通り雨四季山荘の裏手、林の小径。
ほのかに花の香りが残る空気の中、阿絮と老温は並んで歩いていた。
「阿絮、たまにはこうして歩くのも悪くないだろう?」
「……まあな」
そんな何気ない時間も、二人にとってはささやかな宝物だ。
と、突然ポツリと水音がしたかと思うと、たちまち雨粒が降り始めた。
「あっという間だな」
「ほら、こっちだ」
老温がすぐそばの大木の下に阿絮を連れて行き、その枝葉の下で雨宿りすることに。
阿絮は少し距離を取ろうとしたが、老温が軽く腕を伸ばして引き寄せる。
「阿絮、ほらもっとこちらへ。濡れるだろう」
ぐっと抱き込まれる形になり、阿絮は少し目を逸らしながらも抵抗はしなかった。
目の前にあるのは、濡れた老温の胸板。雨に濡れ、薄く張り付いた衣越しでも、その逞しさがはっきりと伝わる。
「寒くないか?」
そう言って老温は、先程まで浮かべていた笑顔は消え、真剣な顔をして阿絮の顔を覗き込む。
「……通り雨だな。ほら、向こうの空は明るい」
そう言って、空を見上げる老温の首筋。
濡れた髪が額に張り付き、喉元から顎へと続く描線が、雨粒に濡れて艶めいていた。
阿絮は胸がきゅっと鳴るような感覚に襲われる。
肩に回された腕の力強さも、触れる体温の優しさも、耳元に響く低い声も、すべてが心地良い。
気づけば、老温の喉元をじっと見上げてしまっていた。
「阿絮?」
「ああ、平気だ」
老温の問いかけに、それしか返せない。
どんな顔してるかなんて、絶対見せられない。
すると老温がふっと微笑み、
「睫毛に雫が」
と、そっと顔を寄せ、唇で阿絮の睫毛の雫を取った。
阿絮がびくりと肩を震わせる。
「やっぱり寒いのか?」
「……違う」
そのとき、ぱたぱたと足音が近づき、成嶺が傘を持って駆けてくる。
「師匠、師叔、こちらでしたか」
息を弾ませながら、傘を差し出す。
「ああ、ありがとう成嶺」
受け取る阿絮の声は、どこか名残惜しそうだった。
老温は安堵したように笑い、「お前の師匠はか弱いから、すぐ熱を出すんだ。手間のかかる男だな」
「……うるさい」
ぼそりと呟く阿絮。
それでも顔はほんのり赤いまま。
「湯殿の準備をしていますから」
成嶺の言葉に、三人で傘をさして歩き出す。
雨の匂いと、濡れた林の緑の匂い。
肩が触れそうで触れない距離を保ちながら、心はすぐ隣にいる。
阿絮の胸は、まだどきどきと鳴っていた。