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    かとうあんこ

    赤安だいすき

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    かとうあんこ

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    政略結婚(?)する赤安

    #赤安

    政略結婚ー1

     降谷は大きく深呼吸をしてから会議室のドアをノックした。
    「降谷です」
    「入れ」
    「失礼します」
     新しい何かを始めることを『扉を開く』と表現するが、今の降谷はまさに人生の新たな局面に挑もうとしていた。
    会議室の中には六人の幹部が降谷を待ち構えている。窓から差し込む西日がきついせいで、彼らの姿は黒いシルエットにしか見えないが、そこに座っている人物の名前と役職を降谷はすでに把握していた。
    『新しい辞令が出される。今回も大きな案件を任せることになるだろう』
     事前に直属の上司からそう聞かされていた。降谷の後ろに組んだ手は手汗でじんわりと湿り気を帯びている。
    「降谷……君の功績を我々は非常に評価している」
    「ありがとうございます」
    「日本のためにその身を捧げる覚悟があると思っていいな」
    「はい」
     公安に配属されて間もない頃に、先輩から手を後ろに組む意味を聞いたことがあった。何をされても絶対に反抗しないという意思を表しているという。この国の平和を守るために必要ならば我が身を差し出す。絶対服従だ。
    「わかった……では、新しい任務を伝える。降谷、FBI捜査官の赤井秀一との結婚を命じる!」
    「……は?」
     思わず間の抜けた声を上げてしまった降谷に、ひとりの幹部が眉を顰めた。
    「ごめんね、びっくりするよね、こんな話……」
    「あ、いえ……」
    「降谷が赤井のこと嫌いなのはわかってるんだ……うん、でも、日米の捜査協力をする上で、二人の結婚がどうしても必要って話になって……」
     ね?と隣の幹部に話を振る。隣に座っていた大柄な幹部は狸腹を突き出して「僕は反対したんだけどね」と言った。
    「あ、ずるい!」
    「だって……政略結婚とか今時?って感じじゃない?」
    「そうだけど……」
    「あ、あの、ちょっと待ってください」
     思っていたのと大分違う。降谷は幹部の前に両手を広げた。
    「てっきり危ない組織とか紛争地帯に潜入を命じられるものだと思っていたのですが……?」
     例の組織が壊滅したとはいえ、悪が滅んだわけではない。次の脅威の目を摘むのが自分の仕事だと思っていたのに……え、結婚?
    「ないない!だって、降谷、超がんばったもん!ね!」
     また別の幹部が声高にそう言った。
    「うんうん、超がんばった。もう潜入とかないよ~」
    「本当は今回も別のひとにお願いしようと思ったんだけど、相性占いで赤井と降谷がベストカップルっていう結果だったんだよ」
    「相性占い……」
     目の前にいる幹部たちが頭を突き合わせて星占いだか四柱推命だかで、合同捜査本部のメンバーのカップリングを試していたと思うと降谷のこめかみはジクジクと痛み出した。何をやってるんだよ……。
    「どう、降谷?」
    「どうしてもというのであれば……まあ……」
     こういう形での結婚もあるだろうと思ってはいた。まさか相手があの赤井だとは想像してなかったが。自分の組織の上の人間の娘とかとお見合いをするものだと思っていたと降谷が言うと、二人の幹部が顔を見合わせた。このメンバーの中で年頃の娘を持つ二人だ。
    「えっ、無理無理!うちの娘に降谷の嫁は務まんないよぉ!」
    「うちも無理。『よくそれで嫁が務まるな……』って言われたら、うちの子泣いちゃうもん」
    「あ~、それは俺も泣くわ~。『それだけか?それだけなのか、お義父さん』なんて言われたらぴえんだよ」
     降谷は自分の口真似をされたのが恥ずかしくて、ぷうと頬を膨らませた。
    「言わないですよっ!」
    「あはは、降谷が恥ずかしがってる!」
    「そういう顔すると、ほんとうちの孫に似てるんだよな~」
    「おいおい、お前んとこの孫はこんなイケメンじゃないだろ」
    「わかんないだろ!まだ三歳なんだから!」
     ぎゃいぎゃい言い始めた幹部たちは完全に元の話を忘れている。降谷は慌てて話を元に戻した。
    「そ、それで、本当に僕と赤井が結婚をするんですか……?」
    「そうなんだけど、今回はさすがの降谷でも無理っぽい?」
    「恋人は日本だもんねえ……」
    「む、無理じゃないですけど……向こうが嫌がるんじゃないでしょうか……」
    「あ、それは大丈夫!あっちはもうOK貰ってるから」
    「えっ」
     降谷が頬が熱くなるのを感じた。赤井が、自分との結婚を了承したって……?最近ようやく二人きりで飲みに行けるようになったばっかりなのに。ちょっと前まで殺したいって思ってた男とパートナーになるほど、赤井の危機管理能力が低くないことを降谷は知っている。
    「結構ノリノリだったみたいだよ~」
    「嘘……」
    「嘘じゃないって!……え、もしかして降谷、赤井のこと……?」
     幹部たちはそれぞれに口元を手で覆った。
    「……好きです」
     降谷が勇気を振り絞ってそう言うと幹部たちから「わああ」と小さな歓声が上がった。
    「え、すご、こんなことってあるんだ!?」
    「運命じゃん!」
    「で、でも……むこうは嫌々かも……」
     降谷は手汗で冷えた指先を顔の前で合わせた。
    「そんなことないって!降谷、かわいいもん!」
    「そうだよ!降谷から好きって言われて喜ばないやつなんかいないよ!」
    「わ、わかんないじゃないですか!相手は赤井秀一ですよ!?」
     降谷がそう言うと幹部たちは椅子をコロコロ転がして、ヒソヒソ話を始めた。何を話し合う必要があるというのだろう。自分の恋の行方を第三者が予想していると思うと、降谷はモジモジせずにはいられなかった。
    「……ね、そうだよね!降谷」
    「は、はい」
    「いけるよ!」
    「そ、そうでしょうか?」
    「うん!絶対!赤井と話してごらんよ!退室を許可する!」
    「わ、わかりました」
     降谷は一礼して元来たドアを振り返る。そのドアを開ければ、自分の人生が大きく変わることを入室時より強く確信していた。
    ドアの向こうにある窓の外ではもう日が沈みかけている。そこに肩をつけて寄りかかる人物がいた。
    「……あ、赤井」
    「やあ、降谷くん」
     降谷の運命は片手をあげて微笑んだ。


    ー2

     その日、警視庁の一番大きな会議室では日米合同捜査会議が開かれていた。
     件の組織が壊滅してから両組織の上層部が顔を揃えたのは初めてだった。特にFBIからは最重要人物が来日するとあって、迎える日本側の関係者は皆、張り詰めた表情で会議に臨んでいた。
     何度か緊張感のあるやり取りが交わされたものの、概ね両国の捜査方針は合致した。はあ、やれやれと会議室を最後に出たのは準備に奔走していた日本側の警察官たちだった。
    その中のひとりである彼は喫煙室に目を留めた。ここで一服してからデスクに戻っても咎められることはあるまい。ジャケットのポケットからソフトケースを取り出そうとして動きを止めた。喫煙室にいるのはもしかして……。彼は数歩近づくと中にいた人物を確認して踵を返した。
     彼はこう思ったことだろう。道理で会議室から一番近い喫煙所なのに空いているはずだと……。
     赤井は名前も知らない彼の心境を想像することで、自分の置かれている状況から逃避していた。
    「はあ~~赤井君が結婚かあ」
    「なぁに?あんた、彼に気が合ったの?」
    「そうじゃないけど……まあ、一度くらいは寝てみたかったかな?」
    「わかる。ディックがデカそうな顔してるわよね、彼って」
     彼女たちがキャハハと笑い合うと、それと一緒に甘い紫煙を唇から洩れた。赤井の苦手な香りだ。しかし、そうだと顔に出すことはできない。赤井を取り囲むようにして煙草を吹かしているのは、FBIの陰の支配者と呼ばれる三人の女性たちなのだ。
    「……そういう話は本人のいないところでしてください」
    「あら、ボクはこういう話は苦手だった?ごめんなさいね」
     そう言って赤井の背中に手を添えたのは、右隣に立っている女性だ。柔和な笑みを浮かべ襟ぐりの広いシャツから胸の谷間を覗かせている姿だけを見ると女優のような彼女だが、赤井が入局してスナイパーとしての才能を開花させるまではFBIナンバーワンのスナイパーと呼ばれていた人物で、赤井に射撃のいろはを叩きこんだのも彼女だった。今だって、赤井の背中に添えられている手は射撃に必要な筋肉が衰えていないかをチェックしているに違いなく、赤井は自然と背中に力が入った。
    「で、実際どうなの?彼との結婚生活。うまくいってるの?」
    「まだ二週間ですが、概ねうまく行っています」
    「ふうん。でもさあ、政略結婚なんて今時?って感じよねえ。嫌だったら、いつでも私のところに逃げてきていいのよ?」
    「御冗談を……」
    「あら、私、本気よ?」
     そう言って赤井にしな垂れかかったのは左隣に立っていた女性だ。スレンダーなボディをベルサーチのパンツスーツで包んだ彼女は現FBI長官の妻であり、FBIの真の権力者である。元々は諜報部に所属していたため、職員のプライベートな情報もすべて把握している(食べ物の好き嫌いからアッチの嗜好まで)と言われている。
    「ていうか、赤井君の結婚相手の彼みた!?」
     そう興奮気味に言ったのは赤井の正面に立っている女性だ。緩くウェーブのかかった金髪に長い睫毛であどけない顔つきをしているが、彼女は赤井の母親より年上だという噂である。チアリーダーのような溌剌とした雰囲気を持っているが、人使いの粗さで右に出る者はいないと言われており、人の心がないバービー人形という二つ名を持っている。
    赤井はアメリカにいた時からこの三人にはなるべく接触しないようにしていたのだが、会議後に喫煙室に隠れていたところを襲撃されてしまったのだった。
    「見た!あの超キュートな子でしょ!」
    「そう!赤ちゃんみたいなブルーの瞳が印象的よね!ああん、あの子の泣き顔、絶対可愛いわよぉ」
    「お人形さんみたいな唇だったわ。あんなちっちゃなお口で赤井君のを咥えられるのかしら?」
    「透き通るような金髪もポイント高いわよ。どこのシャンプー使ってるのかしら、ねえ?赤井君?」
     三人から見つめられて、赤井は「んん」と唸ることしかできなかった。まだ泣かせたこともなければ、咥えてもらったことも、一緒に風呂に入って髪を洗ってあげたこともない。おそらく彼女たちはそれを承知していて、しかも赤井がしたいと思っていることを的確についてくるあたりが恐ろしい。
    「勘弁してください……政略結婚ということは彼は日本側のスパイという可能性もないとは言えないんですから」
    「あら」
     赤井の言葉に三人の魔女は顔を見合わせた。
    「ねえ、もしかして、気が付いてないの?」
    「案外鈍いのねえ。ちょっとがっかりだわ」
    「仕方ないわ。赤井君ってパパっ子だから。パパっ子って恋人の機微に疎いって言うじゃない」
     自分の幼少期まで把握されているような発言に赤井は眉間に皺を寄せた。もしかして彼女たちはすでに自分の母親と繋がっているのだろうか……?考えたくない状況に赤井の背中に冷たいものが流れ落ちた。
    「私たちが教えてあげるしかないわね」
    「そうね」
    「ねえ、赤井くん、よく聞いて。今日の会議であなたを見ていた彼の目は……」
    「「「間違いなく恋をしている瞳よ!」」」
     三人が声を揃えて言った言葉の意味が、赤井にはすぐには理解できなかった。彼が恋をしている?胸が騒めく。一体誰に?数十秒かかってようやく理解した赤井の煙草の先から灰が落ちた。
    「彼が俺に……?」
    「そうよ。ね?」
    「ええ、まちがいないわ。だって」
    「私があなたにしな垂れかかっているのを見た時の顔ったら……ふふ」
    「彼がここを通ったんですか?」
     喫煙室を隔てるガラスに背を付けていた赤井にはわからなかったが、赤井を取り囲んでいた彼女たちと、その前を通りかかったらしい降谷にはばっちり見えていたに違いない。
    「失礼します」
     赤井が慌てて喫煙室を飛び出すと、その背をキャハハハという笑い声が追いかけて来た。甘ったるい紫煙までもが追いかけてくるようで、赤井はさらに足を速めたのだった。


     一方、その頃。降谷のオフィスでは、机に顔を突っ伏した降谷の周りを例の幹部たちが取り囲むように立っていた。
    「降谷~~?どうした?もしかして泣いてる?」
    「誰にやられた?うちらに言ってごらん?」
    「なになに……?赤井が喫煙室で女とイチャイチャしてたって?」
    「はあ?うちらの降谷を泣かせるとかありえないんですけど」
    「だから僕は反対したんだよ」
    「またそういうずるいこと言う~!……え、なに?降谷、もう一回言ってくれる?」
     そう言われた降谷は目じりを濡らしたままゆっくりと顔をあげた。
    「……僕も美人だったら赤井に好きになってもらえたのでしょうか」
     降谷の小さな呟きに幹部たちはのけ反った。
    「はあ??降谷、超かわいいよ!?」
    「そうだよ、鏡で自分の顔を見てごらん?」
    「僕の使う?」
     そう言って幹部の一人が内ポケットからコンパクトタイプの女優ミラーを取り出した。何に使うんだよ、と思いながら降谷がそれを手に取ると、腫れぼったい瞼の自分の後ろから幹部たちが覗き込んできた。
    「鏡よ鏡よ鏡さん」
    「世界で一番可愛いのはだあれ?」
    「それはうちの降谷で~~す」
    「ふ……ふふふ」
    「あ、降谷が笑った!」
    「やっぱ降谷は笑うとうちの孫に似てるんだよなあ~」
    「だから、お前のとこの孫と比べんなっつーの!」
    「そうだ!これからみんなでスイパラ行くってのはどう?今、クリスマスフェアやってんだよね!」
    「それ、最高!」
     幹部たちが一気に盛り上がる。降谷は彼らに交じってスイーツバイキングをする自分の姿を想像してまた笑った。
    「とりま、今日は赤井のこと忘れてケーキ食べよ?」
    「……そうですね」
     降谷がそう言うと、幹部はどこの店舗にするか相談し始めた。あそこはタピオカがあるだの、ケーキの補充が早いだの、詳しいこと詳しいこと。でも結局は霞が関から一番近い店舗に話はまとまった。理由は早く食べたいかららしい。
    「行こ行こ」
    そう声を掛けられて降谷が椅子から腰を上げた。赤井と暮らし始めた家に帰るのはしんどいから、外食に誘ってもらえたのは有り難い。お腹いっぱいケーキを食べたら何食わぬ顔をして家に帰れるかもしれない。
    赤井が慌てた様子で降谷のオフィスに飛び込んできたのは、ちょうどその時だった。


    ー3

    「やっぱり僕……帰ります」
     そう言って玄関のドアノブに手を掛ける降谷を見て、赤井は思わず彼の手首を掴んだ。
    「帰るなんて言わないでくれ。ここは君の家なんだ」
     政略結婚をした赤井と降谷の新居は閑静な住宅街の一角にある。猫の額ほどの庭には降谷が一人暮らしをしていた部屋から持ってきたプランターが並び、ガレージには降谷と赤井の車が停まっている。
    普通の一軒家のように見えるが、ドアは厳重なセキュリティーが施されている特注品だ。玄関の向こうには細い廊下が伸びていてリビングへと通じているが、無人のそこには果てしない暗闇がひっそりと佇んでいた。
    「でも……」
     間接照明に透き通るような髪を照らされた降谷は目を下の方へと泳がせた。昼間の喫煙室での光景を思い出したのだろうか。嫌な思いをさせてしまった自覚はある。もし彼が他の誰かとボディタッチを交えてコソコソ話しているのを見たら自分だって面白くない気分になっただろう。しかし、いや、だからこそ、赤井は彼にこの家を出て行ってほしくなかった。
    「では、こうしよう。無理にここから先に進まなくていい。ここで話し合ってみて君が納得できたら、家に上がってくれないか?」
    「わかりました……」
     降谷は俯きながらそう言うと、靴を履いたまま玄関マットの上に腰を下ろした。ピンク色に赤いハートがデザインされたそれは、はっきり言って赤井の趣味ではない。降谷が気に入ったデザインならと思っていたのだが、彼の上層部からの結婚祝いだと知ってからはより異物感が強くなった。降谷がいない間に盗聴器の類が仕込まれていないかチェックしたが、いたって普通の玄関マットだった。
    赤井は降谷の隣に腰を下ろし、上半身だけを降谷のほうへと向けた。
    「まずは、喫煙室でのあれだが……俺は断じてあいつらとは何の関係もないし、関係があったこともない」
    「……イチャイチャしてたくせに」
    「ああやって部下をいたぶるのがやつら趣味なんだ」
    「ふうん」
     降谷はそう言うと微かに唇を突き出した。妬いてくれているように見えるのは自惚れだろうか。もしそうだとしても、ここが限界だ。自分の中の真実から目を背けることはもうできないと赤井は思った。
    「俺が好きなのは君だけだ」
    「えっ」
     降谷が初めて赤井のほうに顔を向けた。その目には戸惑いと、ほんのわずかに期待が混じっているように見えた。赤井の脳内に魔女たちの「恋している瞳よ!」という声がリフレインした。
    「君が、好きだ……こんな形で結婚することになったが、本当はもっと時間をかけて距離を縮めていきたいと思っていた。いつか、君が俺に心を許してくれる時が来たら伝えるつもりだったんだが……君と結婚できるチャンスが巡ってきて、俺が断ったら君が別の誰かと結婚してしまうかと思ったら耐えられなかった」
    「赤井が僕を……?」
    「この状況で嘘を吐くと思うか?」
    「だって……僕、あなたにひどい態度を……」
    「それを言うなら俺だってそうだ。君に何度も嘘を吐いた」
    「……ふふ、沖矢さんのことですか?あれは確かに腹が立ちました。なんだよ、大学院生って。僕よりも年下とかありえない」
    「む……すまん」
    「いいですよ。……生きててくれたから」
     そう言って降谷はすべてを飲み込んだ表情で微笑んだ。その顔が綺麗で悲しくて、赤井は自分の傲慢さが嫌になった。
    「君はどうしてこの結婚を承諾したんだ?」
    「えっ……それは……」
    「俺は君の……大切な友人を救うことができなかった」
    「……あの組織によって大切な存在を失ったのはあなたも同じでしょう。僕たちならお互いの背負ったものをきっと理解し合える」
    「降谷くん……」
    「でも、第三者を自分の選択の理由にするのは好きじゃありません。僕は赤井、あなたが好きなんです」
     赤井を見上げる降谷の目には静かに燃える青い炎が揺れていた。
    「あー……すまん、言葉が見つからない……できれば抱きしめたいんだが」
     赤井が腕を広げると降谷は一瞬躊躇ってからそこに飛び込んだ。
    「君はクリスマスみたいな子だ」
    「え?」
    「君と一緒の家で暮らし始めてから、ずっとそう思っていたんだ。朝起きて君が同じ家にいるかと思ったら年甲斐もなく浮かれそうになってしまって、何度も冷水で顔を洗ったよ」
    「気が付きませんでした……」
     降谷が恥ずかしそうに俯くと、そのはちみつ色の髪が冬の冷気を纏いながら赤井の鼻をくすぐった。
    「君の髪って甘い匂いがするんだな」
    「そ、それはさっきケーキを食べたから……」
    「はは、君、たくさん食べてたな」
    「あ、あれぐらい普通ですっ!ケーキバイキングでコーヒーばっかり飲んでる赤井のほうが目立ってましたよ?」
    「君の上司に睨まれていたからな……」
    「え?みんなケーキに夢中だったと思いますけど?」
     まったく気が付いていない降谷の様子に、赤井は針の筵だったとは言わないでおいた。
    「甘いのは……嫌いですか?」
    「そんなことはないんだが……」
    「……じゃあ、さっき食べられなかったケーキの味見してみますか?」
     降谷はそう言うと顔を隠すように赤井の胸に額を押し付けた。
    「それは……キスを許してくれるという意味で合ってるか?」
    「……したことないからうまくできるかわかりませんけど」
    「本当に!?」
    「大きい声出すなよ!恥ずかしくなるだろ!!」
    「すまん……」
    「え、えっと……目を閉じればいいんですよね?」
    「そうだな……あとは任せてくれ」
     赤井がそう言うと、降谷は赤井の腕の中で大きく深呼吸をし、ぎゅっと目を閉じながら顔を上げた。差し出されたファーストキスに赤井の脳内ではトナカイとサンタが交互に回りだした。この歳になってこんなプレゼントを受け取れるとは。赤井は自分のクリスマスを怖がらせないようにそっと背中に手を回してゆっくりと唇を重ねた。
     降谷を怯えさせないよう早めに唇を離すと、彼はまだ目を閉じたままだった。
    「あ、あの……目はいつ開けたらいいんです?」
    「あー……もうちょっとだ」
    「んっ」
     降谷がさらにぎゅっと目を閉じる。その瞼には長い睫毛が縁取っていて、頬はいつになく赤い。赤井はその顔を目に焼き付けると、もう一度、今度は味わうように舌で唇を少しだけなぞった。砂糖菓子のサンタぐらい甘い唇は解けることはなく、小鳥の心臓のように小さく震えていた。

     こうして降谷と思いを通い合わせることに成功した赤井だったが、彼はこの時まだ知らなかった。降谷の純潔を守る『一角獣会』の存在を……。
     次回!『赤井VSユニコーン』デュエルスタンバイ!


    ー4

     黒い漆喰の壁に表札のような看板を掲げた料亭を前に風見は「はあ」とため息を吐いた。一見の客を断っている店に入れるというのに、旨い料理に舌鼓を打つことができないとわかっていたからだ。
    「いらっしゃいませ。ご予約は……?」
     風見が足を踏み入れると、女将がすかさず声を掛けて来た。こういう料亭の女将は客の顔を覚えていると聞いたことがある。風見を初めての客だとすぐに見抜いたのだろう。
    「連れが先に来ていると思うのですが」
    「お名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」
     やはり言わなければならないのか……。今日はある会合が開かれていて、風見がそれに出席するためにここに来た。といっても、自ら参加したわけではなく強制的な参加させられたのだ。本当ならこの『組合』の名前すら口に出したくない。なぜって……。
    「一角獣会です……」
    「あらあ、そうでしたか。失礼しました。本日はお越しくださりありがとうございます。どうぞこれからもご贔屓に」
     女将の反応から鑑みるに、一角獣会は度々ここで会合を開いているのだろう。風見は常時招集されるわけではないため彼らが普段どういう活動をしているのかは知らない。女将には悪いが、ここを彼らが根城にしているなら、なるべくこの界隈に近づかないようにしようと風見は心に決めた。
    「ささ、こちらに」
     女将に案内されて板張りの廊下を歩いていくと、奥から男が歩いてくるのが見えた。一度見たら二度と忘れられない厳つい顔をしている。女将は男に気が付くと「ごゆっくり……」と言って引き返していった。
     細い廊下を風見が歩いていくと男がわざと風見の肩にぶつかった。
    「なんじゃわれえ!どこの組のもんじゃあ!」
    「……ユニコーンの群れに名前はない」
     風見がそう言うと男は相好を崩した。顔見知りなのになぜ合言葉が必要なのだろうか。
    「よく来たねえ、風見くん。忙しいのに悪いなあ」
     全くです、そう言いたいところだが、縦社会に身を置く風見は「いえ」と言って警視正に小さく頭を下げた。
    「みんな君が来るのを待ってたんだ。さあ、行こう」
     肩をがっしりと肩を掴まれて、風見は俯きそうになるのをなんとか堪えた。
    彼に案内されたのは一番奥の座敷だった。その障子を開けると厳つい男たちが大きなテーブルを囲んで座っていた。
    といっても、風見は反社会的な会合に参加しているわけではない。ここにいる人物はみな人相は悪いが警察官なのだ。
    「久しぶりね」
     そう声を掛けたのは上座に座る紅一点。岩下課長だった。日本の女性警察官の中で最もマシンガンが似合うと言われているだけあって、周りの人相の悪い男たちに引けを取らない迫力を湛えている。彼女が一角獣会という名の、降谷零ファンクラブの会長だ。
     風見がなぜ上司のファンクラブの会合に招かれているかと言うと、降谷の右腕として随行している風見は彼らに最近の降谷の様子などを報告するように脅され……頼まれているためだ。今回こうして招集された理由は間違いなく、降谷があのFBI捜査官赤井秀一と結婚したからだろう。
    「まあ、まずは飲もう」
     風見を廊下まで迎えに来た男(警視)は風見の前にグラスを置いて瓶ビールを注いだ。
    「いただきます」
     グラスに口を付けながら、風見はテーブルの上に目を走らせた。そこには季節の食材を使った料理やピール、徳利に紛れて降谷のブロマイドやアクリルスタンドが見え隠れしている。
     といっても、そこに写っている降谷の表情は硬い。それもそのはず、身分証明書に使うために撮影された写真を彼らが勝手にグッズ化したものなのだ。
     降谷は警察手帳の写真をシーズンごとに撮影していると知った時、風見はかなり驚いた。毎年そうなのかと聞くと、降谷は潜入捜査が終わってからだと言った。一角獣会の誰かが総務に指示しているのだとすぐに分かった。
    「姉御、早速ですが本題に入ってもいいでしょうか」
    「そうね。風見くんも忙しいだろうから」
     岩下の言葉にその場の全員の視線が再び風見に注がれた。
    「降谷きゅんが結婚したってのは本当なんだな?」
    「は、はい……」
     なんだよ、キュンって。何度聞いてもこの呼び方に風見は慣れることができないでいる。
    「姉御!俺は我慢できません!どうして降谷キュンが政略結婚なんかしなきゃなんねえんですか!」
    「そうだ、そうだ!」
    「上層部のやり方は前々から気に食わなかったんだ!」
    「おいおい、やめねえか、お前ら。風見くんがビックリしてるだろう。なあ?」
    警視はそう言って風見の背中をパンパンと叩いた。
     お言葉を返すようですが俺はこうなると思ってましたよ……。風見とて、推しを持つ身だ。推しが結婚を発表したとなれば荒むファンの心を理解できなくはなかった。
    「やめなさいよ、みっともない」
     岩下の一喝に座敷を静寂が支配した。
    「しまちゃん……」
     そう漏らしたのは警視正だ。彼らは同期で岩下課長を「しまちゃん」と呼ぶのは、今となっては彼だけらしい。
    「姉御、姉御はこのまま黙ってるつもりなんですか!」
     威勢よく若い男が立ち上がる。いよいよ展開が極道染みてきて、風見はさらに肩を小さくすぼめた。
    「降谷きゅんが望まぬ結婚を強要されたっていうのに!」
    「望まぬ結婚?本当に?」
     岩下が風見を見た。ああ、この人はそこまでわかっているのかと、風見は思った。確かに降谷の結婚を決めたのは上層部だが、降谷が赤井に特別な思いを傾けていたことを風見もなんとなく感じていた。
    「政略結婚を命じられた時、降谷きゅんは赤井を好きだと言ったそうじゃないか」
     岩下の言葉に並んで座る男たちが頭を抱えた。岩下はやれやれと手酌で徳利から杯に酒を注ぐ。そんな彼女はこの中では最も理性的に見えるが、降谷の結婚が決まった時、彼女が喪服で登庁したことを風見は知っている。この人はこの人なりに落ちるとこまで落ちているのだ。降谷という沼に。
    「私ら、惚れた腫れたでこうして連んでるんじゃあないでしょう。恋なら憎しみに変わることもありましょうが、私らがしてるのは推し活。推しのためにならないことをしたらお終いや」
    岩下課長の口調に関西弁が混じり出したのを見て、風見はいよいよまずいと思った。彼女は生まれも育ちも東都。そんな彼女の趣味は酒を飲みながら某任侠映画を見ることだと言う。彼女が関西弁を話し出すのは酔いが回ってきている証拠なのだ。
    「そこで風見くん」
    「は、はい」
    「あんたには降谷きゅんがこの結婚をどう感じているのか確認してきて欲しいんや。彼が幸せなら私らは祝福するだけのこと。だけどもし彼が「思ってたんと違う」と感じているなら……」
     そこで言葉を切った岩下はバンと机を叩いて片膝を立てた。
    「降谷きゅんをあの男から助け出す。たとえ刺し違えたとしても!」
     岩下の言葉に男たちから歓声が沸き上がる。なんだよ、刺し違えるって……誰に何を刺すつもりなんだよ……。
    「わ、わかりました。では、さっそく」
     腰を浮かせた風見に男たちが「頼んだぞ!」「芋引いたら承知しねえぞ!」と発破をかけた。
     ああ、とんでもないことに巻き込まれてしまった……。料亭を出た風見は背中を丸くして、帰路に就いたのだった。

    翌日。
    降谷の車が庁舎の駐車場に入ってきたのを確認した風見は、あたかも自分も今到着したような顔で車を降りた。
    「おはようございます、降谷さん」
    「ああ、おはよう。今朝は冷えるなあ」
    「そうですね……」
     何気ない会話の中から結婚にまつわる話を引き出すために、風見は様々なパターンの会話のやりとりを頭に浮かべた。
    「そういえば、新しい家はいかがですか?」
    「え?」
    「い、いえ、以前、日当たりがいいと仰っていたので。冬でも暖かいのかなと……」
    「ああ……うん、そうだな。居心地がいいよ」
     降谷の頬がぽっと赤くなる。これは上手く行っているということなのではないか。しかし、もう一押し、確かな証言が欲しい。
    「……赤井の体温が高いせいもあるかもな」
    「えっ、そうなんですか?」
    「ああ。意外だよな。夜なんか暑いぐらいなんだ」
     少し困ったように笑う降谷は間違いなく幸せそうに見えた。これまで死地を何度も潜り抜けた降谷のそんな表情に、風見は自分のコートの中まで暖かくなったように感じた。
    「仲がよろしいんですね。一緒に寝てらっしゃるんですか?」
     そう尋ねた瞬間、風見の天地がひっくり返った。背中に痛みを感じて風見は自分が背負い投げされたのだと知った。
    「そんなこと……言うわけないだろ……!」
    「し、失礼しましたっっ!!」


    「ということがあって……」
    「ホオ」
    「僕、顔に出てるんですかね?そうだとしたら恥ずかしいな……」
     キングサイズのベッドの中、内緒話をするように降谷は赤井の耳に唇を近づけながら、今朝の出来事を話していた。
    「そんなことはないさ」
    「そうかなあ……でも毎晩こうやって寝ているって誰かに知られたら僕……」
     降谷はそう言うと赤井の手を握る力を少し弱めた。想いを通わせたその夜から、降谷と赤井はこうして手を繋いで寝ている。赤井としてはもっと別の場所を握り合いたいのだが、降谷のペースを崩したくない気持ちもある。だというのに、外野からの言葉で降谷が手を繋ぐことさえ躊躇うようになっては、体を繋げるなど夢のまた夢になってしまう。
    「心配ない。ほら、もっとこっちにおいで。君に手を繋いでもらわないと俺はもう眠れないよ」
    「ふふ、はいはい……」
     手を繋ぎなおした降谷がゆっくりと目を閉じる。その愛らしい寝顔を見ながら、赤井は風見の言葉に違和感を覚えていた。恋愛関係に疎そうな彼がそんな話をふってくるなんて誰かの差し金なのではないか。
     君がそちら側に付くなら、俺にも考えがあるぞ、風見くん……。


    ー5

     パソコンを覗き込む風見のげっそりとした顔を見て、部下の一人が堪らず声を掛けた。
    「風見さん、少し休まれては……」
    「いや……」
    「降谷さんがいなくて仕事が多いのはわかっていますが、我々だって風見さんの部下です。もっと仕事を振ってくださいよ!」
     部下の必死な口ぶりに風見は苦笑を浮かべて、メガネをはずした。レンズがないと目の下の隈はよりはっきりした。一体、何日寝ていないのだろう。
    「随分頼もしいことを言ってくれるじゃないか」
    「え、えっと……出過ぎたことを……」
    「いや、嬉しいよ……でも、降谷さんが戻られるまで俺はここを動けないんだ」
    「……何かあったんですか?」
    「一角獣に刺される……」
    「え?」
     部下が問いかけた時にはもう風見は寝息を立てていた。

     その頃、警察庁の会議室では。
     六人の幹部たちが頭を突き合わせるようにして旅程表を眺めていた。
    「降谷、今はどの辺かな?」
    「南島にいるのは確かだよね」
     その旅程表は降谷に海外に出るための申請に必要だからと言って作らせたものだ。本当はそこまで細かな内容を申告する必要はないのだが、警察官になって初めてプライベートで海外に行く降谷はなんの疑いもなく彼らに新婚旅行のスケジュールを提出していった。
    「今日はテカポ湖に行くって書いてある~~いいな~~~」
    「あとで写真アップしてくれるんじゃん?」
     その上、自分たちはなかなか旅行に出られないと半ば泣き落としして、降谷にインスタのアカウントを作らせた。そこには昨日マウントクックに登った写真がアップされていた。本人たちは写っていないが、写真の端っこに赤い登山リュックが映っていたので『匂わせキタ~~~』と大興奮だった。
    「あ、インスタ更新されてる!」
    「ま?早くない?」
    「向こう今何時??」
    「え、ちょっ、やば」
     動転している仲間を見て、それぞれがスマホを取り出した。グラデーションカラーのアイコンをタップする指先の早いこと早いこと。
    「ええ!?」
    「やっっっっば」
    「超嗅がせに来てるじゃん!!」
     降谷のインスタにアップされていたのは、真っ白いリネンに散るはちみつ色の髪だった。

    「ねえ、みんな、赤井くんのベイべちゃんのインスタ見た!?」
     バービー人形が喫煙室に飛び込むと、他の二人はすでにスマホを手に例の写真を見ていた。
    「見た。絶対に事後だし、撮ったのはベイべちゃんじゃなくて赤井くんでしょ?」
    「牽制なのかな~~かわいい」
    「そうだとしたら、彼ぜんぜんわかってないよねえ」
     バービー人形がそういってきゃっきゃっと笑うと、元指導官であるグラマーが肩を竦めた。
    「本当に。あんな写真あげたらベイベちゃんに興味もつやつ増えるだけなのに。育て方間違えたかな?」
    「まあ、いいんじゃない?面白いし」
     甘い紫煙を吐き出しながらそう言ったのは人妻だ。
     三人はついさっきまで国防に関わる会議に出席していたのだが、頭の中の大半を占めていたのは、『早く終われ』という願いと『会議終わったらインスタチェックしよ』ということだった。
    「あたし、彼らが新婚旅行に行く前に日本にいってたじゃない?」
    「それがどうしたのよ?」
    「ベイべちゃんに会ったんだよね」
    「へえ?」
    「旅行で必要になるからってスキン渡したら真っ赤になって超可愛かった~~」
    「ちゃんとサイズ選んだんでしょうね?」
     グラマーが親指と人差し指で丸を作って見せると、バービー人形は両手の親指と人差し指で丸を作って「もちろん」と応えた。そのやり取りを見ていた人妻が噴き出して、咥えていた煙草の灰がシャツに落ちた。
    「ちょっと、急に笑わせないでよ。これ、新品よ?」
    「それぐらいすぐに落ちるって!でね、私が上げたスキンがこれなんだけど……」
     そう言ってバービーは二人に自分のスマホのディスプレイを見せた。そこに表示されていたのはある特殊加工が施されてたスキンだった。
    「やだ、本当に?」
    「最高よ、バービー!ってことは、つまり……」
    「そう、昨日の夜……」
    「「「赤井くんのディックはベッドの上で光ってた」」」
     キャハハハ、とFBIの陰の権力者たちが笑い声をあげる喫煙室。職員たちはなるべく近づかないように足音を忍ばせて通り過ぎていくのだった。


     岩下課長が喪服で登庁したのは、これで七日連続だった。
     どうしたんですか、などと野暮なことを聞く職員はいない。ただ一人、同期だけが「しっかりしろよ、しまちゃん!」と声を掛けて来たが、彼の目の下にもクマが出来ていた。きっと、風見が公安の根城からでてくるのを交代で見張っていたのだろう。
     岩下の推しである降谷キュンの新婚旅行の情報が岩下の耳に入ったのは、彼らが旅立った後だった。もちろん一角獣会の鼠である風見を呼び出して問い詰めたが、彼は「出張と聞いていた」と言い張っていた。そんなはずはない、意図的に情報を隠していたんだろうと組の若いのが詰め寄ると、風見は公安の部屋に逃げ込み、それからずっと出てきていない。
     やっぱりもう一人ぐらい懐柔しておくべきだった。いや、たらればは考えても仕方ない。七日間の新婚旅行を降谷キュンがインスタで公開している噂も聞いているが、一度も見たことはなかった。推しの幸せを願っているくせに、推しの新婚旅行を見たくはない。自分の抱える矛盾を突きつけられて、岩下はため息を吐いた。
    「岩下課長、おはようございます!」
     推しが自分の名前を呼んでいる。ついに幻聴まで聞こえて来たようだ。だって降谷くんの新婚旅行は今日まで。庁舎に現れるわけが……え、待って。今日って月曜日?帰国は昨日だ!?
     岩下が慌てて振り返ると、そこには推しが『いた』。
     突然のファンミに硬直していると、降谷はさわやかな笑顔で岩下の前に立った。
    「ご無沙汰しております」
    「え、は、ええ」
    「うちの風見がお世話になったそうで……あの、これ良かったら」
    「え、は、ええ?」
    「実は海外に行ってきまして……」
     そう言ってはにかみながら、降谷が横髪を耳に掛ける。その薬指にはシルバーリングがはめられていて、岩下課長の情緒はぐちゃぐちゃだった。
    「わ、わざわざ、ありがとう」
     もっと気の利いたことが言えたら、と思ったが、降谷を目の前にしてまともなことを話せるなら一角獣会の会長なんてやってないと思い直した。彼と現実にどうこうなりたいわけじゃない。ただ、美しく直向きで背筋の伸びた彼という生き物を『推し』たいのだ。
    「では」
    「ええ」
     岩下課長は自分とは反対の方向へと歩いて行く降谷の背中を横目で見送った。
    「あっ……」
     透き通るようなはちみつ色の襟足の少し下、シャツにギリギリ隠れない項に人間のものの歯形があった。
     それを見た瞬間、岩下課長の背中は庁舎の固い床の上にダイブした。
    「しまちゃん!!どうした!?どこの組のもんにやられた!!??」
    「おし……」
    「なあにい!?押尾組だって!?おい、てめえら緊急配備だ!!俺たちの頭に手出されて黙ってられるか!!」
     違う、そうじゃない。でも、言葉にはできないまま、岩下の意識はそこで途切れた。



    「ただいま」
     そう言って玄関を開けると、自分以外の匂いがした。それを感じても緊張しなくなったのは結婚してから一年が経ったつい最近のことだ。
    「おかえり」
     先に帰った赤井が柔らかな笑みで降谷を出迎えた。
    「赤井〜〜〜!!」
     赤井の胸に飛び込む。こんな風に素直に甘えられるようになるなんて、結婚した当初は想像できなかった。今だって夢みたいだ。自分の家に赤井がいるなんて。帰ってきた自分を宝物みたいに抱きしめてくれるなんて。
    「お疲れ、零くん」
    赤井がその名前で呼ぶのを聞くと擽ったい。耳だけじゃなくて、昨夜のことを思い出して腰までムズムズしてしまう。離れ難くて身を任せていると赤井が降谷を抱き上げた。
    「俺の王子様はもう眠たくなってしまったかな?」
    「まだ眠くはないけど……ベッドに連れてって」
    「喜んで」
     赤井は降谷を抱いたまま廊下を歩き出した。
    赤井と初めて体を重ねた翌日もそうだった。腰が立たなくなってしまったと赤井を口では詰りながらも、降谷はとても幸せだった。これから始まる二人の人生を祝福するように南半球の空は晴れ渡っていた。
    「ねえ、またあれやって」
    「ん?どれのことだ?」
    「ほら、あのライトセーバーみたいな……ふふ」
    「零くん、あのスキンのことは忘れてくれと言っただろ?そもそも、君があの女から受け取ったものを信用するから……」
    「あはは、うん、でも、アレを見たおかげで僕、緊張が解けたんです」
    「うん、泣くほど笑ってたな。完全にムードが死んだと思ったよ」
     降谷に泣くほど笑われた時の赤井の表情も、降谷は今でもはっきりと覚えてる。赤井を必ず幸せにしようと降谷が決心したのはその時だった。
    「大丈夫ですよ、僕は何があっても赤井のそばにいてあげますからね」
    「俺もだよ。さあ、ベッドだ。今夜もずっとそばにいるよ……」

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    かとうあんこ

    DOODLE一度別れた赤安がバディを組んで幽霊退治(?)をする話、第三話。
    「その日のことはよく覚えてます。パパと姉貴とわたしの三人でママの誕生日プレゼントを買うために出掛けていたんです。姉貴は小学生、私は保育園に通っている頃で、パパが贔屓にしているアンティークショップに……え?名前?なんだったかなあ。随分前に倒産しちゃったから、もうありませんよ。……いえ、ママはドールハウスには全然興味なくて。アンティークショップのガラスの戸棚に飾られていたワイングラスをプレゼントすることにしたんです。それをお店のひとがラッピングしている間に、オーナーさんが『お嬢様たちにこちらはいかがですか?』と言って見せてくれたのが、そのドールハウスでした。本物の西洋のお屋敷を小さくしたみたいですごく素敵だったから、私も姉貴もすぐに気に入りました。ふたりでパパにおねだりして、買ってもらえることになったんですけど……パパがお会計している間、奥さんが、あ、オーナーの奥さんです、がこんなことを言ってたんです。『このドールハウスに人形は絶対に入れないで』って。私たちは不思議に思いましたが、奥さんがあまりに真剣な表情だったから「うん」と答えました。でも家に帰ってドールハウスを広げて、別に梱包してもらった家具を並べているうちに……人形を入れて遊びたくなったんです。ほら、子どもってダメって言われるとやりたくなるところあるじゃないですか。それに……人形がないほうが変な感じがしたんです。とても精巧にできていたから……ううん、そうじゃないな……人がいる気配がするのに誰もいない……そんな感じでした。でも、うちにあるのは着せ替え人形ばかりで、そのドールハウスのサイズにちょうどいい人形がなかったんです。そしたら姉貴が「紙のお人形を作ってドールハウスに入れよう」と言ったんです。「紙の人形なら約束を破ったことにはならないだろうから」って。私はすぐに部屋にあった画用紙に黒いマジックで女の子の絵を描いてソファに座らせました。その隣に姉貴が書いた猫の絵を置いたところで夕飯の時間になって、私たちはドールハウスをそのままにして部屋を出たんです。……あはは、大丈夫よ、真さん。子どもの頃の話だから。それに、もし何かあっても真さんが守ってくれるでしょう?……はい。そうなんです。夕飯を終えてドールハウスがある部屋に戻ってきたら、紙の人形が切られていたんです。バラバラに……。「やっぱり人形を入れたのがいけなかったのかし
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    かとうあんこ

    DONE一度別れた赤安がバディを組んで幽霊退治(?)をする第二話
    烏丸怪談②友人の話「え?僕には怪談はないのかって?う~ん、そうだなあ……僕の友人の話でもよければ。はは、そういうことが多いね。まあ、どちらでもいいじゃないか。これは友人が保育園に通っていた頃の話だ。彼はいつもお迎えが一番最後でね。母親の仕事が忙しかったんだ。彼は保育園では周りの子どもたちとうまくいってなかったから、園児が少なくない遅い時間のほうが遊びやすかった。だから、母親の迎えが遅くても気にならなかった。嬉々として居残っている彼を見て羨ましかったのか、園児のひとりが意地悪を言ったんだ。『あいつはいらない子だからお迎えが遅いんだ』って。気丈な友人もこれにはショックを受けた。いつもは独り占めできて嬉しい積み木も全然楽しくない。今すぐに母親に抱っこしてほしかった……。そんなことを考えてると、友人の前に見知らぬ男の子が現れた。『キミ、いらない子なの?』友人は当然ムッとして無視をした。ちょっとだけ泣いてたかもしれない。その寂しさを見抜いたように男の子は『じゃあ、一緒に遊ぼうよ』と言った。友人は少し悩んでから『ウン』と言った。それから二時間、彼は行方不明になった。保育園の先生はもちろん彼を探したし、お迎えに来た母親も一緒に探した。家に帰ったんじゃないか、散歩で行った公園にいるんじゃないか。いろんな場所を探したが、見つからない。いよいよ警察に連絡しようとなった時、子ども用トイレから友人が現れた。『やっと帰ってこれた』と言いながらね。二時間だけの神隠しだ。……どう?名探偵の君には物足りなかったかな」
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