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    きのした

    @mitei17

    文字書き。大体承花。

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    きのした

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    pixivより再掲

    花京院が心配な病的過保護太郎と、承太郎の愛が欲しい蘇り院の話。
    私はすぐ承太郎を病気にしたがるから困る。
    誤解とすれ違いが大好物です。
    当然のようにアメリカで同棲。
    何年後かは、それぞれの胸の中でお好きな感じに当てはめて下さい。
    ※ほのかに承←モブ表現あり。

    だからお願いそばにおいてね おまけつき 僕は承太郎と、たった一度だけ、抱き合ったことがある。

     あれは、あの旅で、まだ僕が目を負傷して途中離脱する前。その日は敵襲に遭って、スタープラチナを思う様暴れさせた承太郎は、古ぼけた宿に泊まるとなっても、興奮がおさまらないようだった。僕らはキスを交わした。二人部屋で、夜が染み入ってくれば、何も邪魔するものはない。彼は僕を好きだと言った。息継ぎの度、何度も。僕を貪る彼を、僕は愛しいと思っていた。だから僕も好きだと返した。いつもだったら、思う存分キスをした後、疲れた身体を休ませるために手を繋いで眠りについた。けれどその日は違った。
     承太郎が僕を軋む固いベッドに押し倒す。そのまま僕の服を剥ごうとした。僕は打ち震えた。承太郎に恋していた僕は、いつからかその瞬間を待ち望んでいたのだ。承太郎に欲望を向けられていることが、たまらなく嬉しかった。彼の、望むように。僕は積極的に動いて、承太郎と愛し合った。大切な思い出。これから先何があっても、この瞬間の幸せを覚えていれば大丈夫。僕は何にでも立ち向かえる。そう思って最終決戦に挑んだ僕は、DIOに敗北した。だけど、それはきっと、僕の役目だった。メッセージに、どうか気づいて欲しい、そう願いながら、水に沈んでいった。感覚の無くなっていく指先が、勝手に温もりを探す。承太郎。最期に、君とキスが、したかったなぁ。

     目が覚めた時、僕はベッドの上だった。視線を巡らせるけれど、ここが何処だかわからない。病院だろうか。豪華な個室だ。腕には点滴の針が刺さっていて、身体には何やらコードがたくさんついていた。枕元の機械が僕の鼓動と同じタイミングで音を刻んでいる。
     現状把握をしようとして、まだ脳が少し眠っていて混乱した。ここは、エジプトの夜の街ではない。窓から差し込む優しい陽の光。僕は確かに、死んだはずなのに。明るい病室でぼうっとしていると、出入り口らしき場所でガタンと音がした。大きく目を見開いて僕を見る、それは承太郎だった。
    「かきょういん」
     その声は掠れて震えていて、ほとんど音になっていなかった。僕に走り寄って、抱きしめる。承太郎の胸に頭を預ける姿勢になって、どくどくと脈打つ音を聞いた。上から水滴が降ってきて、それが承太郎の涙だと気づいた時、それからやっと理解したのだ、僕は死にはしなかったのだと。

     承太郎に対して、黒い、という印象を持っていたのに、再会した承太郎は全身が真っさらな白だった。汚れも埃も、糸屑さえ寄せ付けないような圧倒的な迫力のある、白ずくめの男。高校生だった承太郎は既に完成されたような造形をしていたけれど、それからどうしてますます色気を帯びた大人の姿。僕は随分と長い間寝こけていたらしい。
    「花京院、花京院、」
     承太郎が僕を呼ぶので、僕も彼の名を口にしようとした。そうしたら喉が、ひゅっ、と空回って、ごほごほとむせ込む。承太郎が慌ててナースコールを押した。すぐに人がどかどかと雪崩れ込んできて、僕は混乱のまま、たくさんの診察やら検査やら、質疑応答やらをされた。ゆっくりでいいので、声は出ますか。医者に改めて言われて、僕は最初に口にするのはそれがいいと決めていたので、そばに立って見守っている承太郎の服の裾を掴んで、承太郎の目を見て言った。
    「おはよう、承太郎」

     退院までの道のりは、それなりに長かった。腹に空いた大きな穴が手を尽くされて塞がっているのを、なんだか不思議に思う。流動食から始まって、固形物に移る頃、手足を動かす訓練をした。本格的なリハビリは大変で、すっかり足の筋肉が衰えていたから、歩き出した頃はまるで子鹿だった。
     承太郎は、よく顔を出してくれる。おそらく彼のできる最大の範囲で、一緒にいてくれた。彼にも私生活といったものがあっただろう。僕は死んだことになっていたらしいが、彼は違う。学者という輝かしい地位にいるのだと、語ってくれた。頭のいい彼に相応しいと思った。そしてなんだか、承太郎が遠くにいってしまった気がしていた。
     過ぎ去った時間、変わった外見、時間の止まっていた僕とは、違う。かつて愛し合った高校生の彼は、もう何処にもいないのだ。そう思ったら、たまらなく悲しくなった。けれど、諦めをつけなければならない。今の承太郎には、昔には無かったものが、たくさんあるだろう。仕事も、責任も、もしかしたら新しい家族も。彼の左手薬指が空いていることを確認してから、それでも問わずにはいられなかった。僕の食事を隣で眺めている承太郎に、意を決して尋ねる。
    「承太郎、結婚は、してるかい?」
    「何故、そんなことを訊く」
    「だって、君、もういい歳だろ。こんなに格好良くなってしまって。女の人が、放っとかないだろう」
     承太郎がこれ以上無いくらいに顔を歪めた。元々が迫力のある美形だから、そうすると荘厳ささえある。苦しくて仕方がないとでもいうように、吐き出した。
    「お前を待ってるっていうのに、他の人間に構っていられると思うか」
     僕は放心した。てっきり、承太郎にとって僕は過去なんだと、そう思っていた。こうして様子を見に来てくれるのだって、きっと、懐かしくて、失ったと思ったものが帰ってきたから、ちょっとノスタルジーに浸っているのかな、なんて、簡単に考えていた。
     承太郎が箸を取り落とした僕の手を掴んで言う。
    「俺には、お前だけだ。ずっと待っていた。また、お前と一緒に生きていきたい」
     そう言われて初めて、僕は自分がちゃんと生きているんだということを自覚した。それまで、まるで他人事だった。色々なものが過ぎ去ってしまって、僕だけが空っぽのまま、置き捨てられたような感覚と、それを受け入れたくがない為に、今の自分を自分であると考えることを放棄していたのだ。
     僕の旅が、やっと終わった。承太郎の言葉に、現在の位置まで引き摺り出された。変わらず僕を愛してくれる彼を、変わってしまったと一旦は嘆いた。確かに承太郎は歳をとっていた。けれど僕を想う気持ちを、変わらず持ち続けていてくれた。ずっと、待っていてくれた。僕はやっと自分の執着心を思い出した。こんなにも、君が恋しくて、愛おしくて、たまらなく、欲しい。あの夜の続きがしたい。僕の時間は、ようやく動き出したのだ。
    「承太郎、ぼく、僕も。君と、生きていきたい。ずっと一緒にいたい」
     承太郎が目を細めた。笑っているのか、泣くのを我慢しているのか。ただ、僕の頭を撫でた。
    「だったら、リハビリ、頑張らないとな」
     その声は優しかった。

     僕が目を覚ましたのが春先で、退院する頃にはもう冬が始まっていた。医者は僕の健康診断をした後、定期的に通ってくださいね、無理はしないよう、と、処方箋と一緒に退院許可を出した。承太郎が車を乗り付けて、僕を助手席に乗っける。大丈夫だと言っているのに、承太郎はその時僕を恭しく抱え上げて、歩かせてくれなかった。温かいダウンコートで僕を包んで、カチリとシートベルトを閉める。道中で、病院の近くに引っ越した、と言われて、僕はギョッとした。わざわざ、僕のために転居したなんて初めて聞いた。
    「何かあっても、すぐにお前を担ぎ込めるようにな」
     前を見たままそう言われて、承太郎の生活圏を狂わせたことに罪悪感を禁じ得ない。
    「承太郎、すまない」
    「何故謝る。俺がお前のそばにいたいんだ。不動産には強い身内がいるからな。大した手間でもないし、俺の職場もそう遠くないから、安心しろ。連絡してくれれば、すぐ、駆けつける」
     僕はその時、承太郎の優しさが只々嬉しくて、その先を考えてはいなかった。僕を大事に思ってくれる承太郎を、僕も大事にしたいと思った。そして共に暮らしたら、また、君と愛し合える。そんな風に幸せを噛み締めて、承太郎が眠っていた僕を待っていた時間を、理解してはいなかった。その間に、彼がどれほど変わっていても、承太郎が言ったように、一緒に生きていけると、信じて疑わなかった。

    「花京院、花京院」
    「ん…おはよう承太郎」
     毎朝、決まって朝六時に、承太郎に起こされる。寝室に置かれた二つのベッドで別々に眠る僕たちは、それでも同じ時間に寝て、同じ時間に起きる。
     出勤の準備をする承太郎と、朝食を食べる僕。承太郎はコーヒーを片付けて、ぴ、と僕に指を向けた。
    「今日はハウスキーパーが来るから、お前は部屋で寝ていろ。いいな」
     定期的に、プロに家事を任せる生活にも慣れてきた。僕はおとなしく頷いて、承太郎を玄関先まで見送りに行く。
    「いってらっしゃい、承太郎」
    「ああ、行ってくる。安静にしているんだぞ、花京院」
     微笑んで、仕事に向かう彼の背中をドアが完全に閉まるまで眺めていた。

     承太郎と暮らし始めて一ヶ月、ぼくの体調は大変芳しい。承太郎のいない間に家事だってできるし、買い物だって一人で行ける。寧ろ動かないのは身体に良くない気がした。なのに承太郎は、なるべくベッドから動くな、外出するなと、僕に言いつけた。僕は反抗した。もう大丈夫だ、食事だって普通にできるようになった。身体を動かすことだって推奨されている。そう言うのに、彼は頑として、僕におとなしくしているよう命じた。
     最初のうちは、心配性の彼を思って、言う通りにしていた。しかし間が持たない。布団に入ってテレビを見ていても、三日と待たず飽きた。そして不満はそれだけではない。承太郎は、僕に触れてくれないのだ。

     僕が家の中を移動しようとすると、それを目に留めて、ひょいと僕を抱え上げる。そしてソファや椅子やベッドに優しく降ろす。僕はかつてより軽くなってしまったけれど、それだって、大人の男一人いちいち持ち上げるなんて、承太郎といえど負担にならないはずがないのに。そうやって介護のように僕に接するだけで、他の意図を持って僕に触ろうとしない。一向に、承太郎は僕を求めない。
     僕を待っていたと言ってくれた。他の誰かに目移りできないほど、欲していたと。それは愛であると、僕は勝手に解釈していた。僕らはあの旅で、確かに愛し合っていたはずだった。一度はほどけたそれが再び結ばれて始まるのだと、そう思って彼との同居を決めたのに、承太郎は僕が着替えをしようとするだけで、さりげなく退室したり、目を逸らしたりした。なかなかに、心にズンとくるこの事態。
     好きだと言ってキスをした過去は、承太郎の中では無かった事になっているのだろうか。たった一度、身体を重ねたのは、単なる性欲処理だったのだろうか。きらきらした大事な思い出さえ、僕は疑い始めていた。

     承太郎は毎朝八時に家を出て、夜九時に必ず帰ってくる。学者という職業の如何を僕は知らないけれど、決して暇な立場ではないはずだ。専門の海洋学だって、それはフィールドワークが必要なものではないのか。いつものように帰宅した承太郎に、僕は我慢できずに詰め寄った。
    「承太郎、君、僕のために無理をしていないかい。僕は、そんなのは嫌だ。君には伸び伸びと、好きな仕事をして欲しい。僕は一人でだって、もう、大丈夫だよ」
     承太郎が表情を強張らせて、ぎらりと目を光らせた。最後に付け加えた一言がまずかったのだと、言った後で気がついた。
    「お前、ここを出る気か」
     短く返す承太郎が、激しい怒気を放っている。違う、と言いたかった。また君と、対等になりたいのだと、わかって欲しかった。まだ僕を好いてくれているのなら、理解して欲しい。嘆願するように、口を開こうとした。それを待たずに、承太郎が僕を持ち上げる。横抱きにされて、混乱する僕を寝室のベッドに降ろす。
     そこに至って、僕は期待していた。承太郎から離れようとする僕に怒って、勘違いして、自分のものにしようとはしてくれないだろうか。多少荒っぽくても、構わない。なのに、承太郎は僕の顔を覗き込んで、まるで自分に言い聞かせるように言った。
    「もうお前を、誰にも触らせない。誰にも害させない。お前を傷つけるのは、例え俺自身だって、許せない。花京院、お前は、ただ、生きているだけで、いいんだ」
     僕はそれを聞いて、ショックで暫く反応できなかった。生きているだけでいいなんて、まるで愛の宣言のようでいて、それはまったく、僕の人権を無視した言葉だった。
     時間。ただ、僕が眠っているのを眺めることしかできなかった、承太郎の時間。それが確実に、彼を蝕んでいたのだと、ようやく気がついた。
     僕は必死になって承太郎にしがみつく。
    「承太郎、僕の話を聞いてくれ。僕はずっと君といたい。でも、そのために君が何かを諦めるのは、耐えられない。僕だって、君の役に立ちたい。炊事だって掃除だって、洗濯だって、君と暮らしていくために、僕は出来ることをしたい。仕事に打ち込みたければ応援するし、休みたかったら思う存分甘えてくれていいんだ。なあ、君のために、僕は何が出来る?」
     愛して欲しいとは、言えなかった。僕の身体を心配して殊更気にかける承太郎が、僕を抱いてくれる筈がなかった。だったら、穏やかなキス一つでいい。好きになってくれって言われたら、僕は舞い上がって、承太郎に身を任せる。なのに、承太郎は頑なだった。
    「お前が生きている、それだけで、いい。家事なんて、今まで通り他人にやらせればいい。俺の仕事を、お前が理解する必要は無い。お前はただ、息をしろ。俺を見ろ。朝には必ず目を覚ませ。俺を呼んで、笑え」
     ああ、承太郎、君は。承太郎は変わらざるを得なかったのだ。僕らの間には、深い溝ができていた。飛び越えようとしても、きっと今の僕にはできない。僕が物理的に大きな傷を負ったように、承太郎は心に鋭く痛々しい傷を負っていた。僕は震える声で承太郎に尋ねる。
    「承太郎、君は、僕を愛してる?」
     承太郎が、瞳を僕から動かさないまま、かさかさの声で言った。
    「お前以外に、誰も愛したことなどないんだ、花京院」
     それが悲しくて、僕は泣いた。承太郎が、腹が痛むのか、と身体を摩る。違うよ承太郎、痛いのは、君だろう。嗚咽に邪魔されて、それが言えない。
    「病院に、行こう」
     慌てる承太郎に、ただ首を横に振った。
    「君が抱きしめてくれたら、治る」
     そう言ったら、戸惑った様子で、それでも温かい腕が僕を包む。背を撫でるので、その体温を感じて目を閉じた。
     愛していると言った。ずっと待っていたと言ってくれた。なのに、欲望をもう僕にぶつけてはくれない。僕が生きていることを確認するだけが生きがいの人生。そんな承太郎が悲しい。ずぶずぶと沼に沈んでいく感覚。一人きりだったらきっと耐えられないけれど、一緒に凍えるのが君だったら、こうして抱きしめてくれたら、僕は君のために息をする。
     ぐずる僕の背を、眠るまで、承太郎は撫で続けてくれた。

     僕は失望していた。承太郎を苛むのが僕の存在なのに、僕が承太郎を癒せるはずがない。それでもそばにいたかった。悪あがきだとはわかっている。でも、いつか、僕が生きているということを承太郎が受け止められた時、彼は解放される。それはもしかしたらさよならの時かもしれない。それでも僕は彼の心の平穏を願っていた。
     あれから承太郎は、昼休みの電話をかかさずするようになった。十二時十五分、必ずベルが鳴る。コール三つ目で、僕は受話器を取った。
    「花京院」
    「承太郎、お疲れ様」
    「変わりはないか」
    「うん、大丈夫だよ」
    「無理はするな。異変を感じたら、すぐに病院に行け。俺もすぐ行く」
    「わかってるよ。そんなに心配しないでくれ」
    「花京院、愛してる」
    「僕も、愛してるよ、承太郎」
     当たり前になった、やりとり。必ず僕に愛を囁く。耳元に届く承太郎の低い声に、僕は目を瞑る。承太郎の顔を思い浮かべた。
     僕を愛しているという、承太郎の視線。熱を孕みながら、不安に揺れる瞳。なくしかけて、壊れることを恐れている、怖がって震えている承太郎の心が、彼の勇気を奪った。かつての彼は、自信に満ちていた。いつだって何も恐れず立ち向かうその背を、尊敬の意を込めて眺めていた。そんな彼が、好きだった。今の彼も、ちゃんと好きだと、僕は確信を持って言える。僕を心配して、囲って、抱きしめてくれる彼を、愛している。だから、これでいいんだ。僕は自分に言い聞かせる。朝、少し急くように僕を起こし、目覚めると一番にホッとした顔の承太郎と目が合うことを、幸せだと思うことにした。
     たった五分ほど交わす会話。電話口で何度も僕の身体を心配する彼を、僕は慰める。愛してると囁いて、それは終わるはずだった。
    「空条博士、どちらにお電話しているんですか?」
     第三者の声が、初めて聞こえた。女性の声だ。
    「いや、なんでもない」
     なんでもない?承太郎、僕との電話は、なんでもないことなのか。僕は呼吸が苦しくなる。それは、誰だ。
    「コーヒーを淹れたので、どうぞこちらへ。貴方のために、サンドイッチを作ってきたんですのよ。お話ししたいことがたくさんありますの」
    「ああ」
     遠くで、女性と承太郎の会話を聞く。僕は受話器を耳に押し当てたまま、ただ、立っていた。
    「今日もいつも通りに帰る。おとなしく寝ていろよ」
     それで、通話が切れた。ツー、ツー、と無機質な音に、心臓が冷えていく。承太郎は家で職場の話はしない。どんな同僚がいて、どんな人間の出入りがあって、どんな付き合いをしているのか。僕に教えてはくれない。
     ある考えが浮かんだ。僕を愛していると言って縛り付けて、生きているのを見て満足して、外では全く別の空条承太郎の生活をしているのではないだろうか。思いついたそれに、身体がこわばって、動けない。この部屋で、承太郎はあの旅の続きをしていて、その時だけ僕を愛していて、外では、適齢期の男として振る舞っているのか。そもそも健康体の男の欲が、何年も眠っていた人間に絶えず向けられていたとして、それを発散することを、しなかったというはずはないと、気がついた。
     承太郎は嘘はつかないだろう。僕を愛しているのだ。だけれど、僕以外を思ったことがないという承太郎が誰にも欲を向けないなんて保証は、どこにもなかった。愛がなくたって、女性を抱くことはできるだろう。愛があっても僕を抱かないことと、それは非常にうまくバランスを取っているように思えた。
     嫌だ、と思った。どんなに、承太郎の気持ちが僕に向いていたって、僕以外の誰かに彼の優しい指が触れることを考えたら、吐き気がした。承太郎が僕の全部を欲しがっているように、僕は承太郎の全部が欲しいんだ。君の精子一滴たりとも、誰にも注がないで。激しくても、醜くても、汚くても、いいから、その欲は、僕に注いで欲しい。
     忘れかけていた承太郎に向けられた僕の劣情。承太郎が僕以外を抱くという可能性に気づいて初めて、頭を擡げて、腹の中をぐるぐると回る。お腹が痛い。そこに手を当てて、僕は寝室に向かった。ベッドに潜って、腹を摩る。痛い、痛い。涙が出た。僕がこんな身体じゃなければ、君は僕を抱いてくれるのか。指先が冷たい。涙を枕に染み込ませて、気づいたら僕は眠っていた。

     承太郎が、知らない女性と、抱き合っていた。耳元で、何かを囁いている。きっと愛の言葉。女性が承太郎に、キスをする。それを優しく受け止めて、抱きしめる力を強くする。互いに、服を剥いでいく。そんな二人を眺めたまま、僕は身動き一つできない。呼吸が今にも止まりそうだった。
     その女は誰だ。僕の承太郎と、何をしている。承太郎、君が見るのは、僕だけでいいんだ。やめてくれ。違う人間で、処理なんかしないで。

    「花京院」
     そこでハッと目が覚めた。汗をかいたらしく、服がぐっしょりと濡れている。声の方向を見上げると、承太郎が心配そうに僕を見ていた。
     上半身を起こす。部屋が暗い。どのくらい、眠っていたのだろう。承太郎がいるということは、九時を回ってしまったのだろうか。
    「痛むのか」
     無意識に腹に手を当てていたことに気づかれた。正直に言うかどうしようか迷って、言い淀む僕の肩を、それを肯定と取った承太郎の手が、ゆっくりと撫でる。
    「連絡しろと言っただろう。我慢するな。病院に行くぞ」
     承太郎がシーツごと僕を抱えようとしたので、僕はそれを拒絶した。誰かを抱いたかもしれない腕に包まれるのが嫌だった。
    「自分で歩く」
    「無理をするな」
    「歩く!」
     初めて、承太郎が僕に気押された。承太郎を押し除けて、ベッドを降りる。ずくずくと痛む腹。それに顔を歪めてよろよろと歩く僕を支えようとした手を振り払った。僕のことは、なんでもないんだろ。一度眠ったら、嫌なことだけ頭にこびりついていた。
     結局承太郎の運転する車に乗って、病院に向かう。診察後、念のため一晩入院と言われて、痛み止めの点滴を受けた。夜通し僕と共にいると言った承太郎を、しかし僕は拒否した。
    「君は家に帰れ。明日も仕事があるだろう」
    「仕事なんて休めばいい。お前が心配だ。そばにいる」
    「帰れよ」
    「何かあったらどうする」
    「何もないよ!帰れよ!」
     勝手に涙が出た。承太郎に見留められるのが嫌で、顔を俯けて首を反対方向に捻った。
    「花京院、どうしたんだ」
     どうしたもこうしたもあるか。僕は承太郎の性生活に口出しなんかできない。承太郎に呆れられたって、仕方がないと思った。
    「僕に、構うなよ」
     涙声だった。情けなくて、ますます泣けてくる。
    「構う。俺には、お前だけだ」
     嘘つき。僕はもう完全に、承太郎が僕以外の誰かと関係を持っていると、確信を持っていた。あの時電話口で聞こえた会話。他にもきっと、僕が目覚める前も、関係はあっただろう。若い男の健康な身体が、ただ死人を待っていたなんて、そんなことできるはずがないと思った。こうやって僕が君の言う通りにするのが、気持ちいいんだろう。確かに大事にしたいと思ってくれているのかもしれない。だけどそれは僕の欲しい愛じゃない。僕らの間にある大きな溝。それを、僕は諦めて、それでも承太郎を愛していると思った。でももう、我慢がならない。ぼたぼたこぼれる涙に構わず、承太郎の目を捉えた。
    「僕はもう、君と暮らしていける、自信がない」
     承太郎が息を呑んだ。それでも言葉を紡ぐ。
    「俺は、お前を絶対に離さない」
     勝手だ。僕を囲って満足する承太郎の主張する愛を、うまく受け取ることは、僕にはできなかった。
    「君は何も、わかってない」
     それだけ言って、布団をかぶって承太郎に背を向けた。涙は止まらない。結果一晩、承太郎は僕の枕元に座り続けて、彼の運転する車で彼の部屋に帰った。
     僕はベッドから降りることをしなくなった。共にする食事も、いってらっしゃいとおかえりなさいも、しなくなった。そんな僕に呆れて、見切りをつけて欲しい。なのに、承太郎は布団の上から僕を優しく撫でるから、ああ、これで満足なんだな、と心が割れんばかりに痛んだ。僕の承太郎に向けられる感情なんて、承太郎はまるで無視なのだ。僕はこんなに苦しいのに。

     次第に耐えられなくなった僕は、承太郎から逃げるということを考え出す。見つからないように姿を消して、隠れ続ける方法。頼れるひとは、誰もいない。仕事も財産も健康な身体も無い僕が、承太郎から離れて生きていけるはずがなかった。それを思い知って絶望して、だったら一度、見てみたいと思った。
     外での承太郎。このまま承太郎に飼われ続けるのなら、完全に諦める前に、知りたい。君がどんな人間なのか。どんな顔をして、僕以外と愛し合っているのか。承太郎を見限る材料を集めようと、算段をつける。職場に押しかけるわけにはいかないだろうか、と思っていた矢先、承太郎から告げられた言葉に、チャンスを感じた。
    「明日は、休みのはずなんだが。少し人と会う約束をしているから、昼頃から夕方まで、出かけることになった」
     承太郎の表情からは、それを歓迎しているのかどうかはわからない。けれど僕は、それこそが知りたいと思った。
    「そう、いってらっしゃい。僕は寝ているよ」
     にべにもなく返したのに、承太郎は満足げに笑った。僕が言いなりになって、そんなに嬉しいかい。

     翌日、出かけていく承太郎を見送りもせず、僕はベッドの中だった。しかし僕には奥の手がある。ハイエロファント。承太郎に見つかると困るから、あくまでもひっそりと、確実に後をつけられるよう、触脚を細く伸ばして様子を伺う。彼は車に乗った。目的の場所に向かうのを確認してその後を追う。タクシーを捕まえて、ハイエロファントの導くまま、道順を逐一運転手に指示した。手元にある鞄の中には、何かあった時のためにと承太郎に渡されていたお金。こんなことに使うなんて、思ってもみなかった。彼の庇護のもとに居ることが余計に思い知らされて、僕は唇を噛んだ。
     承太郎が向かったのは、ビジネスホテルだった。それを確認して、どくりと心臓が脈打つ。わざわざ休日に誰に会いに来たのか。特にめかし込んでいる風ではないけれど、それでもいつだって彼は格好いいのだ。
     ホテルのロビーで承太郎を目に留めて走り寄ってきたのは、若い女性だった。ブロンドの長い髪を靡かせて、短いスカートから伸びた脚を動かし、承太郎の側に立つ。承太郎の手を握って、「来てくれたのね、ありがとう」と言っている。そして抱きついた。「上に、部屋をとっているの」耳元で囁く。「来てくれるでしょう?」微笑む彼女は美しかったが、その雌の匂いに僕は虫唾が走った。
     ハイエロファント、君が遠距離型でなければ、僕はこんな隠密行動は取れなかった。遠くから、離れた場所の会話を聞き取るなんて。自分の能力が虚しい。承太郎はこれから彼女と愛し合うのだろう。もう、いい。承太郎から手を引く覚悟がついた僕は、スタンドを引っ込めようとして、それができなかった。承太郎のスタープラチナが、ハイエロファントを掴んだのだ。
    「花京院、いるのか、出てこい」
     女性はぽかんとしている。何も無い場所に話しかける男を、何事かと、不審そうな目で見ていた。スタープラチナに引っ張られて、仕方なく僕は承太郎の前に姿を現した。彼は溜息を吐いた。
    「お前、寝ていろと言ったのに。何かあったらどうするんだ。俺の目の届かない場所にはいくなと何度も」
    「承太郎!」
     承太郎の言葉を遮る。そんなことは、もう、どうでもいいんだ。今この状況で、そんな小言を聞きたいわけじゃない。僕らの真剣な視線のやり取りを暫く眺めていた女性が、突然現れた邪魔者を、追い払おうと声を上げた。
    「あら、弟さんかしら、似てないけれど」
     違う、と叫びたくなった。でも、僕らの関係に、名前はなかった。下手なことを言って、承太郎の立場が悪くなったら。そんなことが頭をよぎって、喉が張り付いて声が出なかった。承太郎を見る。何かを言おうと口を開いた。きっとあの時と同じ、なんでもない、そう言うんだろう。僕はそれに耐えられない。ああ、最終宣告だ。

    「妻だ」

     女性が目を見開く。僕も固まった。奥さん。僕が、承太郎の。ただ、閉じ込めて、おとなしく息をすることだけを求めて、彼のいう通りに生きろと事実上命令した僕を、妻と称した。
    「そういうことなので、今後一切、貴女とは会えない。お父上によろしく伝えて下さい」
     承太郎は女性に背を向けて、僕に早足で近づいてくる。「帰るぞ」、と短く言って、僕を抱え上げて駐車場に向かった。

     助手席におとなしく座った僕は、運転席に入る承太郎がエンジンをかける前に、質問した。
    「彼女は、誰?」
     声がちょっと震えて、しっかりしろと自分を叱咤する。承太郎はなんでも無いかのように答えた。
    「俺を引き立ててくれた恩ある教授の娘だ。彼からも、嫁にどうかと言われたが、決めた人間がいると断った。一年くらい前の話か。だが、本人の方がなかなかしつこくてな。父から預けられた大事な書類があるからと呼び出されたが、どうやら担がれていたらしい」
     承太郎はきっと、嘘は言っていない。しかし、女性に迫られていたという事実を今の今まで僕に教えなかった不誠実さを、僕は優しさとは捉えられなかった。こういったことは、たくさんあったはず。たった今彼が言ったように、僕が目覚める前から。そして君は、僕以外を抱いたのだろう。
    「そんな簡単な話じゃ無いだろ。彼女の目を見た。あれは、真剣に君に恋していた目だった」
     そう、僕と同じ。そんな人間が、僕が知らないだけで、たくさんいることが容易に想像できた。君にその気がなくたって、盛り上がる輩はいるのだ。さっきみたいに。
    「簡単な話だ。俺はお前以外は愛さない」
     言葉の内容は甘いのに、その口調は淡々としていて、慣れているのだということを表していた。
    「ということは、今までこんなシチュエーションが、大いにあったんだな。そしてそれを僕には内緒にしていた」
     初めて、承太郎が目を泳がせた。それが答えだった。ふつふつと、沸いてくる怒り。
    「女性を振り切るために妻なんて言われたって、簡単に僕が、周りが、それを受け入れられると思うのか」
     ぎろりと睨む。承太郎が怯んだ。後ろ暗いことがあると、白状しているようなものだった。
    「君、職場の人になんて説明してるんだ?」
    「…寝たきりの妻がいるから、遅く出勤して早く帰ると」
    「大嘘じゃないか!」
    「今までずっとそうだったんだから、半分は本当だ」
     承太郎が胸を張って主張するので、目眩がした。僕たちは結婚してないし、僕はもう寝たきりじゃない。
    「お前こそ、どうしてここに居る。体調はどうなんだ。無理して悪化したらどうする」
     お決まりの、承太郎のお小言。耳にタコができるほど受け取ってきたそれに、僕は潮時か、と腹を括った。
    「君を諦める準備をしようと思った。君が僕以外のひとを外で愛して抱いているのなら、僕は君を、もう」
     言いかけたところで、ガンッと承太郎がハンドルを拳で叩いた。それをへし折ってしまんばかりの勢いに、思わず肩がびくついた。ふーっと大きく息を吐いている。承太郎の常にない様子に、僕は黙るしかなかった。
    「…お前、以外と、俺が、抱き合う?」
     承太郎が僕の肩を掴む。痛い。僕が顔を歪めても、彼はそれを意に介さなかった。
    「お前は、俺が不貞を働いていると、そう思っていたのか」
     その言葉に、僕は頭に血が上った。感情のままに叫ぶ。
    「不貞も何も!僕たちの間には、何も無かったじゃないか!君が外でどんな性生活を送っていたって、僕はそれを咎める権限なんてない!僕は、僕はただ、君に囲われて、息してるだけの、お人形さんだ」
     苦しくて、叫び続けることはできなかった。どんどん小さくなる語尾に、承太郎の眉間に皺が寄るのを、力なく見ていた。さっき承太郎は僕を妻と言った。職場にも、そう説明していた。だけど到底、僕はそんな存在になれはしていなかった。
    「そんな風に、思っていたのか」
     その一言に、見限られたか、と思った。でもこれで、承太郎を僕から解放できるなら、それでもいい。そう思った。なのに、承太郎は僕の頬をゆっくり撫でた。優しい緑に射抜かれて、呼吸が止まりそうになる。そんな視線を向けないでくれ。勘違いしてしまう。
    「いいか、俺は、お前以外を愛したことはないし、愛していない人間とは、抱き合ったりしない。お前がどうしてそんな考えに至ったのかはわからないが、そうさせてしまったのが俺だったのなら、すまない」
    「そんな、そんなこと、できるはずない。僕だって男だ。わかるよ。君みたいな素敵なひとが、こんなに長い年月、一度も欲望を誰にも吐いたことがないなんて、あるはずない。そんな嘘、嬉しくもなんともない」
     承太郎がきゅ、と目を細めた。話の通じない僕に、呆れているのだろうか。でも、承太郎の言葉を容易く信じるなんてできなかった。だって、健康な男だったら、土台無理な話だ。首を振って、もうこれ以上聞きたくないと、耳を塞ごうとした時だった。
    「花京院、俺は、愛している人間相手でなければ、勃たない」
     直接的なひと言。承太郎は真剣な表情だ。冗談じゃない。そして、彼の想い人は僕だけ。
    「お前は、俺の右手にも、嫉妬するのか?」
     今度は少々おふざけ、といったような、承太郎の声。その右手の親指で、僕の唇をなぞる。そんな、うそだ、だって。意味のない言葉が震える呼吸のまま、口から漏れる。承太郎は、優しく笑っていた。
    「お前に執着されて、こんなに気分がいいとは、思わなかった」
     満足げなその台詞に、けれど納得はいかない。
    「僕の執着心なんて、どうでもいいんだろう。僕が、おとなしく家で寝てれば、それで満足なんだろう」
    「花京院、いいか、聞け。お前には宣告するなと、医者に言ったのだがな。お前の身体はまだ、日常生活にやっと耐えられる程度なんだ。少しずつ、時間をかけて、力はつくと言われたが。無理をすれば簡単にガタつく。俺の見ていない間に倒れてしまったら、俺はまた、おかしくなってしまう」
     ゆるゆると頬を撫でる大きな手が気持ちいい。それに身を任せる。
    「また?」
    「ああ、また、だ。お前が眠っている間を、お前は知らない。周りの人間がどんなに手を尽くしてくれても、お前の抜け落ちた心の穴は埋まらなかった。やっとまた会えたのに、再び失うことなど、絶対に許せない。少々締め付け過ぎて、お前が窮屈だったのなら、謝ろう。ちゃんと、説明すればよかったな」
     今までの承太郎の言動が、僕を思ってしてくれたことだった。過保護に超がつく、あの扱い。だけど、そうですか、とは言えなかった。承太郎の胸に、手を当てて縋った。
    「どうして僕に、キスの一つもしてくれない」
     求めていたと、言っているようなものだったが、恥ずかしくは無かった。ずっとずっと、溜め込んだ思い。あの旅では、何度もした。愛を伝え合った。僕の身体がセックスに耐えられないと承太郎が心配しているのなら、それができるようになるまで、せめてキスだけでも。なのに、彼は一向に、僕にそういった種類の接触をしなかった。それはもう僕では駄目なのだということではないのか。
    「君はもう、僕に口付けたくはないのか」
    「中途半端に触ったら」
     承太郎が息を詰まらせる。僕の頬を撫でていた手を止めて、代わりにひと房長い前髪を、するりと指に絡めた。
    「迂闊に、触れれば、先が欲しくなるだろう。そうなったら自分を抑えられる自信がなかった。お前を手に入れて、結果傷つけたら、自分を許せない」
     以前にも、聞いたことがあるような気がした。

    『もうお前を、誰にも触らせない。誰にも害させない。お前を傷つけるのは、例え俺自身だって、許せない。花京院、お前は、ただ、生きているだけで、いいんだ』

     ああ、あれは、傷つくのに疲れた、承太郎の切実な願いだったのだ。僕は生きているだけで、承太郎を幸せにできる。そんなことに気づいたら、あの時は絶望を感じたのに、今はこんなにも、心が歓喜で震える。
    「承太郎、君と、愛し合いたい。君に、抱いて欲しい」
    「花京院、だから、」
    「今すぐじゃなくていい。待つよ。この際お医者さんに、開けっぴろげに聞いてもいい。僕はいつになったら、抱かれることができますかって」
     承太郎が驚いて目を見開いた。僕が性に対して、決してあけすけな類の人間ではないと、知っていたから。それでも、僕は承太郎と愛し合う方法を探りたかった。
    「キスをしよう、承太郎。触れるだけでもいいし、舌を絡めてもいい。僕のオナニーを見てもらって、興奮した君のモノを、口で抜いてあげる」
    「ちょ、ちょっと待て、花京院。どうしたんだ、お前、そんな、」
     慌てる承太郎が、たまらなく愛おしい。これを諦めようとした僕は馬鹿だ。狼狽えているのに、僕の言葉に確かに瞳には情欲が滲んでいて、それが嬉しかった。
    「僕は開き直ったんだ。君が好きだ。愛してるって、諦められないって、わかったんだ。大丈夫だよ、承太郎。僕らならできるさ。ずっと、そうだったじゃないか。いずれできるセックスまで、少しずつ、進んでいこう」
     二人の間にあった、大きな溝。互いが互いを思ってるって分かったら、助走をつけて、飛び越えられた。そして承太郎を抱きしめる。彼はずっと泣いていたのだ。僕をなくしたくなくて、足掻いていた。そんな彼を、僕はかつてと変わらず、ずっと愛している。

     助手席から飛びかかる形で抱きついたら、ぎゅっと抱きしめてくれた。承太郎の呼吸は震えていて、大丈夫だよ、とその後頭部を何度も撫でた。ちゅ、と小さなキスを唇に落とす。ずっとしたくて、でも怖くてできなかった。だけど承太郎の気持ちが僕にしかないというのなら、こんな触れ合いを、どこでだって、何度だって、したいと思う。
    「職場に嘘をつき続けるのは気が咎めるから、本当にしてしまおうか」
     僕が笑いかけると、ぐ、と僕の身体に回った腕の力が強くなった。僕の戸籍って、どうなっているんだろう。そんなことが頭をよぎったけれど、きっと承太郎がなんとかしてくれるだろう。
    「やれやれ、プロポーズは俺からするつもりだったのだがな」
    「もたもたしていた君が悪い。だったら、とびきり素敵なペアリングをプレゼントしてくれ」
     今度は、承太郎から優しく唇を吸われた。
    「籍を入れて、ジュエリーショップを回るのか。忙しくなるな。お前の体調と相談だ」
    「そうだね、ちゃんと安静にすることを誓うよ。もう君に気を揉ませたくない。時間をかけて、元気になるよ。君の隣にまた並び立つことを焦らない。もう癇癪起こさないから、許して欲しい」
    「お前の癇癪は、可愛いから、困る」
     承太郎の言葉に思わず笑った。僕だって、どんな君でも可愛いよ。

     承太郎を信じなかった僕は、きっと自分を信じられなかったのだと思う。僕以外がいても仕方がないと、承太郎を疑って決めつけて、自分に自信がないことを認めようとしなかった。臆病な心だ。それごと僕を包んでくれる承太郎を、もう手放そうなんて、考えられない。
     時間。承太郎の時間。ずっと待ってくれていた、長い間、僕はそれを知らない。だけどこれから二人で歩む時間を、僕は心に刻み続けるだろう。早く元気になりたい。けれど焦らない。目下の急務は、入籍とペアリング。承太郎を、僕のものにする。そしてゆくゆくは、セックスを。そう思ったら、先が楽しみ過ぎて、ぎゅうぎゅうと承太郎に抱きつく。そんな僕の耳元で、承太郎が「愛してる」と囁く。
    「僕も、愛してる」
     感極まって、半分泣きそうな声になってしまったら、承太郎が顔を覗き込んで、涙の溜まった目尻にちゅ、とキスをしてくれた。


    end


    おまけ


     承太郎が、ソファで寛ぐ僕の前にずらっと複数冊のカタログを並べた。見るからにシックで高級感のあるそれらのロゴマークを見て、僕は目を剥いた。
     カルティエ、ブルガリ、ティファニー、ハリー・ウィンストン、、、
     無粋に金額が載せてあるものはなかったが、あまりの現実味のなさに、軽く眩暈がした。確かに僕は、とびきり素敵な指輪が欲しいと言ったけれど。
    「承太郎、もう少し、慎ましやかに、済ませたいと僕は思っていたんだけれど」
     すると隣に座った承太郎は、心外だ、という顔をした。
    「お前との大事な節目になるペアリングに、妥協はしたくない。お前の体調を考慮するとあまり長時間外出はできないからな。とりあえずは、どんなデザインがいいか、目星をつけて欲しい。ある程度固まったら、現物を見に行こう」
     そんなことを言われても、目の前の様々な美しい輪っかを印刷された紙は圧力を放っていて、僕はじっくり見る前に負けていた。大体僕と承太郎の金銭感覚には大きな隔たりがある。僕が何を選んでも、承太郎はそれを叶えてくれるだろう。しかし。
    「君のセンスに任せたい。それこそ、贈られて嬉しいと僕が思うであろうものを、選出してくれ」
     僕は逃げを打った。どれを所望しても現実店に行って金額を知ったら、ひぇ、と声を上げてしまいそうだ。だったら最初から、承太郎の審美眼で僕に似合うものを選んでもらって、金額はこの際念頭から外したい。
    「なら、最低限の希望を教えてくれ。石は、入っている方がいいか、それとも、シンプルに細工が施されている方がいいか」
     それくらいなら、僕も意見が言えそうだった。その如何によって金額が大きく動くことになっても、知らんぷりすることにする。
    「そうだな、僕の好きな色の石を、さりげなく小さく埋めてくれると嬉しい。君の方は、同じデザインで君の好きな色を選んでくれ。細工は華美ではないように、普段つけていてもあまり目立たない最低限で。繋がっていたいから、常に身につけていたい」
     案外するすると要望は出てきた。意外と拘っている自分を新発見する。
    「なるほど、緑の宝石か。エメラルドでいいか。俺は、そうだな、アメジストがいいかもな、お前の瞳の色だ。それとも、バイオレットサファイアにするか」
     承太郎が愛おしそうに僕の瞳を覗き込むので、恥ずかしくなって視線を逸らした。承太郎は迷いなく僕の好きな色を緑と捉えたけれど、それが単に僕の相棒の色だというだけでなく、君の瞳の輝きだからと、ちゃんと伝わっていたようだ。
    「ところで、裏に彫る、誰から誰へ、のイニシャルさ、この場合、『J to K』になるのか、『J to N』になるのか、どうなんだい」
     その言葉に、承太郎は首を傾げた。承太郎は僕と結婚すると僕からのプロポーズで決めたけれど、彼は昔からずっと、僕を「花京院」と呼んでいる。僕の戸籍は巨大権力を持ってして偽造されていたが、僕はこれから、空条・花京院・典明になるのか、それとも単に空条典明になるのか。花京院のK、典明のN。承太郎はどっちを取るつもりなんだろう。すると承太郎は、思わぬ切り返しをしてきた。
    「お前は、俺になんと呼んで欲しい?」
     僕は即答できなかった。承太郎の「花京院」と呼ぶ声は、いつも甘い。出会いから、ずっと。僕はそれが好きだった。けれど、結婚したら僕は名実共に承太郎のものになる。そうしたら、改めて、所有欲を表すように名前を呼んで欲しいとも思っていた。黙り込んだ僕を、承太郎は見つめている。愛着のある呼び名と、新たな絆の印。どちらかなんて、僕には選べない。
    「…君の、好きなように」
    「お前はそればかりだな」
     温かい承太郎の微笑み。僕の戸惑いなんて、すっかり透けて見えていて、それでも慈しむように僕を見つめる。
    「そうだな、ならば、使い分けよう」
     僕の頬を撫でながら言う。その声は楽しそうな色を含んでいて、彼の思いつきが機嫌を良くさせていることを示していた。耳元に唇を寄せて囁く。
    「今夜は、典明と呼んでも?」
     ばっと耳を押さえて、僕は反射的に承太郎から距離をとった。夜のお誘い。まだ繋がることはできないけれど、互いを高めて愛し合うことはできる。赤くなった顔で、僕は唸った。
    「君の、好きなように」
    「そうさせてもらおう」
     指輪は近いうち、楽しみにしていてくれ。そう言って、僕の肩を引き寄せる。おでこにキスを落として、承太郎はどこまでも上機嫌だった。

     数日後、承太郎は出来上がったペアリングを僕の目の前に置いた。やけに早くないか。もしかして追加料金払ったんじゃないだろうな。小さな二つのケースの中に、プラチナリングがそれぞれおさまっていて、グリーンとパープルが控えめに光っている。高級に、けれど上品に。確かにそれは僕好みだった。流石承太郎。ところであの時立ち消えになった裏側のメッセージの件はどうなったのだろう。グリーンの方を手にとって、覗いてみる。そこには、『J to K』でも、『J to N』でもなく、ただ、細かい文字でこう彫られていた。
    『promise eternal love』
     真顔でそういうことするんだから、もう、僕は彼には敵わない。承太郎がゆっくりとその輪を僕の手から取る。左手薬指に通すその動きが神々しさを感じさせるほど美しくて、誓われた永遠を、どうか叶いますようにと、指に感じる金属の冷たさに、幸せを感じていた。


    おわり
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    きのした

    PASTpixivより再掲

    グッパオンで恋に落ちてる承花を目指した結果。
    ただ、花京院が好きな承太郎の話。
    だって空条氏は、出会った時から花京院に、惚れてましたよね?(曇りなきまなこ)
    承太郎の様子がだいぶおかしいです。頭がお花畑です。花京院も若干ふわふわしてます。
    承花にポルナレフを添えるのが好きです。
    恋する二人とお兄ちゃん おまけつき きっとそれは、一目惚れというやつだった。

     初めて見た時、天女かと思った。羽衣をヒラヒラさせて、怪我をした俺を気にかける。ハンカチを渡されて、胸が高鳴った。細い身体をしならせて去っていくその姿に、このハンカチを返す時、関係を迫ろうと思った。
     運命だと思ったのに、DIOの刺客だった。少々がっかりしたが、これから俺のものにすればいいと、お持ち帰りをする。敵意のこもった鋭い視線も美しかったが、操られていたのだと、洗脳をといた瞬間、その潤む菫色が優しい色をしていて、俺は再び落ちることになる。
     少々プライドが高くて、扱いにくいのだろうか。そう思っていたが、共に過ごすうち、それは奴の背伸びであったのだと気がついた。本来の花京院は、穏やかで優しく、頭が良い分色々なことによく気がついて、相手の先に回って気遣いの態度をとっていた。俺の理想とする大和撫子。
    10843

    きのした

    PASTpixivより再掲

    花京院が心配な病的過保護太郎と、承太郎の愛が欲しい蘇り院の話。
    私はすぐ承太郎を病気にしたがるから困る。
    誤解とすれ違いが大好物です。
    当然のようにアメリカで同棲。
    何年後かは、それぞれの胸の中でお好きな感じに当てはめて下さい。
    ※ほのかに承←モブ表現あり。
    だからお願いそばにおいてね おまけつき 僕は承太郎と、たった一度だけ、抱き合ったことがある。

     あれは、あの旅で、まだ僕が目を負傷して途中離脱する前。その日は敵襲に遭って、スタープラチナを思う様暴れさせた承太郎は、古ぼけた宿に泊まるとなっても、興奮がおさまらないようだった。僕らはキスを交わした。二人部屋で、夜が染み入ってくれば、何も邪魔するものはない。彼は僕を好きだと言った。息継ぎの度、何度も。僕を貪る彼を、僕は愛しいと思っていた。だから僕も好きだと返した。いつもだったら、思う存分キスをした後、疲れた身体を休ませるために手を繋いで眠りについた。けれどその日は違った。
     承太郎が僕を軋む固いベッドに押し倒す。そのまま僕の服を剥ごうとした。僕は打ち震えた。承太郎に恋していた僕は、いつからかその瞬間を待ち望んでいたのだ。承太郎に欲望を向けられていることが、たまらなく嬉しかった。彼の、望むように。僕は積極的に動いて、承太郎と愛し合った。大切な思い出。これから先何があっても、この瞬間の幸せを覚えていれば大丈夫。僕は何にでも立ち向かえる。そう思って最終決戦に挑んだ僕は、DIOに敗北した。だけど、それはきっと、僕の役目だった。メッセージに、どうか気づいて欲しい、そう願いながら、水に沈んでいった。感覚の無くなっていく指先が、勝手に温もりを探す。承太郎。最期に、君とキスが、したかったなぁ。
    18029

    きのした

    DONEすぐに康一くんを頼る駄目太郎の図。
    仗助くんは別に承太郎にも花京院にも特別な感情は持ってないです。ただ、年上の甥について、シビれる〜カッチョイ〜!とは思ってます。
    途中ちょっと不穏ですが、コメディととってもらって間違い無いです。
    コミュニケーション・ロマンス 付き合い始めてから、もう十年を超える。空条承太郎は僕の初めての恋人だった。男同士だけれど、僕らはキスをするし、セックスだってする。愛を囁き合って、互いの気持ちを確かめる。ゴールの無い関係。それを分かっていたから。同居して、伴侶のように振る舞っていても、確約されるものは何もない。僕らは互いの気持ちだけで、繋がっていた。それに不安が無いわけじゃない。でも僕は信じていた。承太郎の愛情を。だから承太郎が僕を愛するが故に吐く嘘や作る秘密を、見て見ない振りをしていた。それでうまくいくはず。そう考えていたけれど、とある事件で承太郎が恐ろしい殺人鬼と闘ったということを後から知らされて、僕は思い知った。
     承太郎の嘘は優しい。でも、残酷だ。僕はいつだって、君を知りたくて、君を守りたくて、君を愛したい。そしてきっと承太郎も同じ想いなのだ。だから噛み合わない。最近ちょっと、承太郎が余所余所しい。どう動けばいいだろうかと、思案していた僕は、とある人物を頼って、ある町に来ていた。承太郎に憧れていて、僕の知らない彼を知っているその子なら、少しヒントをくれるかな、と思ったのだ。単純に、恋愛相談に乗ってくれそうな人物が他にいないという切実な事情もある。電話でポルナレフに話を持ちかけたら、何馬鹿なこと言ってるんだ、と言われそうな気がしてそれだけで腹が立ったので、ダイヤルしかけた指を止めた。
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