りんご飴 淡い春の陽射しが柔らかく差し込む午後、鮮やかな紅色が仙蔵の目に留まった。
巷の若い女性たちが手にするそれに思わず見入っていると、文次郎が不思議そうに仙蔵の視線を追い、「ああ」と合点がいく顔をした。
「うまそうだな」
文次郎は辺りをきょろきょろと見渡し、仙蔵の腕を引いて連れていく。最初の頃と比べて行動力が段違いに上がったなあと仙蔵がしみじみ思っているうちに、文次郎が店の前で立ち止まった。看板を見上げると、日に照らされた赤と白の外観が目に染みる。シンプルながらも丸っとしたかわいいロゴが描かれていた。
「いらっしゃい!」
店主の中年男性が嬉しそうに声をかけてきた。店内にはカラフルなりんご飴が所狭しと並んでいて、丸ごとのもの、カットされたもの、チョコがけのもの、きな粉をまぶしたものがショーケースの中で輝いている。
「何にします?初めてなら乱切りのプレーンがおすすめですよ」
まだ品定めをしているのに、文次郎が「それとココアを一つずつ」と即決する。仙蔵は目をぱちくりさせて、あれよあれよという間に文次郎が受け取ったカップのうち一つが仙蔵に渡される。先程見ていた女性が持っていたのと同じもの。透明なプラスチックカップに詰められた乱切りのりんご飴。
「なぜ勝手に選ぶ……!」
「いらんのなら貰うぞ」
「いらないとは言ってない!」
決断が早すぎて聞かん坊になっているではないか。
今まで抑えてきた欲が爆発して食になるとより強引さが増しているのか。
二人のやり取りに、隣のテーブルの女性客がくすりと笑うのに気づかず、文次郎は呑気に自分のカップから一切れをかじっていた。
「ほら食え」
小言を聞くのが面倒なのか、文次郎は仙蔵の手元にあるまだ手付かずのカップから一切れを取り出し、仙蔵の口元に押し込んだ。
薄い飴のコーティングがパリパリパリッと小気味よい音を立てて割れる。飴の甘い香りと熟したりんごの爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。噛みしめるほどに、じわりと甘みが広がり、そのあとから林檎の微かな酸味が追いかけてくる。
「……うまい」
率直な感想が漏れた。
「だろ」
お前作ってないだろ。
なのに、文次郎はまるで自分が作ったかのように嬉しそうに目を細め、りんご飴の一欠片をじっくりと味わっていた。頬が動くたびに、それはもう美味しそうに食べるので、とりあえず文次郎のカップから何個か攫う。
ココアがかかったものは苦味もあって甘さ控えめで食べやすい。今度は丁寧に味わう。外側の飴が溶けると、今度はりんごの果肉の甘さが口の中に広がった。噛むたびに果汁がじゅわっと溢れ出す。しばらく串が止まらないでいると、文次郎がカップごと差し出してきたので、自分の手の中も彼に向ける。二人は向かい合って座って味わい、文次郎は豪快に頬張り、仙蔵は一つひとつを丁寧に観察してから口に運んだ。
しばらく黙々と食べていると、文次郎がぽつりと言った。
「時代は変わるもんだなあ」
仙蔵は彼を見た。
「何爺くさいことを言っている。まだ半世紀も生きてないだろう」
「俺にとっては衝撃的なんだよ」
文次郎は手元のカップに視線を落とした。
「昔、母さんが買ってきたんだ。赤くて綺麗なりんご飴を二つ。『特別だから』って言って、兄貴と弟に渡してさ」
窓から差し込む陽射しが二人の間にある小さなテーブルを優しく照らす。文次郎が自分のことを話すのは少し珍しかった。
「俺も欲しかったけど、次男だから我慢するのが当たり前だったから」
でも弟が自分のを半分くれたんだ。『兄ちゃんにもあげる』って。
文次郎はそう言い、少し笑った。
「食べかけは嫌だって言っちまったけど」
「食べなかったのか」
「ああ。意地張ってたからな。今思えば、あの時、ちゃんと『ありがとう』って言えばよかったなあ」
そう言って文次郎は少し間を置き、やがて軽く首を振ると、視線を上げて仙蔵に向き直る。
「そういや仙蔵はどうなんだ?」
不意に振られた問いに、咄嗟に言葉が出てこず、仙蔵は慌てて口元を手で抑えた。むせそうになりながら「どう、とは」と絞り出す。
「こういうの食べたことあるのか?」
仙蔵は口の中を一度噛み締め、甘い液体を無理やり飲み込んでから息を整えた。喉を軽く鳴らし、ようやく言葉が形になる。
「私は……年少の頃に一度口にしたきり、あまり食べたいと思わなくなっていたな」
「なんで?」
「最初の一口目がやけに硬くてな、上手く食べられなくて、噛んだ瞬間に飴が丸ごと外れて服を汚してしまった」
文次郎は幼い頃の仙蔵が飴でベタベタにしてしまって涙目になっている姿を想像して、思わず笑みがこぼれた。
「今はこうして食べやすいサイズにカットして、子供から年配の方まで楽しめるよう工夫されているんだろうな」
「俺のココア殆ど食べ尽くしたもんな」
「美味かったぞ」
会計を済ませて外に出ると、文次郎が突然言い出した。
「仙蔵、俺らも作ってみないか?」
「家でか?」
「ああ。あの店のおじさんに聞いたら、砂糖と水と少しのレモン汁だけでできるらしい」
「ほう」
「甘くて硬めのがいいみたいだ。あと、他の果物でもいけるって」
仙蔵は少し考えて頷いた。
「いいだろう。まずは食材を揃えに行くか」
スーパーでりんごと砂糖とレモン、それから他の果物も購入し、二人は仙蔵の家に戻った。
*
「砂糖が溶けてきたぞ」
文次郎が時折かき回しているフライパンの中では、砂糖が透明な液体になりつつあった。「もう少し焦げ目がつくまで待て」と仙蔵は苺のヘタを取り外しながら言う。
「色が琥珀色になったら完成だ」
「ほんとか?」
果物を洗っては串に刺す作業が徐々に疎かになることも気づかず、文次郎は砂糖液の変化する様子に見入っていた。鍋の中で泡立つ砂糖は、次第に透明から淡い琥珀色へと変わっていく。甘く香ばしい匂いがキッチンに広がり始めた。
「やべ」
文次郎が慌てて火を調整するが、少し遅かった。砂糖液は理想より少し濃い色になっている。
「大丈夫だ、使える」
仙蔵は水気を拭った林檎を串に刺し、素早く液体に沿わす。
「見ていろ文次郎」
林檎をくるりと回しながら引き上げると、薄く均一な飴の膜が林檎を美しく包み込んだ。それを冷水に浸して固める。
「すげえ、店のとおんなじになった」
「やってみろ」
「おお」
文次郎は意気込んで大きなりんごを液に沈め、ゆっくり引き上げた。が、液が垂れて固まり、表面がデコボコになってしまう。
「そんなに深く入れるな。表面だけさっとな」
二度目の挑戦でも、飴が厚くついてしまう。
「むずいな」
「これは店では出せんな」
しかも軸のところまで飴が塗れて包丁でぶった斬ることもできない。
「そんな硬いかあ?」
「硬いもなにも」
仙蔵が台に置くと、ゴンと、りんご飴らしからぬ音が鳴った。
「もうこれは人を殴れるくらいの厚さだぞ」
仙蔵が結構強めに落としたのにヒビ一つ入らない。文次郎のりんご飴は鈍器と化していた。
「いいだろっ、初めてなんだから!」
文次郎は拗ねたように口をとがらせる。仙蔵は包丁の一箇所を使いながらそれをバリンバゴッと割り、取れた破片を再びフライパンに戻して作り直す。水も少し入れて、再び砂糖が溶ける香ばしい匂いが漂う。
「こっちの方がやりやすいかもしれないな」
仙蔵が文次郎へ渡したのは、苺、葡萄、蜜柑がそれぞれ串に刺さった竹串。文次郎がせっせと洗い、水気を拭き、串に刺したものだ。文次郎はさっきより丁寧にくるくると回して液から上げて、仙蔵に見せつける。
「どうだ!」
「いいんじゃないか」
やっぱり分厚めだ、と思った言葉は心の中に置いておく。
残りの果物もさっとくぐらせ、冷水に着ける。文次郎は残りの洗い物をしながらも、仙蔵の手元から目が離せない様子だった。仙蔵が漬けて冷やした苺串を、文次郎の口元に持っていく。
「ほら」
「あ」と口を開け、ぱくりと苺を頬張る。パリパリっと店で食べたような音。コーティングは完璧だ。
「うまっ」
「当然だろう」
文次郎にはぜひともこの薄さを目指してもらいたい。
目を輝かせながら「もう一つ」と強請ってきた口に二つ目を近づけた。文次郎は器用に串から苺をかじり、頬をいっぱいに膨らませながらもぐもぐと嬉しそうに咀嚼している。まるでハムスターのように頬を動かす様子が可愛らしくて、仙蔵は思わずちょいちょいと軽く頬を突っついた。
「なんか、店で食べた時よりうまく感じるなあ」
何か入れたのか?と聞かれたので、仙蔵は笑みが抑えられぬまま「愛情だ」と教えてやった。