なるぎつね「…それで?君は一体なんだ?」
「俺はなるぎつねです〜もぉこのくだり何回目?」
築25年。2LDKのアパートに一人暮らしをして早幾年。毎日家と職場の往復だが、好きな家具を揃えインテリアを吟味し、中々悪くない暮らしぶりだと自画自賛している。その日も簡単な自炊をし、いただきますと手を合わせたばかりだった。
「うどん食べません?」
「は?」
ガラリと棚の扉が開き、へにゃりとした笑みを浮かべた男性が私に声をかけてきた。棚の中から。頭にはふさふさとした狐の耳。兎に角事態が飲み込めず、硬直していると男の腹がぐぅうと鳴った。
「あ〜!美味しそうなお握り!俺卵焼きはだし巻きが好きなんですよ。ちょっとだけ貰ってもいいですか?」
棚から軽やかに這い出してきた男がニコニコと笑いながら勝手に私の飯を食おうとしている。背がでかいな?思考停止のあまりどうでもいいことを考えてしまう。
「…というか、私にうどんを食わせる為に化けて出たのに君は人様の飯を食うのか?」
呆れて笑いながら問うと、なるぎつねと名乗る青年はきょとんとしながら首をかしげた。
「それはそれ、これはこれですから」
あなたの名前は?と聞かれ、思わず名乗ると、なるぎつねはニコニコと笑って言った。
「じゃあ、藤哉さんって呼びますね。藤哉さん、うどん食べてく〜ださい!」
なるぎつねが笑う度、尻尾がふさふさと左右に揺れる。ちゃっかり夕飯を平らげ、お代わりくださいと差し出された手をつねる。
「いてて!酷いですよぉ藤哉さん」
「帰れ。私はうどんは食べない」
こうしてなんとか追い返し、ご帰宅頂いたところ、数日後にまた棚の扉がガラリと開いた。
「藤哉さーん」
「暇なのか君は…」
「そろそろなるぎつねって呼んでくださいよ」
今日も律儀にカップ麺のうどんを携えて、私に様々なアピールをしたなるぎつねはため息をついた。心なしか元気がない。
「きつねの里から言われたんです。藤哉さんにうどん食べさせるまで帰ってくるなって」
がばっ!と顔を上げたなるぎつねに手を掴まれて目を白黒させていると、そっとうどんを手の中にのせられる。
「…私は食べないよ。気の毒に思うが…」
なるぎつねの耳がしゅんと項垂れるのを見て罪悪感が胸を刺す。断じて絆されてはいない。にこっと笑った時に八重歯がのぞくところや、眼鏡の中の瞳がくるくると表情を変えること、なんだかんだ大型犬に懐かれているようで満更でもない、なんて。なるぎつねに手を握られたまま、うーんと唸っていると、玄関から声がした。
「…藤哉さま?誰かといらっしゃるのですか?」
凛とした声が響く。失礼します、と玄関を開ける音がした。礼儀正しく靴を脱ぎ、部屋に上がってきた雪晴は、なるぎつねに押し倒されたようになっている私を死んだ目で見つめている。
「藤哉さま、そちらの方は?」
「違う、違うんだ雪晴」
「藤哉さーん、もう観念しましょうよ〜」
ああもう、私は何ごともなく平穏に暮らせればそれでよかったのに。面倒ごとが更に大きくなる気配を感じて、私は天を仰いだ。