままアパートに着いてしまった。それでもまだ繋がっている部分が足りない気がして、松井はアパートの部屋に入るなり、コートも脱がないままの桑名の肩に擦り寄って、キスを強請った。
バレンタインデー当日、桑名のアパートの扉を開けると、玄関の靴箱の上に小さな箱が置いてあった。ぱっと見ただけでそれとわかる、誰でも知っている老舗ブランドの、金色のチョコレートの箱。
松井は咄嗟にその箱から目を逸らして、気付かなかったことにする。自分で自分は騙せないのに。
「あ、まつい、お帰り」
キッチンの奥の和室に寝転がってクッションを枕に本を読んでいたらしい桑名が、伸びをして起き上がりながら言う。
「鍵開いてたよ、不用心だね」
松井はトートバッグから、チョコレートを取り出した。
バレンタインデーに自分が桑名にチョコレートを贈る、という約束をしていた訳ではないけれど、自分のために他の子をみんな断ると言った桑名の気持ちが嬉しかったから、だからこそ、この間の近所のスーパーではなく、わざわざ女の子でごった返すデパートの催事場まで行って、たくさんのきらきらした美術品のようなチョコレートの海の中から、一番だと思えるものを選んできたのだ。
「これ、バレンタインデーだから…」
卓袱台の上に、ショップの紙袋から出したピンク色の箱を置いて、ぱかっと開けて見せる。そこにはつやつやと光る真紅のハート型のチョコレートが整列していた。
「わあ、すっごく綺麗でお洒落なチョコレートだねぇ」
歓声をあげる桑名を制すように、松井は桑名が手を伸ばさないうちに自分でその宝石のようなチョコレートを一つ摘んで口に含むと、噛み付く勢いで桑名に口付けた。
唾液と共に口移しにされたチョコレートから、どろりとフランボワーズのガナッシュが溶け出す。チョコレートはビターなはずなのに、奥歯が痺れるくらい甘く感じた。
そのまま口内からチョコレートの味がしなくなるまで、めちゃくちゃに互いの舌と唾液を味わって、キスだけで目を潤ませた松井が息を整えながら囁く。
「僕のチョコ、美味しい?」
「……うん」
「もう一個、たべる?」
「…どしたん、まつい、今日何か、……っ」
桑名が言い終わる前に、チョコレートをもうひとつ、桑名の唇に押し込んだ。そして、今度は腿の上に馬乗りになって腰を押し付けながら、口の中のそれを桑名の厚い舌ごと喰む。桑名が低く呻いて、次の瞬間、松井は畳の上に柔らかく押し倒されていた。
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身体じゅうが、熱を持ってぽってり腫れているみたいな気がする。痛む訳ではないけれど気怠い腰を庇うように起き上がって、あたりに散らばった衣服を拾う手元がもう薄暗い。いつの間にかすっかり日が落ちていることにやっと気付く。
自分をいつもより大胆に、さらには淫らもにさせた原因が紛れもなく嫉妬だと理解できているだけに、嵐みたいな一時の感情の昂りがひとまず落ち着いてみると、恥ずかしさに桑名の顔をまともに見られなくて、松井は無言で、ぐしゃぐしゃになったニットと下着だけを身につけて、箱を開けたまま卓袱台の上に放置されたチョコレートに視線をやった。
同じように、ジョガーパンツだけ履いて立ち上がった桑名が部屋の電気を点ける。そして、蛍光灯の明かりを反射して艶めいて光るチョコレートを一つ摘み取って、かり、と前歯で半分齧りとると、残りの半分を松井の口に入れた。
「なんだか官能的な味がするね、このチョコ」
そう言うと、さっきまでの熱の余韻を残す唇で、音を立てて松井に口付けた。前髪の奥の目がどんな色をしているのか、悪戯っぽく笑っているのかそれとも未だ欲を滲ませて底光りしているのか、その声色からだけでは推し量れなかった。
「松井のくれたのほど良いのじゃないと思うけど、うちにも大家さんがくれたチョコがあるから、あとで一緒に食べようねぇ」
「…大家さん?」
「そう、このアパートの。隣の庭のある大きい家が大家さんなんだよ」
松井の胸につっかえていた、金色の箱。桑名はこともなげに言うと、その有名なブランドチョコレートを玄関から取ってきて、ほら、と松井の目の前に置いた。
「…大家さん、めぞん一刻の響子さんみたいな人じゃないよね」
古い上にそれは大家じゃなくて管理人か、と思いながら言うと、桑名はあはは、と笑った。
「もう社会人のお孫さんがいるおばあちゃんだよお。このアパート、学生ばっかりだし家賃も手渡しだから、ときどきお菓子とか蜜柑とかくれるんだ。あ、僕だけじゃなく、店子みんなにね」
黙っている松井を覗き込むように続ける。
「先月は縁起物だからって小さい鏡餅貰ったよ、ほら、松井も一緒にお汁粉にして食べたでしょ?」
…勝手に妬いて拗らせて、しかもそれを隠したいくせに普段通りにも振る舞えなくて、なんにも言わずに暴走して、ばかみたいだ。
このチョコなに? って聞けば、桑名は即答で今の答えをくれただろう。聞かないなら、単に信じていれば良かった。桑名が他の女の子からは貰わないと言ったからには、このチョコレートが色めいたものであるはずがないのだと。
さっきまでの自分が桑名の身体の下でどんなだったか、桑名の指や声にどんなふうに反応してどんなふうにあられもなく欲しがったかが思い出されて、一気に耳まで血が上るのが自覚できたけれど、落ち着け、あくまでも口に出しては何にも言ってないんだから、黙っていれば自分が一人相撲で空回りしていたことは桑名にはばれるはずがないんだから、そう考えて、松井はぎこちない笑みを浮かべて頷いた。
(松井のそういうとこが、ほんっとに可愛いんだよねぇ)
その日、桑名がアパートの大家から受け取ったチョコレートを、わざと玄関を開けてすぐに目に入るところに放り出しておいたことを、松井は知らない。
(ごめんね、意地悪して。でも妬いてるときの松井、いつもよりめちゃくちゃ敏感になるの、多分自覚ないよねぇ)
多少の罪悪感を抱きながら、桑名は松井をすっぽりと胸の中に抱きしめて、俯いているつむじにちゅう、と口付けを落とした。
やきもち妬きで、心配性で面倒くさくて、なのにわかりやすくて健気で、たまらなく可愛い僕の松井。
多分、僕のことをちょっと鈍感だけど優しい、善良な恋人だって思ってるんだよねぇ。
ごめんね、ともう一度胸の中だけで呟いて、一方で桑名は、「さっきの松井」がどんなに可愛かったか今夜布団の中で教えてやったら、きっと松井は恥ずかしがって泣いちゃうかな、とまた悪いことを考えていた。