歌「真壁一騎について、知ってることを教えろ」
僕は至って真面目に、しかも結構悩んでから聞いたというのに、日野美羽はいつもの調子で笑う。
「一騎お兄ちゃんのことが知りたいんだ?」
「違う! 僕が知りたいのはあいつの弱点だ!」
「ちょっと待ってねー。確か前に真矢お姉ちゃんが見せてくれた映像があったから」
僕の言葉を聞いているのかいないのか、日野美羽は何やら端末をぽちぽちと弄っている。…いつもなら無理矢理手を取ってくるくせに。
「あった! そうし、見て!」
前言撤回。やっぱりこいつは強引だ。
僕の返答も待たずに横に座りずいっと端末を見せてくる日野美羽に文句のひとつでも言ってやろうと口を開く。だが、端末から流れてくる軽快な音楽と目に飛び込んできたあまりにも信じがたい光景に、思考も何もかも持っていかれた。
「……なんだ、これは……?」
翌日。
不本意ながらも通いなれた道を足早に歩き、目的地の扉を音を立てて開ける。あまり常識的な行動ではなかったが、確かこの時間は休憩時間だ。ならばぎりぎり許容範囲だろう。
思った通り、店内に客の姿は無かった。更に好都合なことに、目当ての人物以外の人影が無かった。……いや、好都合なのかこれは。さすがに一対一になるのは想定外だった。どうしよう。
「そうし?」
目当ての人物、もとい真壁一騎はというと、盛大な音を立てて開いた扉にも珍しくひとりで来た僕にもさして驚いた様子がない。本当になんなんだこの男は。感情というものをどっかに落っことしてきたんじゃないか?
「よく来たな。暑かっただろ、麦茶でいいか?」
僕の答えを聞く前に冷蔵庫からペットボトルを取り出しているのを見てため息を吐く。日野美羽もそうだが、聞いたなら答えを待て。などと心の中で文句を言っている間にカウンターにグラスが置かれた。氷がからんと涼やかな音を立てている。
……そこに座れということか。いや、まあ、話に来た以上ある程度の距離には近づくつもりだったけど。カウンターは近すぎるだろう。
「そうし」
ぐるぐると思考に耽っていたら、やたら近くで声が聞こえた。次いで、額に冷たい感触。
いつの間にか入口まで来ていた真壁一騎が僕の額に手を当てているのだと気づくのに10秒程要した。
「なっ、に…!」
「熱はないな…よかった」
驚く僕など意にも介さず手を引いて店内に歩いていく。抵抗してやろうかとも思ったけど、今さっき一瞬だけ見えた顔がこちらを心配していたのでやめておいた。
大人しくカウンター席に座り、麦茶を飲む。真壁一騎はと言えば、僕がコップに口を付けたのを確認するとキッチンに戻って洗い物をはじめた。
気まずい沈黙が店内に満ちている。恐らく気まずいのは僕だけなのだが。でも普通用件とか聞くだろう? 何しれっと自分の作業に戻ってるんだよ。そういうとこだぞ真壁一騎!
「……歌」
このままでは埒が明かないと腹を括り言葉を紡いでみたものの、もっと別の言葉を選択出来なかったものかと数秒で後悔する。案の定、こちらを振り返った真壁一騎はぽかんとした顔をしていた。
「歌?」
「…あんたが、歌ってる映像を見た。……"皆城総士"と」
真壁一騎の動きが一瞬止まる。僕と同じ、けれど僕とは違う存在を示す名前を口にしたときだけ、こいつの心が動くのが見える。それが、どうしてか腹立たしい。
「誰に見せてもらったんだ? 遠見か?」
「そんなことはどうでもいい」
あんな、まるで普通の人間のような顔を、こいつがするはずない。それを確かめたくてここまで来た。
「歌え、真壁一騎」
「え?」
「あの歌を今ここで歌って見せろ」
拒否されると思っていた。だってここに"皆城総士"はいない。だから、こいつが歌うはずなんてない。
だが、真壁一騎は持っていた布巾を置くと、僕の目の前に来て微笑んだ。
「どんな歌だった?」
え、と口にした、はずだ。それなのに真壁一騎は微笑んだまま続きを促す。まさか、歌うつもりなのだろうか。
「……明るい、歌、だった。学校の発表会で歌ったって、遠見さんが……」
「ああ、あれか」
どこか遠くを見つめ、懐かしそうに呟く。違う。そんな人間みたいな顔を見るためにここに来たわけじゃない。
内心混乱している僕に気付いていないのか、真壁一騎はすうっと息を吸った。
涼やかな声が店内に響き渡る。甘くて、聴いていて心地よい高さ。
上手い、と思った。歌の良し悪しなんてわからないけれど、それでも、いいなと思ってしまった。
映像で見ていたときは弾けるような明るい曲だと思ったけれど、今はどこか切なく感じる。アカペラだからだろうか、それとも、欠けているからだろうか。
真壁一騎は、自分のパートしか歌っていない。まるでそこは自分が歌ってはいけないとでもいうように、"彼"のパートを歌わずにいる。
ああ、もどかしい。
"皆城総士"はもういないのに、まるでいるかのように振舞うこいつが腹立たしくて、もどかしくて。
―――気が付いたら、一晩かけて覚えた歌詞を口ずさんでいた。
瞬間。真壁一騎が、歌うのをやめた。
はっとして顔を上げると、目の前の男は困ったように眉を下げている。
「なんで…」
思わず零れた疑問に、真壁一騎は少しだけ視線を泳がせ、それから何かを誤魔化すように笑って言った。
「……この歌は、お前とは歌えない」
だから。どうして、そんな、人間みたいな顔をするんだ。
……本当は少しずつ理解している。命の在り方は違えど、この男は人間であると。それを認めたくないのは、僕の自己防衛本能だ。こいつを人間だと認めることは、僕の中の矛盾を露呈してしまうことと同義なのだ。
僕はどうすればいいのだろうか。憎みきることもできず、かといって全てを許すこともできない。心がばらばらになりそうで、思わずぎゅっと胸元を押さえた。
そんな僕を見て何を思ったのか、慌てたように真壁一騎が言葉を継ぐ。
「ほ、他の歌にしよう、そうし。色々あるぞ」
本当に何を思ったんだこいつは。何故そこで更に歌うという思考になる?
ああもう、考えるのもつっこむのも面倒だ。
「…どんな歌があるんだよ」
半ば自棄になって問えば、表情を明るくした真壁一騎がつらつらと曲名らしきものを口にする。どれもこれもタイトルではよくわからず、試しに歌ってみろと言えば相変わらず甘くて涼やかな声でめちゃくちゃな歌詞を紡ぐものだから思わず絶句してしまう。
「あんた……仕事選ばないんだな……」
憐れむように呟くと、きょとんとした顔で首を傾げられた。
「俺の仕事はここの調理師だぞ…?」
「えっ、歌は…?」
「……頼まれたから……?」
頼まれたらなんでもするのかこいつは!
なんだろう、この、知れば知るほどよくわからなくなる生き物。こいつについてあれこれと悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。
「嫌だったか? 別の歌にするか…?」
「そうじゃない! そうだけど、そうじゃない!!」
「これなんかどうだ?」
やはり返答を聞かない問いかけをして歌い出す真壁一騎。歌詞はやっぱりはちゃめちゃだ。なんだ、お前は俺って。
しまいには聞くのも恥ずかしい歌を口ずさむものだから、いい加減耐えられなくなって逃げだした。来たときよりも更に大きな音を立てて楽園を飛び出す。もう無理だ。脳が情報を処理しきれなくて限界を訴えている。さっさと帰って水風呂で頭を冷やして寝ようと決め込む。
が。突如目の前に黒い塊が現れ、ばふっと衝突してしまう。何にぶつかったのか把握する前に腕が伸びてきて、抱きしめられると同時に焦ったような声が聞こえてきた。
「そうし、どうして逃げるんだ…!」
顔を上げれば、困ったようにこちらを見下ろす真壁一騎の顔があった。夏だというのに、先程までは着ていなかったロングコートを身に纏っている。いつの間に着たのだろう。じゃなくて!
「それ、ずるくないか!?」
ほいほいと使っていいものではないだろう、その空間跳躍とやらは。
僕の抗議を受け、真壁一騎は申し訳なさそうに眉を下げる。
「……悪い、でも…またお前が居なくなったらと思うと、耐えられない」
「はぁ!? 何を言ってるんだ。あんたがいなくなってほしくなかったのは"前の"皆城総士だろ!? 僕じゃない!!」
そこまで深い意味はなかった。驚かされたことへの報復と、上手く処理しきれない自分の感情に対するいらいらの八つ当たり。
それなのに、真壁一騎はぴたりと呼吸を止めた。穏やかな琥珀の瞳が、金色に輝く。あの、フェストゥムとかいう奴らと同じ色に。
ひゅっと喉が鳴った。明確な恐怖を感じ、拘束から抜け出そうと藻掻く。そんな僕の抵抗をいとも容易く抑え込みながら、真壁一騎はゆっくりと目を閉じた。少しして、静かに開かれた瞳は元の琥珀色に戻っている。
「……"総士"も、お前も、俺にとって大切な存在に変わりない」
穏やかな声でそう言って、僕を抱きしめる腕に力を込める。
意味がわからない。わかりたくない。だって。
「…………僕のことを、何も知らないくせに」
「知ってるさ。この三年以外のことなら」
「知らない……僕はそんなの知らない!!!」
こうやって大事に抱きしめられる理由すら、僕は何ひとつ知らないのに。
「うん、だから、これから知っていこう、そうし」
「やめ、やめろ! 離せぇっ!!」
嗚呼、だめだ。
いつもなら冷静に思考できるのに、真壁一騎のことになるとどうにも頭がうまく回らなくなる。感情が、制御できない。
まるで癇癪を起した子どものようにじたばたと暴れる。しかし、気が付けば楽園に戻ってきていた。僕を連れて空間跳躍を使ったのだろうと、変なところだけ冷静な頭で思った。
「そうし、怪我すると危ないから」
「離せ、離せよぉ! あんたなんか知らないし、他のやつのことも、この島のことも知らない! 知りたくもないっ!!」
腕の中から何とか抜け出したくて力の限り暴れるがびくともしない。やっぱりこいつ人間じゃないだろう。
「…元気だなぁ、そうしは」
あまつさえ微笑ましそうにそんなことを言われて、制御不能になった感情が限界を迎えて爆発した。
「やめろよ…離せよ……僕は僕だっ! あんたたちが知ってる皆城総士じゃない! あんたたちが取り戻したいやつでも、守りたいやつでもないっ! 僕は…っ、僕でなくなるのは…いやだ……っ、怖い……!」
本当はわかっている。こいつも、日野美羽も、遠見さんも、先輩パイロットたちも、誰一人として僕を"皆城総士"と重ねてはいない。
だけど、ふとしたときに考えてしまう。どうして僕に同じ名前をつけたのかと。どうして僕の姿は"彼"と似ているのだろうと。
求められているように感じてしまう。"皆城総士"という役割を。
「……わかるよ。その気持ちは、わかる」
優しい声が降ってくる。僕を抱きしめたまま、まるで言い聞かせるように真壁一騎が言葉を紡ぐ。
その体温が、声が、どうしようもなくあたたかくて、気付いたら涙が溢れていた。
「うぅっ………いやだ……怖いんだ、一騎……っ」
自分でも何を言っているのかわからなかった。ただただ行き場のない苦しさと不安から逃れたくて、目の前の男に縋りついた。
突然泣き出した僕に何を思ったのか、真壁一騎が背中を撫でてくる。それすらもあたたかくて更に涙が溢れた。
「……俺がいる、そうし。何があっても、俺が守るから」
その言葉を最後に、僕の意識は微睡みに沈んだ。
泣き疲れて寝てしまったそうしの背中を優しく撫で、一騎は小さく笑う。
「本当に、大きくなったな、そうし…」
存在を確かめるように抱きしめた腕に力を込めれば、微かに身じろいだそうしが身体を擦り寄せてくる。その仕草がまるで小さい頃のようで、自然と笑みが浮かぶ。
「二度と離さない。……あいしてるよ、そうし」
誓うように呟いて、小さな額にキスを落とした。