コミュニケーション・ロマンス 付き合い始めてから、もう十年を超える。空条承太郎は僕の初めての恋人だった。男同士だけれど、僕らはキスをするし、セックスだってする。愛を囁き合って、互いの気持ちを確かめる。ゴールの無い関係。それを分かっていたから。同居して、伴侶のように振る舞っていても、確約されるものは何もない。僕らは互いの気持ちだけで、繋がっていた。それに不安が無いわけじゃない。でも僕は信じていた。承太郎の愛情を。だから承太郎が僕を愛するが故に吐く嘘や作る秘密を、見て見ない振りをしていた。それでうまくいくはず。そう考えていたけれど、とある事件で承太郎が恐ろしい殺人鬼と闘ったということを後から知らされて、僕は思い知った。
承太郎の嘘は優しい。でも、残酷だ。僕はいつだって、君を知りたくて、君を守りたくて、君を愛したい。そしてきっと承太郎も同じ想いなのだ。だから噛み合わない。最近ちょっと、承太郎が余所余所しい。どう動けばいいだろうかと、思案していた僕は、とある人物を頼って、ある町に来ていた。承太郎に憧れていて、僕の知らない彼を知っているその子なら、少しヒントをくれるかな、と思ったのだ。単純に、恋愛相談に乗ってくれそうな人物が他にいないという切実な事情もある。電話でポルナレフに話を持ちかけたら、何馬鹿なこと言ってるんだ、と言われそうな気がしてそれだけで腹が立ったので、ダイヤルしかけた指を止めた。
彼の家に赴こうとしたけれど、電話で約束を取り付けた際に彼の言った
「休日はおふくろが家にいるんで。込み入った話なら、ドゥ・マゴでどうっスか」
と言う提案で、僕らはカフェのテラスの一番はじっこの、周りに声があまり届かないような席に座って、顔を突き合わせていた。
休日の昼下がりはカフェは割合混んでいたけれど、陽の当たらない隅っこのちょっと汚れたテーブルは人気がなくて、僕は少し恥ずかしい話でも人目を気にせずできるな、と内心ほっとしていた。
「で、ラブラブなおふたりの、何が問題なんスか」
今日は甘い物の気分らしく、休日なのに学生服をキメている相手が、僕の奢りのケーキにフォークを刺した。承太郎が最近なんだか悩んでいるようだ、そしてそれを僕に悟られないように動いている。僕はどうしたらいいだろう。歳下の学生相手に大人の僕がするような話ではないことはわかっていたのだが、彼は同志だったので。口を開きかけたところで、聞き慣れた声を耳で拾って、僕は動きを止めた。
「ええ?!仗助くんと花京院さんが?!何言ってるんですか、承太郎さん!」
「あれ、康一の声じゃねーっスか。あ、承太郎さんも居ますね」
「…今日、承太郎は出張で、地球の裏側にいるはずなんだ」
僕の呟きに、一緒のテーブルにつく彼は肩をびくつかせた。ひえ、と小さく悲鳴をあげている。僕の放つ怒気が、ゆらゆらと蜃気楼を作るかのように空気を熱しているのを感じ取って、「とりあえず、こっちの存在には気づかれないように、二人の話聞いてみましょうよ」と、落ち着くことを勧めてきた。しかし承太郎の口から出る言葉の如何によっては、僕はこの怒りを爆発させそうだった。僕はまた、嘘を吐かれたのだ。
「仗助は、俺に似ているだろう」
「ええと…雰囲気が違うからなんとも…確かに顔つきは親戚だなあという感じはしますが」
「本来花京院は、ああいったタイプの人間が好きなんだ。それに俺と外見が似ているときている。仗助に心が傾いても、なんの不思議もない」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。仗助くんだってちゃんと、花京院さんは承太郎さんの恋人だって分かってるんですから」
「仗助がどうという話ではない。あくまで、花京院の心の向く先の話だ」
「落ち着いてください、花京院さん、どうどう」
仗助くんが僕を宥めすかそうと、恐る恐る声を上げる。それが震えていたので、今の自分の形相がどういったものかというのが、鏡を見なくともよく分かった。頸の毛が逆立つのを感じる。瞳孔が開いて、目の前が赤くなっていた。承太郎は何を言っているんだ?僕と仗助くんの会話を聞いたことがないのか。お互いやりこんでいるゲームの話以外では、僕らは承太郎の話しかしていないのに。それらは主に、僕の知らない、仗助くんの知る外での承太郎の振る舞い方や、無茶の仕方、歳下の叔父をこっそり頼ってくることに対する仗助くんのちょっとした自慢話が中心の、僕ら承太郎ファンクラブの情報交換なのだ。僕にはこんな風に承太郎は甘えてくるんだよ、といった僕のマウントと、俺のスタンドは頼られてるんスよ、という仗助くんのマウント返しに、顔を合わせて笑い合う。
僕は恋人、仗助くんは肉親、僕らは仲良くなったけど、それは間に承太郎という存在が介しているからで、そうでなければ平和になったこの杜王町で、スタンド使いとしての僕は必要なかった。
そう、承太郎はこの町で起こった一連の出来事について、つい最近までずっと僕を欺き続けていたのだ。長きに渡るこの町での滞在も、本業の方が忙しいと嘘をついて僕を関わらせようとはしなかった。本当はわかっている。承太郎は、僕を危険から遠ざけたいだけなのだと。後から聞いた、弓と矢の話。そして恐ろしい殺人鬼の話。仗助くんのジョースターさん譲りかな、と思える弁の立つ武勇伝。僕はハイエロファントと共に闘える。しかし襲いくる数々の目覚めたスタンド使いと、正体を現さない不気味な相手に、僕が対峙することを、承太郎は厭わしんだ。ジョースター特権を使って、SPW財団の中でも、僕に承太郎が抱えている案件を、知らされることを拒んでいた。決着がついて、ちょっと呆けかかっていたジョースターさんが何やらぴんしゃんした表情で不思議な赤ん坊を連れて財団本部を訪れた時、初めて僕は事件のことを知ったのだ。
当然僕は怒った。マンションのリビングで、言い合いになる。何故黙っていた、君の役に立ちたかった、君と共に闘いたかった。詰め寄る僕を抱きしめて、耳元で囁く。
「お前を危険に晒したくはない。頼らなかったわけではないんだ。たまにここに帰ってきた時、お前が待っていて、温かく迎えてくれる。それで俺は耐えられていた。お前のおかげで、俺は闘えた」
そんな言い方をされてしまっては、黙るしかない。身体の力が抜けて、つい、承太郎の広い背中に手を当てて、縋るように言う外なかった。
「承太郎、今後同じようなことがあったとしたら、一番に僕に教えてくれ。君の背中を守りたい。僕が強いことを、君以外の誰が知ってるっていうんだ。危険の無い事務作業ばかり回されて、ハイエロファントだって出番がないって、文句を言っているよ」
承太郎の腕の力が強くなった。
「ん」
ああ、これは、全然納得してないやつ。もうこうなったら、承太郎が少しでも疲れを見せたら、財団職員を締め上げて吐かせるしかないな。僕はため息混じりに言った。
「君が守った町を、この目で見たい。ジョースターさんの息子さんにも、会ってみたい。休暇が重なったら、案内してくれないか」
承太郎は一瞬息を詰まらせた。それがどうしてなのかわからなくて、僕は承太郎の瞳を覗き込む。不安そうに揺れていたのは一瞬で、瞬きを一度した後には、もう平静ないつもの承太郎だった。
「ああ、紹介しよう、なかなか骨のある若者がたくさんいる町だ。長閑で海が近くて、お前も気に入るだろう」
「承太郎、この際だから言うけれど、あっちには僕の父方の代々の墓があるんだ。弓と矢の事だってある。僕は、まるきり部外者、というわけでもないんだよ」
「そうか、なら、次の休みに」
僕らの喧嘩は収束したけれど、承太郎は歯切れが悪かった。殺人鬼は居なくなったのに、何かを心配している表情。そしてそれは、仗助くんを紹介された時、成程、と僕を納得させるものになった。
昼下がりの杜王町、町で有名なカフェのテラスで、僕と承太郎、そして学ラン姿の一人の青年が、テーブルを囲んでいた。頼んだ飲み物が出てくる前に、承太郎が隣に座る高校生を僕に紹介した。
「花京院、こいつが俺の叔父にあたる、東方仗助だ」
「初めまして、仗助くん。承太郎がお世話になったそうで。花京院典明といいます。どうぞよろしく」
「こんちわっス!えと、かきょーいんさん、初めまして。承太郎さんから話は聞いてます」
ちょっと緊張したかのような、仗助くんの硬い表情に、少しだけ意地悪したくなった。承太郎を、僕が会えなかった間、独占していたんだろう。運ばれてきたコーヒーに口をつけた。思ったより美味しくて、うん、ここ、リピートしよう、と心で独り言を言った後、潤した喉で一言。
「話か。どんな話かな」
微笑むと、ぴくんと承太郎の肩が揺れた。おっと、そっちに影響が出たか。
「ええと、吸血鬼退治のお仲間と。それから」
「それから?」
「大事な恋人だから、絶対に惚れるなよって、釘、刺されマシタ」
引きつった顔の仗助くんを、承太郎はなんと言って呼び出したのか。僕と仗助くんを引き合わせたくなかった承太郎の思惑が透けて見えて、思わず僕は笑った。承太郎は、真剣な顔で「笑い事じゃあねえ」とか小さく漏らしている。馬鹿だなあ、君という存在が隣にいて、君以外に、僕の心が動くはずなんてないのに。だけど承太郎は心配なのだ。仗助くんは確かに承太郎と似ている。そしてきっとそれ以上にジョースターさんに似ている。若い頃から僕がジョースターさんに懐いていたから、並大抵な男では敵わない自負のある承太郎は、血縁というものに不安にさせられているのだ。うん、どう見ても、仗助くんは格好いいよ。だけど僕が夢中になるのは、君だけだ。
「仗助くん、ゲーム好きなんだってね。恥ずかしながら僕も、自他共に認めるゲーマーなんだ。今度新作を一緒にプレイしないかい」
「え、花京院さんイケる口っスか。億泰も康一もどうも弱くて。協力プレイできるなら、是非!」
若いっていい。その場のノリでものが言える。ゲーム仲間ができて嬉しかったのか、仗助くんは隣で恐ろしい顔をしている承太郎を視認できずにいる。
「今度、遊びに行かせてくれ。それからその、億泰くんと、康一くん?とも、話がしてみたいな。承太郎がどんな風に闘ったのか、色々聞いてみたいんだ」
「いいっスねぇ、ゲーム大会!集合かけますよ!きっとあいつらも、花京院さんには興味津々っスから」
「ありがとう、楽しみだな」
コーヒーを飲みながら談笑する僕らに挟まれて、承太郎は飲み物に手をつけることなく、固まっていた。わざと仗助くんと親しげに振る舞って、承太郎を蚊帳の外に追いやるという悪戯は成功した。ほら、わかったかい、除け者にされる気分が。だけれど、承太郎虐めとは外れた意図で、僕は純粋に仗助くんと仲良くなりたいと思った。彼の、憧れの承太郎さん、というその視線から、共有したいと思ったのだ、承太郎情報を。出会って十年以上、恋人になっても十年以上、けれど、まだまだ僕の知らない承太郎はいるはずだった。承太郎が僕を大切にするほど見えなくなるそれらを、親しい人間の口から聞きたい。
黙り込んでしまった承太郎を無視して、次の約束を取り付ける。ほらほら、うかうかしてると、色々と暴いちゃうぞ、君が隠したいものを。これに懲りたら、もう僕に隠し事はするなよ。視線を送ったけれど、承太郎は俯いて、感情を表に出そうとはしなかった。
出会いからしばらく経ってもう何度か、僕は杜王町に赴いては、仗助くんたち高校生に混じってゲームに興じたり、町を案内してもらったりした。彼らがスタンド使いだからかどうかはわからないけれど、案外すんなりと、僕はその輪に馴染むことができた。いい子たちばかりだ。例えば寝起きの格好悪い承太郎なんかを教えてあげたりすると、大層驚いて、そして笑う。承太郎が油断するのは僕の前でだけなんだな、という優越感を得たりした。
仗助くんと話していると、あの旅でジョースターさんと語らっていた時と同じ感覚に陥る。ジョースター家の血って、濃いんだなあ、と思わせる、仗助くんの整った相貌。やっぱり承太郎に似ている。だけどきっとそれ以上に、僕の知らない若かりし頃のジョースターさんに似ているんだろう。同じ系統の顔をしながら、お茶目な仗助くんがすごく可愛くて、承太郎の叔父さんなら、僕の義理の叔父さんだな、なんて、内心親戚気取りで、いい歳をしてゲーマーな僕と、まだ若い仗助くんはそこで話が合った。共通点は承太郎とゲーム。二人の間にラブ・承太郎の横断幕を広げて、僕らは2pゲームをしたりカフェでお茶したりして、親睦を深めた。
そう、僕らは同志なのだ。それぞれ承太郎を尊敬したり愛していたり、持った感情は違っても、同じ人間に好意を持って、幸せになって欲しいと願っている。仗助くんは僕をそれが出来る人間だと認めてくれて、「お二人の結婚って、いつっスかね」とか、対戦中に言ってくるので、「僕に精神的動揺によるミスは無いよ」とにべにも無く返して、隙をついてカウンターを仕掛けた。「あー!!くっそ、やっぱつええっスねー!」とコントローラーを投げてひっくり返る仗助くんに笑いかける。
「それなんだけどさ、承太郎がプロポーズをしてくれないのは、やはり僕が男だからかな。それとも、僕からした方がいいのだろうか」
床に大の字になって寝転んだ仗助くんが、クリクリの目で僕を見上げた。
「花京院さんから、は、やめた方がいいと思います。あの人、そういった方向の男らしさとか拘るっしょ。雰囲気作りとかはまあ、お任せで」
実に的を射た意見。出会って間もなくとも、伊達に親戚はやっていないということか。ゲーム画面に視線を戻して、ありがとう、と常からの礼を言う僕に、いえいえ、と返して、仗助くんは起き上がった。
「んじゃ、もうひと勝負」
そう笑う可愛らしい笑顔が、確かに僕の心を温めた。僕は仗助くんが好きだ。明るくて、ちょっとお調子者だけど憎めなくて、親切な割に失礼で、自分の欲望に忠実に動くくせ正義感が強い。そんな彼が身内であることが、嬉しかった。見守ってくれる存在があることが心強い。僕らを偏見の目で見ずに、幸せを願ってくれる。歳下ながら、仗助くんを尊敬の念を込めて接していた。
僕は承太郎の血縁を愛していた。ただ、それだけだ。なんなら頼ってもいた。主に承太郎との関係性について相談に乗ってもらっていた。今だって。歳上の甥とその恋人が上手くいくようにと、心を砕いてくれる仗助くんと、まさにその相談事をしていた最中だったのに。
承太郎は、僕の不義密通を疑っていた。それが、ここ最近彼が頭を悩ませていた事柄の正体。様子がおかしいと思わせていたのは、承太郎が僕の心変わりを勝手に作って感じていたから。馬鹿か、昨晩だって、僕らはベッドで愛し合ったのに。その間柄を疑われている相手に、僕はその内容を相談しようとしていた。高校生に大人の事情を事細かに話してもよろしいものか、と逡巡していたのに、承太郎は僕と同じように高校生を捕まえて、あろうことか恋人と叔父の浮気を疑っていると宣言している。あ、頭痛。キリキリと痛む。
「ないない、無いですよ、承太郎さん。花京院さんいつも、僕らといる時承太郎さんのことばかりですよ。ラブラブだねって、僕ら、二人の結婚式には呼んでもらいたいねって、言ってたんですから」
康一くんの言葉に、涙腺が緩んだ。怒りと綯い交ぜになって、頭痛が酷くなる。今にも立ち上がって詰め寄りそうな僕をハラハラといった様子で仗助くんが視線をあちらとこちらに迷わせていて、困りきった様子の彼を安心させる為、大きく深呼吸をした。
「大丈夫、取り乱したりしないよ。少し、話を聞いてみよう」
落ち着きを取り戻した僕の無理矢理上げた口角を見て、仗助くんが肩を下げてゆっくりと息を吐いた。たまたま偶然、手入れが行き届いていない木立の葉に隠されて、向こうからはこちらを見ることが叶わないのが、良いことだったのか、悪いことだったのか。
「紹介して以来、花京院はよく仗助と会っているようだ。俺では相手にならない趣味が合うようだし、仗助はあの快活さだからな。物静かな花京院と、上手く噛み合うだろう」
承太郎、君、自分が根明じゃないなんて、思っているんじゃないだろうな。旅の間に何度も交わした軽口を、僕は忘れたりしていない。承太郎のジョークは、時に敵を逆撫で、時に味方を鼓舞し、時に相手を打ち負かす。今はすっかり落ち着いてしまったけれど、それは年齢を重ねれば当たり前のことで、僕と二人きりの時は、それなりに冗談を言って僕を楽しませてくれたり困らせてくれたり、しているじゃあないか。承太郎が僕とゲームができないという理由で心変わりをするとしたら、ビッチを通り越して飛んだ阿呆だ。
「歳の離れた人間同士だって、友情は成り立ちますよ。あの二人、確かに話が合って楽しそうですけど、色気のある感じじゃ、全然ないですよ。主に承太郎さんの話で盛り上がってますし。そんな心配したら、花京院さんが可哀想ですよ」
康一くん、よく言った!向かいの仗助くんもぐっと拳を握っている。そうだよ、僕らは承太郎とゲームが好きな親戚同士で、情けない大人と相談相手で、振り回しても笑って許してくれるからつい甘えてしまう、仲の良い友人なんだ。康一くん、その調子で、承太郎を説き伏せてくれ。そう思って見守る僕らの耳に、とんでもない承太郎の言葉が届いた。
「実は、花京院に求婚しようと思っている。しかし、自分にはもっと若い男がいるからと、断られる夢を見てな。一度不安になると、あらゆる事柄が芋蔓式に…」
後半、どんどん承太郎の声は低く小さくなっていった。この距離で聞き耳を立てるには、本当にギリギリの声音。昨晩、やけにねちっこかった寝屋での承太郎。自分に縛り付けたい、と、思っていたのだろうか。
僕はガタンと席を立った。仗助くんが驚いている。しかし承太郎の不審さの正体が分かった以上、仗助くんに相談する必要性はなくなった。あとは僕らの問題だ。そう、僕らの。
ズンズンと歩を進めて、承太郎と康一くんのテーブルに近づく。康一くんが先に気がついて、「あ、」と声を上げて、ようやく僕と承太郎の視線が絡まり合った。
「君は、馬鹿か?」
突然現れた僕に承太郎が驚いて、息を呑んでいる。どこから聞いていたのか、とか考えているんだろうな。残念ながら、君が聞かれたくない内容は、ばっちりこの耳で聞き取った。君が仗助くんに妬いたように、今僕は、康一くんに激しいジェラシーを抱いているよ。
「なんで、先に、別の人間に言ってしまうんだよ、君は」
「花京院」
「なんだよ求婚しようと思っているって。そんなことをここで康一くんに言う前に、僕に結婚してくれって言えよ。僕らの問題を、一番大切な言葉を、どうして君は僕にぶつけない。相談相手だって、困るだろ。僕に一等最初に、くれなきゃいけない言葉じゃないのか、それは」
「だが、お前は仗助と」
「仗助くんはねえ、まったく今の康一くんのように、可哀想に相談相手になってくれていたんだよ。いい歳した大人が相手と上手くコミュニケーションも取れなくて困ってるって、聞かされてアドバイスをくれて、承太郎談義に花咲かせて。いっそ仲人だよ。君は一体何を勘違いしているんだ」
僕の後ろから、ひょっこりと仗助くんが顔を覗かせた。
「仗助くん!」
「よ、奇遇だな、康一。俺たち立場がおんなじだぜ。まあ、お前の方がちょっとばかしヘヴィみたいだけどよ」
仗助くんが康一くんを手招く。席を立つ康一くんの空いた椅子に、仗助くんが僕を座らせて、さて、と大きく息を吸った。
「ハイハイ、それじゃあ困った大人たち、腹括って、話し合いしてくださいよ。若者に頼らねえで、ごゆっくり」
人好きのする笑顔を浮かべて、手を振った。康一くんはやっとひと心地ついたというように緊張の解れたため息を吐いて、僕らを生暖かい目で見た。うーん、どうあっても僕たち、少々ややこしい大人すぎるな。高校生に気を遣われて、なんとも居心地が悪かったけれど、黙りこくった承太郎と話をつける為、僕は居住いを正して正面を向いた。それを見て、仗助くんが安心したように笑って、「そんじゃ」と残して康一くんを連れて離れていく。承太郎と二人になって、改めて、僕は不満を口にした。
「ほら、あんなにいい子たちを困らせて。まあ僕も大概だが。君は言わなきゃいけないことがあるんじゃないのかい」
「…お前と、仗助は」
まだ言うか。
「君の叔父さんだろ。つまりは、僕の義理の叔父さん」
承太郎が目を見開いた。意図を、汲み取ってくれたらしい。ほらね、僕らはやっぱりぴったりなんだよ。言葉が足りないのは、承太郎だけじゃなくて、僕も反省点はあるかもしれないけれど。僕と君の意思疎通が足りないほど、僕の仗助くんへの相談事は増えた。つまりは、原因と結果がマグネットみたいに連なって、長く長くなっていってしまっただけなのだ。
承太郎はしばし黙っていたけれど、一言、すまん、と言った後、コートのポケットを探った。
「愛してる。花京院、結婚してくれ」
僕の目の前で、小さな箱を開いて、プラチナに輝く輪っかを僕に捧げるように見せた。君、もしかして、チャンスが分からずに持ち歩いていたのかい。オロオロして康一くんにトンチキな相談をするくらい動揺しながら、指輪を常にスタンバイさせていた。そんな承太郎がたまらなく可愛くて愛おしくて、僕は承太郎に抱いていた怒りを放り投げた。どっせい。承太郎が勇気を出したのだから、僕は誠意で応えなくては。
「ありがとう、承太郎。僕も愛してるよ。こちらこそ、よろしくお願いします」
触れて初めて分かる程度に小刻みに震えていた承太郎の指輪を持つ手を、上から包み込む。自分ができる一番の笑顔で、君がはめて、と囁いた。承太郎の手が僕の左手を持ち上げて、薬指に指輪をはめ込む。サイズはぴったりだった。流石承太郎。そのあたりは抜かりないな。他にも僕自身の知らない色々なサイズを把握してそうだけれど、この際それは置いておこう。
「ハネムーンは、どこがいい?」
「また君と、旅ができるのか。嬉しいな」
「どこにでも、連れていってやる」
「今度は二人きりだね。君の好きな海を、見せて欲しい」
「なら、世界中を回ろう。美しい海のことなら、俺の右に出るものはいない」
「うん、期待しているよ、ダーリン」
承太郎の本当の笑顔。久しく見られなかったそれをさせているのが僕だという事実が嬉しい。僕は幸せに浸っていたから、許してあげようと思った。聞き耳を立てている、高校生たちを。康一くんのエコーズが、こっそり僕らの会話を遠くに潜んでいる彼らに届けていたのだ。承太郎は僕の返事を気にするあまり、彼らしくなく気がついていなかったみたいだけれど、僕は遠距離型スタンドの先輩だ。手口は嫌と言うほど知っているんだよ。ハイエロファントで、ちょん、とエコーズを突くと、慌てて飛んで去っていった。出歯亀は良くないけど、僕らのかけた迷惑と心配とを天秤にかけたら、さほど腹を立てるようなことでもない。ほんと、すみませんでした。
さあ、今度こそ、承太郎と一対一。久しぶりの、惑いのない承太郎との、楽しい会話。ここのコーヒーは美味しいから、それを堪能しながら、承太郎の笑顔を眺めたい。店員を呼び止めて注文する挙げた僕の左手の薬指で、プラチナが陽の光を浴びてキラキラと光っていた。
end