高校生の頃、異世界で過ごしたことがある。
そこは魔法というものが存在する世界だった。魔法力というものがそこで暮らす人々には存在し、その多寡で魔法を使えたり、使えなかったりする世界だった。
そんな異世界で、私は、魔法士を養成する学校で、数年を過ごした。
もちろん、魔法は使えない。そのせいもあって、色々と困難に向かうことが多かったが、それでも――友人や、知り合った人々の手を借りて、なんとか日々を重ねることが出来たのだ。
他人には、話せない。元の世界に戻ったとき、どうしてか私は高校生になる前に戻っていて、この世界でもう一度高校生活を体験したからだ。数年失踪していたら、もう少し話の信憑性もあったかもしれないが。
高校を卒業し、大学に入り、そうして就活をして――大人として生きるようになった今、なんだかあの『異世界』は、私の夢だったんじゃないかと思い始めてきた。
時折見る、なんだか起承転結もしっかりしていて、ストーリーもちゃんとしていて、それでいてもの凄く長い夢。そういった夢の類いだったんじゃないか、なんて思うようになった。それならこの世界に帰ってきたときに、時間が戻っていることも何もかも、納得がいくというものだろう。
きっと、そう、あの日々は、夢だったのだ。
鮮明に心に焼き付いて忘れられない思い出のような、夢だ。
そんな風に決意して数日後のことである。会社での仕事を終え、へろへろになりながら私は駅への足取りを必死に動かしていた。
既に時刻は十時を回っている。明日も早くから出勤が決まっていた。今から食事を作る気力は無いし、作り置きの食べ物も無くなってしまっている。そもそも風呂入って、ご飯食べて、すぐに寝なければ明日の朝が辛い。
買うか。出来合いのものを。テイクアウトなり、なんなり。
ちょっとしたご褒美のようなものである。普段は毎日頑張ってるし、自炊もそこそこしてるし、今日は美味しいもの食べて明日への英気を養うのも良いかもしれない。そうと決まればテイクアウトやってて、今の時間も空いているお店を探すしかない。
私は即座に携帯を取り出して、近くのお店を探し始める。十時を過ぎるとさすがに閉まっている店も多かったが、何軒かは深夜まで営業をしているようだった。その内の、テイクアウト営業をしている店をピックアップして、どれにしようか選ぶ。
どうやらすぐ近くにやっている店があるようだ。徒歩で数分もかからない。ここにしよう。私は頷いて、疲労で重い足を叱咤しながら、店へ向かった。
おしゃれな構えの店舗だったからか、直ぐに見つけることが出来た。OPENと書かれた札が扉につるされているのを見てから、ノブに触れる。
ゆっくりと開くと、途端に美味しそうな匂いがじんわりと滲んできた。今の今まで、一度も空腹を主張していなかったお腹が一気に動き出すのがわかる。
「すみません」
声をかけて、室内に入り込む。ドアを閉めた。
すぐに店員が走ってくる。視線を向けて、私は一瞬だけ息を飲んだ。
耳が生えていた。……頭上から。
「いらっしゃいませ、お客様――って」
多分、本物だろう。一瞬仮装を考えたが、それにしてぴるぴると、まるでそれ自体が意思を持っているかのように動いている。
な、なんだ、あれ。思わず閉口していると、店員の男性が、にわかに破顔した。薄い青色の瞳、通った鼻筋、大きな口。なんだか見たことのある顔だ――。
「監督生くんじゃん」
「えっ。えっ?」
「オレ。オレッスよ、覚えてるでしょ?」
聞き覚えのある、特徴的な、少しだけ高い声が耳朶を打つ。男性はオーダーを取るための小さなクリップボードを、胸元に伏せるようにして持ち、小さく笑った。
見覚えのある笑い顔は、間違いない。
「ら、ラギー先輩……?」
「そそ。正解。うわーっ、なつかしいなあ」
男性――ラギー先輩は笑う。彼はすぐに奥へ「ちょっと休憩するんで!」と声をかけると、私の手を引いた。
「折角だし、積もる話もあるでしょ。ご飯、一緒に食べましょ」
「ゆ、夢じゃ……」
思わず声が震える。ラギー先輩は軽く瞬くと、私の手を引く指先に、力を込めてきた。体温がじんわりと伝わってくる。骨張った指先は、確かな質量を持っていた。
「夢じゃないッスよ」