桜遥が棪堂哉真斗に堕ちるまで - Day07 - ~ 2 weeks love progress ~下記のストーリーを埋めていく予定です。
※更新頻度とは連動していません
■ 1日目 来訪 ※公開済み
■ 2日目 烹炊 ※公開済み
■ 3日目 接吻 ※公開済み
■ 4日目 呼名 ※公開済み
■ 5日目 寝顔 ※公開済み
■ 6日目 逢瀬 ※公開済み
■ 7日目 未足 ※この話
□ 8-10日目 空白
□11日目 残声
□12日目 悋気
□13日目 初夜
□14日目 後朝
■ 7日目 未足
昨日、桜が「事前に連絡をしろ」と言ったからか、放課後スマホを確認すると棪堂からメッセージが届いていた。
「そっち終わったぐらいで遥ん家行くな」
放課後の見回りの後は桜に予定はなかったため「わかった」とだけ返信をする。
棪堂が初めて桜の家を訪れてから一週間が経った。
意外にも桜にとっては不快なことは一切無く、むしろ心地の良さを感じているくらいだ。
棪堂に対しては肩肘を張ることも虚勢を張る必要もなく、自分の奥底に眠る昏い感情を後ろめたく思う必要もない。
出会いが最悪で、ケンカの最中も醜い感情をぶつけていたため、どんな自分を見せても構わないと思えたし、棪堂は棪堂で、桜のどんな感情も嬉しいと、全てを受け入れてくれる。
それが嘘ではないと桜自身が感じているから、棪堂の前では装わなくていいのだと気を緩められているのだ。
棪堂はその日は、チェーン店のものでは無いハンバーガーを買って来た。
バンズはふかふかで香ばしく、パティは肉汁が詰まっている肉感で、間にトマトや玉ねぎ、レタスが挟まっていたが、ソースの濃厚な味でペロリと平らげてしまった。
ハンバーガーにかぶりついてから無言でモクモクと食べていたせいか、棪堂は桜を見ながらふにゃりと相好を崩していた。
「やっぱ遥は、美味いものを美味そうに食うな」
至極当たり前のことを、嬉しそうな顔で言う棪堂が不思議だった。
美味いものを食べていたら、自然に美味いものを食べている表情になるし、わざわざ不味いものを食べているような顔を作る必要もない。
桜が不思議そうな顔をしたからか、棪堂の目がますます細くなる。
「遥がそうやって食ってんのを見てんのが、幸せだなってことだよ」
棪堂の言葉に、桜の顔が熱くなる。
食べ物を食べてるところを見せるだけで『幸せだ』なんて言う人間は、今まで何処にも居なかった。
桜の胸がきゅっと苦しくなる。
この街に来て、風鈴に入って、初めて桜を大切にしてくれる存在が出来た。
街の人たちも風鈴の生徒たちも、よそ者の桜にも優しく、偏見無く接してくれる。
そんな春の陽だまりのような居心地の良さを人生で初めて味わったばかりだったのに、それよりも直接的に明確に、桜を好きだと、欲しいと言う人間が現れるとは思わなかった。
真夏の太陽のような苛烈さで、ジリジリと焼かれてしまいそうになるけれど、これまで感じたことの無い熱が、桜を惑わせるには十分だった。
いつの間にか桜自身、棪堂哉真斗に好意を向けられ求められることを、心地いいと識ってしまっていたのだ。
「あれ、珍しいな」
これまで一緒に居る時には鳴った事のない棪堂のスマホが着信音を奏でると、棪堂は躊躇わずにその画面をチェックした。
それを見て桜は、これまで桜と一緒に居る時にほとんどスマホを見ていなかったのだと気が付いた。
桜自身、それほどスマホを見る方では無いし、人と一緒に居る時ならば尚更触ることは無い。
だからそれほど気にしていなかったのだが、交友関係の広そうな棪堂に連絡が一度も無かったなんてことは無いだろう。
桜と一緒に居る時にはスマホの着信が判らないようにバイブも切っていたのか、電源さえも切っていたのか。
であれば今回、突然着信音が鳴ったのは、絶対に出なければならない相手なのだろう。
「……悪い、桜」
画面を操作して何かしら返信していたらしい棪堂は、スマホをポケットにしまうと酷く申し訳なさそうな顔で桜に向きあった。
「ちょっと呼び出し掛かっちまった」
たいそうしょんぼりした顔に、桜は思わず苦笑する。
桜と棪堂は何か予定が有って会っている訳では無い。
棪堂が勝手に桜の家を訪れてるだけなので、桜としては居ても居なくても問題ない存在なのだ。
「おう、行ってこいよ」
桜が余りにもあっさりと棪堂が帰るのを許したからか、当の棪堂の方が余計悲しそうな顔をした。
「そこはもうちょっと、残念そうにして欲しいんだけど……」
「……なんでだよ」
棪堂の来訪は一週間続いているが、基本的には棪堂が来たい時に来て、棪堂が帰りたくなったら帰っている。
今日はたまたま棪堂の望まぬタイミングになっただけであって、桜からすればいつだって桜のタイミングでは無い。
そのため残念そうにする気持ちにはなれないし、正直なところを言えば棪堂が帰った後はいつだってちょっと寂しい気持ちがなくもない。
けれどそれは相手が棪堂に限った訳では無く、楽しい時間を過ごした後にクラスメートたちと別れる時に寂しいと思うのと同じ気持ちなのだ。
この街に来て『友達と楽しむ』ということを知ったせいで、別れが寂しいものだということを知ってしまった。
他人といるのは煩わしいことばかりだったのに、楽しさも嬉しさも共有出来るのだと、新しい感情を見付けた桜は、自分自身少し変化が有ったように思う。
「ま、また来れば、いいだろ……」
だから酷く残念がる棪堂に絆されて、そんな言葉を発してしまった。
桜の台詞を聞いた棪堂は一瞬固まった後、ずいと桜の顔を覗き込んだ。
「なぁ、キスしていい?」
突然の棪堂のとんでもない問いかけに、桜はぎょっとして頭を後ろに下げて、棪堂との顔の距離を取る。
「はぁ なんでだよ」
上半身ごと後ろに身体を反らせて棪堂から逃げようとした桜の肩を、大きな手のひらが掴んで押さえた。
「遥とキスしたくなった」
「なっ! い、意味判んねぇんだけど!」
「今日はこれでお別れだから、せめてキスくらいさせてくれよ」
ジリジリと近付いてくる棪堂の顔を、手のひらで押しのける。
「てめぇが勝手に来て、てめぇの都合で帰るんだろっ! オレは関係ねぇ!」
桜の言葉に思うところがあったのか、不意に棪堂の力が緩まると、代わりに押しのけていた手を掴まれた。
そのまま棪堂の頬を撫でるように滑らされ、棪堂の唇が桜の手のひらに押し当てられる。
「……今日はこれで我慢しとく」
手のひらを口元に宛てたまま喋られたので、唇が触れてくすぐったくなった。
たったそれだけのことなのに、熱を持ち始める自分の頬が恨めしい。
居た堪れなくなった桜が自分の手を引いて戻したのと同時に、再び先ほど流れた着信音が鳴った。
躊躇いもせずにスマホを取り出した棪堂の行動に、胸の奥がザワリとする。
そして、ちらりと見えた着信画面には『焚石』と表示されていて、桜の胸の奥底からモヤモヤと言いようのない感情が溢れ出そうになった。
焚石は棪堂にとって、神様のような存在だということは、本人から聞かされて知っている。
何よりも棪堂自身よりも最優先の対象で、棪堂の世界には焚石かそれ以外かの違いしか無いのだろうということも想像出来る。
確かに桜は棪堂に『惚れた』と言われ、こうして毎日会いに来る程には特別な存在なのだろうが、それは棪堂にとっての『その他の人間の中で』という程度で、焚石を上回るものでは無い。
そこまで思考回路を回して、桜の中でモヤモヤの原因が何となく把握出来た。
自分に好意的な態度を取ってくれる人間の中で、自分が一番で無いことを自覚させられてしまったからだ。
この街に来て好意的に接してくれる人々に囲まれて、桜はすっかりこの居場所を気に入ってしまった。そしてそのせいで、好意の順番を意識してしまうようになったのだ。
そもそも昔のように好意など向けられなければ、順番など意識する必要も無く、嫌悪されないだけで有難いと思えただろうに。
贅沢になってしまった自分の感情を、知らなかった頃に戻すことなど出来るはずもなく、自分は棪堂に好かれてはいるけれど棪堂の一番にはなれないのだと、虚しさにも似た気持ちが去来する。
クラスメートたちは棪堂程に強烈な感情を向けてくることは無いから、順番なんて考えたことも無かった。
棪堂に出会って、棪堂に好意を向けられて、その結果初めて得た感情なのだ。
「遥、またな」
玄関まで見送ると棪堂は酷く優しい顔をして、桜の頬をそっと撫でて帰って行った。
優しくされるのは嬉しい。
好意を示されるのも嬉しい。
けれどきっと、桜が手を伸ばしても手に入らないものなのだ。
思った以上に桜の中に棪堂が侵食して来ていることに、桜の胸はぎゅっと苦しくなった。
◆7日目 終了◆