Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    shima_2025haru

    ちょっとの間だけ

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 4

    shima_2025haru

    ☆quiet follow

    桃源郷、本当に食らいすぎてまだ全く読み返せていないのですが、消化しないことには前に進めないので泣きながらしたためました。あなたの生からもう何一つ奪われることのないように。

    皇宗SS/きみの世界は輝いているか/イベスト後 ウィズダムに戻った皇紀は颯といっしょに宗雲への報告を終えるなり、ソファーに沈むように腰掛けた。今日程度の戦いは今までにもあったというのに、なぜだかとてつもなく消耗している。頭の中に住み着いた宗雲が「気持ちが疲れているんだ」と言った。あながち間違ってもいないような気がした。
     細く息を吐きながら、早速元気に働き始める颯の背中を眺めていると、バックヤードで上へ連絡を繋げていたらしい現実の宗雲が皇紀のほうに歩み寄ってくる。
    「随分お疲れのようだ」
     今日は休むか、と聞いてきたので、首を横に振る。意地のようなものだった。宗雲はそれ以上は気遣いを押し付けず、皇紀の隣に腰を下ろす。
    「願いの叶う桃源郷、か」
    「……あ?」
    「お前には何が現れたんだ」
     好奇心を宿す瞳が皇紀の目を覗き込む。皇紀は一時だけ目の奥に浮かんだひりつきを瞬きで取り去って、淡々と答える。
    「珍しい食材。それから……」
     ──それから。
     伏せた瞼の裏には押し付けがましい極彩色と、皇紀の心臓を抉る姿がある。一度呼び起こされたそれは、偽りとわかりつつも鮮烈な光景として網膜に焼き付けられていた。
     宗雲は黙り込んだ皇紀の様子を見て、薄く開いた唇から音のない息をこぼす。そしてすぐに、問いの前まですっかり時間を巻き戻したように、いつもの声色で「営業準備に入ろうか」と告げた。


     なんの因果か、今日は随分皇紀の指名客が多かった。狩猟免許を取ったという女は、昨シーズンの狩りの上達ぶりと今後の目標について勝手に語り、このところ通い始めた血気盛んな勝負女も自信満々なフォーカードを突きつけてきた。
     いつもなら煩わしいことだらけだったが、今日に限っては彼女らのおかげで余計なことを考えずに済んだ。それが自分にとっていいことなのかどうかは、よくわからない。
     すっかり清掃に没頭していたらしい。気づけば皇紀のいる厨房は必要以上の輝きを放っていた。ぴかぴかの銀色に映る自分は、手元の作業に集中していたせいでやや猫背になっている。
    「…………」
     今日は、もう終わったほうがいい。ぱちりと電気を落とせば、残るのはバックヤードのほうから滲むオレンジ色の光だけだ。宗雲がまだいる証拠の光。皇紀は自分の荷物を携えて鈍い足取りをそちらへ向ける。
     案の定残っていた宗雲はソファーに腰掛けて何か考え込んでいるようだったが、すぐに皇紀の視線に気付き振り返る。
    「皇紀。終わったか」
     彼のついた机上に、いつもは見受けられる書類やバインダーはない。仕事はひと段落ついた様子だったが、ノートパソコンだけがアリバイのように開かれていて、その隣には未開封のボトルワインが一本と、オープナーが鎮座している。
     彼の仕事が終わるのを待って店を出るつもりだった皇紀は、腰を落ち着けた様子の宗雲にやや拍子抜けして眉をそびやかす。
    「まだ帰らねえのか」
    「ああ。たまには少し飲んでいこうかと思って」
    「そのワインは」
    「店の在庫だったものを、買い取った」
     誰も疑いはしないのに、宗雲は律儀に自分で発行したらしい領収書を皇紀に示す。皇紀は「そうか」と答え、なんとなく一人では帰り難くてその場に立ちすくむ。
     よく見ると、ボトルの向こう側には同じ種類のワイングラスが二脚肩を並べていた。その光景に浮かぶぬるくて淡い実感に、足はますます離れがたくなり、口からは浅い息が漏れる。それが安堵の色をしていることを数秒経ってから自覚した。
     そんな皇紀の様子を見てようやくオープナーを手に取った宗雲は、唇の笑みを深くして誘いかけてくる。
    「少し付き合わないか」
    「……ああ」
     皇紀はあまり迷わず頷いて、宗雲の隣に腰をおろした。ソファーが二人分の体重だけ沈む。
     隣でワイングラスを引き寄せる宗雲の手を、なんとなく見やった。均整の取れた美しい手。彼の生き方を映す綺麗な手。
     熱い血が通い、生きている手。
    「ボルドー産の十年ものだ。評価が高かったので、以前から少し気になっていた」
     宗雲の言葉と共に、とくとくと、二脚のグラスに注がれる黄金色が生き生きとした波を立てる。宗雲はサーブの終わったグラスを皇紀の方へ滑らせて、自らも一脚を片手に薄く微笑んだ。
    「乾杯」
    「……乾杯」
     ガラスが軽く触れ合う音が静謐に残響を残す。それに抉られかけた皇紀の記憶を、宗雲の優しい声が覆って、柔らかいもので埋める。
    「千客万来だったな、今日は」
    「……ああ」
    「昼から働き詰めで疲れただろう」
    「ああ」
     素直に答えた皇紀に、彼はお疲れ様、と労いを口にして、以降は黙ってグラスを傾ける。皇紀も黙々とグラスを唇に運ぶことにした。すっきりとした飲み口は皇紀好みで、美味かった。
     宗雲と二人でいるときは楽だ。彼が皇紀の心情に寄り添い口数を決めるというのもあったが、たとえ無視して話しかけてきたって、楽なことには違いなかった。変で不思議なことだったが、今の皇紀にとってそれはもう当たり前の事実になっていた。
     宗雲の声が好きだ。その声で紡がれる色々な言葉が好きだ。時に違和や蟠りを抱くこともあったが、そういうものは皇紀に流れる時間の中で勝手に薄まって、自身の生き方に自然と絡み、跡形もなく混ざりあった。
     何も知らなかった皇紀に、父が寄越したさまざまな教えのように。
     皇紀は宗雲のグラスを見た。黄金色に透き通った液体の嵩はなかなか減らない。一人で飲み始めようとしていたのは宗雲のほうなのに、である。
     もしも皇紀がそのまま帰ったならば、宗雲は一人苦笑をこぼし、わざわざワインを開けることなく時間だけを置いて帰ったと思う。そして明日の昼下がりには、前夜には一人で晩酌を楽しんだような顔をして、皇紀と顔を合わせるのだ。
     改めて唇に運んだワインは、ミネラル感の強い辛口だった。宗雲の好みは爽やかでフルーティーな香り豊かなものだ。宗雲が自身のためだけに買い取ったものではないことくらい、彼ほどワインに詳しくない皇紀にもわかった。
    「…………」
     鼻から抜ける後味は少し痛くて、むしょうに宗雲の体温を感じたくなった。彼の息遣いや、脈打つ鼓動も。すべらかな肌からこぼれる彼特有の空気自体も。
     皇紀は残り半分ほどになったワイングラスを一気に呷ると、テーブルにそれを置いて自由の身で宗雲に寄りかかった。宗雲の手の中で黄金の水面が漣を作り、それに泳ぐような彼の笑い声が囁いた。
    「珍しい。随分甘えただな」
    「べつにいいだろ」
    「ああ。べつにいい」
     宗雲はきっと、皇紀が何を見て、どう思ったか薄々察しているのだと思う。察していながらあれ以降聞き出そうとしてこないし、言及しようともしない。そう、想像がついたのは、もしも逆の立場だったら皇紀もきっとそうしたからだ。
     皇紀は片手を宗雲の腕に絡め、手を握った。顔を寄せて彼の髪の匂いを嗅ぐ。静かで柔らかな匂いが入り込み、鋭いワインの余韻と気管の中で混ざり合う。
    「酔ったのか」
     宗雲は穏やかに笑った。スピリットならともかく、ワインを一杯程度飲んだくらいで皇紀はほろ酔いにもならないことを、彼だって知っているはずだ。それでも皇紀は、ああ、と答えた。
    「少し酔った」
    「そうか」
     宗雲の片手が皇紀のそれに重ねられる。山奥からとくとくと湧き出す清流のような血潮が手の甲に響く。
    「俺も少し、酔ってしまったみたいだ」
     お前もろくに飲んでいないくせに。彼がこの程度で酔わないことを皇紀も知っていたが、わざわざ否定しないことにした。
    「そうか」
     お互いについた小さな嘘が交差して、二人にとっての本当になる。皇紀がここでおめおめと生きていることも、隣に宗雲がいて、心臓を打ち鳴らし息をしているのも本当だ。
     宗雲に体重を預けるのは心地よかった。それでじゅうぶんだったので、もう一杯を勧められても断った。今だけは、アルコールで自分の中にいる彼の存在を薄めたくはなかった。
     もしも、今日のことを──本当にすべてのことを話したとしたら、宗雲は黙って聞いてくれるだろう。今でなくても、いつか話したくなったときに、唐突に話し始めたとしても。
     でも、皇紀に話す気はまったくない。そうして抱えた荷物はとても重い。
     重いけれど、この重みは皇紀のものだ。宗雲に負わせるものではない。それに、もっとたくさんの今を、皇紀は宗雲と分け合っている。
     そうやって半分ずつになった今がずっと〝今〟であったらと、泡沫の望みを胸に抱かずにはいられない。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏🙏😭😭😭🙏👏👏😭😭😭😭😭👏👏👏👏👏👏👏😭👏💞😭
    Let's send reactions!
    Replies from the creator