妖怪キャプターREI烏 なぜ泣くの ?
閉館のアナウンスと共に童謡が流れると、館内に残っていた数名の男性が重そうに腰を上げた。
「貸出しお願いします」
「はい、カードをこちらにお願いします」
ここは烏丸図書館。かの一族が建てた私立図書館だ。
一時期は烏丸家の屋敷があった場所で、広大な屋敷を取り壊してからは公園になり、その一角に唯一残された建物が、今は烏丸家の蔵書を保管している。
貸出カードを作れば誰でも本を借りることができるが、禁帯となっている書物の方が多い。
そこに烏丸家の秘密が記された本があるとの噂があった。
その本を探し出し、スタッフの中にいるかもしれない組織の構成員を見つけ出すことが今回の僕の任務だ。
「安室さん、お疲れ様でした」
声をかけて来たのは奥谷館長だ。この私立図書館に一番古くから勤めていて、僕の中の最重要監視人物でもある。
「お疲れ様です、まだ外は暑いですか?」
「はい、熱帯夜になりそうです」
館長はハンカチでこめかみの汗を拭った。
僕が潜入してから5ヶ月、館長は閉館時間になると図書館へやってきた。毎日だ。そして「あとは私がやっておくので…」と言って僕を含めた司書数名を帰らせてしまう。
司書たちはいい職場だと喜んでいるが僕は彼が何か隠しているのは間違いない。
誰にも手伝わせることができない、秘密の作業だと確信している。
帰り支度をまとめて外に出る。同じシフトだった同僚と別れてから、トイレでスーツに着替えた。
と同時に、安室透から降谷零の顔になる。館長に協力者になることを打診するためだ。
あくまで『お願い』ではあるが、館長の家族構成と弱みはすでに掴んでいるから、彼は断れないだろう。
今夜の交渉が終わったら僕の潜入捜査は終わり。
日付が変わる前に恋人に電話できるかもしれない。
そんな甘い未来を頭の片隅に描いていた僕を出迎えたのは、床に倒れた奥谷館長だった。
「館長!?どうしたんですか!?」
肩を叩きながら声を掛けると、館長は目をうっすら開け、禁書が収められている書庫を指差した。
「救急車を頼む。館長が何者かに襲われた」
風見に連絡して、僕はそっと書庫に近づいた。
扉の向こうからガタガタと音がする。館長を襲った犯人がまだ中にいるらしい。
銃を構えて、心の中で名前を呟く。付き合う前からのおまじないだ。バーボンと呼ばれていた時から、絶対に外したくない場面で僕はアイツの名前を心の中で呼んだ。
「警察だ、手を上げろ!」
飛び込んだ瞬間、目に飛び込んで来たのは無人の部屋だった。
警戒しながら足を踏み入れる。
強い衝撃が頭に走った。
目の前がチカチカして思わず膝をつくと、なぜか服が大きくなっていた。
そうじゃない、僕が小さくなってる!
瞬時に頭に浮かんだのはかつて高校生探偵を小学生にした薬だった。
しかし、何かを飲まされた記憶はない。
「くすくす」
小さい笑い声が聞こえて振り返ると、着物を着た女の子が館長の上に座っていた。
「くすくす、くすくす」
「君は……」
僕は彼女を見たことがある。
でもそれは三次元ではなく二次元だった。
この図書館でもっとも貴重だと言われている蔵書で、江戸時代の画家・烏山石燕が描いたとされる妖怪画は全百八ページある。
その一つに描かれていた女の子にそっくりだ。
「くすくす、くすくす」
彼女が何者であれ、倒れている館長の上に座っているのはよろしくない。
駆け寄ろうとしたところで、自分が彼女とかわらない背丈になっていると気がついた。
小学校3、4年ぐらいの体型だ。シャツの袖はだらりと垂れ下がり、ベルトを付けたスラックスは今にも脱げそうだ。それらを見下ろしていると、すぐ横にはなぜか杖が落ちていた。
「僕を殴ったのはこれか……」
手に取ってみると、木製の割に重かった。叩かれたところで死ぬことはなさそうだが、突起があるからかなり痛いだろう。
とりあえず証拠としてそれを拾い、女の子の元へ向かう。
スラックスは脱げてしまったが、どう見ても普通ではない女の子の前で恥ずかしがる必要はないし、シャツの裾で隠すべきところは隠れてる。
「僕は、透。きみは?」
「くすくす、くすくす……鬼さん、こ〜ちら」
「えっ……鬼って?」
「後ろの正面だ〜れだ……くすくす」
恐る恐る振り返る。
いませんように、と願ったにも関わらず、やはりそれはいた。鬼だ。石燕の妖怪画とそっくりの鬼が僕を見下ろしていた。
「なんなんだ、一体……!」
石燕の画風は怖さよりおかしみを強調しているから身の毛もよだつというわけではないが、明らかに人間ではないその大きさと造作に本能が「逃げなければ」と訴えてくる。
しかし、僕が逃げたら奥谷館長はどうなる。館長のために呼んだ救急隊や風見が到着した時、鬼が人を喰らっていたら、潜入捜査がご破算になるどころの騒ぎではない。
「くそ、やるしかないのか!」
手に持っていた杖を鬼の前で構える。今の身長で狙える急所は一つしかない。鬼に人と同じ痛覚があれば、だが。
「やあ!」
木の杖を横に振り、鬼の脛を殴る。手応えはない。
しかし。
「あるべき姿に戻れ!」
鬼は消え、足元には古い一枚の絵が落ちていた。
間違いない。石燕の描いた鬼だ。
咄嗟に口を突いて出た言葉だったが、さっきまで僕の前に立ちはだかっていた鬼は二次元の世界に戻ったらしかった。
「くすくす、くすくす」
「君もそうなのか?」
女の子は答えない。
その代わりに僕の背後を指差した。
「うわ!?」
今度は鬼だけではなかった。なんと呼べばいいかわからないような異形の存在がぞろぞろと列を作り、書庫から出てくる。まるで百鬼夜行だ。
さすがの僕でもこれは無理だ。
意識のない館長を異形たちから遠ざけるために、力を振り絞る。ちびっ子相撲で三連覇した僕は子どもの姿でも大人の体を引きずることができた。
異形の者たちはそんなことにはお構いなしで、図書館のガラスのドアを開けることなく外へと出ていく。
「どこへ行くんだ……?」
絶対に組織の件とは関係ないが、放っておくわけにもいかない。
僕は異形の者たちを追いかけることにした。
二時間ぐらい歩き続けただろうか。見覚えのある場所に着くと異形の者たちはふっと消えた。
まるで僕の心を見透かしたようなタイミングだった。
「どうして……」
見上げたマンションのその部屋には電気が付いていた。しばらく潜るから来なくていいって言ったのに。
僕の、降谷零名義の唯一の居場所。その部屋の鍵を僕は持っていない。
かろうじて持っていたスマホで電話を掛けると、僕の部屋の鍵を二つとも持っている男はすぐに出た。
「もしもし……君なのか……?」
「あかい」
声でバレてしまうだろうか。僕がヘマをしたことが。それとも子どものいたずらだと思って切ってしまうだろうか。
「今どこにいる」
「マンションの前……」
電話の向こうから慌ただしい物音が聞こえる。
七月に入ったばかりだというのに今夜も肌にまとわりつくような暑さだ。昼間日差しを浴び続けたアスファルトはまだ熱を持っていて、足元からじわじわと熱が伝わってくる。
子どもの頃もこんなに暑かっただろうか。
額を拭うと袖にぐっしょりと汗が染みた。
「零!?」
「あかい……」
この世界でこんなにも僕を安堵させるひとは他にいない。
その腕に抱き寄せられて、僕は全身から力が抜けるのを感じた。
「話を整理する。君は烏丸の図書館に司書として潜入していた」
「はい」
「そこで何者かにこの杖で殴られたら子どもの姿になっていたと」
「ええ……信じられないかもしれませんが」
「いや、信じるよ」
赤井の信頼が額に貼られた冷却剤のように心地よかった。
図書館からこのマンションまでの約十キロを歩き続けた僕は軽い熱中症になっていた。赤井にスポドリと冷却剤を処方され、ベッドに寝かされている。
「この杖は不思議な気配を感じる。ただものではないだろう」
「えっ……あなた、そういうの信じるんですか?」
「まあな。いわゆる、見えるタイプなんでね」
突然のカミングアウトに思わずスポドリを落としそうになる。それに気づいた赤井は僕からペットボトルを受け取るとベットサイドに置いた。
「話を戻そう。その後、図書館で君は百鬼夜行を目撃した」
「はい……着物姿の女の子と鬼がいて……他にもなんと形容すればいいかわからないものも居ました。鬼は僕が杖で殴ったら消えてしまいましたけど」
「ふむ……」
僕だって何が何だかわからないのだから、赤井はもっとわからないだろう。
赤井と僕が恋人同士になって一年とちょっと。潜入捜査が決まったからと別れ話を切り出した僕に赤井は「いつまででも待つ」と言ってくれた。
でもまさかこんな子どもの姿で、鬼退治の土産話を持って帰ってくるとは思わなかったはずだ。
「君にひとつだけ、言っておきたいことがある」
赤井の固い声に僕の背中に冷たい汗が流れ落ちた。
「こんな格好で夜、外を出歩いてはダメだろう!」
「へ?」
「君の仕事への情熱や正義感の強さは理解している。しかし、こんなに愛らしい少年が大人のシャツを羽織っただけの状態で歩いていたのかと思うと俺は……」
「はっ、確かに……」
よく補導されなかったものだ。警察官でなくともこの異常な姿を見たら声を掛けていただろうが、これまた不思議なことに、ここに来るまで誰ともすれ違わなかった。異形のものたちのせいなのか、偶然なのか。僕は運良くここに辿り着き、赤井と半年ぶりに再会することができた。
「軽率でした」
「ああ、君らしくない。もし誘拐されていたらと思うと……」
赤井はぐっと眉間に皺を寄せて、僕をじっと見つめた。その目尻に今にも涙が浮かびそうで、僕は思わず彼の頬に両手を添えた。
「赤井、泣かないで」
「泣くもんか……君がこうして帰ってきてくれたんだ」
大きな腕が僕を包み込む。煙草とウィスキーの香り。見た目に反して甘い、彼自身の匂い。
「ただいま……」
「おかえり……零」
翌朝、目が覚めるとカタカタと小さな音が耳に入った。懐かしさと疑問が同時に湧き上がり、僕はベッドから跳ね起きた。
寝室を出てリビングに行くと、なぜか赤井がミシンに向かっていた。
「なにしてるんです?」
「ああ、おはよう。君の服を作っていたんだ」
「え!?」
赤井が服!?
服を作れるどころか、ミシン〜扱えることも知らなかった僕はパタパタと赤井に駆け寄った。
「本当だ……」
赤井の手にはほぼ完成している子どもサイズの服があった。
「いつの間に……」
「君がいなくて暇だったから始めたんだ」
聞けば、彼の母親のメアリーさんは料理は苦手だが裁縫の腕前は有名メゾンに潜入できるほどで、赤井は彼女の手ほどきを受けていたのだという。
「君の服をいくつか解いて、子ども服にしてみた。どうかな?」
「すごい!こんな特技もあったなんて!とても助かります!」
赤井の作った服はどれも僕にぴったりだった。
驚きと嬉しさで、僕にしては珍しくちょっとオーバーなくらい赤井を褒めたと思う。
赤井に会えてテンションが上がっていたのだ。
それが、まさかあんなことになるなんて……。
その日の夕方、事情を説明するためにカフェで風見と会った帰り道で、再び異形のものが僕の前に現れた。
木の影に隠れて公園の中をじっと見ている。
小さい公園には幸い誰もいなかったが、放っておくわけにはいかなかった。
「赤井、あの杖を取ってきてくれませんか?多分なんですけど、あれならヤツを元の姿に戻せると思うんです!」
赤井は僕の言葉に頷き「持ってきてある」と言ってバッグから杖を取り出した。
珍しく大きなバッグを持ってきていたのはこのためだったのか。
「さすが準備がいいですね!じゃあ、ちょっと試してみます!」
「待ってくれ」
赤井は僕を引き止めると、なぜか新しい服を差し出した。
「これに着替えてくれ」
「は?」
「その杖で妖怪と戦うんだろう?それに相応しい装いをしないとな」
赤井の場違いなウィンクに僕は呆気に取られた。
「はあ?服なんてなんでも……」
「良くないよ。さあ、着替えて。あいつのことは俺が見張っておく」
僕は仕方なく公衆トイレへ言って赤井が作った服に着替えた。
「うわ……」
めちゃくちゃかわいい……。なんていうか……魔法学校で魔法を学んで人間界に来た魔法使いの卵という感じだ。
まさかこんな服まで作っていたなんて……。
「あの、赤井」
「零くん、とても似合っているよ。思った通りだ!」
赤井はスマホを構えるとパシャリと写真を撮った。
「ちょっと!何してるんです!?」
「報告用だ。あの化け物を倒すところもきちんと撮影しておくから安心してくれ」
そう言われては「やめろ」と言えなくなってしまった。
というのも、風見から「上に報告をあげないといけないので異形の者と遭遇したら写真を撮っておいて欲しい」と頼まれていたのだ。
渋々、カメラを許可して、異形の前に立つ。
傘のお化けのようなそれは僕を見てニヤリと笑った。
「元の姿に戻れ」
一本足をポンと叩くとお化けは煙となって消え、足下に例の幽霊画が落ちていた。
「終わりました」
「さすがだな。とても勇敢でキュートだったぞ」
「はあ」
恋人というよりも息子、いや、孫に対する賞賛だ。
なんだかなぁ、と思ったが、赤井の撮影のお陰で、異形の存在とその非現実的な消え方を証明することができた。
僕とは別の所属の警察官たちが調べたところ、烏丸は妖怪を封じたとされる妖怪画を所持していたことがわかった。
奥谷館長がなんらかの形で関わり、封印が解けてしまったのだろう。
僕が少年化してしまった原因もその辺にありそうだ。
報告書を提出後、僕に新たな任務が与えられた。
「全ての妖怪を集め、元の姿に戻れ。以上」
随分と簡単に言ってくれる。
まあ、この姿でも僕だと受け入れてくれたのは有難い。
コナンくんや哀ちゃんという前例のお陰かな。
そんなわけで、潜入捜査の任を解かれ、自宅に帰ることができたのだが……。
「赤井」
「……ん?」
「赤井ってば」
「今いいところなんだ」
恋人が家に帰ってきたというのに赤井はミシンに夢中。
なんでも僕の次の衣装を制作しているらしい。
「今の服で十分ですよ……だから、ね?こっちに来て……?」
降谷渾身の誘い文句だというのに赤井の瞳は糸と布を追っている。
この野郎……。
「あ〜かいっ」
前よりも広くなった背中に抱きつくと、赤井はまるで駅のホームで鳩を追い払うように手を振った。
「やめなさい。俺を犯罪者にしたいのか?」
「はんざいしゃ……」
そ、そうか、僕は今幼い子ども。イチャイチャするにはあと8つほど歳が足りない……!
「で、でも中身は29ですよ!?」
「君の内面は確かに素晴らしいよ。しかし、その見た目はなあ」
なんだよ、嬉々として僕に服を作って、写真まで撮っていたくせに!
「可愛いだろ!!」
「そうだな、可愛い可愛い零くん。おじさんの邪魔をしないでくれよ」
この台詞に完全に頭に来た僕は無理矢理赤井の膝の上によじ登り、小さな手で両頬を掴んだ。
「ちゅうしてやる!」
「こら、やめなさいっ……」
唇を押し付けた瞬間、どこからともなく湯気が立ち上り、気がつくと僕は29歳の姿に戻っていた。
寝巻き代わりに来ていたTシャツは体にフィットして、赤井が買ってきてくれた子ども用の下着は破れて椅子の下に落ちていた。
「ぎゃっ、なんで!?」
「ホォ……愛する者のキスで元の姿に戻れたというわけか」
「ちょ、待って、どこを触って!?」
「ここからは大人の時間だ」
赤井は僕を抱いたまま寝室に向かって歩き出した。
しかし翌日になると僕はまた子どもの姿になっていた。
どうやら、やはり妖怪を全て集めないと元の姿には戻れないらしい。
それはそれで「新しい服がいるな」と言って楽しそうにしている赤井にちょっと呆れ、でもコイツがいてくれてよかったなと、僕は思ったのだった。