語る世界、遥かなる沈黙〜エピローグ〜◇
「あら、旅人じゃない。こんなところで会うなんて奇遇ね」
「おう!ナヒーダもカフェに来ることがあるんだな!」
あの一件に一応のケリがついてから、自分とパイモンは砂漠方面の調査に出ていた。カーンルイアの情報を求めた旅路は特に身を結ぶこともなく、靴の中を砂だらけにしただけに終わった。
「パグラヴァの新作フレーバーが出てると聞いたのよ。甘党としては聞き逃せない情報でしょう?」
「……旅人、疲れ果てたオイラ達にはぴったりだと思わないか?」
「はいはい、それはまた後でね」
本当は少しお茶をしてからでもいいかも、と思ったけど、やっぱりそれよりも大事なことがある。
「あれからアルハイゼンの様子はどう?」
「アル……ごめんなさい、あの青年のことよね」
アーカーシャを通して缶詰知識の中身をアルハイゼンに渡しても、彼はすぐには目覚めなかった。決めていた通りにナヒーダとカーヴェに事情を話せば、彼女達は困惑し、けれど記憶の穴と目の前の状況から適切な判断を下してくれて、「しばらく目は覚めないだろうから自分の用事を済ませるべき」という言葉と共に最近見つかった地下遺跡の調査を頼まれていた。その報告は後ですればいい。
「彼なら昨日目が覚めて、今は療養中よ。自宅にいるんじゃないかしら」
「それならカーヴェも一緒かもな!」
それが一番見慣れた風景ではあるけど、どうだろう。記憶がなくなったとしても記録がなくなったわけではないから、あの家は未だにアルハイゼンのものだろうし、カーヴェも他に行く当てはないだろうから一緒に住んでいる気はするけれども。
ナヒーダに一旦別れを告げて彼の自宅へと向かうと、今度はティナリとセノの二人に家の前で遭遇した。したり顔をするセノの横でティナリが耳を押さえてうんざりしているので、多分二人ともプライベートの用事みたいだ。
「全く……どうやったらこんなジョークを次から次に思いつくんだい?頼むから知り合い以外には言っちゃダメだよ」
「なぜだ。こんな素晴らしい発見を吐けないなんて酷だとは思わないか。ちなみに今のは『発見(はっけん)』と『吐け(はけ)』を掛けた──」
「あ、旅人じゃないか!久しぶりだね!」
耐えきれなくなったティナリは耳と尻尾をブンブンと振り回しながら有無を言わさぬ口調で声をかけてきた。
「旅人、パイモン、ちょうど良かった。ぜひ聞いて欲しいんだが──」
「それは後でいいぞ。お前達はこんなところで何してるんだ?」
「カーヴェがこの間、骨折したのは覚えてる?だいぶ治ったみたいだから、快気祝いと思って誘いに来たんだけど、家に誰もいないみたいなんだよね。ここに来るまでに見かけなかった?」
あいにく、あのどこにいても目立つ彼とはまだ会えてない。自分達も『この家の住人』に用があると話せば、二人ともピンと来たようだった。
「無愛想な彼のことかい?僕は見かけてないな」
「あの男のことなら、今朝の見回り中に街外れの家の前にいたのを見た。こちらに気づいたら会釈されたな」
「彼って挨拶できるんだ」
……この二人の中で、アルハイゼンはどういう人間ということになっているんだろうか。
「彼のことはお前達にも説明してもらったし色々記録も読んだが、やはり実感は伴わないな」
「そうかな。僕は少なくとも、君のジョークよりはよっぽど暖かみのある人間だと思ったけど」
「それは比較対象が悪すぎるだろ……」
(……どっちの方が悪いんだろう)
パイモンとティナリの会話を理解できていないセノのことはまぁ置いておいて。セノに場所を教えてもらってから、「ランバド酒場に来るように」という言伝を預かりその場を後にした。
見覚えのある古い家屋の前に、目的の人物はいた。
「アルハイゼン!」
パイモンの元気な声に振り向いた彼は、どこもかしこもいつも通りだった。左肩のマントの上から神の目をつけて、内面を悟らせないような無表情を今日も顔面に貼り付けている。
「久しぶり。体調はどう?」
「特に問題はない。五感も運動機能も以前と変わらず機能しているよ」
「お前……なんかこう、もっと何かないのか?バラバラになったお前を見て、オイラ達本当に心配したんだぞ!」
「そうか」
「あー、もう!」
風スライムみたいにぷんぷんと飛び回るパイモンを横目に、彼の姿をつぶさに観察する。アームカバーで隠れているから分かりづらくはあるものの元の通りくっついているみたいだ。草元素エネルギーを流し続けていれば問題ない、というのはナヒーダの言だけど、どうやらそれは事実だったみたいで……草元素……元素力……神の目は?
「あの時、神の目は砕けていたように見えた」
落ちてきた衝撃で、というよりも、それ以前に砕けてしまっていたのだろう。多分、神の心を破壊したあの時に。
「あぁ、これか。これはイミテーションだ」
「イミテーション?」
「神の目を持たないのに元素力を扱えることの説明を一々するのは面倒だからな」
「え、それじゃあお前も旅人みたいに色んな元素を扱えたりするのか?」
「まさか。これのおかげだ」
アルハイゼンが胸の前で手のひらをかざすと、そこには見覚えのある白い物体が現れた。
「偽の神の心の……一部?」
アルハイゼンは首を小さく縦に振った。
「砕けてなくなったかと思ったがまだ中に残っていたらしい。おかげで、神の目と同程度には草元素力を扱えている」
彼がほんの少し力を込めると、白い塊から元素力が溢れ出すのに呼応するように肩に掛かった神の目が淡く光る。よくできた仕掛けだ。
「それって大丈夫なのか?またあの魔神が出てきたりとかは」
「君達が神の心を壊した時、意識と呼べるものは完全に散逸したようだ。今のこれは、ただの心臓に過ぎないよ」
アルハイゼンはそれを再びしまい込むと、「さて」とこちらに向き直った。
「今回、君には随分世話になった。礼と言ってはなんだが、知っていることであればなんでも君に教えよう」
「それなら……」
五百年前のこと、片割れの行方──他の魔神では答えられなかったことも、かの魔神なら知っていたかもしれない。そして、その魔神と会話をしたらしい彼も。
「五百年前のカーンルイアの厄災について、何か知ってることはある?」
「……カーンルイア、か」
アルハイゼンはしばらく口元に手を当て、じっくりと思案した。
「あの魔神は言葉そのものを通してずっとこの世界を見ていた。そして俺もその知識を無理に見せつけられたからな。だからこそだが──その問いには答えられるとも言えるし、答えられないとも言える」
「それってどういうことだ?全部見てたんなら知ってるはずだろ?」
「実際のところ魔神が行使していた言葉による世界の観測というのは、無限に続くランダムな単語列から有意なものを拾い上げる、というのが本質だったようだ。だから、俺は言葉で語り得る全ての事象を観測したが、それらの蓋然性は別で推し量る必要がある」
「つまり、推測以上のことは話せないってこと?」
「それで良ければいくらでも話そう」
「……ううん、大丈夫」
結局、真実も結末も自分の手で掴み取らなければいけない、ということだ。今回もまた空振りに終わってしまった。
「一つだけ言っておくが」
「うん?」
「君達が再会する未来は確かに存在していた。だから、頑張ってみたらいい」
「……ありがとう」
それでも、努力は実を結ぶと励ましてもらえるのは、嫌な気分じゃなかった。
「他にも色々あるだろうが、ここで立ち話というのもなんだからな。カフェか酒場にでも──」
酒場。そうだ、言伝も頼まれてたんだ。てっきり一緒にいるのかと思ってたけど、そうじゃなかった──
「……ルハイゼン……アルハイゼン!おい!無視するな!」
息を切らしたカーヴェが駆け寄ってくるのが見える。破裂した風スライムよりも素早い彼はあっという間に目の前に立つと、アルハイゼンのヘッドホンを鷲掴みにした。
「あのなぁ!人と話すときはヘッドホンを取れ!それから、病人がホイホイ出歩くな!」
「やかましい。本があり過ぎて狭苦しいという君の苦情のために、俺はこうやってわざわざ別邸を買い戻しに来たんだ。売買契約書もここにある」
「確かに言ったが、あれは売り言葉に買い言葉というやつで……って、おい。君、この額を即金で払ったのか?」
「金はあるからな」
「あー、もうなんか腹立つな!」
「……お前ら、相変わらずだな」
呆れるというか、安心するというか。ここに来るまでに他人行儀なみんなの姿を見ていたから、良かったな、って感じだ。
「旅人にパイモンじゃないか。どうしてここに?」
(目の前にいたのに気づいてなかったんだ……)
やっぱり呆れの方が先に来るかも。
「アルハイゼンに用があったのと、カーヴェへの伝言を頼まれた」
「僕に?」
「ティナリとセノが、快気祝いをしたいって」
「そうか!骨も無事にくっついたしな!ドクターストップもなくなったんだ」
「オイラ達も行っていいか?みんなで祝ったほうが楽しいしな!」
「勿論だ。ティナリ達も元からそのつもりだろうしな」
「そうか、帰りは遅くなりそうだな。楽しんでこい。では」
今度はそそくさと去ろうとするアルハイゼンの肩を鷲掴みにし、カーヴェはムッと唇を尖らせていた。
「君も来るんだ。当たり前だろう」
「病人に酒を飲ませるのか?」
「君はお子様と一緒にソフトドリンクでも飲めばいいんだよ!いや、そうじゃなくて……」
分かれよ、とでもいいたげにカーヴェは黙る。
「覚えてもないのに、君もよくやるな」
「確かに記憶はないけどさ、君とはこうするのが一番しっくりくるんだよ」
今度はアルハイゼンが黙る番だった。目の前のカーヴェを見る彼の目は眩しそうに細められて、長い間そうしていた。
「はぁ……先に契約書を置いてから行く。ランバド酒場でいいんだな」
「よし、決まりだな。俺たちは先に行ってるから、絶対に来るんだぞ!」
「分かってるよ。早く行こう」
背を向けるカーヴェの後ろでほんの少しだけアルハイゼンが微笑んだのが見えたけど、それは誰にも言わないことにした。またいつもみたいに言い合う二人を見ながら、日常への帰り道を私たちは歩き出した。