情人節の贈りもの 〜白色情人節に贈るもの〜 白色情人節。
それは日本で言うところのホワイトデー。
元々我が国には無かったイベントだが、何となく日本から持ち込まれた文化のため、やる奴はやるけどやらない奴はやらない程度のイベントだ。情人節ほどやらなきゃいけない感は無い。
そもそも我が国では女性からプレゼントを貰うなど誕生日くらいのもので、もっぱら男から本命の女性に というのが一般的だ。その根底には、女性にお金を使わせないという暗黙のルールがあるので、白色を取り入れたとしても男が女性に贈り物をする回数が増えるだけ。まぁよほどラブラブならば贈り合ったりもするようだけどね。
というわけで、前世での俺の情人節絡みの思い出と言えば、妹に贈られた菓子をお裾分けで貰ったとか、兄達が本命に最上の物を贈るために開催した試食会への参加だとか、つまり自分とは全く関係が無いエピソードばかりだった。こちらの世界にもそんな習慣は無かったため、これら呪われたイベント(ぼっちにとって情人節と5月の我愛你の日と七夕節は特に地獄!)とは一生無縁かと思っていた。いたのだ・・・が。
先月の情人節、冰河がチョコレートを贈ってくれた。
まさか贈られる側になるとは思いもよらなかったが、まぁ相手が冰河だからそれも有りかと思った。
尚清華から聞きかじった程度では、情人節のまともなしきたりなど冰河が知る由もないだろう。けれど、例え知ったとしても、あの子にとってはおそらく俺の性別なんて関係なくて、『俺』が俺であれば気持ちを表現する機会を逃すなんてことはないだろうから。
素直に言おう。
嬉しかった、とても。
チョコレートは、こっちの世界ではもう口にすることなど無いだろうと思っていたし、冰河のお手製だから当然美味中の美味だった。
だけど、何より嬉しかったのはやっぱりあの子の真心が籠もったものだったから。
魔王などという望めば手に入れられぬ物など無い立場に在っても、冰河は俺に意味もなく高価な物を贈るようなことはしない。
けれど、俺の健康を願って材料を選りすぐり日々欠かさず食事を作ってくれるし、俺が必要とする物はできるだけ自分で誂えてくれようとする。器用な冰河は大概のことはこなしてしまうけれど、そうもいかない時には、自ら見繕って厳選したものを用意するか、一緒に選ぶ機会を設けてくれる。適当にとか、手を抜くということが、事俺に関しては無いのだ。
もっと気楽でいて構わないのだといつも言ってはいるが、「俺から楽しみを奪わないでください」などと眉尻を下げて懇願されるので、もう好きにさせている。
当初は、こまごまとした事を嬉しそうにこなす冰河の顔を眺めながら、何がそんなに楽しいのだろうと腑に落ちない思いでいたものだが、最近では少しわかってきた。相手から反応を得られるのが、その姿を想像するのが楽しくて仕方ないのだ。きっと冰河は、俺が喜ぼうがケチをつけようが、俺から何かが返ってくるだけで嬉しいのだろう。褒められれば喜ぶのは誰しもだろうが、ケチを付けられれば怒るか拗ねるか、少なくともムッとするのが一般的な反応だ。けれど冰河は「次はもっと精進して参りますね」などと言いながら、いそいそと本当に次の準備に取り掛かるのだ。
────健気だ。
そういうところは、白蓮華時代からまったく変わっていない。冰河が拗ねたりムッとしたりするのは、專ら俺の眼が他に向いている時と決まっていて、そうなると宥めるのが大変な訳だが・・・・・・
────嗚呼、愛されてるなぁ。
うん、全力で、なりふり構わず、愛されてる。
だから。
白色情人節にかこつけて、俺からもあの子に何か気持ちが伝わるような贈り物をしたいと思った。
しかし、何がいいだろう?
改めて考え出すとなかなか案が浮かばない。
以前に扇子をと求められたことがあったけれど、俺が散々使い古した後に という少々マニアックな条件付けがあったので、欲しいのは今ではないらしい。・・・予約か?
何か買い求めて渡すのでも喜ぶとは思う。思うが、俺のためにチョコレートを作っていた時の冰河の穏やかで幸せそうな様子を思い出すと、今でもジンと痺れるような感情が込み上げて来るから、出来れば同じような付加価値を添えて渡せればと思うのだ。しかし、そうなると選択肢は狭まる。
食べ物・・・は、あの子以上のものが作れるとは思えないし。
置き物・・・は無理にでも持ち歩きそうで怖いし。
持ち歩く、身に付ける物と考えると、髪冠・・・は鋳造技術が必要そうだし(ワイルドな鍛冶打ち姿を見せ付けた挙句、ちっこくてイビツな髪冠をションボリ差し出す俺、最早オモシロ過ぎるだろ)。
手袋・・・は水温むこれからの季節には少々遅いし、何より編み物の技術が必要となる。ド素人の男が背中を丸めてチョボチョボと目数を確認しながら必死に編んでいる姿を見せてもカッコいいとは思えない。いや、ニット男子なるカテゴリーもあるようだが、どうも俺がやってもお年寄り臭くなってしまうのではないかという懸念がある。ただでさえ年齢差があるのだ。できれば若々しく見える方向に持込みたい。
編むと言うなら、そうか。髪紐などは良いかもしれない。組み紐作りならば、背筋を伸ばしてサラサラと所作良く編んでいる姿を見せられるのではないか。いや、よく知りもしないイメージからの発想だから、実際はそうでもないかもしれないが。
とりあえず、慣れないことに挑戦する訳だから、いきなり大作を目標に掲げて玉砕するのは避けねばならない。時間もあまり無いことだし。組み紐というのは手間も程々で出来栄えのイメージも良く、良案のように思えた。
となると、次なる行動は弟子入りだ。
髪紐ひとつ作るにせよ、冰河の前で澄まして器用に編んでみせるためには、経験者に師事して鍛錬を積まねばならない。慣れぬ手つきでもたもたとやっていては、冰河に手伝われてしまう。それでは恰好がつかない。
師匠に相応しいのは誰だろうか。
手近で頼みやすいのは寧嬰嬰だが、技術力が高いのは何と言っても蒼穹山派全峰の被服を担当する仙姝峰の面々だろう。齊清萋にうまく打診すれば主席弟子あたりを寄越してくれそうだが、それってつまり、柳溟煙。
うーん・・・美女と二人っきりなのも悪くはないが、彼女はなー・・・何というか・・・なんとなく気まずい。じゃあ兄の柳清歌も呼んでみるか・・・って、明らかに不審がられるか馬鹿にされるに決まってる。別に首席弟子でなくともいいから、誰か寄越して貰って・・・・・・って。
ふと。
淋しそうな冰河の顔が脳裏を過った。
焼きもち、焼くかな。
焼くだろうな。
俺が誰かとコソコソ何かやっていたら。
大きな身体を縮めて、薄く涙の張った瞳をこちらに向けて。眼が合ったら最後、綺麗に整った顔を勿体ないくらい惜しげもなく歪めて。下唇を噛み締めて、ポロポロと。堰き止めていたものが決壊したかのように、ポロポロポロポロと涙の雫を零すんだ。
(喜ばせようとして悲しませて泣かせるなんて、本末転倒にも程があるよな・・・・・・)
クォリティを追求するよりも、自分の矜持を優先するよりも大事な事を棚上げしていたことに、気付いてしまった。
────だったら、作戦変更だ。
───────── 2 ─────────
「で、また俺がパシリになる訳ね」
いざという時の尚清華召喚である。
「仕方ないだろ。申し訳ないとは思ってるって」
「マシュマロに挑戦すんの? ゼラチン手に入れるの大変よ? それともマカロン? アーモンドパウダーも簡単には・・・・・・」
ちげーよ。食べ物から離れろよ。
「俺にそんな高度な菓子が作れると思うか?」
「冰河に作らせるんじゃないの?」
「貰ってばかりでいられるかよ、女子じゃないっつーの」
なーんだ、お菓子じゃないのかぁ・・・と心底がっかりした様子で尚清華が肩を落とす。思った以上に高速ですっ飛んで来たと思ったが、『冰河おやつ』のおこぼれを期待して現れたって訳か。
気持ちはわかるが、ちょっとは懲りてくれとも思う。
先だっての情人節の折には、尚清華が帰った後に冰河がチラリと棚に取り置いたチョコレートを見た一幕があったが、あれは自分が作った数から俺が食べた分を差し引いて、残った数から俺が尚清華に分けたと申告した数との答え合わせをしてたのは間違い無い。言うと厄介な展開になりそうだから知らぬふりをしてはいたが、冰河の嫉妬深さは底無し沼の如し、なのだ。
まぁそれはそうと。
「 仙姝峰に行って、組み紐用の撚り糸を何色か貰ってくることって出来るか? あと組台ってやつ?」
「安定峰なめんなよ。でもどうして組み紐?って、あー」
安直なトコいったなーと尚清華がへロリと笑うので、うっさいわと卓の下で奴の膝を蹴ってやる。他に思い付かなかったんだから仕方無いだろう。
イタタタ・・・と大袈裟な声をあげてから、それでも尚清華は「まぁチョコレートのお礼ってことで」と引き受けてくれた。
でもそんな物、おたくの嬰嬰ちゃんでも貰えたんじゃないの? わざわざ俺を呼び付けて頭下げるより早くない? と聞かれたので、俺は目下の懸案事項を打ち明ける。
「最近なー仙姝峰に行くとなかなか戻って来ないんだよ、嬰嬰」
女子同士で話したい事がたくさんあるのだとニコニコと笑顔で言うので、別にそれ自体は悪い事ではないし、止めはしないのだが。
(最近あそこの弟子達のこちらを見る眼が、妙にギラついているように感じるんだよな)
変な影響を受けて来なければいいが・・・・・・と思う俺だった。
さて、その数日後。
期待以上の量の撚り糸と組台を引っ提げた尚清華が早々に帰って行くと、戸口の影からひょっこりと冰河が顔を覗かせた。
「今日は早く帰ったのですね」などとサラリと言ってはいるが、おまえがずっと戸口の裏に潜伏して、早く早く帰れ〜と念を送り続けてたこと、俺気付いてるからね。まったく。
「今日は頼んでいた物を届けて貰っただけだからな」
ほら、こちらへ来てごらん。さぁ座って。
冰河を手招いてから、卓の上の包みを開き、艷やかな光沢を放つ色とりどりの撚り糸を並べていく。冰河はしばらく黙って俺の手の動きを眺めていたが、やがて、ほうっと息をつくと「美しいものですね」と感想を述べた。
「冰河。そなた、組み紐作りが随分と上手いそうではないか」
さり気なく言ったつもりだが、唐突だったのか、冰河はキョトンとした表情を見せた。
「上手いと言われましても・・・この弟子は習ったこともありませんが?」
いやいや、と俺は苦笑しながら組台を引き寄せる。
「そんな本格的な物でなくてよいのだ。嬰嬰が以前組み紐作りに凝っていた折、そなたに手伝って貰ったと言っていてな。すぐにコツを掴んで、とても丁寧で綺麗な仕上がりであったと褒めていたゆえ」
この師にも教えてはくれぬか?
そう言うと、冰河はポカンと口を開けたまま停止してしまった。
そんなに驚くか? 息くらいしなさい。
「ええ・・・と、その。それはこの弟子が師尊に、ということでしょうか?」
「そうだが?」
「そんな・・・私などは大した技術なども無く、とても師尊に教えるなどと・・・・・・」
珍しく自信なさげに瞳を彷徨わせる姿が愛しくもあるが、このままでは話が進まない。
「大した技術など。仮にそなたにあったとしても、教わる私は全くの初心者だ。却ってついてはいけぬだろうな」
それとも。
「そなたは私が他の師を探した方がよいと?」
これこうやって・・・と、冰河の手を取って指を重ね、撚り糸を絡めて腕を引く。自然と、腕の先に在る冰河の身体も少しこちらに寄せられる。呆けた表情を向けて来る冰河をチラリと見てから、呟く。
「このように手を添えて、力加減を教わったりするのに、そなたは私に別の者を探せと?」
上目遣いで軽く睨むと、冰河は添えられた俺の右手をもう片方の掌で押さえて、ギュッと握り込んだ。
「いやです。俺が教えますから!」
そんな縋るような瞳で訴えなくとも、逃げないってば。最初からおまえに頼むって言ってるだろ?
「そうか、助かった。そなたに断られたら贈り物が出来あがらぬところであった」
心底ホッとして思わず内心を吐露すると、さっきまで殊勝にしていた冰河がずずいっと顔を寄せて、瞳の中を覗き込んで来る。
「贈り物、と仰いましたか? どなたに? 師尊が手ずからお作りになられた物を、一体誰に贈るおつもりですか」
怖いこわい。眼が三角だよ本当に・・・ってそんな顔のまま、もう涙が盛り上がってきてるし。
「 話を聞いてもらえるか?」
俯いてしまった弟子の額に落ち掛かる髪をかき上げてやりながら、ゆっくりと、話し掛ける。
「・・・・・・はい」
「この前はチョコレートをありがとう。嬉しかった」
「・・・・・・」
「今日はな、白色情人節といって情人節のお返しをする日なのだ」
本当はちょっと違うけど、そういう事にしておく。
「だから、贈り物はそなたへ」
聞いた瞬間、冰河の顔が上がる。
そう素直に反応するところ、昔から本当に変わらないな。
「あまり器用ではない私が初めて作るのだ。きっと仕上がりは拙なかろうが、そなたから教わって一緒に作った時間の記念にもなれば、それもよいか・・・と・・・・・・冰河?」
今度は冰河が俺の手を引くと、握った拳から覗く指先に口付けてきた。そしてそのまま、頬擦りをする。
「何よりです」
何よりの贈り物です、とキラキラと潤んだ瞳を俺に向けて。
冰河は、輝く笑顔を咲かせたのだった。
───────── 3 ─────────
それにしても。
これは明らかに正しい作法ではないだろう。
最初は卓の中央に組台を置いて、向かい合わせに座していた俺と冰河だったが、そのうち「力加減をお伝えしますね」と手を握り(これは想定内)、「こちらの手は、もそっと、そう・・・そうですね」とか言いながら背後に回られ、覆い被さるような体勢で両肘を取られ、なんか今の俺、人形劇の人形みたいなんだが。
そのうえ冰河ときたら、妙に響く良い声で無駄に息を吹き掛けながら、耳許で何やら色々と囁くので、くすぐったいやらゾクゾクするやらでこのままでは作業が進まなくなりそうだ。身を捩って少し距離を取ろうにも、両脇をガッチリとガードされているので逃れようがない。
(これは・・・間違いなく落としにかかってきたな)
だがしかし。
俺は絶対にきちんと贈り物を作って、冰河に渡したい。
こればかりは譲れないのだ。
頻繁に悄気たり淋しがったりするこの子に、あの玉観音とまではいかないにしろ、何か気持ちの支えになるようなものを俺からも持たせてやりたいから。
「師尊」
と、俺からそう呼ばれて、不埒なお触りを仕掛けようとしていた冰河の動きが止まる。
「え、今なにか・・・・・・」
空耳だったかと一瞬首を傾げ、すぐにお触りを再開しようとする冰河へ、畳みかけるように俺は言葉を続ける。
「師尊、この弟子はきちんとした物を作り上げたいのです。真面目にご指導を」
聞き違いではなかったと理解した瞬間、冰河は雷にでも打たれたかのように硬直した。
「し・・・師尊、やめてください。この弟子にそんな・・・・・・」
衝撃を顕にした表情のまま、哀れなほどオロオロと俺を見る。不埒な指先の動きは完全に停止していた。よしよし、いい子だ。
「今は私が教わる身。師尊と呼んで何の間違いがありましょう?」
予想以上の効き目に可笑しさが込み上げてくるが、ここで笑ってしまっては意味がない。可能な限りキリッとした顔を作り、真面目くさって俺は言う。
「何よりも大切な者への大事な贈り物なのです。過ぎたるお戯れはご遠慮願いたい」
「そんな、本当に・・・本当に勘弁してください」
何に対しての動揺なのか、赤くなったり青くなったり汗をかいたり涙ぐんだりと、もう冰河の顔面は大忙しで大変な事になっている。
ともあれ、主導権を制圧しきった俺は雄々しくキッパリと言ってやった。
「さぁさぁ作業を続けましょうぞ。昼には昼にしか、夜には夜にしか出来ぬことがあるのですから」
そう聞いた途端。
本当に、可愛いくらい単純に、冰河の面が華やぐ。
うん、そう。それでいい。
楽しく過ごす幸せな1日にしようじゃないか。
「師尊、この弟子は上手く出来ておりますか?」
「もう、本当に勘弁してくださいってば!」
────俺はいつまでも、
貴方の弟子で在りたいのですから。