雁字搦めの愛情表現 イギリス紳士たる者、デートともなれば出来うる限りロマンチックに進めたいと思っている。そんな志を持っていたとしても、相手が一枚上なら話は変わってくるものだろう。
「いやあ、奢りで食べる牛丼は美味いのう! 」
私は幸せですと言う顔をして牛丼を頬張る男を眺めながら、ロビンマスクは思わず苦笑する。
色々と忙しい中で共に出かける約束を取り付け、何がしたいと問うてみればコレであった。一も二もなく、である。まあ何となく予想はついていたが、実際に相対してみれば何となく力が抜けるものだ。
同行者の心中など知りもしないキン肉マンは、セットの味噌汁に口をつけていた。熱かったのか小さく唸ってから椀を下ろし、また丼を手に取る。本人の性質故に些か慌ただしいが、あまりに普通の食事風景だった。
この姿からは戦士の威厳など感じられそうもない。これでいざとなれば誰にも負けぬ強さを発揮するのだから、実に不可思議な話である。
コレが世間で言うところの「ギャップ萌え」というやつなのだろうか。ただ食事をするだけでころころと変わる表情は、確かに見応えがあるかもしれないが。
だが、折角なら。折角なら、やはり戦いの場にある姿の方が――。
そこまで考えて、ロビンは意図的に思考を止める。危なかった。これ以上は「愛する者」に向けて考えるべきことではない。幸せそうに匙を動かすキン肉マンを意識すれば、危うく浮上しかけたものが治っていくのが分かった。内心胸を撫でおろす。
――嗚呼、危ないところだった。
ロビンがキン肉マンに抱く感情は「愛」である。そうでなくてはならない。
だからこそ、駄目なのだ。少しでも己の「恋」を表出しかねない考えを、こうした時間に思い起こすなんてことは。
いつの間にか握りしめていた拳を、ゆっくりと開く。僅かに震えるそれを視界の端に捉えながら、胸中に宿る恋を仕舞い込んだ時のことを思い返した。
***
『相手に対する満たされぬ気持ちを恋という。恋が満たされ、相手を思う気持ちを愛という』
そんな言説を見かけたのは、一体いつの事だったか。
明確に覚えてはいないそれと違って、内容そのものは強く印象に残っていた。恋という器が満ち、愛を注ぐ水差しとなる。そんな情景が浮かんでくるような解釈が、とても美しいものであるように思えたからだ。
だが、同時に気づいた。気づいてしまった。
(その理屈で行くならば、私はまだ「恋」を抱えたままなのではないか? )
ロビンはキン肉マンの打倒を生涯の目標としている。知らぬ者のいない、周知の事実のいうやつだ。己が技でその身を裂き、参ったと地に伏せさせることを夢見ていた。
しかし、超人レスラーの真剣勝負は甘いものではない。最終的に死を迎える可能性も、ないとは言えなかった。特にロビンとキン肉マンの戦いとなれば、尚更だ。確実にこの手は赤に濡れる。濡らしたいと、そう思っている。
この鮮やかなまでの赤を乞う気持ちこそが、「恋」なのではないか。そう認識してしまった時、ロビンは気づいた。
自分の恋が愛を上回ったその時、この関係は終わりを迎えてしまう。己が手をもって、断ち切ってしまうのだということに。
――刹那、湧き上がったのは怒りだった。
あの男を愛おしい、と思っていることは事実なのだ。二人で過ごす甘やかな時間は、何物にも変えがたく心を満たしてくれる。この関係だけは、まだ手放したくない。今はまだ、この柔らかな関係に浸っていたい。
そう思う自身の愛が、破壊的な恋に対して怒りを向けている。己の精神は、もはや自分でも制御できないような袋小路へと陥ろうとしていた。
その相反する感情に折り合いをつけるために、ロビンは自身が抱える気持ちの一部に蓋をしたのである。そして、来るべき日まで取り出さぬことに決めた。
それ故に、ロビンは間違いを犯さない。
逃げるそぶりを見せない身体を、腕の中に抱きしめる時であっても。無防備に曝け出される首を、間近で見下ろす時であっても。
己の両手が、それらを砕き壊してしまうことは決してないのだ。
――この愛が恋を押し留めている限りは、ずっと。
***
「……ロビン、ロビン! 」
肩を揺さぶられる感覚で我に返る。内心へと思考を飛ばしすぎたらしい。いつの間にやら、キン肉マンが抱え込む丼は空になっていた。
「……どうした? キン肉マン」
「それを聞きたいのはこっちの方じゃ! 大丈夫か? すっかり黙り込んでしまって……」
こちらの顔を覗き込む瞳は、強く心配の色を宿している。それがどうしようもなく嬉しい。
「ふふ……すまないな。少し考え事をしていただけだ」
「考え事? 本当にか? 」
「ああ」
ふと思う。もし今考えていたことをそのまま告げれば、この男はどんな反応をするのだろう。
愛だの恋だのという内容に照れるだろうか。そもそも、そんな心配をするなと怒るだろうか。
思いのほか想像はつかなかったが、別に構わなかった。
自分は今、この男を愛している。そして、愛を与えられている。その事実だけあれば良いのだ。
「……お前を愛しているよ、キン肉マン」
熱を込めて囁けば、お喋りな口はたちまち意味のない音を上げるだけになる。いつまで経っても慣れないその有様を愛おしく思いながら、ロビンは仮面の下で穏やかに笑った。