雪山に咲く縁 前編成嶺が逝き、その娘も土に還った頃。
老温と阿絮は人里を離れ、雪山の奥深くへと姿を消し、庵を建てて、静かに肩を寄せ合う暮らしを始めた。
「これで、誰にも煩わされず、お前と私だけの世になる」
老温はそう呟き、阿絮も深く頷いた。
二人の中では、縁のある者はもう誰もいないはずだった。そう、思い込んでいた。
──そして百年。
ある日、庵の前に雪を踏みしめる音がした。
老温は即座に気配を察し、阿絮とともに身構える。
「どなたか…御在宅でございましょうか…」
その声に、老温の目が細くなり、阿絮は無言で庵の戸口に立つ。
老人は名乗った。
「平安…と申します。平安商店の者…祖父の名は…七爺様の部下でございました」
その名を聞いた瞬間、阿絮の顔色が変わった。
握った拳が小さく震え、堪え切れず叫ぶ。
「七爺の名前を出すなあああ!!」
雪を跳ね散らし、声は山々にこだまする。
老温がそっとその肩を抱き、「阿絮」と静かに名を呼ぶと、阿絮は堪え切れずその場に崩れた。
老人は語る。
成嶺とその縁者が絶えた後、二人は江湖から姿を消し、百年もの間、行方知れずとなった。
祖父・平安は七爺からの命を受け、剣仙となってからもずっと、二人を支え見守り続けていた。
しかし忽然と姿を消してしまった二人の行方を案じ、長い年月ずっと探し追い続けていた。
自身の存命のうちに二人を見つけられず、守る事も支える事も出来なかったと悔やみ、七爺の名を呟きながら涙を流し逝った祖父の無念。
そして、自らその意思を継ぎ、ようやく探し当てたと。
老温は静かに息を吐き、「我等にはもう構うな」と告げ、庵の戸を閉じようとする。
だが老人はその場に跪き、動かない。
日は傾き、降り始めた雪は激しさを増す。
それでも老人は凍えたまま、膝を雪に沈め、頭を垂れ続けた。
やがて、阿絮がしびれを切らし、庵の戸を開け、老人を招き入れると、火鉢を用意し甘酒を差し出す。
「…このまま死なれても、俺達が後ろ指さされるだけだ」
老温は力無く笑い、老温は肩を竦めた。
だが、老人は甘酒も口にせず、土間に額を付ける。
「…せめて、ここに在ると知るだけで、わたくしは…祖父と七爺様に顔向けできます」
その言葉に、阿絮は何も言えず、老温もただ静かに阿絮の横顔を見つめた。
夜が更け、雪は庵の屋根に厚く積もり、しんとした静寂が戻る。
やがて阿絮がぽつりと呟いた。
「……せめて冬の間くらい、ここで凍え死なれぬようしてやれ。どうせ我等は、江湖に戻るつもりなどないんだ」
老温は微笑むと、雪に濡れそぼり凍えきった老人をゆっくり立ち上がらせ、居間に座らせる。
阿絮が火鉢をもうひとつ用意した。
この“新しき平安”と二人の剣仙との、不思議な縁のはじまりだった。