エロティカ・メルヒェン-赤ずきんと白ずきん編- とある森の奥の奥。
一匹の子供の狼がおりました。
名前はきり丸。
物覚えがつく頃には既に両親はおらず、ひっそりと一匹で暮らしておりました。
ある日、きり丸はお花畑で遊んでいたところ、三兄弟の狼たちに囲まれ、いじめられていました。
「やーい、ひとりぼっちのきり丸ー」
「お前、そんなちっこいから、ろくに狩りもできねぇんだよ」
「ろくに狩りができないから、こんなちっこいんだよなー」
「あっなるほど! あはははは!」
彼らもまだ子供の狼ですが、きり丸よりも大きな体をしています。
背後から大声を出してきり丸を驚かせたり、きり丸が折角集めた木の実をぐちゃぐちゃに踏み潰したり、やっとの思いで狩った野うさぎを横取りしたりと、色んな意地悪をしては、こうしてきり丸を馬鹿にしたように笑っていました。
けれど、きり丸だって負けません。
「うるさいな! どっか行けよ!」
だんっと足を踏み鳴らし、毛を逆立てて三匹を睨み付けると、彼らは一瞬怯みました。
だけどすぐに怒った顔をして、きり丸に掴み掛かろうとします。
「なんだよ生意気な!」
「そーだぞ! 折角遊んでやろうとしてんのに!」
「やめろ! 触んな!」
自分よりも大きくても、数が多くても、きり丸は懸命に立ち向かいました。
髪を引っ張られても、腕を掴まれても、殴られても、噛みつき、爪で引っ掻き、威嚇し続けます。
――そんな時でした。
パァンッ!
すぐ近くから、なんとも大きな銃声が。
「逃げろ!」
三匹の狼たちは、きり丸を地面に突き飛ばし、慌てて逃げていきました。
音のした方を向くと、少し離れたところにふたりの男が立っていました。
ひとりは真っ赤な頭巾を被っており、手には猟銃を。もうひとりは真っ白な頭巾を被っており、手には刀を持っておりました。
(……殺される……!)
見るからにふたりは狩人なのでしょう。
何故男の人がロングスカートを着ているのだろうと思わなくもないですが、そんなことを考えているバヤイではありません。
このままでは殺されてしまう。
そう思いますが、きり丸は恐怖に怯えて、動けなくなってしまいました。
ガクガク震えていると、男たちはきり丸に近づき、赤い頭巾を被った男に腕を掴まれました。
「……!」
「あぁ、落ち着いて。君に危害を加えようなんて思っていないよ」
「え……?」
「大丈夫? 怪我はない?」
「ありません……」
「今の子たち……君の兄弟ってわけではなさそうだったね。 お父さんやお母さんは?」
「……いません。気が付いたら、ぼくはひとりぼっちだったので」
「! そうか、それは失礼なことを聞いてしまったな」
赤い頭巾の男は、眉根を下げて申し訳なさそうな顔で、きり丸に謝ります。
「腹は減ってないか?」
今度は白い頭巾の男がきり丸に話しかけてきました。
その瞬間、きり丸が返事をする前に、お腹がぐぅぅぅぅぅと鳴りました。
「いい返事だ」
白い頭巾の男がくっくっと喉を鳴らして笑います。きり丸は恥ずかしさでいっぱいになり、白い頭巾の男をギッと睨み付けましたが、男にはなんてことないのでしょう。「すまない、そんな怒らないでくれ」と言いながら、きり丸の頭を撫でてきました。
「こら天鬼。あんまり意地悪するな」
「だから謝っただろう、半助。それに元々意地悪する気などなかった」
どうやら赤い頭巾の男は半助、白い頭巾の男は天鬼というようです。
「君の名前は?」
「……きり丸」
「そうか、きり丸。よかったらうちに来ないか? お腹が空いているなら、何か作ってあげる」
「も、もらう……!」
ずっとひとりぼっちで生きてきたきり丸にとって、そんな風に言ってもらうのは初めてのことでした。
半助にご飯を作ってあげると言ってもらえて、きり丸は大層喜びました。
本当に彼らはきり丸に危害を加えるつもりはないようです。
右手は半助と、左手は天鬼と、ふたりと手を繋いできり丸はふたりの住む家へと向かって歩いていきました。
◆◇◆
「……どろぼうにでも入られたんですか?」
ふたりの住む家は、お花畑からそう離れていない場所にありました。真っ赤な屋根の立派なおうちです。
けれど、部屋の中に一歩足を踏み入れた瞬間、きり丸は目の前の光景に絶句しました。
ふたりの家の中は、物で溢れていて足の踏み場もなかったのです。
まだ泥棒にでも入られたと言われた方が納得できるくらいに。
「いやぁ、そういうわけではないんだが」
「半助が掃除しないから」
「お前も! しないだろうが!」
「ケンカしないでください! こんなんでよく生活できてましたね?!」
部屋のあちこちに、大きく積み上げられた本の山が。それから洗ってあるのか洗ってないのかも分からない服も、部屋の至る所に置かれていました。
キッチンを覗き込めば、洗っていない様子の皿やカトラリーが。水にも付けてないためカピカピです。
お金がないのでろくに物は買えないし、まだ幼いため狩りがろくにできないきり丸だって、寝床はいつもピカピカにしています。
裕福だと、こんなにズボラになってしまうのでしょうか。きり丸はとことん呆れてしまいました。
「何か食べさせてもらえるのはありがたいですが、こんなところじゃまともに料理なんてできないでしょう。まずは掃除。とにかく掃除です!」
きり丸は声を上げて気合いを入れると、早速部屋の掃除に取り掛かりはじめました。
まずは本棚を綺麗に磨いて、ふたりに本の整理を頼みました。きり丸は文字が読めないため、どう並べたらいいのか分からないからです。
けれどふたりは本を一冊手に取ると、それを読みはじめてしまいました。
そんなふたりに、勿論きり丸は怒ります。
「読むんじゃなくて! 本棚になおす! ぼく、キッチンの掃除をしに行きますからね。戻ってくるまでに、この本ぜーんぶ本棚になおすんですよ! わかりましたか?!」
「「はい……」」
ビシッと指を刺してそう言うと、半助と天鬼は渋々本の整理をはじめました。
それを見届けてから、きり丸はキッチンへと向かいました。
カピカピになっている食器は全部水に付け、そのあいだにいらない物はどんどんゴミ袋の中に詰め込みます。あらかたゴミをまとめ終えると、付けておいた食器を洗っていきました。
くすんだお皿は真っ白に。汚れたカトラリーは綺麗な銀色に。それらがどんどんピカピカになっていくのが、きり丸は楽しくて仕方がありませんでした。
食器類を洗い終えると、今度はシンクを綺麗にし、戸棚の調味料を綺麗に並べていきます。それを終えると、食器を丁寧に布巾で拭いて食器棚に片付けました。
これでキッチンの掃除はおしまいです。
けれど掃除はまだ終わりません。きり丸は、今度は部屋のあちこちに落ちている洋服に取り掛かりました。
絶対洗っていない物、洗ってあるようだけれどしわくちゃな物、一応綺麗な物、と三つに分け、一応綺麗な物は丁寧に畳んでクローゼットに仕舞います。
絶対洗っていない物としわくちゃな物は洗濯しなくてはなりません。
それらは両手で抱えきれないくらいの量だったため、きり丸は呆れてしまいました。
初めて見た時はふたりとも猟銃や刀を持っていたのですごく怖かったけれど、話をするととても優しい人たちだったのに。
「きり丸」
「! 本棚の片付けは終わったんですか?」
「終わったぞ。ほら」
「おぉ……っ!」
片付けを終えたふたりに呼ばれてそちらの方へ行くと、綺麗に本が並べられた本棚が目に入りました。あちこちに積み上げられた本の山も、もうどこにもありません。
「やればできるじゃないですか!」ときり丸も大喜び。
そんなきり丸に、ふたりも嬉しそうに微笑みました。
「次は洗濯か? その前にご飯にしよう。お腹がもっと空いているだろう?」
「あ……」
そういえばお腹が空いてたんだった。
でもあまりの部屋の汚さで、それどころじゃなかったんだよなぁ。
またお腹が鳴ってしまいそうで、きり丸は恥ずかしくなりました。
けれど元はと言えばふたりのせいなのです。
お腹が鳴ってもふたりのせいなんだから! と訴えるように、きり丸はしっぽをばったんばったんと大きく左右に振りながらふたりを睨みつけました。
「男兄弟のふたり暮らしだと、つい色々手を抜いてしまってなぁ。そう怒らないでくれ。腕によりをかけて、美味しい料理を作るから」
「ご飯を食べたら皆で洗濯をしよう。な、きり丸」
ふたりはそう言うと、代わる代わるきり丸の頭を撫でてきました。
誰かに頭を撫でてもらうなんて、いつぶりでしょうか。
大きな手で、あたたかくて、優しくて。
部屋の掃除も洗濯もできないだめだめな人たちですが、きり丸はちょっとだけふたりのことが好きになりました。
その後、きり丸はふたりが作ってくれた料理を食べました。
ふたりが用意したのは、トースターで焼いたふかふかのロールパン、鶏肉の蒸し焼き、ほくほくのジャガイモで作られたポテトサラダ、卵と豆腐のスープ。
勿論きり丸はこんな豪華なもの、一度も食べたことはありません。
どれもこれもとっても美味しくて、きり丸は夢中になって食べました。
ふたりも、あまりにもきり丸が目をキラキラ輝かせて食べてくれるので、とっても嬉しい気持ちになりました。
そして食事を終えて、きちんと皿洗いも終えると、次は三人で洗濯をしに川へ行きました。
洗うものはたくさんあって大変でしたが、庭の物干し竿にかかった洗濯物は、風で柔らかくはためいて、洗剤のいいにおいがして、綺麗で、見ていて気持ちのいいものでした。
「ふわぁ……」
ふたりに出会ってからたくさん動き回ったため、もうきり丸はくたくたです。
芝生の上に大の字になって、心地のいい風に揺られていると、うとうとして、眠たくなってしまいました。
「ねむい……でも、もうそろそろかえらなくちゃ……」
今日はきり丸が生きてきて、一番の「ぜいたくをした日」でした。
三匹の狼にいじめられているところをふたりに助けてもらって。
ふたりの家はとても立派だけど、部屋の中は汚くて。
でもそれを全部綺麗にして、美味しいご飯を食べさせてもらって。
洗濯も、こんなに気持ちいいものだったんだ。
本当に夢のような時間でした。
「きり丸、眠いのか? 寝ていいよ。ふかふかのベッドに連れて行ってあげよう」
「でも……」
「大丈夫だ。今はゆっくりとおやすみ」
「……」
ふたりはそう言いながら、かわるがわるきり丸の頭を撫でました。
よしよし、と大きな手で撫でてもらうと嬉しくて、気持ちよくて、きり丸は眠気に抗えず、そのまま眠ってしまいました。
(目が覚めたら、ふたりがいてくれるのかな。起きたら誰かがいるっていつぶりだろう。こんなぜいたく覚えちゃって大丈夫かなぁ)
◆
きり丸は夢を見ました。
ずっとひとりぼっちだった小さな狼が、赤い頭巾を被った男と白い頭巾を被った男に愛されて、幸せに暮らす夢を。