苦瓜「・・・・・・にがい」
眉を顰めて横を向いたお顔に、思わずキュンときてしまった。
師尊は落ち着いたおとなの男性で。
峰主というものはこんなにも博識で、先進的な考えをお持ちで、優れたお人柄でなければ務まらないものなのかと日々眩しく仰ぎ見ているけれど。
蒼穹山派すべての峰主の方々に当て嵌まる訳でも無いところを見るに、やはり我が峰の峰主は特別な御方なのだと誇らしく。お傍近くにお仕えできる栄誉を噛み締めながら、健やかにお過ごしいただけるよう師尊の一挙手一投足、お顔の色や寝具に付いた抜け毛の量などを注意深く見守らせていただいている。(たまに睫毛とおぼしきものを発見すると、お宝として密かに持ち帰らせていただいていることは誰にも悟られてはならない秘密だ)
師尊はあまり表情を変えられることがなく、あっても扇子の奥に隠してしまわれるから、その真意が弟子達には推し測れぬことも多い。けれど、そんな師尊が時折お見せになる少し幼い表情は決まって食事の際であり、身の回りのお世話を任せていただいている俺だけに授けられた宝物のような瞬間なのだ。
「お口に合わなかったでしょうか?」
「いや」
瞼を伏せると、長い睫毛の存在感がより際立つ。
「炒め物の味自体は悪くないのだが、このシャリシャリとした野菜がどうも」
苦くてな・・・ と零す声が切なげで、ついお慰めしたくなってしまう。
「苦瓜はあまりお召し上がりになったことがありませんか?」
「・・・これが苦瓜なのか」
効能を聞いたことはあるが、実際に食したのは初めてだと仰る。
師尊の口から出る〝初めて〟という言葉に、どうしようもなく胸が甘く疼いてしまうのを抑えながら、俺はできるだけ何でも無いこととして説明をする。
「ここのところお疲れのようだったので取寄せて参りました。苦味はありますが、お元気になられますよ」
そなたの心尽くしでは無碍にはできぬなぁ と言いながらも、辛そうな面持ちを消す事ができず、切なげに口に運ぶお姿が愛おしい。思わずニコニコと見守ってしまう俺にチラっと目をやって、少し膨れ気味の頬に掻き込むお姿も。
こんな風に何があるわけでもなく、けれども優しい日々がいつまでも、いつまでも続きますように と。
思わずそんな風に願った
甘くて僅かに苦味の残る・・・16歳だったある日の思い出。