本日のゲストは僕の好きなひと「「「「好きなひとができた!?」」」」
馴染みの居酒屋の二階で僕の友人たちは声を揃えた。
いくら貸切とはいえ声が大きすぎる。一階からは賑やかな声が聞こえているから、僕たちの声も下に聞こえていてもおかしくなかった。
「もっと静かに驚いてくれよ」
「無理を言うなよ、ゼロ」
そう言って心配そうに眉を顰めているのは僕の幼馴染のヒロ。現在は俳優兼シンガーとして活動している。
「そうだそうだ!パパラッチの餌食になったばかりだってのに、突然好きなひとができた、なんてどう考えても怪しいだろ」
松田は持っていたジョッキを勢いよく置いた。
「悪い女に騙されてない?お兄さんに相談してご覧?」
そのはずみでテーブルに飛び散ったビールの泡を萩原がお手拭きで拭く。
この二人も幼馴染同士で、僕の芸能界で初めてできた友人だ。
「親が入院してて金が必要……なんて話になってないだろうな?」
そう言ったのは唯一の既婚者である伊達。
彼らと僕の5人は同じ作品でデビューした同期だ。
「女じゃない。男だよ」
僕が反論すると四人は顔を見合わせた。
「ゼロは、あー、昔から?」
伊達がヒロを見る。
彼の言葉の意味を察したヒロは首を傾げた。
「ゼロとはそういう話をしたことないからわからないけど……初恋は女性だったよ」
「その話は俺も聴いたことあるぜ!子どものころに怪我の手当てをしてくれた先生だろ?」
「ていうか〜、ゼロの恋バナはそれしかないでしょ♪」
恋多き男として雑誌で恋愛相談のコラムを受け取って萩原に言われると悔しくもなかった。
僕の初恋の相手は近所の診療所の女医さん。
僕と同じ金髪で、瞳の美しいひとだった。
かれこれもう二十年前に会ったきりだが、隣の家の玄関が開いた先にいた赤井の眼差しがどことなく彼女に似ていて思わず息を呑んだ。
「ちょっと待って!エレーナ先生に似てるから好きになったの?」
ヒロが僕の肩を掴んで顔を覗き込む。
それは早合点だが、僕の猪突猛進な性格を知っているがゆえの心配だとわかっているので思わず苦笑が漏れた。
「違うよ、ヒロ。確かに初対面の時はそこに惹かれたけど、今はそれだけじゃないんだ」
「一体何があってその優男を好きになったんだよ?」
松田が齧りかけの焼き鳥を僕に向ける。
優男と決め付けられるのは面白くないが、聞こうとする態度は嬉しい。
二十九歳の舞台俳優の僕は信用できるこのメンバー以外と恋バナもできない。
ひと月前にも根も葉もない熱愛報道のせいでパパラッチに追い回されたばかりだ。
それでも、恋だと認識してから体中を羽毛が飛び散っているみたいにソワソワして、ずっと誰かに話したかった。
「昨日ちょっとした事件に巻き込まれたんだけど……」
「なんだって!?」
「いや、もうその件は大丈夫なんだ、ヒロ……彼が助けてくれたから」
ヒロを安心させるためにはちゃんと話さないといけないのに、僕に向かって(正しくは暴漢に向かって)銃を構えた赤井を思い出すと勝手にため息が漏れてしまう。迷いのない視線、強靭な体幹。放たれた銃弾は見えない糸に引っ張られるかのように暴漢の銃を撃ち抜いた。
と、話せれば早いのだが、彼が発砲したことも、銃を所持していたことも秘密にすると赤井と約束している。
「暴漢から守るために僕を肩に担いで十三階から地下一階まで階段を駆け降りて行ったんだ……♡」
「ああ?それぐらい俺たちの班長でもできるよなあ!?」
班長というのは5人で出演した『米花戦隊ポリスレンジャー』での伊達が演じた役どころで、僕らは今でも彼をそう呼んでいる。
「僕が嫌だ下せと暴れてもビクともしなかったんだぞ」
「それは無理だな。ゼロが本気で暴れたら階段どころか平面だって担げねぇよ」
伊達が肩をすくめると、松田は面白くなさそうに残りの焼き鳥を頬張った。
知識としてFBIの捜査官が体を鍛えていることは知っていたけど、密着したことで肩から胸にかけての筋肉がよくわかった。
仕事柄、体に自信があるひとにはよく会う。赤井の上半身は彼らとは鍛え方が全く違っていた。筋肉の形をしたしなやかな鎧を身に付けているかのようだった。
「ヒュ〜!そんな超人とどこで出会ったんだよ〜!」
よくぞ、聴いてくれた、萩原!
そこが僕がこの恋を運命的だと感じた一番の理由だ。
「隣の部屋に住んでるんだ」
これはもうみんな納得するだろうと思った。
しかし親友たちはクリスマスにサンタクロースが来なかった子どもを見るかのような表情になっていた。
「なんだよ……」
「それストーカーなんじゃ……」
「ちがう!確かに僕のラジオのヘビーリスナーだけど!」
「……ゼロ、やっぱりもう一回ルームシェアしよう!その方がいい!」
「えっ、だ、大丈夫だよ、ヒロ!!」
結局誰も僕の初めてのロマンスを喜ぶどころか、ロマンスと認めてさえくれなかった。
萩原が「とりあえず、これからほぼ毎日稽古で顔を合わせるんだから、何かあったらすぐわかるって!」と行って場を収めてくれたが、ヒロはタクシーに乗り込む寸前まで「今夜はうちに来たら?」と言っていた。それを見て僕は初めておつかいに出る子どもに戻ったような気がした。
こんなはずじゃなかったのにな……。
久しぶりに5人で作品に取り組めるのを楽しみにしていた。
くだらない話をして笑い合っていたあの頃みたいに、僕の恋を応援してくれると思っていた。
ちゃんとした恋愛をする前に僕は役者として有名になりすぎていて、恋バナをするには大人になりすぎていたのだと突き付けられた気がした。
ため息とともにマンションの通路を歩いていくと、壁に背を預けて立っている人物がいた。
赤井だ……!
「お疲れ様。仕事帰りかな?」
「ええ、まあ」
さっきまで友人たちと赤井の話をしていたからちょっとこそばゆい。
赤井はというと寝袋を並べて見つめ合った時と同じように僕を見つめていた。
脈アリ……って思っていいのかな?
昨日僕は言ったはずだ。好きなひとに似てるって。それって好きだと告白したも同然だ……そうだよな、萩原!
「あなたは?どうしてそんなところに立ってるんです?」
「君に話したいことがある」
キ、キタァァァ!
「こんなところで話すのも……部屋に入ってください」
「ありがとう」
玄関の鍵を開ける僕の頭に赤井を友人たちに紹介するシーンが浮かんだ。
紹介するよ、FBIに勤めてる赤井さん。
背は僕より高くて特技は射撃。
趣味とか生年月日はまだ知らないけれど、彼も僕のことあんまり知らないみたいだ。
でもきっと、みんなも彼のこと気に入ると思う……!
BGMにハッピーサマーウェディングを流すのはさすがに気が早すぎるな。
「それで話って?」
「シャロンのことなんだが」
ん???
「我々はシャロンが何かよからぬ事を企てていると考えている。教えることはできないが証拠は複数ある。だから次にシャロンが接触してきたら俺に教えてくれ」
赤井は彼個人としてではなく、FBIとして僕に話しかけた。
期待を裏切られた僕はわずかに俯く。
勝手な期待をしていたのはわかっている。
出会ったからには結ばれるのは物語の世界だけ。
わかってる。
わかってるけど、好きなひとが自分よりも友達の美女に夢中だなんて面白くない。
「……嫌です」
「なんだって?」
「シャロンは友人です。彼女が何をしたかも知らないのに彼女の個人的なメールや電話の内容を他人に明かすことはできません」
「これは君を守るためでもあるんだ。昨日の事件を覚えているだろう?」
「ええ、もちろん。でもこれまで熱狂的なファンに襲われた著名人は、悲しいことに何人もいます。彼女がそういう事件に遭遇してしまったように僕には見えました」
赤井が物分かりの悪い人間に向ける視線で僕を見る。
シャロンに関する黒い噂を耳にしたことはあった。
彼女から『絶対に秘密よ』と約束させられているあのことも、FBIの捜査と関係しているのかもしれない。
「わかった……疲れているところに押しかけてすまなかった」
赤井はドアの方へと体の向きを変える。
止めるなら今だとわかっているのに、口は貝になった。
「もし気が変わったら連絡してくれ」
差し出されたメモを受け取る。
そこには11桁の紙が書かれていた。
「あなたの番号ですか?」
「そうだが?」
思わず尋ねると赤井は怪訝そうな表情になった。
「生憎、ボスはまだ来日出来ていなくてね。当面は俺が責任者で窓口だ」
「……わかりました」
赤井がドアを閉めた少し後、隣の部屋のドアが閉まる音がした。
僕と赤井の間にあった扉も、それと同時に閉まったような気がした。
朝日がのぼるのをぼんやりと眺めていると、スマホのアラームが鳴った。
今日は日曜日。ラジオの生放送がある日だ。
のろのろと寝袋から抜け出すと、僕の起床時間を見計らったようにヒロからの着信があった。
『もしもし、ゼロ?俺だけど昨日の話が気になってさ……』
「ヒロ……僕は間違えてしまったかもしれない」
『えっ!?一体何があったんだ!?』
赤井と話した内容は彼がFBIだと伝えなければ説明するのが難しい。
ヒロのシャロンに対する評判を落とすことにもなりかねない。
だから、大まかな概要として「むこうも好きだと思ったらそうじゃなかった」と伝えるとヒロは「う〜ん」と唸って、僕は衝撃の第二波を他でもない自分の口から与えられることとなった。
シャロンの動向をリークして欲しいと言われて感じた反発は本当だ。
でも赤井が僕を『シャロンと親しい男』として見ていたのが悲しかったのも真実だった。
『知り合ったばかりだから好きだと確信する材料が少ないんじゃないかな。ゼロも、そのお隣さんも。昨日俺が心配したのもそこなんだよ』
「うん……」
胸の中で恋の蕾が萎んでいく。
やっと僕の番だと思ったのに。
僕はこれからも舞台の上で恋を疑似体験することしかできないのだろうか。
『あっ、でも、その前に!おめでとう!!』
「え?」
『昨日言い忘れちゃったから。好きだと思えるひとと出会えてよかったね、ゼロ!』
「……よかったのかな?」
枕元に置いた赤井のメモを手に取る。
彼に電話して捜査に協力すると伝えたら、赤井は僕のことを好きになってくれるだろうか?
『弱気になるなんて、らしくないよ!これから相手のことを知っていけばいい!ゼロはそういうの得意だろ?』
「そうか……その手があった!」
『うん?』
「ありがとう、ヒロ!絶対にアイツを落としてヒロに紹介するからな!じゃあ!」
『ま、待って、一体何を』
問題は赤井が引き受けてくれるかどうかだな……。
何か彼を惹きつける『報酬』が必要だ。
そう考えているとヒロとの通話を終えたばかりのスマホが短く震えた。
これだ……!
これを『報酬』にされたら赤井は僕からのお願いを受け入れるしかないはずだ!
好きなひとに電話をするのは初めてで少し緊張したけれど、僕の思惑通りに事は進んだ。
ラジオのスタッフに打診してみるとすぐにOKが出た。
赤井と僕のスケジュールを合わせるのに少し時間が掛かったが、元々舞台稽古が始まったら生放送ではなく録にする予定だったのでなんとかなった。
そうして迎えた水曜日の午前零時。
「おはようございます!日曜日の朝、いかがお過ごしですか?安室透です!さて、今日は素敵なゲストにスタジオにお越しいただいております!」
僕のラジオに、僕の好きなひとがゲスト出演している。
赤井はラジオをきっかけに僕のファンになったと話していた。
そのラジオで対談すればお互いを知る事ができるし、僕をもっと好きになるかもしれない。
「はじめまして。彼の友人のAだ。よろしく頼むよ」
赤井は初めてとは思えないぐらい落ち着いている。
機材の操作方法についても一通り教えたらすぐに使えるようになった。
難関を突破してFBIになるにはこういう臨機応変さも求められるのだろう。
「Aさん、今日はありがとうございます!僕も、リスナーの皆さんもとても楽しみにしていましたよ!」
番組のSNSで現役FBIが番組に登場すると告知してすぐに、たくさんの質問が寄せられた。
ドラマや映画の中で親しんで来たけれど実はよく知らないFBIに聞きたいことがたくさんあるのだろう。僕だってそうだ。
「Aさんは僕のラジオを聞いてくださってるんですよね?」
「ああ、ポッドキャストで公開されているものは一通り聞いたよ」
「そんなに!?」
確か二年分以上公開されていたはずだ。
スポーツのライブ中継や特番があるので毎週ではなかったとしても放送回数は80回を超えている。
「車に乗るたびに聞いていたからな。俺のドライブ用のプレイリストは日本の道と相性が悪くてね。たまたまラジオを掛けた時に流れていたのがこの番組だった」
赤井は机の上を指差しながらシーグラスのように柔らかい眼差しで僕を見つめる。
ラジオやってて、よかったぁ……。
僕の声と先に出会ってなかったら、たとえ隣人だとしても、彼が僕に興味を持つ事はなかった。
僕も彼を自分のことを知らない安全でハンサムな隣人としか思わなかっただろう。
「嬉しいです!」
「むこうに帰ってからも聞くよ」
現実の波が打ち寄せる。
赤井は明日、アメリカに発つのだ。
寂しさを誤魔化すようにとびきりの笑顔をみせる。
向こうに帰ってからも赤井が僕のことを覚えているかどうかは、今夜の放送にかかっている。
「では、さっそく、みなさんからの質問を紹介したいと思います!ラジオネーム・ポリスレンジャー大好きくん、4歳の男の子からの質問です」
「ホォ、ポリスレンジャーが好きなのか。4歳ということは生まれる前の番組を見ているんだな?」
「え、ポリスレンジャー知ってるんですか!?」
打ち合わせでは出なかった話題にラジオに慣れている僕のほうが驚く。
「番組に出演する前に君の作品はすべて目を通したよ」
赤井はにやりと笑った。
ラジオに出る事になった経緯の仕返しのつもりのようだ。
これはますます気が抜けないな。
「ポリスレンジャーも興味深かったが、牛の乳搾りをしている君は天使のような可愛らしさだったな」
僕が出演した『北の孤島から』のワンシーンだ。
今とは違って本名で出演していた作品まで目を通しているとは。さすがFBIだ。
「質問を送ってくれたポリスレンジャー大好きくんとちょうど同じぐらいの歳のころに出演したドラマですね!懐かしいなあ」
打ち合わせ通りにやれ、の意味を込めてテーブルの下で爪先を突くと赤井はイタズラを成功させたい子どものような顔で笑った。
「僕の話はいいんですよ!さあ、質問に戻りますよ。『どうやったらえふびーあいになれますか?』ですって。素敵な質問をありがとう。FBIに聞いてみるね」
「そうだな……日本語でメールを送ってくれたということは彼は日本で暮らしてるのかな?」
「そうですね」
「だとするとアメリカの国籍を取得する必要がある。色々な方法があるが、これは時代によって変わるからとりあえず置いておこう。FBIになるために一番大切なのはよく寝てよく食べて、たくさん体と頭を動かす事だ」
赤井の真摯な姿勢に正直ちょっと驚いた。
子どもは苦手かと思ったけれど、どうやらそうでもないらしい。
弟か妹がいるのだろうか?
「あと家族を大切に。この仕事を始めると家族との時間をなかなか作れなくなるからな。まあ、そんなところだな。一緒に働けるのを楽しみにしてるよ」
「よかったね、ポリスレンジャー大好きくん。未来のFBIの君には番組からステッカーをお送りします。では次の質問です。
『安室さん、スタッフの皆様、おはようございます!毎週楽しく拝聴しております。
安室さんのご友人が現役FBI捜査官とのことで驚きましたが、質問を募集している番組公式Xのポストを見て「こんなチャンス今しかない!」とメールを認めております。
ご友人に質問です!
映画『緋色の捜査官』をご覧になったことがありますでしょうか?もしありましたら、現役FBIの感想をお聞きしたいです。
まだまだ暑い日が続きますので皆様お身体にお気をつけてお過ごしください。』
ラジオネーム•暑くて溶けそうさんからの質問でした」
赤井がFBIだと分かった時、僕の頭に浮かんだのも工藤優作先生が脚本を手掛けたその映画だった。マカデミー賞を受賞した際に先生が「モデルがいる」と話したことでも話題になっていた。
「Aさんはこの映画は見ましたか?」
「ああ、見たよ」
打ち合わせの時に映画を見るのは好きだと言っていた。
僕も映画は好きだ。
流れで赤井が好きな映画を聞き出そうと思いこの質問を選んだわけだが、まったく違う角度で共通点を見つけることになった。
「工藤先生には以前からお世話になっていてね。緋色の捜査官の脚本を執筆される際はいくつか助言をした。だからあの映画では概ね正しいFBIの姿が描かれていると思うよ」
「えっ、じゃあ、主人公のモデルってあなたなんですか!?」
「さあ……有希子さんと新一はそう言っていたが、先生本人には聞いた事がないからわからんよ」
「新一くんとも知り合いなんですか!?」
「そうだが?」
工藤先生の一人息子の新一くんは、高校生探偵として名を馳せていて、僕も某番組中に事件が起きた時に彼と一緒に謎を解いたことがあった。
「君も新一と交流があったのか」
「はい。今もたまにドライブに行きますよ」
「ホォ」
収録が終わったら赤井のことを新一くんに聞いてみよう。
好奇心が旺盛で記憶力のいい新一くんのことだから有力な情報を掴んでいるに違いない。
たとえば恋人の有無とか……。
「盛り上がってきたところではありますが、ここで今日の一曲目をお聞きください」
予定通りイントロが流れ始める。
今日は選曲も赤井仕様だ。
「Aさんはこちらの曲に思い出があるそうですね?」
「ああ、大事な思い出だ。電波には乗せられないがな……」
思わせぶりな台詞の後に流れてきたのは『檸檬』。
切なくも美しいメロディラインで、言わずと知れた名曲だが、赤井がJ-popを選んだのは意外だった。
「本当はどんな思い出があるんですか?」
マイクをオフにしてから赤井に尋ねてみた。
歌詞の解釈は聞いたひとの数だけあるだろうが、大切な人との永遠の別れを彷彿とする。
「もしかして忘れられないひとが……?」
思い出に土足で踏み入るつもりはない。
赤井が話を逸らしたら、すぐに話題を変えるつもりだった。
「忘れられないひと……まあ、そうだな」
「へえ……」
唇に力が入る。
恋愛経験がない僕でもこれ以上は聞いてはいけないとわかった。
「君だよ」
「えっ……?」
「君がラジオでこの曲を掛けたから気になったんだ。一度聞いたら忘れられなくて気が付いたら配信サイトでダウンロードしていたよ」
それって……好きってこと!?
いや、落ち着け。勝手な期待は自分を傷付けるだけだと、ついこの前学んだばかりじゃないか。
「いい曲ですよね……?」
「ああ」
頷く赤井はどこか遠くを見ていた。
CMが終わり、次の質問を紹介する。
メールを読むのは赤井に任せることにした。
「『安室さんおはようございます。
毎週楽しく番組を聴いてます。
安室さんは交友関係が広いなぁと思っていましたが、FBI捜査官ともお友達なんですね!
どうやって知り合ったんですか?安室さんの今後のお仕事と関係あったりしますか?気になります!』
ラジオネーム・ハイビスカスさんからのメールでした」
詰まる事なくメールを読み上げた赤井だったが、読み終わるとマイクでは拾えないぐらい小さく息を吐いた。
マイペースな彼でも少しは緊張しているようだ。
「知り合った経緯か……なんて答えたらいいかな?」
メールを印刷した紙を手に持ち、僕を上目遣いに見つめる。
「そうですねぇ。出会った場所は言えないですけど、仕事は関係ないです。あ、でも、もし僕がFBIの役を演じる事になったら、工藤先生の時みたいにアドバイスしてくださいね?」
「喜んで」
聞いたか、全国のリスナー。
一年以内にFBI役をもぎ取ってみせるから、その日まで一緒に覚えていてくれ。
「僕が困っていたときに彼が助けてくれたんです。それがきっかけで親しくなって……」
「お陰で向こうに帰るのが寂しいよ」
これはリップサービス?それとも今度こそ信じていいのだろうか。
「僕もですよ。もっと日本にいればいいのに。そしたら色んなところに連れて行ってあげますよ?」
「魅力的なお誘いだが、生憎仕事でね。連れて行くと言えば、初めて君の部屋に入った時は驚いたよ」
「あっ、ちょっと、その話は!」
「驚くほど片付いていて、趣味のいい家具が並んでいたんだ」
これはわかる。リップサービス、お世辞だ。僕の部屋は驚くほど物がなくて、家具といえばキッチンのスツールと寝袋だけ。
「それはあなたも同じでしょう?」
「まあな」
もしかしたらそこに一種のシンパシーを覚えたのかもしれない。
初めて会ってから好きになるまでが早かったのはそのせいだろうか。
「僕からも質問いいですか?」
「ん?どうぞ?」
「あなたは今、恋してますか?」
「俺?……さあ、どうかな」
そう言って赤井は困ったように笑った。
「なぜそんな質問を?」
「実は今度、舞台で恋する殺人鬼の役を演じるんですよ〜!よかったら見に来てくださいね!」
「ああ、楽しみにしてるよ」
最後の曲が流れ始める。
赤井が僕のラジオをよく聴いてくれているからとスタッフが選曲したヘビーローテーション。
ご機嫌なイントロがラジオの終わりを告げている。
「ああ、もうこんな時間だ……貴方と話してると時間を忘れちゃいます……ラジオの前のみんな、また来週!」
朝の空港は市場に似た活気があった。
人の往来をかき分けて赤井を探す。
道が混んでいたので到着がギリギリになってしまった。
まだこの辺にいるはずだと当たりを見回すとニット帽を被った後ろ姿が見えた。
慌てて正面に回り込むんだが全くの別人だった。
もう行ってしまったのだろうか。
「安室くん?」
低い声に呼ばれて振り返るとパスポートを持った赤井が僕を振り返っていた。
「赤井!!」
良かった、間に合った!
駆け寄ると赤井の近くにいたスーツの男女が僕を見て驚いた顔をした。
「先に行っててくれ」
「え、ええ」
「わかりました……」
赤井の同僚のようだ。
二人とも軽装で、赤井の仕事を知らなければ僕も普通の旅行者だと思っただろう。
でもシャロンを追っているFBIなのだ。
「わざわざ見送りに来てくれたのか」
「あなたにはお世話になりましたから……」
居心地が悪い沈黙が僕らの間に横たわる。
恋をしているかと聞いた後から、ずっと赤井の顔を見れずにいる。
「番組の放送を楽しみにしてるよ」
「……」
「安室くん?」
「……そんなのずるい」
「ずるい?」
「そうですよ……僕はもう貴方に会えないかもしれないのに」
我慢していたものが込み上げる。喉の奥が熱くて苦しいけど、これを解放したら涙になるのはわかってる。
赤井の表情が固まってる。ああ、また失敗した。どうしてこの人の前だとうまくできないんだろう。
舞台の上の僕は知り合ったばかりのひとが相手でも旧知の友を演じることだってできるのに。
好きなひとの前で友だちの顔をすることがどうしてもできない。
「わっ!?」
「……すまん」
僕を抱きしめた男は僕の耳元で謝った。
「どうして謝るんです……?」
「パパラッチを気にしているんだろ?」
「それは……大丈夫ですよ、僕たち友だちにしか見えない」
案の定、僕たちが抱き合っていても振り返るひとはいなかった。
僕の心臓だけが慌てて鼓動を増やしてる。
「また会いに来てもいいか」
「えっ」
「君と恋がしたい」
抱きしめる腕が弱まって赤井が僕を見る。
僕はパンツの後ろポケットから鍵を取り出して、赤井に見せた。
「これ、あなたにあげます。僕の家の鍵。いつでも好きな時に来ていいですから……」
「安室くん……いや、降谷零くん」
「は、はい」
「大事にする」
鍵を握った手にキスをして、赤井は同僚たちが待つほうへと歩き出した。
「もしもし、ヒロ?今日ヒロの家に行ってもいいかな?実は鍵をなくして……いや、ある場所はわかってる。今は空の上かな……うん、あとでちゃんと話すよ」