花曇りの空が見える。そろそろ、日が沈むだろう。
外はいつも通りひんやりとしているけど、もうこんな気候にも慣れたものだ。私は寒さも感じなかった。木の葉のさえずりが、耳に心地よい。
庭の寝椅子に横たわる私に、セベクはブランケットを掛け直す。
「ねぇ、学園のこと、覚えてる?」
「もちろんだ」
「私達が初めて会った時……」
楽しく思い出話をしているのに、どうしてあなたは、泣いているのかな。
涙を流しても尚、その整った顔立ちは彫刻のように美しかった。セベクはその形の良い指で、私の手を優しく握る。
「ああ、懐かしいな……」
私の手は、随分前に皺だらけになってしまったけど、あなたはそれを決して悪くは言わなかったね。
「泣かないで、セベク」
ちゃんと話しているつもりなのに、私の声はかすれて聞き取りづらかった。彼は唇を噛んで、少しの間黙る。それから絞り出すように、悔しげに呟いた。
「一緒に歳をとれなくて、すまない」
昔のまま、陶器のような滑らかな彼の頬を涙が伝う。それはぽたぽたと落ちて、ブランケットに吸い取られた。
「セベク」
そんなこと、私はちっとも気にしてないのに。ほら、鼻水を拭いて。
「私はね――」
神様、どうか、笑顔だけでも。あの頃みたいに、上手に笑えていますように。
「幸せだったよ」
涼しい風が、吹き抜けて行った。
セベク、私の生涯の恋人にして親友。
そんなに子どもみたいに泣かないで。王の側近がそんなことでどうするの。
私はね、満足してる。
あなたから見たら、短すぎると感じるかもしれない。
でもね、私は生きた。
確信を持ってそう言えるよ。
この世界に来て、人生を旅して、そして、精一杯生きた。そりゃ後悔もなかったわけじゃないけど、そんなの全部、小さなことじゃない?
ねえ、セベク。私は立派にやったでしょ?
あなたを愛したし、笑ったし、泣いた。満たされたり、失ったりして、自分で選んだ道を生きた。
つまづいたり、悩んだりもしたけど、私は間違いなく、泣きたくなるほど愛しいこの世界で、生きたんだよ。
ねぇセベク。今になってわかるけど、本当に人生って愉快なものだよね。
皺が増えた分だけ、あなたとの思い出も重なった。あなたがドジをして恥ずかしそうにするのも、子供たちと歌うのも、その強い腕で抱きしめられるのも、全部が夢みたいに大切だった。
だから、どうか。
私がいなくなった後も、あなたに生きてほしい。
あなたには、まだまだ素敵なことがあるよ。
私のことは時々、思い出してくれたら、それだけで十分。
人間と呼ばないでと言い合いした時のこと。お気に入りの古書をこっそり見せてくれた時のこと。最初にここに来て、お城を探険したがった私のせいで一緒に怒られた時のこと。あなたが初めて、私を妻と呼んだ時のこと。
どれも私が、ちゃんと覚えておくから。
本当は、あなたを残していくのはまだまだ心配なんだけど。でも、きっと大丈夫だよね。
これからも、茨の谷のみんなをどうか守って。全部、私の宝物なの。
私のセベク。
私を選んでくれてありがとう。
私と一緒にいてくれてありがとう。
たくさん愛をくれてありがとう。
そう、言いたいのに。あなたの涙を、拭いたいのに。何だか、それももう難しいみたい。
ああ、私がこんなに幸せな気持ちでいくと、彼がわかってくれていればいいけど。
庭の梢から、鳥の羽ばたく音が聞こえた。
茨の谷には、夜が来て、また朝が来る。