『仲直りはお化け屋敷で』「気を使わなくていいんだよ。これは僕たち二人の問題なんだから。それに別に珍しいことじゃないんだ。育ってきた環境も好き嫌いも違う人間が一緒に暮らすとなると、意見の相違はどうしようもなく発生するものだからね」
降谷の言い分はこうだった。それに対して赤井はというと、だんまりを決め込んでいる。見かねた志保が「あなたも何か言ったら?」と水を向けた。
「子どもが口を挟む問題じゃない」
赤井は無表情でそう言うではないか。
「聞いた、工藤くん?」
「あぁ、聞いた。赤井さん、俺たちもう二十九歳と三十歳ですよ?」
「ちょっと!そこをわざわざ言及する必要ある?アラサーでいいじゃない!」
「へへっ」
これは新一の、志保を揶揄うときのネタの一つだ。
いつもだったらここで赤井がさらに余計な一言を付け足し、降谷が灰原をフォローするのだが、今日の二人はただ黙って行列の先頭を眺めるばかり。それにはこちらの居心地が悪くなってしまう。
裏を返せば、二人はお互いのことしか考えられない状態にあるとも言える。お互いに非を認めて仲直りしてしまえばいいのに。そう思っても口に出せないのは、新一も自分の妻である蘭と喧嘩をしないわけではなかったからだ。
降谷の言う通りだと新一も思う。幼馴染で一緒に育ってきた新一と蘭でもそうなのだから、付き合いだしてからわりとすぐに遠距離になり、最近ようやく一緒に暮らし始めた赤井と降谷だったらなおのことだろう。
「何でもいいからきちんと仕事はしてちょうだい。いい、探偵さんたち?」
「新一からはタダ働きだと聞いてるが?」
赤井がデリカシーゼロの声で言うと、志保はきっと赤井を睨んだ。
「吉田さんが困ってるのよ!それ以上に何か必要!?」
そう、今回はかつて少年探偵団だった吉田歩美からの依頼なのだ。
志保は大人の姿に戻ってからも灰原哀として歩美とメールのやり取りをしていた。その中でアルバイト先の遊園地で困ったことが起きているという相談が送られてきたのは一週間前のこと。
志保は工藤探偵事務所に調査を依頼した。これまで何度となく彼女に助けられた新一は無償で請け負った。
その日ちょうど赤井から降谷と喧嘩した話を聞いたばかりだった。新一は志保に降谷も誘うように言って、自分はビジネスパートナーとして同じ事務所で働いている赤井に調査への同行を頼んだ。
そんなわけで、赤井と降谷は遊園地の入り口でお互いが同じ誘いを受けたことを知ったのだった。
「僕はまだよく依頼内容を把握してないんだけど、聞いてもいいですか?」
降谷が尋ねると、志保は前後左右の客の様子を伺ってから、歩美の相談内容を話し始めた。
「吉田さんが担当してるこのお化け屋敷で、おかしな目撃情報が相次いでるの」
志保はそこで言葉を切ると、自分のスマホのディスプレイを三人に見せた。そこにはSNSの投稿が表示されていて、どれにもこの遊園地の名前のタグがついている。
『ネタバレになっちゃうかもだけど、切花病院の子どもの幽霊、すげえびっくりした。あれはどういう仕組みなんだ?』
『それ、私も気になりました。人形にしては動きが不規則だし……まさか本当に子どもを働かせてるの?』
切花病院というのは、このお化け屋敷の名前だ。毎年、違ったストーリーでお化け屋敷が作られていているのだが、今年は廃病院がテーマなのだ。行列の先には古びたコンクリート壁を模した箱が建っていて、くすんだガラスドアから人々を飲み込んでいる。
「確かに気になる書き込みだね」
降谷はそう言って顎を指で撫でた。赤井がよくやる癖だ。しかし、今は『似てきましたよね』なんて口が裂けても言えない。
「吉田さんの話によると、もちろん子どもぐらいの身長のスタッフなんていないそうよ。そんなサイズ幽霊の人形も」
「えっ……それって、まさか」
話は思わぬ展開を見せ始めた。実のところ、詳しい内容を知ったのは新一も今が初めてなのだ。
「本物の幽霊なんじゃないかって吉田さんは心配してるみたい。彼女は見たことがないそうだけど」
「ふん、遊園地側が流したデマだろ」
新一が思っていたのと同じことを、声に出したのは赤井だった。
「そんなのはわかってるわよ!!」
「じゃあ、なんで調査を引き受けたんだよ?」
赤井を睨み上げていた志保の視線が新一へと移る。あんたバカ?とでも言いたげな様子に新一は肩を竦めた。その間に入ったのは降谷だった。
「なるほど。志保さんはお化け屋敷の噂が特定の人物から発生したもの、つまり遊園地側の流した『ある種の宣伝』だと特定してるわけだね?でも、お化け屋敷に関する噂話を怖がっている歩美ちゃんは、ただデマだと言われるよりも、探偵が調査して問題なしと判断してくれた方が安心できるだろうね」
「そういうことよ」
ひとりは話が分かるやつがいたと言わんばかりに、志保は胸の前で腕を組んだ。
「はあ……まあ、かまわねえけど……」
そうなると、ただ単に遊園地に遊びに来たことになってしまうが。新一は赤井の反応が気になった。赤井は相変わらず不機嫌そうな顔で、指で下唇を撫でていた。そろそろ煙草が吸いたいのだろう。
聞き覚えのある声が聞こえたのは、その時だった。
「切花病院へようこそ」
「へ?」
新一が振り返ると、白衣を着た若い女性が立っていた。
歩美だ。小学生だった彼女も今は女子大生になっていた。
「わあ、新一お兄さんに安室さんっ」
「こんにちは、歩美ちゃん」
「もしかして、哀ちゃんがお二人を……?」
「おう、そうだよ」
新一はちらりと後ろを振り返ったが、志保は顔を隠すようにそっぽを向いていた。
「ありがとうございます!!あの……」
「大丈夫。事情は灰原から聞いてるから」
新一がそう言うと、歩美はほっとした笑みを見せた。しかし、そのあとすぐに無表情になった。お化け屋敷のスタッフとしての演出なのだろう。
「では、前の画面をご覧になってお待ちください……」
そう言って彼女は新一の横を通り過ぎた。今度は後ろの二人に「二名様ですか」と聞いている。赤井が「あぁ」と応えた。
「かしこまりました……前の画面で、この切花病院の歴史をご覧いただきます。どうぞ……」
そう言って歩美は部屋から出て行った。どうやら四人一組で進んでいくお化け屋敷のようだ。前の画面にはイントロダクション用の映像が流れ始める。
それと同時に赤井がTシャツに掛けていた眼鏡をかけた。いつものとは違う眼鏡だ。
スナイパーだった赤井は視力が低下したことを理由にFBIを退職し、工藤探偵事務所で探偵として働きだした。もっとも、日本に来た理由としては降谷の傍にいたいというのが一番だろう。
「ようこそ、切花病院へ」
場にそぐわない、明るい声がスピーカーから流れた。
廃病院になる前の切花病院は、地域に根差した医療機関だった。あるとき、前例のない症例の患者が入院したことをきっかけに、病院内で奇妙な現象が起こり始める……というのが大体のあらすじだった。
映像が終わると、別のスタッフがやってきて、四人に造花を手渡した。順路に沿って4つの部屋に花を供えるのがこのお化け屋敷のミッションだという。
「それでは……どうぞ中へ」
病院の待合室風だった部屋を出ると、長い廊下が待っていた。
「なかなか雰囲気がある作りですね」
そう言いながら降谷はあたりを見回していた。
「ええ……医療器具なんかは本当の廃病院から運んできたそうよ……」
「うわあ……」
新一は特段ホラーが苦手というわけではないが、本場から取り寄せたと聞くと薄気味悪い気持ちになる。志保も同様だったようで、自分の両腕をさすっていた。
そんな二人の様子を見て、降谷はくすっと笑った。
「新一くん、手を繋いであげようか?」
「いりませんから!」
「零はこっちだ」
赤井は突然新一と降谷の間に割って入ると、降谷の手を握った。
「はあ?……もしかして怖いんですか?」
「……怖い」
「あははっ、あなたも人の子だったん……うわああっ」
突然廊下の壁から白い腕が伸びてきて、降谷が悲鳴を上げる。その手が降谷に触れる寸前に赤井は降谷を自分のほうへと引き寄せた。
「よくできてるな」
「ふ、ふん」
降谷はそっぽを向いたものの、赤井とつないだ手をほどくことはなかった。
最初の部屋は手術室だった。廊下とは床の材質が違うので、自分の足音にぎょっとしてしまったのが恥ずかしい。それに伴い足元を見ると、倒れたストレッチャーの隙間からニョッと白い腕が出てきた。
「うわっ」
「いやーーーーっ」
新一の声に被せるように志保が叫んだ。持っていた花をパッと投げると廊下に走っていく。ミュールを履いてるのによく走れるものだと感心しつつ、新一が後を追う。その後で手術室から出てきた赤井と降谷はさっきよりもぎゅっと手を繋いでいた。降谷がニコニコ笑っているところを見ると、掴んでいるのは赤井のほうなのだろう。
赤井は相変わらず無表情だったが、廊下までくると「おっと」と言って何かをまたぐように長い足を折った。床に何かあったのかと見たが、そこには何もなかった。
「どうかしましたか、赤井さん」
「いや……」
「暗いところに何かいるように見えたんじゃないですか?」
降谷がニヤニヤと笑う。それに対して「そうかもしれん」と赤井が薄く笑った。ライティングのせいなのか、ぞっとする笑顔だった。
手術室の次は外来診察室だった。デスクの上のシャウカステンがぼんやりと光っていて頭部のレントゲンを映している。そこに視線を移したところで、ナース服を着た脅かし役がカーテンの後ろから現れた。予想していたものの、いいタイミングだった。
志保はまた「いやーーーー」っと言って病室を飛び出した。普段からこれに近い器具に囲まれているくせにと思いつつ、新一はあとを追った。
「やだ……」
子どもの泣き声が聞こえて新一は部屋の中を振り返った。しかし、子どもなどどこにもいない。音声だけを流していたのだろうが、やけに生々しい声だった。
「なんか畳掛かられてる感じっすね」
廊下で合流した降谷たちにそう言うと「うまくできてるよね」と言いながらも降谷はまったく怖そうな様子はない。一方で赤井は眉間に皺を寄せていた。
「赤井さん?どうかしました?」
「いや……」
「そんなに怖いなら一緒に途中退場ゲートから出てあげてもいいわよ?」
そう言ったのは志保だが、途中退場したいのは彼女自身のほうだろう。
「……大丈夫だ……最後までクリアしたほうがいいんだろう」
「はあ、まあそうだけど……」
新一は志保と顔を見合わせた。どことなく、彼らしくない言動が続いてる。相変わらずヘビースモーカーの赤井は行列に並んでいたときは煙草を吸いたがっていた。途中退場できるのなら、ひとりでもお化け屋敷を出て煙草を吸いに行きそうなものだ。この依頼は歩美と顔見知りである新一と降谷が最後まで行けば調査終了となるのだから、なおのことだ。
「ああ言ってるから、気にせず先に進もう」
降谷に促され、新一は違和感を覚えながら順路を進んだ。
三つ目の部屋は入院病棟のようで、ベッドの周りに破れたカーテンが掛けられている。
「ねえ、絶対に出るでしょこれ」
「当たり前だろ、お化け屋敷なんだから」
「わかってるけど~~~っ」
「僕が行ってくるからここで待ってて」
もう部屋の中に入るのもいやだという様子の志保を見かねて、まだ造花を持っている降谷が病室に入った。赤井は手を繋いだままだが、その視線は降谷とはべつの方を向いている。カーテンの奥から入院着を着た患者風の脅かし役が出てきても、赤井はカーテンとカーテンの間の低い場所を見ていた。
「赤井……?」
「いや、なんでもない」
二人がほどなくして部屋から出てくると、志保がため息を吐いた。
「なに、あの脅かし甲斐のない客は。脅かし役が可哀想だわ」
「はは……」
最後の部屋はやはり霊安室だった。
「新一」
「なんですか?」
「少しの間、零を頼む」
「え?」
「ちょっ、赤井!?」
赤井は降谷の手を離し、霊安室の扉の向こうに入っていった。とてもお化け屋敷を怖がっている様には見えない。中からはおどろおどろしい音が流れて、それを聞いただけで志保は自分の両腕を抱きしめていた。
赤井は無表情で霊安室から出てくると、ふうとため息を吐いて掛けていた眼鏡を外した。
「煙草が吸いたい」
「それがお化け屋敷から出てきたひとのセリフですか」
「すまん、怖かったか、零くん?」
「いや、僕じゃなくて」
なんだかなぁ、と思いながら出口に向かう。新一たちが霊安室の扉に背を向けた瞬間、バタンという音がした。振り返ったが、そこには誰もいない。ひとりでに開いたドアがゆっくりとしまっていく。そして、四人の間を子どもの足音が駆け抜けていった。
外に出るとものすごい暑さと明るさだった。今のはなんだったのだと考えようとしても脳が溶けていくようだった。
「えっと……どこかで休憩しましょうか」
「そう、だね……」
遊園地内のカフェに行き、なんとか4人掛けの席を見つけると、志保が今日のお礼にコーヒーを御馳走すると財布を持って席を立った。ひとりでは運ぶのが大変だろうからと、降谷がその後を追っていく。
席に残った新一は赤井と答え合わせをすることにした。
「ねえ、赤井さん」
「なんだ」
「赤井さんってさ……幽霊が視えるの?」
「ふっ、探偵らしからぬ発言だな」
「俺だってそう思いますよ……でも、今日の赤井さんの様子を見てると、そう思うほうが自然というか……」
「そんなにわかりやすかったか……あの子には言うなよ」
そう言う赤井の視線の先には降谷がいる。
「……ということは」
「ああ見えて、怖がりなんだ」
「そうじゃなくて!」
早くしないと二人が席に戻ってきてしまう。新一が急かすと、赤井はまた薄い笑みを浮かべた。
「視力が落ちてからだ。おかしなものが見えるようになったのは。といっても、いつも見えるわけじゃない」
「もしかして……その眼鏡?」
新一が尋ねると、赤井はTシャツに掛けていた銀淵の眼鏡を手に持った。
「あぁ。これは俺の母方の祖父のものでね。母が俺のところに持ってきたんだ」
触ってみるか、と言われて新一は恐る恐る眼鏡を受け取った。特に変わったところはない、普通の眼鏡に見える。
「零が掛けても何も見えなかった」
「赤井さんだけ……?」
「恐らくな。ちなみに、いたぞ」
「えっ?」
「あのお化け屋敷に、子どもの霊」
「ええっ」
「まあ、俺以外の三人に見えなかったんだ、わざわざ依頼人に知らせる必要はないだろ」
「え……まあ……うん、そうですね」
世の中には知らないほうがいいこともある。赤井はきっと降谷にも自分が『視た』ものを教えるつもりはないのだろう。
「そういえば、仲直りできてよかったですね?」
「まあな。あの子には本当にかなわんよ」
赤井にとっては、幽霊よりも降谷のほうがこわいのかもしれない。新一はそう思ったのだった。
「赤井……?」
おずおずと寝室のドアを開けて、降谷が顔を覗かせた。
「どうした、零くん?」
「……一緒に寝たい」
枕を持ってもじもじとする降谷は大変いじらしくてかわいかった。
「おいで、そろそろ誘いに行こうと思っていたところだ」
「ん」
降谷は少し表情を緩めると、赤井の隣に潜り込んだ。
「この前はごめん……」
「何のことかな?」
「甘やかすなよ……」
「君のアイスを食べた俺が悪かったんだ。君は何も悪くないよ」
おでこにちゅっとキスをすると、降谷が居心地悪そうに、赤井の胸に顔を埋めた。
「呆れた……?」
「いいや。さらに好きになったよ」
「……もう」
そうやってポツポツと話しているうちに降谷は寝てしまった。赤井はそのあどけない寝顔を確認してからサイドチェストの上の眼鏡を掛けた。
読書灯だけがついている暗い寝室、ベッドの足元のほうに目を向けるとソレはいた。5歳ぐらいの男の子だ。邪気を孕んだ笑みを浮かべてこっちを見ている。
お化け屋敷の手術室を出たとき避けたのがいけなかった。自分のことを視えるとわかった子どもは赤井たちのあとを追ってきた。最後の霊安室で憑いてこないように言い含めたのだが……。
「やはり付いてきたか……」
「あーーそーーーーぼーーーーーー」