雨の日と二匹の犬 スーツケース内の一角。窓の外ではしとしとと小雨が降る音が心地よい。部屋の隅には白黒のボーダーコリーが自分専用のベッドに座り哲学書を前足で弄んでいる。その姿はまるで読書により新たな知識を求める哲学者のようだ。
「おはよう、ピクルス」
ヴェルティは彼の側に近付き、目線を合わせるように屈むと挨拶をする。それに応えるかのように白黒のボーダーコリーは顔を上げると短く声をあげた。
『おはよう愛しい人。頭を撫でてほしい』
そう犬は言っています。有能な翻訳機は彼の言葉を代弁する。
「頭? いいよ」
ヴェルティは右手を差し出し彼の頭にそれを近づける。もう少しでふわふわの毛並みに触れるというところでピクルスは頭を傾けそれを回避した。彼の表情はまるで読書の邪魔をしないでくれとでも訴えているかのようだ。
「いいの? ならまた今度にするよ」
ヴェルティは伸ばした手を引き、立ち上がる。一通りその姿を見守った尻尾の生えた哲学者はふぅと溜息をつくと彼の側を旋回する翻訳機をその前足で叩き落した。乱暴な扱いにひやひやさせられるがMr.APPLeが改良を重ねているのだろう、とても頑丈なこの翻訳機は壊れる様子をみせない。
「タイムキーパー! こちらでしたか」
背後からの声に振り替えるとそこにはオレンジの髪を跳ねさせて向かってくるソネットの姿があった。
「やあソネット」
おはよう。と挨拶すると彼女は表情を輝かせ子犬のような笑顔を見せる。無意識なのだろう。いつもは姿勢のいい彼女の身体が嬉しそうに揺れるのに合わせてオレンジの髪がぴょこぴょこと上下している。その姿もまた人懐こい子犬を思わせ、撫でそびれていた毛玉への欲求が湧いてきた。
「…! タ、タイムキーパー!?」
ヴェルティは思わず手が伸び彼女の頭を撫でていた。柔らかな髪と彼女のトレードマークのヘアバンドの感触を楽しむ。
最初は驚いたソネットだったが段々とその表情は緩み、甘えるように目を閉じ満足そうにしていた。
「ごめん、つい」
散々撫でまわした後ではあるが小さく謝罪し離れるヴェルティにソネットは残念そうに唇を結び問題ありません。と一言だけ返すのだった。
その様子を見てか傍らのピクルスが溜息のような鳴き声を短く吐き出すと、それに呼応して翻訳機が動き出した。
『私もあなた達の仲間に入りたい』
彼の方に振り返ったヴェルティの視界に映ったものは、小気味いい音と共に部屋の隅に飛んでいく翻訳機の姿だった。