とろける•ししさめ
•付き合って初めてのバレンタイン
•ししさん家
「バレンタインのチョコレート、市販と手作りどっちが良い?」
一月も半ばの頃である。自宅リビングのローテーブルに二つカップを置きながら、ソファに腰掛けた獅子神が訊くと、隣で寛いでいた村雨は学会誌からすいと視線を上げ、やけに無垢な——きょとんとしたストロベリーアイで獅子神を見た。
「購って贈るのは私、作って贈るのはあなただ。」
そうしてまるで決まりきったことかのように述べ、それくらい読んでみせろとばかりに小首を傾いで眉尻を下げる。
獅子神は「へえ……」と気の抜けた、なんとも情け無い声を漏らす。まさか貰える予定とは思っていなかったからだ。こと食事関連について、施すのは専ら獅子神の役割であり、やりがいであり、愉しみであった。
素直に「何で?」と訊くと、村雨は雑誌をローテーブルへ置き、上体を獅子神の方へ向ける。律儀に対話の姿勢をとる男のこういうところが、真摯で好ましいと獅子神は目を細めた。
「まず、私はあなたの手料理が好きだ。だからチョコレートもあなたの手作りが良い。ここまではわかるな?」
あー、と照れを隠しながら獅子神は頷く。しかし悪い癖で、自信なさげに「でもオレ飯ほど上手く作れねえよ?」とこぼした。
村雨は彼の甘えに軽い溜息を吐く。
「前提としてあなたの料理は私好みだし卑下する必要もなく美味いのだが——巧拙ではない、愛情の問題だ。どれだけ技巧を凝らした逸品であっても、あなたの想いが込められた唯一の品には遠く及ばない。そもそも、バレンタイン・チョコレートとはそういう趣旨のものだろう。」
ここまではっきりと断じられては、獅子神は返す言葉をもたない。無論、己が誰よりも村雨を想った一品を捧げられる自信はあるのだ。それこそが彼の望むものならば、手作りに否やは無かった。ん、わかった、頑張ると頷く男に、村雨も満足そうに頷き返す。
「他方、私は貴方と出会う以前から自分の為に、毎年贔屓のショコラティエからとびきりのチョコレートを購入していた。今年はあなたにそれを贈るつもりだ。」
そこまでで獅子神は十分に照れてしまい、口元をむずつかせながら、「おう」と睫毛を瞬かせた。
「しかしあなたは食事制限をしているから、チョコレートはあまり食べられないだろう。」
するり、と村雨のやけにたおやかな指が踊り、獅子神のあつい腿を辿り蛇のように身体を這って、頬をひんやりと包み込む。
「私の想いを味わって欲しい。しかしあなたのスタンスも敬意をもって尊重したい。ので、」
雨粒のように澄んだ爪を載せた指先は、戸惑う獅子神の唇に触れ、ごく優しく口を開かせた。
「呑み込むのは私。」
澄んだ爪先がかちりとエナメルに触れる。ストロベリーが漆黒の睫に陰る。うっそりと微笑んだ村雨の瞳は蕩けるように甘やかだった。獅子神は熱る頬をおさめることもできず、ごくりと喉をならし「……バレンタインが楽しみだ」と返すほかなかった。