桜遥が棪堂哉真斗に堕ちるまで - Day12 - ~ 2 weeks love progress ~下記のストーリーを埋めていく予定です。
※更新頻度とは連動していません
■ 1日目 来訪 ※公開済み
■ 2日目 烹炊 ※公開済み
■ 3日目 接吻 ※公開済み
■ 4日目 呼名 ※公開済み
■ 5日目 寝顔 ※公開済み
■ 6日目 逢瀬 ※公開済み
■ 7日目 未足 ※公開済み
■ 8-10日目 空白 ※公開済み
■ 11日目 残声 ※公開済み
■ 12日目 悋気 ※この話
□13日目 悋気
□14日目 後朝
■ 12日目 悋気
昨夜電話で約束した通り、棪堂は桜の家を訪ねて来た。
ソワソワするような何処となく嬉しいような気持ちでドアを開けた瞬間に、桜はその顔を見て固まってしまった。
目の前には棪堂が立っていて、いつも通りニカっと笑ってはいるが、左頬にテープが貼られ赤く腫れあがっている様は痛々しい。
「お前、その顔……」
「あぁ、ちょっとヘマしてな」
何でもないことのように返されてしまったが、棪堂がこれほど簡単に顔を殴られる相手など、桜には一人しか見当が付かなかった。
実際に戦ったことのある桜だからこそ、実感している棪堂の強さ。
椿野、中村、硯の三人を返り討ちにし、柊と十亀の二人がかりでも対等に戦っていた。
桜自身、棪堂が手を止めなければ、先にダウンしていたのは自分の方だと自覚している。
そんな棪堂の顔に一撃を入れられる人間は限られているし、中村から聞いた棪堂と焚石の関係性を考えれば、相手は間違いなく焚石だろう。
「……焚石か?」
桜の問いに、棪堂はきょとんとした顔をする。それから、くしゃりと顔を歪ませた。
「最近、遥からその名前よく聞くなぁ」
棪堂の表情は笑顔に見えなくはないけれど、いつもよりも目が笑っていないように思えた。
「……オレがヘマしただけだから」
桜の頭に手が伸びてきて、ポンポンと撫でられた。
何かを誤魔化しているようにも思えたし、棪堂自身が本当に大したことでは無いと思っているようでもあった。
桜の中に、ここのところずっと抱えていたモヤモヤとした感情が湧き上がる。
棪堂は桜のことを『惚れている』『好きだ』『特別だ』と言うけれど、桜以上に特別な存在である焚石がいる以上、それらの言葉はまやかしに思えるのだ。
不服そうな表情を隠していなかったからか、棪堂は眉を寄せて少し困ったように笑いながら、桜の顔を覗き込んで来た。
「キス、してもいい?」
「なんでだよ……」
「遥とキスしたいから」
理由になっていない理由を言われて、桜は大きく首を横に振る。
「そっかぁ、残念」
すぐに諦めてニパっと笑うと棪堂は、手に持っていたビニール袋を掲げて見せた。
「今日はテレビ局御用達のカレー買って来た」
棪堂を向かい入れた瞬間から、空腹を刺激するスパイシーな香りがしていることには気付いていた。
けれどもそれ以上に、棪堂の殴られた顔のインパクトが強くて食欲を忘れていたのだ。
「……すげー腹減って来た」
「じゃあ、とっとと食っちまおうぜ」
棪堂に促されて和室に入り、いつものように向かい合って座ってカレーを食べ始めた。
「今日のは、口に合わなかったか?」
伺うように顔を覗き込んで来た棪堂の言葉に、桜は首を横に振って返答する。
少しスパイシーではあるが、普通に美味いし美味いと思って食べていることは間違いない。
それなのに何故そんなことを訊いて来るのか判らず首を傾げると、棪堂は少し困ったように笑った。
「今日はあんま、美味そうな顔してねぇからさ」
棪堂は、桜が美味いものを食べて美味いという表情をするのが好きだと言っていた。
今日だって桜は表情を誤魔化したり、繕ったりしていた訳ではない。
味わうこと以上に、棪堂の腫れた顔が気に掛かっていたのだ。
「……オマエのそれ、避けたり出来なかったのかよ……」
棪堂は一瞬きょとんとした顔をした後、眉を寄せて困ったように微笑んだ。
「あー、出来なくはねぇけど、一発喰らった方が早ぇからな……」
その言葉だけで桜は、胸の中のモヤモヤが大きく昏くなるのが判った。
桜だって日頃からケンカをしているし、ケンカになったら相手を殴ることも当たり前なことだと判っている。
けれどその口ぶりでは、棪堂は焚石とケンカをした訳では無さそうだし、そもそも避ける気すら無かったということなのだ。
それは棪堂にとって、焚石が特別な存在だからに他ならないのだろう。
どれだけ桜のことを『惚れている』と言っても、それはあくまで焚石の次で、棪堂の一番にはなり得ないのだろう。
そこまで考えて桜は『自分は棪堂の一番になりたいのか』と、今まで考えたこともなかった思考に戸惑った。
「はるか」
自分の思考に落ち込んでいた桜は、不意に名前を呼ばれて顔を上げた。
「!」
すると余りにも近くに棪堂の顔が有って、一瞬身体が強張って固まってしまった。
「やっぱ、キスさせて」
棪堂の言葉が聞こえると同時に、唇に柔らかい塊を押し付けられた。
ちゅっちゅと二度ほど触れた後、棪堂の顔がゆっくりと離れて行った。
了承もしていないのにキスをされたことに、桜の頬が照れと怒りで熱くなる。
「お、まっ!」
反射的に拳を握って唇を拭うと、棪堂はへにゃりと困ったように、何処か切ないような笑顔を見せた。
「イヤだった?」
棪堂の問いに桜は黙って拳を握る。
正直に言えば、イヤでは無かった。
これは愛情の現れの最たるもので、桜にとってみれば今まで経験したことの無い程に、優しい感情を向けられていると言っても過言では無いのだ。
棪堂の指先が伸びてきて、桜の頬にそっと触れる。
「遥がイヤじゃなければ、『恋人のキス』もしていい?」
本当にこの男は、腹立たしい物言いばかりする。
桜がイヤだと言えばしないだろうし、いいと言えば言質を取ったとばかりにしてくるだろう。
何にせよ『桜が判断した』と、責任を押し付けるのだ。
「こ、『恋人のキス』ってなんだよ……」
知らぬふりをしてみたが、桜とてどんなキスなのかは想像出来ているのだ。
これまでのように、ただ唇同士を触れ合わせていたのとは違い、舌を絡め合ったりする口付けだということは判っていた。
けれど、いいともイヤとも決断することが出来ず、時間稼ぎのように思わず疑問がついて出た。
「遥がいいって言ってくれたら、実践して教えてやるよ」
桜の思考を何処まで読んでいるのか、棪堂はニマニマとしている。
何も考えられず、ひたすら時間を稼ぎたくて開いた口から、想像もしていない言葉が飛び出した。
「た、焚石とも、したのか……?」
音になった直後に桜は「しまった」と思ったが、発してしまった言葉を取り消すことは出来ない。
案の定、緩んでいた棪堂の表情がピリっと真顔になる。
何故こんなにも焚石が気になるのか、桜とて判っているのだ。
棪堂哉真斗の視線の先には、必ず焚石矢の存在を感じるからだ。
ケンカの最中にも後にも、あれだけ散々焚石の話を恍惚とした表情で語り、昨日までだってきっとずっと一緒に居た。
殴られたって気にせず、棪堂の中での優先度は最高で、桜と一緒に居るときですら呼び出されれば行ってしまう。
こんな感情は知らなかったし、知りたくもなかった。
今まで誰かを独占したいなんて気持ちは抱いたことが無かったのだ。
これまでの桜の人生は、他人は全部敵で、全て打ち負かす存在でしかなかった。
それがこの街へ来て、温かく安らげる人たちもいるのだと知ってしまった。
そんな中で強烈に熱烈な感情を向けられて、その気持ちに抗える術など持っていなかったのだ。
大きく息を吐き出してから、棪堂は桜を引き寄せて抱きしめた。
棪堂の胸にすっぽりと収まり、棪堂が付けている香水の香りで胸がいっぱいになる。
「ごめんな。はるか」
棪堂が真顔になった時、桜に対して怒りを抱いているのだと思った。
けれどそれはどうやら違うようで、桜を抱き締める腕はひたすらに優しい。
「オレが遥のことを大切で大好きだって、絶対に自覚させるから」
あの表情は、自分に対しての憤りだったのか。
そういえば屋上でも、焚石を退屈にさせた自分自身に怒りを抱いているような素振りがあった。
こんな時でも焚石とのことを思い出し、桜の胸はぎゅっと苦しくなる。
けれどそれと同時に、棪堂が自分を求めていたことも思い出した。
自分が棪堂の元に行けば、風鈴には手を出さないと自ら言ったのだ。
それは桜自身に価値があるという事ではないか。
桜は意を決すると、棪堂の胸に体当たりするように、その身体を押し倒した。
「……へ?」
棪堂は間抜けな声を上げ、桜の顔を見ながら何度も瞬きをした。
抵抗されなかったことをいい事に、桜は押し倒して仰向けになった棪堂の胸に両手を付く。
「はるか、ちょっと待て、待って……」
いつもの冷静さの欠片もない狼狽えた様子の棪堂は、自分の胸に当てられた桜のを手首を掴んだ。
けれど桜は構わずに、その胸に圧し掛かるように上半身をもたれさせ、スリと頬を擦り付ける。
「待ってください、はるかさんってば!」
棪堂は桜の手首から肩へと掴み直すと、腹筋の要領で桜もろとも起き上がった。
「オレが頭の弱いサルだったら、今頃お前犯されてるぞ」
脅すように言われた言葉に、桜も抵抗するように唇を尖らせる。
「……そんなに簡単にやられねぇよ」
「……遥が強ぇのは判ってる。判ってるけど、そーいう問題じゃねぇんだわ」
諭すように言いながら、棪堂は桜の顔を覗き込んだ。
その目は酷く真剣で、いつも自分から『キスしたい』などと言って来る軽薄な雰囲気は全く無かった。
「オレがお前に惚れてるって判ってるか?」
コクリと桜が頷くと、棪堂は桜をぎゅっと抱き締めながら天を仰いだ。
「こんな風に煽られちまったら、遥とセックス出来るかもって期待するだろ?」
この身を差し出すということがどういうことなのか明確にイメージを抱いていた訳では無かったが、棪堂がセックスをしたいと言うのなら叶えるのも吝かではない。
「……別に、いいけど……」
桜の返答に、棪堂は桜を抱き締めたまま固まった。
固まった棪堂は次第に小さく小刻みに震えながら、言葉にならない音を発している。
「は? え? ……?」
暫くそのまま棪堂の漏らす音を聞いていると、不意に震えていた小刻みが止まって、桜を抱き締めている腕に改めて力が入った。
「……今すぐ遥を抱きたいけど、何も準備してねぇんだよ……」
何処か泣きそうな響きを孕みながら、棪堂がぼそりと囁いた。
「女とやる場合でも必要だけど、男はもっと事前準備が必要なんだ」
そういった知識の乏しい桜には判らなかったが、準備が必要なのだとは知らなかったし、棪堂ならばそんなことなど気にしないのではないかと思っていたが、どうやら思ったよりも慎重らしい。
「明日、用意して持ってくっから、遥の気が変わって無かったら明日やろう?」
棪堂は抱きしめていた腕の力を弱めると、桜の顔を覗き込むようにして額をコツンと合わせた。
「だから今日は『恋人のキス』だけさせて」
桜がコクンと頷くと、棪堂の柔らかい色の瞳がゆらりと揺れて、それから唇に温もりが生まれた。
少しの間唇を押し付けていると、不意に棪堂の唇の間から舌先がぬるりと侵入して来る。
生まれて初めての感触に、桜は思わず棪堂の肩を掴んだ。
◆12日目 終了◆