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    higuyogu

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    POIPOI 76

    higuyogu

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    新世界樹1。自ギルドのアルケミとカスメの兄妹。
    バレンタインその1のカスメが兄にお菓子を渡す。ほとんどキャラ説明
    バレンタインその1 https://poipiku.com/1066758/8205002.html

    バレンタイン3カップケーキ 蛇足②


      ホカケという男は、妹のタカラと2人で暮らしている。歳が10ほども離れたこの2人は、とあるギルドに所属する冒険者だ。
     ホカケはこの街に安い賃貸の一室を借りているが、昨晩は兄妹そろって宿に泊まっていた。タカラがギルドの一部メンバーと共にお菓子を作るためだった。お菓子は昨日焼き、今日食わせてくれるのだという。
     そしてつい先ほど、妹は作ったお菓子を取りに部屋を出て行った。妹が比較的浮ついた足取りで部屋を出ていくのを、ホカケは非常に感慨深く眺めていた。
     妹がいわゆる普通の人間並の趣味ごとに参加している。娯楽を楽しむ余裕ができたというわけだ。彼女自身が何かに興じられることは、在りし日のホカケが渇望していた光景だった。
     ホカケが生まれた村は、彼が少年だった時に変な団体と癒着し、奇妙な集団へと変貌した。家族と引き離され、その頃に産まれた妹のタカラもどこかへと取りあげられた。
     団体はまじないを行使するすべを知っているらしかった。それも星や亀甲を使ったものではなく、生きている肉体を使う血生臭いものであった。赤子だった妹は恰好の材料だったようだ。ホカケが家族を探し回ってやっと手に入れた情報によると、妹は何かの呪具にされようとしているらしかった。
     ホカケは何とかして家族を取り戻したかった。団体の言いなりにもなりたくなかった。だが幼い少年は虫ケラよりも無力だった。
     そんな折、運良く、か運悪くなのか、ホカケは団体とはまた別の組織にみそめられ、仕事を対価に協力を得ることとなった。この組織も社会の表には出られないような碌でもないものだったが、一縷でも希望となるなら縋るしかなかった。
     組織はホカケの家族を引き裂いた例の団体を鬱陶しく思っているらしく、集団の中にいながら彼らに強い恨みを抱いているホカケに目をつけたようだ。
     ホカケは村では集団の1人として働き、そこで得た情報を組織に渡す。時折、組織の人間に村外に連れ出され、いかにも汚い仕事をやらされることもあった。
     どちらも安全地帯ではない。村に巣食った団体の幹部らは、一定より下の階級の者は人として扱わない。協力してくれるという組織も、まだ若いホカケをていの良い駒にし、一層暗い世界に引きずり込んだ。
     二重生活は単純に時間が足りず、寝食ままならない時もある。その生活は少年だったホカケが青年と呼べる歳になるまで続いた。
     だがどちらがマシかと言えば、それは断然協力組織のほうだ。彼らの中にはホカケを特別可愛がってくれる者もおり、疲れ切ったホカケに飯や寝場所を与えてくれたりした。
     さらに組織側の技術は異様に一流で、ホカケは密偵のためにあらゆるノウハウを叩き込まれ実践させられた。さらにはあれば便利であろうと、魔法のような奇術まで習得することになった。
     奇術は後にアルケミストとして名乗るために役立つのだがそれはさておき、闇夜に紛れて行動する術は大変有用だった。これのおかげでタカラに定期的に会いに行くことができた。
     隠密行動ができなければ、妹と顔を合わせることは叶わなかっただろう。そうなっていたら兄妹の念願の再開を果たせたとしても、兄と認識してもらえなかったに違いない。ホカケもいつかどこかで疲弊しきり、潰れていた。タカラと過ごすわずかなひとときのみがホカケの唯一の安らぎだった。
     しかしその安穏もある種の自己暗示に似ていた。道具に改造されようとしているタカラは、あまりにやつれて細りきって、いっそ異形の者のようであった。少しずつ覚えていった言葉も擦り切れ、無言の逢瀬もあった。その度にホカケは己の無力さと、彼女を苦しめる物全てに恨みを募らせるのだった。
     そしてようやく憎き一味からタカラを救い出す時がきた。兄妹の人生が狂わされてから10年弱。組織がようやく動いたとも言うのだが、それでホカケの故郷を壊したあの集団は徹底的に壊滅させられた。
     ホカケはタカラを助け出すことのみに尽力したので、組織がどのように集団を攻落したのかは知らない。あの集団の中には自分と妹と同じく、望まない労働を強いられたり呪具に仕立てられた者達もいたはずだったが、彼らがどうなったかは特に聞かされなかった。聞かされたところで興味もない話ではある。
     さてこれで兄妹は枷から解放された。とは上手くいかなかない。ホカケはまだ組織から抜け出せず、むしろ助けられた恩にかこつけて強く縛られることとなった。さらにタカラの方は、長い月日をかけて改造された体は遂に戻らなくなり、吐く言葉の全てが実害をもたらす呪詛となっていた。タカラが普通の人間として生きることは非常に難しくなってしまった。
     彼女の存在は大っぴらにできるものではない。ある意味では、組織に雁字搦めになっている状況はかえって都合が良かったのかもしれない。組織側もタカラに関しては、まさに触らぬ神に祟りなしと、何か言ってくることはなかった。
     2人で過ごせる時間は増えたが、タカラは常に虚空を眺め、言葉も紡げないので会話もままならない。彼女は時としていたずらに力を暴走させ、ホカケは痛めつけられることもあった。
     それでもホカケは彼女と共にいられることが幸福だった。どんなに道を外れて心が乾いていっても、最愛の肉親が置き物同然だとしても、タカラは生きている。そして己の側に居る。ホカケにとっての居場所がタカラであった。
     タカラにとってのホカケも同じだ。彼女に幸福という感情が湧き起こることはないが、僅かな愛情の温かさを感知することはできた。今までの兄の甲斐甲斐しさが、彼女の心がどうにか砕け散るのを守っていたのだ。
     生き物は再生能力を持っている。死んでいなければ肉体の傷を自ら修復することができる。タカラの心も同じで、少しずつ形を取り戻していった。
     とある日、いつものようにホカケが帰宅すると、タカラは薄暗い部屋の真ん中でこちらを向いて立っていた。
     タカラは物音には反応するし、暴れて部屋中をめちゃくちゃにできるくらいには動けるので特段不思議なことではなかった。
     灯りを点けて、まずは彼女のおしめを変えてやらねばならない。ホカケは世話のためにタカラの側に寄る。するとタカラは顔を上に向けてホカケの目を見る。
     今日のタカラはずいぶん人間みたいな反応をする。ホカケの行動が少し遅れていると、タカラが発音した。

    「おにいちゃん」

     別に発声も変わったことではない。彼女は呪いを言葉で起こす。呪文のような何かの言葉を呟くくらいのことはできる。
     ただ、念の籠らない単語をこぼすのは珍しいかもしれない。しかもまるで自分を呼んだかのようだ。ホカケはタカラに話しかける時は、自らのことを「お兄ちゃん」と呼称していた。だからタカラはそんな単語を覚えたのだろう。どうせただの反応だ。
     寝台に寝かせて作業をするために細い彼女の腕を引く。タカラもそれに従いつつ、また口を開いた。

    「おにいちゃん」
    「そうだ、お兄ちゃんだよ」
    「おにいちゃん、ただいま」

     ホカケは思わず全ての動きを止めて、タカラを見入った。
     期待をして落胆はしたくない。それでもはやる気持ちは抑えられない。
     まさか、タカラは自分に言葉をかけているのではないか?

    「タカラ、そこは、おかえり、だ。待ってた人はおかえりなさい、って言う」
    「…おかえり、なさい」
     
     タカラは少し顔を顰めた。まるで不可解な話を聞いた時のような、または間違えた恥ずかしさを誤魔化すような、そんな表情のように思われた。
     彼女の頭を撫でようとすると、手が震えている。鼻と目の奥が詰まって圧迫される。視界もぼやけて彼女の顔が見えない。
     ホカケは自分が泣いていることにも気づけなかった。涙を流す時はいつも生理的な要因によるものだったし、こんな感情になったことも記憶にないくらい随分と久しかった。暴力的に歓喜を叫ぶ心が、次々に涙を溢れさせた。
     タカラからすれば、兄が突然泣き出したのだから奇怪な状況である。
     それでも混乱も怒りもせず、崩れ落ちて号泣する兄の頭を撫でたのは、目の前の兄がいつも自分にしてくれたことだったからだった。
     それからタカラの自我の回復は凄まじかった。今までになにかしら見聞きして学習していた経験と語彙を元に、さらに広い知識や言葉、自分以外の人間との関わり方を習得する。能動的に物事を学ぶようになったタカラは、あっという間に人間の体裁を身につけた。
     呪いの力はまだコントロールしきれず、事故が起きることは度々あった。その度にタカラは悲しみに暮れたり後悔に苦しめられたりするのだが、それでも腐らずに己に宿されてしまった力と向き合おうとする。タカラは辛いだろうが、とても健全な苦しみだとホカケは思った。人として生きる強さがあるからこその苦しみだ。
     今まで無機物のように空虚だった彼女の中身が埋められていく。ホカケはそれを横から眺めて、時に突っ走りすぎて目を回すタカラを休ませて支える。
     色づいた世界はホカケを変える。今までは一生を日の当たらない世界で終えるものだと思っていた。だが顔を上げれば、実はどんな生き方だってしてもいいと言わんばかりに様々な人がいた。冒険者などが最たる例だ。手がいくら血に染まっていようと、自分がどこでどう過ごすかなど勝手に選べばいい。
     そしてホカケは今まで世話になった組織に思いっきり噛みつき、その喉笛を砕いて、晴れて彼らの元から旅立つこととなった。
     目指すは世界樹で栄える冒険者の街だ。タカラと共にこの街に辿り着き、冒険者としてギルドに参加して今にいたる。
     だが組織らとの縁はそう簡単に切れず、いまだに仕事を依頼されることもある。わざわざ遠く離れたこの街まで連絡をよこしてくるのだ。もしかしたら彼らはホカケを支店だと思っているのかもしれない。ホカケも自分の身内に手出しされないのであれば、付き合ってやるつもりでいる。

     長い。ここまで来るのにずいぶんと時間がかかった。回想の話である。これだけ物思いに耽っていればそれなりに時間も経っているはずだったが、タカラはまだ部屋に戻っていない。心配である。
     ホカケはギルドの面子から、タカラに対して過保護だとよく言われている。だがタカラは妹なのでそんなものだろう。
     ホカケはいまだ戻らぬ妹を探しに部屋を出る。廊下の突き当たりを両方とも確認し、右手側に妹はいた。いろんな物を抱え、この部屋に向かっているところであった。

    「お兄ちゃん?なにしてるの?」
    「探しに行こうと」
    「あのね、ここから調理場まで少し離れてるし、あとお話だってするの。皆んな贈り物をする前なのよ?緊張するんだから、急かさないでよ。モテないよ」

     タカラは最近態度が冷たくなった。彼女は齢的にはちょうど思春期だ。難しい年頃なのだろう。少しさみしいが、これも成長だと思うと嬉しさもある。
     タカラに促されてホカケも部屋に戻る。タカラは1台しかないテーブルをベッドに寄せて、1つだけの椅子も持ってきた。紙袋が置かれたテーブルの上でタカラはお茶を用意する。あらかじめ水筒の中で茶葉から抽出していたようで、茶漉しを使いながらグラスに淹れていく。
     タカラは誰かさんの希望により探索に行かず街で待っていることが多いのだが、その間にメイドから教わったのだろう。ギルドは紆余曲折あってなぜかハウスを所有しており、タカラはそこを管理するメイドの手伝いをしている。

    「手際が良いね」
    「そりゃね」

     タカラはホカケに一切の手出しをさせず、食事の場を整えた。ギルドハウスで手伝いをさせてもらうようになってから、またできることが増えて嬉しいらしい。妹が楽しく過ごしてくれているならばそれに勝るものはない。
     タカラはベッドに座り、ホカケが椅子に座らされた。おもてなしなのである。そしてケーキ入りの紙袋が渡された。
     中のカップケーキは見栄えのしないもので、まさしく店などでは買うことはできない品だった。割れ目の無い少し平たい頭が素人臭さを醸し出している。膨らみが悪いのは、タカラが頑張って生地をこねたからだった。世界で1番価値のあるケーキだ。
     ホカケは4つ入っていたケーキを2つ取り出し、片方をタカラに差し出す。

    「私食べた。全部お兄ちゃんの」
    「一緒に食べてくれ。その方が楽しいから」
    「えー、分かったよ」
     
     しぶしぶタカラが受け取るのを見届けて、改めてホカケはケーキを手にとる。本当ならこういう素晴らしい物は全て彼女に食べてもらいたいが、これはその彼女が自分にくれたものだ。思いを無下にすることはできない。
     カップを剥いで生地を割ると黄色が出てくる。嗅ぎ慣れぬ匂いは誘惑的で、特に何も考えずに齧り付く。重たい生地は不快ではない。香りも味も心地よい。ただ、歯にまとわりつくのは鬱陶しいと思う。
     歯を洗うためにお茶を含む。するとこちらは想像していたより匂いが強く、思わず液体を凝視してしまう。まるで花粉のような香りだ。水色は鮮やかな茶色で透き通っている。
     昔、この類の嗜好品が好きな同僚が垂れ流していたうんちくを思い出す。茶の評価点は香り、液体の色、味、……あと何かあった気がするが、だいたいそんなもんだった。
     もしかしてこのお茶は、口の中を洗い流すには勿体無いくらい美味しいものなのではないだろうか?そもそも妹が用意した物なので、もう少し丁寧に飲むべきだったかもしれない。だがホカケは飲み物に楽しみを求めたことがなかった。たかが飲み水に驚かされたのはこれが初めてだった。

    「美味しいと思う。匂いが強い」
    「感想それ?」
    「この茶も飲んだことない」
    「ええ、お兄ちゃん、それはないよ。いつも出発前に作ってもらってるのに」
    「出発前に?コーディアル?」
    「そう。それにこれはシロップ無しだから、香りもお茶のものだけだし」

     タカラは呆れつつ茶を啜る。ホカケは今までにメイドが用意していた気がする飲み水のことを思い出そうとしてみる。だが取手のついた白い器と中身の赤褐色までは思い出せても、味までは浮かんでこなかった。
     ホカケの味覚は死んではないが、それは可食か否かを判断するためのものなので、感知した味の美味しさまで評価されることはない。
     ケーキをもうひと齧りする。ゆっくり咀嚼し、味を探る。強い甘みだ。鼻から抜ける濃い匂いは、砂糖と乳の脂肪が合わさって加熱されたときの香ばしさなのだろうか。若干肉の獣臭さを彷彿とさせる。食感は大変柔らかく、口の中ですでに溶け始めていので、摂食に非常に向いている。喉越しも滑らかで、喉を引っ掻くことはない。
     そしてまた茶を啜る。違う匂いが鼻を通る。慣れぬ体験だが、匂いを他の匂いで上書きする食べ方は悪くはない。ただし口の渇きは感じるので、さらに別個に水も欲しくなる。日常的に行うには優雅な行為だ。
     タカラのほうはテンポ良くケーキを食べている。表情はホカケと大差ない無表情だが、兄とは違って美味しそうに食べ進めていた。ホカケは手を止めて、そんな彼女を眺めてしまう。

    「お兄ちゃん、食べないの?」

     凝視され、いい加減指摘せずにいられなくなったタカラはホカケを睨む。うっかり眺めるのに夢中になってしまったホカケは少し気まずい。

    「もったいなくて」
    「なにそれ」
    「ゆっくり食べたいんだ」
    「もしかして口に合わないの?もそもそ食べてるし」
    「失礼だな。美味しいと言っただろ。本当なんだよ」

     彼女からの贈り物が嬉しくなかったなどと、真反対の方向に勘違いされるのは絶対勘弁願いたい。しかしこんなやり取りすらも幸福の一部であると思う。何もかもが眩しく輝き、飲み込むのに時間が必要であった。
     そもそも幸福など眺めているだけで十分なのである。ホカケは妹が楽しく過ごしている時が1番幸せだ。その光景が見れるならば命も惜しくない。
     だがホカケもこの街で日を浴びるようになったのだ。順応していく妹を見習わなくてはならないだろうか。再びケーキを齧る。甘い。

    「お兄ちゃんってどんな食べ方しても美味しくなさそうにするのね。でも丸呑みされるよりかはマシか」
    「………そんなことはしない」
    「でもいつもはそうやって食べるじゃない。だから多めに入れたの。本当、蛇じゃあるまいのに。消化に悪いんだよ」
    「善処する」
    「もう」

     タカラはこの街に来てからも変わった。他人と関わりを持つ機会が出来て、彼女の世界は広がっているようだ。趣味を知り、俗語を口にして、あどけないなりに背伸びもしてみせる。彼女をここに連れてきて良かったと思う。
     むしろ彼女を狭い空間に押し込めていたのは自分だったのではないだろうか。呪いも自我もコントロールできなくてはただ好奇の視線を集めるだけだと、人の目には触れさせないように隔離していたのは自分だった。その選択は最善だっただろうか。もっと違う行動をとっていれば、もっと早くタカラの世界は広がっていたのではないか。
     この手の後悔は今に始まったことではない。家で1人待っている彼女に出迎えられるたびに思うところではあった。
     かといってそれを本人に伝えたところで何にもならないので、一度も話したことはない。
     ホカケが物思いに耽っている間にタカラはケーキを食べ終えていた。茶を啜りながら兄に呆れた視線を向けて催促する。ホカケはせっつかれたので再びケーキを齧った。口の中のものがなくなったらもう一口。
     ようやく完食へ進み始めた兄の様子にタカラは満足したようだ。茶を飲み干し、兄に語りかける。

    「お兄ちゃんはどこかでパートナーを見つけないとね。私はいつか1人でも生きてけるようになると思うけど、お兄ちゃんにはちゃんと甘やかしてくれる人が必要」
    「え」

     妹の言うことにいまいち着いていけない。ホカケは固まる。
     パートナー、というのはこの場合伴侶のことだろうか。自分が甘やかされるべきだとは一度も思ったことはない。必要性が一切ない。
     戸惑うホカケに、タカラは親が子に言い聞かせるように言葉を続ける。

    「私はずっと大事にされてきたから、大丈夫なの。でもお兄ちゃんはいつも私のために働いてて、もしも私が離れたら、お兄ちゃん野垂れ死んでそう。私は、お兄ちゃんには長生きしてほしいもん」

     最後まで言い切って、タカラは少しそっぽを向いた。
     2人のこの生活はいつか終わる。そんな当然のことを失念していた。タカラがホカケの元から巣立ち、更に広大な世界へ羽ばたく日が来るなら、持ちうる全てを持って祝ってやりたい。
     ただ確かに言われた通り、その後の自分は何をしているのだろう。まさか妹に心配をさせているとは気づけなかった。不甲斐なさに喉の奥が締まる。
     今まで己の足のみで立っていると思っていたが、実のところは誰かに依存し、それで自立しているつもりになっていただけだったのだ。そのことに気づいてしまえば、自分の驕心がいっそのこと清々しい。
     ケーキは意識に上らぬうちに喉の奥に流れていた。

    「タカラ……。そうだな。お前の孫まで見届けないとだもんな」
    「お兄ちゃん、なんて顔してんの?もっと未来の話なんだけど。だって私が大人になるくらいの話だよ」

     タカラが大人になるのはいつなのだろう。年齢的に成人するならあと4〜6年くらいだ。精神的にという話ならそれ以上かかるかもしれないし、来年のことになっているかもしれない。
     せめてあと5年は一緒にいてほしい。そのくらいの期間があれば感情の整理を済ませられるはずだ。

    「ねえー、お兄ちゃん!ろくでもないこと考えてるでしょ!」

     タカラが不機嫌に声を荒げた。鋭く切り込む発声に、ホカケの意識は彼女の方に吸いこまれる。
     まるでタカラはホカケの心を覗いたかのようだ。実際、顔から感情が抜け落ちた兄に腹を立てている。

    「私言ったよね?お兄ちゃんには長生きしてほしいって!」
    「そ、そうだが」
    「パートナーの話も、私だといつまでもお兄ちゃんの妹だから変えられないけど、全くの他人ならお兄ちゃんの支えになれるかもしれないと思ったからだよ」
    「全くの知らない他人はヤダ…」
    「血縁関係の話!それにお兄ちゃんを正しく甘やかしてくれる人じゃないとダメだから、私が見定めるからね」
    「でも、そのためにいちいち戻ってくるのは面倒だろ」
    「は?何言ってんの?その時までずっと私いるけど?」

     タカラはホカケを睨みつけている。強い眼差しだが、そこに負の感情はない。
     タカラの強い言葉に、ホカケは虚空に熱が戻るのを感じる。現金なものだと思う。だが嬉しいのだから仕方がない。ホカケはたまらず笑っていた。
     そんな兄に、タカラは再び呆れる。

    「お兄ちゃん、ほんとに痩せ我慢したがりってかんじ。早く食べちゃってよ」

     わずか一口のみ残ったケーキが皿に乗っている。ホカケは茶で喉を潤し笑いを抑え、ケーキを頬張る。後に引く甘さが物足りなくかんじた。
     紙袋の中にはまだ2つのケーキが入っている。片方はホカケが今日の探索に持っていき、もう片方はタカラに預けられた。
     あの兄のことだから、道中ではケーキはお守りのように懐で温められ、今晩も今朝みたいに2人で食べることになるのかもしれない。タカラは後片付けをしながら、出発に向けて道具を調整する兄を見てため息をついた。
     タカラは今日も世界樹探索には加わらず、留守番をする。毎日のように死地に向かう兄のことは心配でたまらない。それでも、例えギルドが不慮の事故等により壊滅したとして、ホカケだけは何食わぬ顔で帰ってくるような気がする。
     タカラには兄のいない世界などあり得ようが無いのだ。
     タカラは兄から貰った自分の名前が好きだ。文字通り『宝物』が由来であり、あまりに直接すぎるのではあるが、それだけ真っ直ぐな愛が籠った名前だ。
     世界そのものである兄から愚直な愛情を一身に浴びて育ったタカラは、自分のことを愛することができる。タカラにとっての宝物もまた、兄から貰ったタカラ自身だ。そしてきっとその宝物は、また誰かに分け与えられていくだろう。
     部屋を出る間際に、ホカケはタカラの頭を撫でる。腕にはアルケミストの象徴たる小手型のアタノールがはめられており、さらにこのときのホカケは手の甲を使うので、撫でられ心地はよろしくない。だが手が動くごとに鳴る金属音は、聞き馴染みのある兄の音だった。

    「窯の使い方を教えてもらったから、また今度ケーキ、つくってあげる」
    「楽しみだ」
    「お兄ちゃん、気をつけてね」
    「ああ。タカラ。行ってくる」

     このやりとりもだいぶ交わし慣れた。ホカケもタカラも、この街でそれなりの時間を過ごした。
     それから待ち合わせのためにロビーに向かう。先に待っていたレンジャーとパラディンの2人の姿が見えると、タカラはホカケから離れていった。パラディンの少女と会話をしている。
     1人残されたホカケも、レンジャーのリーダーに話しかけられれば応じる。リーダーに同室の少女とあったであろう今朝のことを尋ねて揶揄うこともする。ホカケも妹に過保護に付き纏っているばかりではないのである。
     兄妹が互いに自立する日はいつかやってくる。だがそれは悲しい別れではない。2人で掴む貴いものだからだ。


    終わり
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