NEW YEA EVEフェルディア城内の王宮礼拝堂に、大司教の祈りの声が響いていた。
節季のミサが行われるこの夜、礼拝堂は静かな祈りに包まれ,穏やかな空気を作り出している。
祭壇の前に立つベレトは、純白の祭服に身を包み、目を閉じて静かに祈りを捧げていた。その声は低く穏やかで、それでいて人々の胸にまっすぐ届く力強さがある。
「天の女神よ、この一年を振り返り、あなたの恵みと慈しみに感謝いたします。」
信者たちは目を伏せ、ベレトの言葉に耳を傾けた。その声はろうそくの灯のように優しく揺れながら、一人ひとりの心の奥へ静かに広がっていく。
「困難の中でも希望を持ち続ける力を与えてくださったことに心から感謝します。どうか、新たな年が平和と喜びに満ちたものとなりますように。」
二階の貴賓席からその光景を見下ろすディミトリは、そっと息を吐いた。ベレトの祈りの姿は、王である彼にとっても心を揺さぶるものだった。彼の真摯な思いがその言葉一つひとつに映し出されていた。それは単なる形式的な儀式ではなく、この一年の喜びや悲しみ、葛藤をすべて受け入れ、穏やかに振り返るための道しるべとなる。
ふと、祭壇の前で祈りを捧げるベレトが目を上げ、ディミトリの方を見た。目が合うと、ベレトはかすかに微笑む。その穏やかな表情に、ディミトリは自然と小さく頷いた。
ミサが終わり、礼拝堂に静けさが戻った。信者たちがゆっくりと退出する中、ディミトリは二階からその様子を見つめていた。
やがて最後の信者が姿を消すと、彼は席を立ち、礼拝堂の祭壇へと歩み寄った。
ベレトは祭壇の前で佇んでいた。彼の白い祭服がろうそくの灯に照らされて淡く揺れている。その姿を目にすると、ディミトリの胸に安堵が広がった。
「お疲れさま。」
そう言いながらディミトリはそっと近づく。その一言に、ベレトは微笑みを返した。
「今年も無事に締めくくることができたな。」
「そうだな。お前が祈りを捧げてくれるおかげで、俺も新たな気持ちで歩み出せる。」
短い会話が穏やかに続く。互いの声に、静かな信頼と温かさが宿っていた。
――彼とともにある日々が、これからも続きますように。
ディミトリは静かに心の中で祈りを終え、目を開けると、ベレトが祭壇に向かって瞑想しているのが目に入った。「灰色の悪魔」と恐れられたかつての姿は、今や遠い記憶のようだ。祭服を纏ったベレトの横顔は、淡いろうそくの光を受けて柔らかく照らされ、その陰影が彼をさらに神秘的に見せていた。鋭い傭兵としての威厳は微塵も感じられず、ただ穏やかで儚げな雰囲気が漂う。
だが、その瞳に宿るものは違った。静謐な空気の中で彼の瞳は深い安らぎのなかに強い意志隠されているようだった。
ディミトリの視線を感じ取ったのか、ベレトはふと顔を上げた。そして、彼の目がディミトリの視線と交わると、ほんの少し恥ずかしそうに微笑んだ。その微笑みには、どこか親しい人にだけ見せる幼ささえ感じさせる安らぎがあり、ディミトリの胸がじんわりと温かくなる。
「来年もお前と共に歩めるようにと、祈っていた。」
ディミトリが言葉を紡ぐ前に、ベレトがそう言った。ディミトリは一瞬目を丸くし、それから苦笑を浮かべた。
「俺も先ほどそう祈っていた。そう言おうと思ったのに、また先を越されたな。」
「オレはいつもそう思っている。今に始まったことではない。」
ベレトは肩をすくめて微笑んだ。その笑顔に込められた親しみ深さと柔らかさに、ディミトリの胸は満たされるようだった。
「……もちろんだ。俺も常にそう思っている。」
そう言いながら、ディミトリが静かに目を伏せると、ベレトは彼の額にそっと手を添えた。
「ディミトリに、これからも女神の祝福がありますように。お前が健やかで、幸せな日々を送れるように、オレも祈っている。」
ベレトの声は穏やかで、暖かい響きが礼拝堂の静けさの中に溶け込む。ディミトリはその手の感触を感じながら、瞳を閉じた。
「……お前がそう祈ってくれるなら、なによりも心強い。」
ディミトリの言葉には、深い感謝が込められていた。ベレトは、彼の想いを受け止めたように軽く頷いた。その瞳には、ほんのわずかな照れが浮かんだが、それを隠すように、ベレトは祭壇に視線を移し、祭具の片付けに手を伸ばした。祭壇の上に並ぶ聖杯や燭台を丁寧に扱うその所作は、どこまでも静かで丁寧だった。揺れるろうそくの灯が、ベレトの白い祭服に柔らかく影を作り、その動きに合わせて揺らめいている。
ディミトリは、その様子を見つめながらふっと息をついた。その静かな気配に気づいたのか、ベレトは手を止め、ゆっくりと顔を上げ、じっとディミトリを見つめ返した。
「来年も、再来年も、その先もずっと。お前が望む限り、オレは傍にいる。」
迷いのないベレトの言葉は、真っ直ぐで温かかった。ディミトリはその瞬間、胸がギュッと締め付けられるような感覚を覚えた。まるで、自分が言ってもらいたいと願う言葉を、ベレトはいつだって迷うことなく与えてくれる。
「……ありがとう。お前と共にある未来を、俺もずっと望んでいる。」
ディミトリは静かに歩み寄ると、ベレトの額にそっと己の額を触れさせた。その距離は、互いの吐息すら感じられるほど近い。二人の視線が交錯し、互いの瞳の中に静かな温もりが映り込んだ。
「これからも、よろしく。」
ベレトの言葉に、ディミトリは一瞬だけ目を見開き、それからくしゃりと笑みを浮かべた。ふいに笑いがこみ上げてきて、彼の低い声が礼拝堂に柔らかく響く。
「こちらこそ、よろしく頼む。」
ベレトもその笑い声につられるように口元を緩め、二人は声を合わせて笑いあった。
互いの温もりを感じながら、二人の笑い声が静かな礼拝堂の空気に溶けていく。
「お前とこうして迎える年が、また一つ始まる。……それが、何よりもありがたい。」
ディミトリの言葉にベレトは静かに頷き、柔らかい微笑みを返した。暖かな時間が二人を包み込み、月明かりとろうそくの灯火が二人を静かに照らし、来るべき年の平穏と喜びを、互いに誓いあった。