ガルグ=マクの人波を、一際目立つ白の法衣が横切る。五年前からこの広い大修道院を毎日のように練り歩き、落とし物を拾い、人々の願いを聞いて回っていたベレトは、今や大司教代理として走りにくい法衣を纏っていた。
温室、日課の釣りを済ませ、大修道院を一周した後に食事にしよう。そう思いながら今日も歩みを進める彼の足元に、一人、深緑の男が転がっていた。
「リンハルト。ここは寝室じゃない」
声をかけても返事が無い。揺すっても唸るばかりで、一向に起きる気配が無かった。流石に人を拾うわけにはいかない。とはいえ、この大広間で倒れられていても往来の邪魔になる。ひとまず担いで橋の長椅子に座らせると、ようやく目が覚めて来たのか一度大きくあくびと伸びをした。「いやぁ、たすかりました」
「久しぶりに夢を見ていましてねぇ」
「夢はあまり見ないのか?」
「ほら、僕この通り寝ようと思って寝る時のほうが少ないので、即熟睡なんですよね。だから、浅い睡眠時に見ることができる夢って言うのと相性が悪くて。深い眠りのほうが効率がいいし気持ちいから好きなんだけどなぁ……」
「……こんな往来で寝ているから、熟睡できないのでは?」
それもそうですねぇ、と気の抜けた返事でリンハルトは机に体を任せる。もうひと眠りするつもりなら、人目も嫌だろと席を立とうとしたその時、ふと彼が夢について話してくれた。「白鷺杯の夢でした」
「先生、覚えてますか? 金鹿の学級が優勝したやつです」
「ああ、覚えている」
「いやぁ一週間前に突然僕に任せるなんて、申し訳ないけど流石に愚策でしたよねぇ。クロードが優勝したんでしたっけ? あんまり覚えてないんですけど。まぁ担任もマヌエラ先生でしたから、当然の勝利と言えばそうなんですよねぇ」
「……俺で済まなかった」
「え、いや誰も先生が悪いなんて言ってないですって。単純に僕と先生の経験値が、あの二人には、敵わなかった、ってことですから……ねぇ」
二人とも魅力的でしたから。そう最後に呟いて、彼は力尽きて眠りに落ちた。
「魅力的……」
白鷺杯の事を思いだす。相手のいない、型を評価する大会だったが、それでも彼の腕の中には誰かがいるような、そう見えるほど本物らしい魅力が満ちていた。思い出すだけで体の芯が熱くなるような。その細められた翡翠で一瞥されたら。五年経っても珍しい感情が湧きたち、脳裏に刻まれ鮮明に思いだされる、まさに優勝するに相応しい踊りだった。
(その腕の中に、君は一体誰を見ていたのだろう)
胸に生まれた妙な血だまりを流すために、立ち上がり大広間を見渡す。白鷺杯の数週後、同じくここで行われた舞踏会では、彼の見事な踊りの腕に収まったのは自分だった。そのすぐあと、これも縁だと関係を迫られた夜には、自分の腕の中にその細い体が収まっていた。
(……考える事じゃないな)
こんなことを思いだしても、何の意味も無い事は分かっている。舞踏も情交も、二度目は無い。何しろ、先日グロンダーズ会戦の惨状が急使によって伝えられたばかりだ。残存兵の保護や確保に一部の兵が向かっているが、二桁、いや一桁見つかればいい方だろう。一般兵ならまだしも、将である彼が見逃されるとは考えにくい。
それでも、またあの日のような舞踏会を、もう一度だけ味わいたい。上等な楽器も音楽隊も集まらあないかもしれないし、照明さえも満足に用意できないかも知れない。彼も、例え興味があっても、もう彼は来られないかも知れない。
それでもいい。きっと、戦争を終えて迎える舞踏会は、きっとあの日よりずっと美しく見えるはずだ。またいつか、誰かと手を取り合って、足並みを合わせ、音楽に息を一つにする。そんな舞踏会を、いつか開こう。大々的に告知をして、例え君が遥か遠い国にいても聞こえるように。
(願わくば俺の相手は、君が良いな)
俺は踊りが得意ではないから、教え子を優勝させてやれない程度には。だから、上手な君が相手でなければ。と、考えて頬が緩んだその時――
「ご報告!」
人の足音だけが響く大広間に飛び込んで来た兵の声が響く。残存兵確認部隊のうちの人だったはずだ。
「盟主殿が、盟主殿の――!」