インカーネーション物心ついた頃には母は居なかった。とうの昔に亡くなったと父が言っていた。
父は元々海兵だったそうで、愛想は無いながらも、町の人たちからは尊敬され慕われていた。再婚の話など、娘である私の耳にさえ何度か入るほどだったが、それはもうきっぱりと全て断っていた。母のほかに伴侶を持つなど、頑固な父には考えられないようだった。
それほど母を想っているわりには、父の薬指は空いたままだったが、作る機会がなかったんだ、という言い訳のような理由しか教えてくれなかった。母とは海兵時代に出会ったらしいが、馴れ初めを訊いても、血腥い話もあるからな、などとはぐらかされた。
はっきりしているのは、私の髪は母譲りだということだった。長く伸ばした金髪を、父はたいそう大事にしてくれた。美容に疎い父は三つ編みにさえ苦戦したが、手際の悪さに私が文句をつけると、あいつと同じことを言うなあ、と心底嬉しそうに苦笑するのだった。九つを数える頃には自分で髪を結うようになったが、父の大きな手で髪を梳いてもらったことは、幼少期の幸せな思い出のひとつだ。
母を愛し続け、男手ひとつで私を育ててくれた父が誇らしかった。同時に、形見も写真も残っていない母の面影を求めずにはいられなかった。父だけが母の姿を知っているなんて、独り占めされているようじゃないか。
「お父さん」
分厚い本を読んでいた父は無言のまま、しかしページをめくる手を止めた。返事こそしないが、きちんと聞いてくれているのだ。
「わたし、髪のほかはどこがお母さんに似てるの?」
考え込むこともなく父は答えた。
「ああ……髪以外は似ていないな」
そんなわけない、と子供ながらに思った。私の顔は目も鼻も父のそれとはまるで違う、であれば母譲りのはずだ。悲しいかな未成熟の頭には反論を並べる力などなく、ええ、とか、だって、とかぶつぶつ言っていると、父は本を閉じて歩み寄り、大きな身体をうんと屈めて「学校で何か言われたのか」と私の顔を覗き込んだ。
父の真剣な目に慌ててううん、と答えると、やや安心したらしい父は、確かめるように髪を撫でてくれた。
「おまえは間違いなく俺とあいつの―――ホーキンスの子だ」
私は幼く、何も知らなかった。父が宝物のように告げたそれが女性の名前には不似合いであることも、どころか海賊の名であることも。
どうして私を知らない男の―――しかも海賊の娘などと言ったのか、訊けないままに月日は流れ、夫を持つ身となり、育った家を出てしまった。
独りで暮らすあの家で、父は今も「ホーキンス」の思い出と生きているのだろうか。