竜の力を継ぐ子 第一話 いつも見る夢がある。
『ごめん……約束、やぶっちゃった、ね……』
己の腕の中で場違いな程に美しい光砂へとその姿を変えながらそいつは笑う。
『…せっかく…こんな俺を…選んでくれた、のに…』
言いたいことはたくさんあるのに、口からはひゅーひゅーと空気が漏れるだけで何一つ音を紡ぐことができない。
『そんなかお、しないで…ぜったい…かえってくるから……』
崩れて形を保っていない手を持ち上げ、辛うじてまだ原型を留めている小指を差し出してくる。縋るように自身のそれを絡めると、そいつは安心したように目を閉じた。
『…やくそく…こんどこそ…まもるから…―――』
「甲洋」
すぐ耳元で声がして、甲洋は慌てて飛び起きた。振り返ると、枕元に膝をついていた青年が「あ、起きた」と顔を綻ばせる。
「随分ぐっすりだったな。眠れなかったのか?」
「そんなことないよ」
反射的に否定の言葉を口にすると、先程までにこやかな表情をしていた青年――幼馴染みである一騎の眉間に皺が刻まれた。明らかに不服そうな表情だ。嘘を吐いたと思われたのだろう。半分合っているのでそれについては触れず、常ならば彼の傍らに居る存在を目で探す。すると甲洋の様子から察したらしい一騎が答えをくれた。
「総士なら儀式の間にいるぞ」
やっぱりなと息を吐く。総士が儀式の間に控えているということは、召喚の儀の準備は滞りなく行われたのだろう。幾度となく丁重に断ってきたというのに、有無を言わせない頑固さは何なのだろうか。
「…俺はもう式神を使役する気はないんだけどな」
「そう言うなよ。お前のためになるんだ」
こちらの精一杯の拒絶の言葉を一蹴した一騎に腕を引かれ立ち上がる。こいつの遠慮の無さはどうにかならないのだろうか。あとで総士に言っておこう。いや、遠慮がないのは総士も同じなのだけれども。
「ほんと、似てるよな、お前たち」
ため息混じりに呟くと、ぱっと顔を明るくした一騎が嬉しそうに笑う。
「そりゃあ、主と式神だからな!」
竜宮島には特殊な力が眠っている。その力が悪しき者の手に渡らぬよう代々受け継ぎ守る、御三家と呼ばれる家があった。当該の家の子どもは十四歳で家督を継ぎ、式神を召喚して島を守るために尽力するしきたりだった。
しかし、四十年前に起きた外の世界との抗争により御三家は崩壊。一時は島が沈みそうな程に力が暴走したが、島民たちが総力を挙げて復興にあたったおかげで何とか危機を脱した。その後もたゆまぬ努力を重ねた結果、ここ十年でふたつの家が御三家と呼べるほどに力をつけた。それが「真壁家」と「春日井家」だ。
「重いんだよね、正直さ」
儀式用の正装に身を包み何度目になるか分からないため息を吐くと、傍で見守っていた総士が鋭い目を向けてくる。
「一度失敗した俺にこれ以上何を求めるっていうんだろうな」
「甲洋」
気にせず言葉を継げば視線だけではなく鋭い言葉が飛んできた。一騎が慌てて間に入る。
「落ち着けよ総士。甲洋も久しぶりの儀式で緊張してるんだからさ」
「口にしていい事かどうかの判断もつかない程にか? そうは見えないが」
「総士…!」
一騎が諌めるように名前を呼ぶが総士は気にした風もない。そんな総士の態度に周りに控えている神官たちの表情が険しくなる。いくら御三家当主の式神とは言え、同じく御三家当主に対して対等な口をきくなど本来許されることではない。
ただでさえ気が乗らない儀式の前だというのにやめて欲しいものだと思ったが、そもそもの発端は自分の発言だ。はぁ、と軽く息を吐いて申し訳なさそうな笑みを浮かべてやる。
「悪かったよ、総士」
ふんっと総士が顔をそらす。形だけの謝罪だったが、どうにか気を静めてくれたようだ。一騎があからさまにほっとした顔をしていてちょっと面白い。
そうやって軽口を叩き合っている内に準備が整ってしまった。心底気が進まないけれど島のためと言われたら断るわけにはいかない。目を閉じて意識を集中させ、儀式の間中央にある結晶に両の手を翳す。
「―――この身、この命は汝の為に」
この祝詞を唱えるのは二度目だ。一度目は今から五年前、春日井家の当主となったとき。どきどきしながら、ただ島の未来のことだけを思って誓約を読み上げた。
今この胸の内に渦巻くのは恐怖だ。喪失を知った心が新たな出逢いを忌避している。
―――…ぜったい…かえってくるから……
不意に懐かしい声が脳裏に響いた。思わず目を細める。こんな時ばかりは自分の記憶力の良さが恨めしい。
忘れろ。あいつはもういないんだ。
「竜の力の継承を此処に」
甲洋と結晶を中心に風が巻き起こる。次第に大きくなっていくそれは、ついに儀式の間の屋根をも吹き飛ばした。快晴の空が目に入り、今日は晴れていたのかと何処か冷静な頭で思った。
思考を切り替える。あと一息だ。
「竜の子よ、我が声に応えよ―――」
唱えながら思う。どうか誰も応えないでくれ。そうすれば二度と喪うことなどないのだから。
甲洋の我儘で切なる願いが届くことはなかった。吹き荒れていた風が収まると、結晶があった場所に人影が立っている。土埃のせいでまだ顔は見えない。人影が吹き抜けになった天井を見上げる。笑ったような気配がした。
「きれーな空!」
聞こえてきた声に呼吸が止まる。そんな、まさか、ありえない。
否定の言葉を脳内でひたすら繰り返す。段々と視界が開けていき、声の主の顔がはっきりと見える。
「はじめまして! 俺の名前は来主操。君が俺のご主人様だね? うまく使いこなして見せてよ!」
悪夢の中で幾度となく喪ってきた少年が、其処に居た。