どうですかぁ?実際こうして見てみると随分広く感じませんか、とその人は完璧な営業スマイルでそう言った。
「××駅から徒歩で五分築浅で最上階陽当り良好防音もバッチリベランダもなかなか広めでしょう?スーパードラックストアコンビニは二軒、郵便局や大型書店も近所にありますし、あ、評判の良い歯医者さんも、ほらあのセブンの看板見えます?あの向かい側にありますよ。それからほら、あの大きな建物は中央図書館です。学生さんだしとかくに図書館があると資料とか探すのに便利でしょう?あとここはバスルームです湯船は足を伸ばせるほど広いんですよ」
ほらご覧ください、とその人は完璧な営業スマイルを保ったまま玄関近くのドアを開け洗面所も広くて使いやすそうでしょと言いながら引きドア開けて俺に湯船を見せた。
「あとですね、ここ、ここがこの物件の特におすすめポイントでしてワークスペースがあるんですよ。いいと思いません?書斎とまではいきませんがラップトップおいてレポートか居たり勉強したりするには十分なスペースかと」
営業さんはさらに立て板の水のようにまくしたてる。
「もちろん水回りも充実してますよ、あ、お客様料理はなさいます?あぁそうですよねぇ男子大学生ですものわたくしも似たようなものでした。でも鍋のレパートリーは中々のモノなんですよ、あっと失礼しましたわたくしの話はどうでもいいですね、でもこちらの物件は防音がバッチリなのでお友だちをたくさん呼んでも大丈夫ですよ。あー、こちらは約7・5畳の寝室となっております。防音もバッチリですよ。こちら、さすがにウォークインクローゼットとまではいきませんがかなり大きく取っているので余裕で収納できると思います。いかがです!?」
「かなり……いいですね……」
と俺は言ったが実際めちゃくちゃいい。最寄りの駅から大学までは二駅だし、なかなか新しくて綺麗な建物だし部屋も綺麗だしセキュリティはしっかりしてるようだし近所にゴミとか散乱してないし不審者の目撃情報の看板とかないし物件紹介サイトで見た間取りより広く感じる1LDK、風呂トイレ別だし。
「だけど……」
「だけどなんでしょうか!?ここ防音はバッチリなんですよ!」
さっきからやたら防音ばっちりを推してくるのはなんなんだ。この一見優良物件である築浅五階建てマンションの住民に夜中に大音量で練習しまくる非常識なバンドのギタリストでもいるのか。それともコンクール前で徹夜でピアノの練習している住民でもいるのか。はたまた度々警察沙汰になるほどの激しい夫婦喧嘩を繰り返す住人でもいるのか。
しかしそれは二の次三の次である。まず、最初に頭に浮かんだ、最大の懸念事項は家賃である。高いのではない。安いのである。
今現在俺の住んでいる学生向けアパートである八畳のワンルームより広いし立地は良いし駅は近いし大学まで近くなったし新しいし綺麗なのに家賃が変わらないどころか安いのである。
これは怪しい!
そもそも俺は今のワンルームのアパートで大満足はしていないがさしたる不満もなかった。多少壁は薄く隣人の結構な激しさの別れ話などバッチリ聞こえてしまうこともあったがそれも一回こっきりで俺とトラブルになったことはない。
エレベーターはなかったが部屋は二階だし登るのが辛いということはなかった。ではなぜ新居を探しているかというとアパートが取り壊しになるからである。新しくはなかったが老朽化というほどでもなかったのだがなんでもオーナーさんが土地を売って買った業者がコンビニ作るとかスーパー作るとかなんか作るとからしい。
おい!!
さすがにじゃあ来週までにここ出て行ってねということではないのだがそれでも住人すべてが急ぎで新居探しである。一応三ヶ月ほどの猶予はあるが。
大学進学のため三月に実家を出てひとり暮らしを始めてまだ約八カ月、卒業までは住むと思っていた部屋だったのでキツイ。イヤ別に愛着が湧きすぎて部屋を出るのが悲しいとかではない単純に引っ越し作業めんどくせーなという感情である。
そこで俺は急遽学生課に相談し紹介された物件を不動産屋さんの担当さんに内見させて貰ったのだがどれもピンと来ずでしたらこちらは?と勧められた物件がコレだったわけである。
しかしながらあまりにも良すぎる条件に対し安すぎる家賃。これってもしかして……もしかしてだけどアレでは?いわゆる……あの……
「じ、事故ぶ」
「決して事故物件などではございません!」
食い気味に否定された。
「じゃあなんでこんなに家賃安いんスか!?この部屋のレベルでこれは安すぎますって!どう考えてもおかしいでしょ!?」
「決して事故物件などではございません!!」
「一字一句同じセリフなんスけど!?」
真偽のほどは知らないが自……、とか殺……などがあった部屋、もう言っちゃうと事故物件というのは次の住人には申告義務があるが更にその次の住人には言わなくていいと聞く。いや本当に真偽のほどは知らないが。
俺の前に二三人住んで何らかの何かの現象が起こり早々に出て行って下がりに下がってこの家賃……ということはではあるまいな!?
「築五年今まで六人の住人の方がいらっしゃいましたが皆さまぴんぴんしております!」
「待って築五年で六人に引っ越されてんのこの部屋!?」
不動産屋さんはうわやべという顔を一瞬したが本当に一瞬ですぐに完璧な営業スマイルに戻り「決して事故物件などではございません!!!」と言った。聞くの三回目なんスけど。
「いや、じゃあなんスか教えてくださいよ。なにがあるって言うんですこの部屋。霊道になってるとか?」
「れいどう!?れいどうとは?あっ霊道!?イエイエイエいえいえいえいえ決してそんなそんな!」
じゃあ何故こんなに安いんだ教えてくれ不安だ止めておいた方がいいぞいやでもここ超良いよなぁもう色々内見すんの疲れたしいや絶対止めておいた方がいいって!なんかあるんだって安いだけの理由が!でも俺霊感とかZEROじゃん!?
「こ、ここ……に……」
決めるぜ!とめちゃめちゃ歯切れ悪く俺が言うと不動さん屋さんは今日一番のスマイルで「ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。
そんな経緯で俺は新居に引っ越すことになった。俺の部屋は最上階の角部屋、の隣の部屋で506、角部屋が507である。まさか一年経たずに二回目の荷造りと荷解きをすることになるとは思わなかった。
昨今都会のご近所づきあいは希薄と聞くが一応両隣くらいには挨拶した方が良いだろうと入居した日、夕飯時に505の部屋のインターフォンをピンポーンと押すと十くらい年上であろうお兄さんが出て来たので本日隣に越してきたものですとナを名乗りちょっとしたお菓子が入った袋を渡した。
お兄さんは笑顔で受け取ってくれそうなんだよろしく、と言いかけ「隣……?」と笑顔をひきつらせた。
「え、505?」
「そッス!よろしくお願いします」
お兄さんは俺の肩を力強く掴み「気をしっかり持つんだぞがんばれよ」とそれだけ言って部屋に引っ込んでしまった。
え……なに……一体何があるというの……初日から不安が過ぎるじゃん……?
俺は湧き上がる不安を胸に角の507の部屋の前に立ちインターフォンを鳴らした。しばらく待つ。無反応。もう一回鳴らす。無反応。まだ帰宅していないようである。
出直すべきか、でも生菓子じゃないし冷蔵必要ないし大丈夫かなと思い紙袋をドアノブに引っ掛け名前と『本日506号室に引っ越してきましたよろしくお願いします』と書いたメモを付け自室に戻った。
そして改めて感じた。
この部屋広~い!見晴らし良~い!お風呂も大き~い!
今までの八畳ワンルームからの広々物件なため見事に物が少ない、ように見える。持ってきたテレビとか、小さい。机と言ったら折り畳み式ローテーブルしかない。ダイニングテーブルなんて言う洒落たものはない。この部屋にはふかふかのラグとかもっと大きなテレビとか素敵なソファとかそういうのが合っているのだろうがこちとら資産家の令息ではない。ただのひとり暮らしの大学生だ。ソファなんてもんはない。クッション二個だ。ここはたんに家賃が馬鹿に安いから越してきただけである。実家からある程度の仕送りは貰っているがバイトもしないとやっていけない。
うーん不釣合い、という言葉が浮かぶ。が、すぐ消す。別にこの部屋に呼ぶとしても気の置けない友人や家族だろうし、いやそのうち彼女が出来るかもしれないがいやきっとできる筈なのだ今はその気配もないだけだ。
追々購入すればいいだろう。新品じゃなくて構わないのでリサイクルショップとか型落ちで安くなった品とかそういうので良い。まあバイト代が入って金銭に余裕が出来たら、だが。
「あ~……そういやバイト探さなきゃなー」
ファミレスでバイトをしていたのだが引っ越したことにより微妙に遠くなってしまい辞めたのであった。
広々としたリビングに向かいひとりごちる。もちろん応えはない。いや俺霊感ZEROだし!?
それからスマホで求人情報サイトを眺め良さそうな条件のところをいくつかピックアップし、そうしてそのうちの一件、最寄駅前のビルのテナント(近い!)に入っている店(またファミレス)に応募した。早ければ明日あたりに採用担当から連絡が来るだろう。
その日は広々とした浴槽に浸かり独立した寝室で眠った。特に何事もなかった。
簡潔に言うと翌日も何事もなかったし翌々日もなにもなかった。更にその次の日もなにもなかった。ポルターガイスト現象が起きるわけでもなく金縛りにあうわけでもなく大音量でギターをかき鳴らす音が響くわけでもなく何らかの何かの気配がするでもなく。平穏に過ぎた。
これは俺の霊感ZEROがなせる技なのか。はたして。
そうして俺は何事もなく一週間を過ごしここが事故物件(仮)だということを段々忘れるようになって行った。大学で、そして新しく決まったバイト先で仕事を覚えるのに大変で意識が向かなかったというのもあるだろう。俺はほぼ忘れていたのだ。
その日の夜、俺は床に寝そべり特にそこまで面白くもないバラエティ番組を観ていた。消すと静かなので流しているだけである。なんとなくぼーっと見ていると突然ガンッ!と地響きのような音がした。
「うわっなに地震!?」
慌てて身体を起こすが地響きのような音も揺れも襲ってこない。しかしガンガンガンという音は響いてくる。工事でもしているのか?いや深夜帯ではないがもう夜だぞ?そうしてそのうち、表すなら「うう、おぉぉ、んぐぅ」みたいな唸り声がしばらく聞こえそして静かになった。すわこれが霊現象!?俺は霊感ZEROだったはずでは!?
しかしその不気味な音も声も長くは続かず静かになった。聞こえるのはテレビから流れる若手芸人の笑い声だけである。
なるほどこれがこの部屋の家賃を下げた原因なのだろうか。俺は蒼ざめ早々にベッドに入った。またあの声や音が聞こえるんじゃないかと怯えならば音楽を聞きながら寝ようと布団を被った。そうしてよく寝た。金縛りにも合わず悪夢も見ず爽やかな目覚めである。
俺は相当図太いんだな。新たな発見であった。
それから数日の間だいたい夜の決まった時間(いや昼間は大学やバイトでいないから知らないが)に同じような物音と呻き声が聞こえて来た。そうしてしばらくすると止むのだ。
うーんなるほどこれは霊現象とかではなくお隣さんだな!?お隣さんがなんかやばい感じで部屋の中で暴れまわっているので歴代の居住者が(え、やば、何怖)などの理由で退去したのだろうか。なれば不動産屋さんの「防音バッチリです!」のごり押しも頷ける。
と、いうかバッチリではない。聞こえてくるではないか。それともこれでも防音を強化したんですよ、なのだろうか。いやそれお隣さんに退去を求めた方が早くないか!?出来ない理由があるのか!?
俺はまだ見ぬお隣さん、―そう、また一度も見かけた居ないのだ。逆隣さんとは時折朝エレベーターで一緒になったりするので挨拶だけはするのだが―……に少しだどんな人なんだと思いを馳せすぐ止めた。
それは突然バイトが突然休みになった日のことであった。べつにクビになったとかではない。先日パートさんがお子さんが急な熱で休みということで俺が代わり出勤したのでその代休である。
なのでまだ日が明るいうちに帰ってくることになってしまった。バイト先でスタッフ割引でかなり安い値段で夕飯を済ませていたし今日もそのつもりだったので冷蔵庫にほぼ何もない。そんなわけで近所の激安スーパーで食材を調達しエレベーターで五階まで上がると奥の方に人影が見えた。近付くとそれは最奥である。と言うことはお隣さんである。いや、お隣さんを訪ねてきた人のようだった。ドアが開いているが家主の身体はドアに阻まれ見えない。
俺よりは年上だが金髪の若いお兄さんだ。凄く背が高い。体格も良い。半袖から出た(今冬なんスけど)腕なんか俺の二倍はありそう。胸板も厚い。上下黒の作業着で同じく黒のキャップを被っていて一見清掃か宅配のお兄さんである。しかしお兄さん荷物も愛想もなければ今からお前を殺してやろうかくらいの眼光とぞんざいな口調である。なにやら言い争っているのか一方的に責めているのか。分るのは絶対宅配の人ではない。
しかし俺の部屋はあのお兄さんのいるその手前。行かねばなるまい。いや回れ右してどっかのコーヒーショップで時間を潰すという手もあるのだが食べたくなってついアイス……買っちゃったんだよなぁ……寒風吹きすさぶ外で食べたくない。アレは温かい部屋の中でぬく抜くしながら食べるのが良いのだ。
「……って……るんだろ!」
大声と言うか怒鳴り声である。怖い。やはり逃げよう。アイスは諦めよう。俺は踵を返す決断をした、のだが。
「はぁ!?何考えてんだテメーは!何日も水分だけで健康が保てると思ってんのかぶっ倒れて当たり前だろ馬鹿か!なんか食え!かし?菓子は食事じゃねぇんだよ!ちゃんとしたもの腹に入れろ!ろく寝てねぇ食ってねぇで頭がまわるわけねぇろ!あん!?食欲がない!?じゃあ何なら食えるんだ粥か!?うどんか!?ゼリーとかプリンなら食えんのか!?」
良い人であった。顔と声と態度はともかく内容は恫喝でも何でもなく心配しているようだった。お隣さんは不摂生なひとのようである。と、そこで金髪のお兄さんと目が合った。睨まれる。なぜ。
「なんだ見せもんじゃねーぞ!」
「えっ、あの、俺、隣の者ッス」
さっさと失せろと言わんばかりのお兄さんにそう答えると一瞬虚を突かれたような表情になり眉間の皺が薄まった。
「あ、そうなのか。となり入居したのか。そりゃすまねえな俺はこの真下の407のもんだ」
「ど、どうも……」
会釈しながら近づくとドアが最大まで開き黒髪短髪の細い男の人の姿が見えた。はじめて姿を見るお隣さんである。暴れまわって唸り声を上げているとこから俺はお隣さんは引きこもりなのでは?ニートなのでは?なんか不潔っぽいやつだったら嫌だなぁなどと勝手な想像を巡らせていたのだがはたしてスッキリとした顔立ちのお兄さんであった。二十代ではあろうが二十代のどこらへんなのかはよくわからない。二十三と言われたらそうかと思うし二十九と言われればそうか、という感じである。
ほんとうにニートなのかどうかは分らないが平日夕方に差し掛かった時刻にグレイの上下のスエットにだぼっとした黒のカーディガンを羽織り俺を見止めると無表情に「こんにちは」と言った。
「あ、こ、こんちは、あの隣の……引っ越しの時挨拶に来たんですけどお留守だったようで……」
「あっあー……焼き菓子の、ありがとう、ご挨拶が遅れて申し訳ない」
「あーいえいえ」
とやっているとお隣さんは金髪のお兄さんに視線を映し「班長、時間大丈夫なのか」と聞いた。
「よくねぇよ!良くねぇがテメェが毎度毎度馬鹿やってるからよぉ!じゃあ俺は行くぜ!後は頼んだぜ!」
ぽーん!と勢いよく背中を叩かれ俺は咳き込んでしまった。俺に一体何を頼むと?
「そいつに飯食わせてやってくれ無理やり口に押し込め!良いな!」
良くない。全然よくないのだが。班長(何のかは知らない)と呼ばれたお兄さんはさっさと行ってしまった。
「班長さん?」
「ああ、このマンションの自治会の清掃班班長さんだからそう呼んでるんだ」
「ハァそうなんスか……アイス買って来たんスけど食べます?」
「え、なんで、あ、あぁ班長さんの言ったことなら気にしなくていいよ大丈夫だからごめんね騒がしくして」
「そッスか、俺あとで『ちゃんと飯食わせたろうな?』とか怒鳴りこまれたりしないッスよね?」
何しろ部屋を知られているのだ。
「するかもねぇ」
「するんかい」
「立ち話もなんだし中入る?お茶くらいだすけど。アイス溶けちゃうなら冷凍庫入れてから来たらいいし」
せっかくのお誘いなのだが初対面の見知らぬ方のお部屋に上がり込むのも……という気持ちもあったのだがそれ以上に好奇心が上回った。見るからに怪しげな風貌ならともかく意外にもまともそうだったしご近所さんと交流もあるようだ。
「じゃあ少しだけ……あ、良かったらアイスどうぞッス。何個か買って来たんで」
どうぞ、と促されて上がった部屋は俺の部屋と同じ間取りのようだった。ゴミ部屋だったらどうしようと思っていたのだが物は多いが案外片付いている。物、というのは書籍類だ、壁に大きな本棚がしつらえてある。
俺のより大きいテレビに二人掛けのソファ。その前のローテーブルはなんとコタツ仕様だった。天板の上には数冊の書籍とノート、ラップトップが置いてある。
「おお~コタツだ~俺も欲しいんスけど一回入ったらもう出られないと思って」
(ここで途切れている)