ほんともうお姉ちゃんてば! 「𝐂𝐋𝐎𝐒𝐄」の看板をかけ、冷たい風がびゅーびゅーとふきぬける外から扉をくぐり抜けると、ビデオ屋の暖かい空気がアキラの身体をつつんでくれる。だがそれに反して本人のため息は止まらぬ一方だった。寡黙な美人が物憂げそうにため息をつくその姿に、心が揺らぐものも少なからずいるのではないかと妹ながらにリンはそう思う。
はじめに言っておくがお姉ちゃんはこう見えて生物学上、紛うことなき女の子だ。こう見えてというのも別に女の子らしくないという訳では断じてないのだが。
あれは、2人で真相を突き止め、先生の汚名を晴らすためこの道を進むと決めたあの日。私が必死に止めた苦労も虚しく、お姉ちゃんは綺麗に伸ばしていた髪の毛をそこら辺にいる男の子と同じ様にばっさりと切ってしまった。それにお姉ちゃんは元々スラッとした長い足に、無駄な脂肪も一切ない細身な身体をしており、髪を切ってからというものお姉ちゃんのことを兄と間違える者も少なくはなかった。
お姉ちゃんはそれを上手く利用してプロキシ業をこなし、妹である自分を何かと守ってくれているが、それに対して何か思うところがないという訳でもないのが妹の辛いところである。
そんないつも人と一線を引くお姉ちゃんがこんなに頭を悩ませている理由は数日前に遡るのだが。
………
時は数日前の事だ。
今日はビデオ屋のお客さんもまばらだし、パエトーンの噂を聞いてお店に駆け込んでくるような突拍子もない依頼もない。お店はトワ達に任せて久しぶりに2人でルミナススクエアまで買い物に遠出しようという可愛い妹の我儘に付き合ってあげるというのも、姉としての勤めではないだろうか?
リンを助手席に乗せ、アキラが車を運転していると窓から外を眺めていたリンが興奮の声を漏らす。
「わぁ〜!どこも凄いね〜!もうこんな時期なんだね、お姉ちゃん!」
「ん?何がだい?」
「何がって…バレンタインだよ!バ・レ・ン・タ・イ・ン!もぉ〜お姉ちゃんてばそうゆうの疎いんだから」
「はは…僕には縁が無いものだからね…ごめんよ」
僕は苦笑いをしながら、可愛く膨らんでいるリンの頬をつつく。ぶーぶーと空気を吐き出しながら、不服を顔に貼り付けていたリンが途端にニコニコとした顔をうかべ、こちらを覗き込んでくる。
「でも、そんなお姉ちゃんにも今年はようやく春が来たし!妹としては楽しみで仕方ないよ〜!」
「なんのことだい?」
「ふふ〜ん!とぼけたって無駄だよ!ぜーんぶお見通しなんだから!」
リンは腰に手を当てながら胸を張り、自信気に言うが、当の本人であるアキラには皆目見当もつかなかった。
「えっと…ほんとになんのことだい?」
「もー!まだしらばっくれるつもり〜!?悠真の事だよ!今年は悠真がいるじゃん!」
リンの口から突然飛び出してきた友の名前にアキラは余計に頭に?が浮かんでしまった。その顔を見たリンは何かがおかしいと気づいたのか、不審そうな顔を露わにしながら疑問を口にする。
「だって、お姉ちゃんと悠真は…付き合ってるんだよね??」
「、、、なんだって?」
赤信号に車が引っかかったタイミングでリンから爆弾を落とされ、思わず額に手を当て、頭を抱える。
「え待って!?もしかしてその反応…付き合ってないの!?あんなに所構わずイチャイチャしといて!?2人とも話し出すとあんなにお互いしか見えてないのに!?それで付き合ってないとかなんのバグ!?」
「い、いちゃ…!?!リン、待ってくれ!僕と悠真はそんなじゃ…!」
プップー!
そんなアキラの恥ずかしくてたまらないという叫びは別の車のクラクションに遮られる。
「あ、お姉ちゃん!前!青だよ!」
「はぁ…」
この状況でため息をつかずにいられる者が何人いるだろうか。今ばかりは勘弁してくれと切に願うアキラだったが、でもそんなアキラの心中も気にせず続けるのがリンである。
「え〜?ほんとにお姉ちゃん自覚ないの〜?私お姉ちゃんと悠真が話してるの見た時、あんなに楽しそうなお姉ちゃん見たことないって驚いたんだから!」
「それは…。とにかく、僕と悠真はそうゆうのじゃないから。悠真も僕のことなんて、そんな目で見たことなんてないと思うよ…。ただの友達だ…。」
「ふーん…?」
再び走り出した車内には僅かな沈黙が流れる。しばらくは大人しくしていたリンだが、何を思ったのかアキラにこんな質問を投げかけてきた。
「お姉ちゃんはどう思ってるの?悠真のこと。」
「僕…?」
「そう、悠真がお姉ちゃんことどう思ってるか、じゃなくてお姉ちゃんが悠真をどう思ってるか。」
「どう思ってるか…」
珍しく真剣な様子の妹を前に、いつものように何事もなく、上手く躱すことは今のアキラにとって、とても難しいミッションだった。諦めて妹の質問に答えるべく、頭に悠真の顔を思い浮かべる。
サボる口実にビデオ屋に来る彼は、アキラと同じくらい口が達者で、本心も分からない。でも意外と真面目で、人一倍周りのことを見ているのをアキラは知っている。その優しさにアキラとリンは何回も助けられた、それで無茶をするのはこちらも気が気ではないのだが…。普段はサボりがちな仕事だってやらなくてはならないその瞬間に悠真は寸分の狂いもなく弓を弾く。その姿の綺麗さにイアスを通して、何度目を奪われたか分からない。
(悠真のことは、嫌いじゃないと思う…。でも……)
「お姉ちゃん…?」
リンが心配そうな声で僕の顔を覗き込んだ。
「ごめんリン、やっぱり僕には……わからない…。悠真のことは嫌いじゃない、これは本当だ。でもこれがリンの言う好きと同じなのか僕には…」
「お姉ちゃん…」
すると、リンはさっきまでの心配そうな顔はどこに行ったのかってくらいにニコニコと表情を変え、場の空気を変える。
「うん、いいと思うよ!今はそれでも!お姉ちゃんはゆっくりその答えを探せばいいと思う!」
妹のこうゆうところに何度も救われているから僕はリンに頭が上がらない。そうこうしているうちに社用車はルミナススクエアの駐車場へと止まる。今日は比較的空いていて、2km先駐車場から時間をかけてデパートまで歩くことにならずに済みそうだ。車に鍵をかけ扉がしっかりと閉まっているか確認していると既に準備万端なリンがぴょんぴょこ飛び跳ねながら僕の顔にお伺いを立てた。
「でもさ、お姉ちゃん!やっぱりチョコ作ろうよ!今は友チョコっていうものあるんだよ!私も今年はみんなにチョコあげるの!ニコ達でしょ〜、エレンやリナさんカリンちゃん!それから郊外の皆にも渡したいしー!ね、お願い!一緒に作ろう?」
「う…」
リンは手を合わせ、上目遣いで、ほんのり眉を下げながらこちらをうかがってくる。姉であるアキラは妹のこの顔に大層弱かった。
「分かった、一緒に作ろう…。」
「やったねー!お姉ちゃんも悠真がびっくりしちゃうような美味しいチョコ作っちゃお!きっと悠真喜ぶよ!」
「はいはい…」
「そうと決まれば善は急げ!ルミナモールにしゅっぱーつ!」
「ちょっとリン…!分かったから押さないでくれ!」
リンは僕を急かすようにグイグイと背中を押す。言葉ではやれやれとしつつも、久しぶりに楽しい休日になりそうで思わず笑みを浮かんだ。
………………………
「ぷはーっ!生き返る〜!いっぱい買ったね〜!これで当日はみんな喜んでくれること間違いなし!」
「そうだね、喜んでくれるといいな」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん!悠真はお姉ちゃんから貰えるものならなんだって嬉しいって!」
「べ、別に悠真のことだけ言ってるつもりではないとも!」
「はいはい、照れなくてもいいよ〜!」
リンは期間限定のティーミルクを飲みながら、スマホを眺める。
「ん〜それにしても何作ろうかな〜!生チョコ?カップケーキ?ブラウニー?うーん迷う〜!お姉ちゃんは何作るの?悠真って何が好きなのかな…?」
「そういえばあまりそうゆう話はしたことがなかったな…。」
「だよね〜!それにお姉ちゃん料理下手くそだし!」
「ゔ…何も言い返せない…」
2人して頭を捻っているところに救いの声が聞こえた。
「アキラ?リン?こんなとこで何してるんだ、お出かけか?」
2人が振り向いた先にいたアドバイスをくれそうな人物に思わず声が漏れる。
「セ、セス〜!」
「うぉ!2人して抱きつくな!耳を撫でるな!」
2人してひとしきりセスのもふもふを堪能しているとセスは首まで真っ赤にした肌を隠しもせず、まるで猫がシャーと威嚇するように2人から距離をとった。
「2人とも!もういいだろ!いい加減にしてくれ!」
「あ〜ごめんごめん!つい…」
「セスの毛並みは魅惑的だからね」
「仕方ないな…それで?2人とも揃ってルミナススクエアにいるのは珍しいな。何か用事か?」
2人と同じく席に着いたセスにリンがここにいる経緯を説明する。どうやらセスは休憩中らしくここのカフェまでコーヒーを買いに来たらしい。本当はそのまま帰るつもりだったみたいだが、見知った声が聞こえてテラスまで来たそうだ。
「それでセス!直球に聞くんだけどさ!」
「な、なんだ!俺で力になれることなら…」
「セスって悠真の後輩だって言ってたよね!」
「あ、あぁ…たしかに浅羽先輩とは同じ学校だったけど…」
「じゃあなんでもいいから悠真の好みとかって何か分かったりしない!?もうほんとになんでもいいんだけど!」
「こ、好み!?浅羽先輩のか!?いや、いくらなんでも同じ学校だったとはいえ、学校では話したことなんてあまりなかったし……なんでそんなこと知りたいんだ?」
「ほらもうすぐバレンタインじゃん!お姉ちゃんが悠真にチョコ渡したいんだけど何をあげたらいいか分からないって言うからさ!」
「アキラが…?」
「そうそう、だから少しでも好きなものをあげて喜んでもらおうって作戦!ね、お姉ちゃん!」
「うん…」
「そうか、力になれなくてごめんな…」
セスの申し訳さを感じ取って、垂れ下がる耳としっぽが大変可愛らしく、思わずニコリとしてしまうのは猫好きとして許して欲しいと思う。するとセスは何か思い立ったかのように耳をピクピクと動かす。
「いや待てそういえば…」
「え、なになに!何かある?」
「浅羽先輩、もしかしたら甘いものが苦手かもしれないんだ…」
セスが話してくれた出来事はいつかの休憩中の出来事である。休憩中にコーヒー屋に行ったところたまたま同じく休憩中だった悠真と会い、一緒にコーヒー飲んで世間話していたようだ。だが店員さんのミスで悠真が頼んだブラックコーヒーではなくカフェラテが出てきてしまったらしく、だがそんなことを知らない悠真は1口飲んだ瞬間、それはもう酷く顔を顰めたようで結局飲みきれずセスが代わりに飲んだらしい。
「え〜!悠真って甘いもの苦手なんだ〜…でも確かにこの前なんだっけ、ゴーヤジュースだっけ?飲んでたよね?」
「そうだね、あれはポートエルビスにいた時だったか。」
「聞いた時はうぇ〜って思ったけどそうゆうのもあるのかもね〜!」
「らしいな、こんな事で2人の力になれるか分からないけど…」
「ううん、ありがとうセス!」
「あぁ、ありがとうセス。助かったよ」
「それなら良かった!」
そのまま3人で仲良くコーヒーを飲みながら談笑しているとセスが時間を見て、立ち上がる。
「ごめん2人とも、俺はそろそろ戻らないと!」
「そっか!私達もそろそろ帰ろっか、お姉ちゃん!」
「そうだね、ずっとトワ達に任せっぱなしという訳にもいかない」
「そうか?それなら駐車場の近くまで送るよ。ほら重たいだろ?荷物は俺が持ってく。」
「わー!ありがとうセス!」
「ごめん、セス」
「いいんだ!これくらいなんてことないからな!」
ニコニコと笑顔で進んで荷物を持ってくれるセスに申し訳ない気持ちになりながらも重たいのは事実なので大人しくお言葉に甘えさせてもらう。
3人で並んで歩いているとなにやらルミナモールの方が騒がしい。2人の何かあったのではないかいう興味とセスが治安官という騒ぎを見逃せない立場ということもあり、3人で騒がしさの元にに近ずき様子をうかがう。するとその中心にいた人物は自分たちが先程まで話していたよく知る人物だった。
「マサマサ〜今日はなんでルミナススクエアにいるの〜!もしかして6課のみんなと任務!?」
「マサマサ〜!一緒に写真撮って〜!」
「サインも〜!」
「あー…はいはい順番にね〜」
そう先程まで話題の真っ只中にいた、対ホロウ特別行動部の第6課に所属する浅羽悠真だった。当の本人は四方八方に囲まれたファンの群れに疲れた表情を浮かべながらも、冷たい態度は仕事柄できないのか一人一人対応してるようだ。すると周りの人から1人顔を赤くした女の子が飛び出してくる。
「ん…?どうしたの〜」
「あ、あの!マサマサ…これ、受け取ってください!」
「なにこれ?」
「えっともうすぐバレンタインだから…そのチョコレート…」
「あ〜…もうそんな時期だっけ…」
悠真は気まづそうに頬をかきながら、女の子が差し出したチョコを受け取ろうとせず告げる。
「ごめんね〜僕こうゆうの受け取らないようにしてるんだ〜。元々甘いの苦手だし、それに……」
「好きな人がいるんだ。」
その瞬間あれだけ騒がしかった周りがしんと静まり、一気に身体が重くなる……。なにも聞き取れずまるで海の底に沈んでいくような感覚にアキラは動揺を隠せなかった。その中でぼんやりと隣からアキラを心配する声が聞こえる。
「………ちゃ…!おね……ん!…お姉ちゃん!」
「あ…」
「お姉ちゃん、急にぼーっとしちゃって大丈夫??」
「どうした?具合、悪いのか?」
「いや…えっと……」
するとそんなリンとセスの声が悠真の元まで聞こえたのかとろりとした蜂蜜色の瞳がこちらを向く。
すると途端に表情を緩ませ、こちらへと歩いてくるではないか。なぜそうしたのか分からないが、アキラは今はその目に自分を見て欲しくなくて顔を逸らした。
「リンちゃんにアキラちゃんじゃん!どうしたの〜こんな所で!」
「今日はお姉ちゃんとお買い物!ね、お姉ちゃん!」
「あ…うん」
「へぇ〜…」
悠真の視線がアキラに向いているのが見てなくても分かる。居心地が悪そうにモジモジとしていると、悠真の手がアキラへと近づく。思わずぎゅっと身体縮こませるが…。
ポン…
頭に伝わる程よい重さ、顔を上げると優しい顔をした悠真がそこにいた。
「どうしたの?何かあった?」
「っ…………」
こんな時でもいつもと変わらぬ悠真の優しさに胸がズキズキと痛み、その場から逃げ出したくなった。頭に乗った離れ難い熱を引き離し、俯きがちに言葉を続ける。
「なんでもないよ、僕はそろそろ帰らなくちゃ。リン、先にいっているよ。」
「え、ちょ、ちょっとお姉ちゃん!?」
「おい、アキラ待てよ!」
突然そそくさとその場を去るアキラとその後を慌てたように追いかけるセスに悠真は首を傾げ、妹であるリンを見る。
「どうしたの、アキラちゃん」
「いや…えっと、今日は久しぶりのお出かけだったから疲れちゃったのかも!あはは…」
「ふーん…セスくんは?」
「え?セス?」
「なんでセスくんも一緒なの?別に一緒に買い物した訳じゃないんでしょ〜?」
「あー、セスはたまたまカフェで会ったから……困ってたお姉ちゃんの相談聞いてもらってたの!」
「ふーん………困ってるなら僕に相談してくれればいいのに。」
悠真から僅かに滲む嫉妬の気配を感じとったリンは思わず笑みが零れる。それを見た悠真は急になんだとこちらをジッと見る。
「え、なに?」
「別に〜!なんでもないよ〜」
「え〜気になるんだけど!」
悠真がいつもの如くわーわー言う横で私は別のことを考えていた。
(これで付き合ってないんだもんなぁ…びっくりだよ。でもお姉ちゃん大丈夫かな…)
「ごめん悠真!お姉ちゃん心配だからそろそろ行くね!お仕事頑張って〜!」
「うわぁ、仕事のこと言わないでよ…戻りたくなくなってきたかも…。」
「サボったら月城さんに言いつけるから!またね〜!」
「はいはい、またねリンちゃん。アキラちゃんによろしく言っておいて〜!」
悠真と別れるときっと今頃心中穏やかではないだろう姉の元に駆け出していくのだった。
………………
「アキラ…おいアキラ!どうしたんだよ!」
「あ…ごめんセス、僕…」
「俺は大丈夫だけど…急にどうしたんだ?それに顔…真っ青だぞ?」
「なんでもないよ…ごめんよ心配かけて…。お仕事もあるのにここまで付き合ってくれてありがとう。」
「それならいいんだが…。じゃあ、俺は仕事に戻るからな!また何時でも頼ってくれ!またな!」
「うん、またねセス」
こちらに手を振りながら治安局の方に走り去っていくセスを見送り、買ってきた荷物を車に積み込む。すると先程1度別れた妹が走ってこちらに来るのが見える。
「お姉ちゃんいたいた〜!もー、急に先に行っちゃうんだもん!」
「ごめんよ、ちょっと…」
「まぁ何となく分かるけどねぇ…」
「え…?」
「ううん、何でもない!帰ろ、お姉ちゃん!」
……………
こんな事があったのが数日前のこと、それからお姉ちゃんのため息は止まることを知らない。おそらく悠真のいう「好きな人」について思い悩んでいるんだろう、本人はあまり自覚がないみたいだけど。
「お姉ちゃん、まだ悩んでるの?」
「あ…な、なんでもないよ」
「はい嘘!悠真の事なんでしょ?だって悠真が好きな人いるって言った時のお姉ちゃんおかしかったもん!」
「うぅ…でもほんとに自分でもよく分からないんだ…」
お姉ちゃんは床を掃いていた箒を握りしめながら気まづそうに目を逸らす。
「でも、お姉ちゃんは悠真に好きな人がいるって知って、嫌な気持ちになったって事だよね?」
「よく分からないけど、多分そうなんだと思う。ずっと胸に何かがつっかえてる気分で、その……」
お姉ちゃんは暗い表情を隠さず、その気持ちの名前が分からずもやもやしているようだった。ここは妹としてあの日、押しきれなかった背中を押してやるべきだろう。
「ふふん、お姉ちゃんそれがね…恋ってやつだよ!」
映画ならばばんと音が鳴り出しそうなくらい、高々と宣言する。妹の突然の演説に普段あんまり驚かないお姉ちゃんでも目をぱちくりとするしか出来なかった。
「恋…?僕が、悠真に…?」
「そ!だって悠真の事嫌いじゃないでしょ?それに悠真が他の女の子を好きだって知ってそれが嫌だって思ったんだよね?てことは…それはもう恋だよ!」
「僕が…」
お姉ちゃんはまた俯いて何か考え込んでるようだった。
(ま、悠真の好きな人って言うのは多分お姉ちゃんの事だけどね〜…ほんとお姉ちゃんって自分のことは鈍いんだから!)
まぁでもこれでさすがの鈍い姉も自覚できただろうし、おそらく何事もなく上手くいくことに妹としては嬉しくて仕方がない。だが、なにやら姉の様子がおかしかった。
「リン、僕は決めた!」
「え…?」
「僕は悠真としばらく距離を置く!」
「え、えぇぇぇぇぇぇ!」
突然の姉のとんでも発言に大声をあげてしまったのは許して欲しかった。
…………………
それからと言うものアキラは悠真のことを避けまくった。それもうことごとく。毎日のように届く悠真からの遊びの誘いも断り、いつもならついつい話し込んでしまう世間話も仕事が忙しいだの、リンに呼ばれてるからだのなんだかんだ理由を付けまくって躱した。自慢ではないがアキラにとってこうゆうのは得意分野だった。そんなアキラを見て、妹であるリンはカウンターに伏せながらジッと何か言いたげに見つめる。
「ん?なんだい、リン?」
「はぁ…お姉ちゃんもういいんじゃない?悠真が可哀想だよ…」
「そうかい?でも好きな人がいる悠真に悠真の事が好きな僕が付きまとうのはきっと悠真も迷惑だろうし、それに悠真の好きな人に誤解されたら大変だろ?」
「はぁ…なんでこうなっちゃったかな…。それにそれじゃお姉ちゃん苦しいまんまじゃん!」
「それは…時間が解決してくれるさ。」
それを聞いたリンはやれやれという表情を隠さず、アキラの手から整理中のビデオを引き継ぐ。
「とにかく!一回ちゃんと悠真と話し合うこと!流石の悠真も不審がって私の方に毎日連絡来るんだから!今は上手いこと言ってあるけどもうそろそろ限界だし!」
「あはは…まぁ機会があればちゃんと話し合うさ。」
「もー!またそうやってはぐらかすー!」
リンの小言をなだめながら、2人でビデオの整理を再開する。すると入口の方からカランカランと扉の開く音が聞こえる。対応は妹のリンが向かったようだ。その間に作業を進めなくては、最近はバレンタインにかこつけてロマン映画を借りに来る人も少なくは無いからもう少し近くなったら、特設コーナーを作ってもいいかもしれない。
「はーい!いらっしゃいませ〜!あ…」
すると対応に向かったリンの様子がおかしく、何かあったのかと思わず入口に顔向けるもそこにいる人物にアキラはとても逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。そうココ最近アキラが避けに避けまくっている執行官さまである。
「あ…」
バラバラバラッ
持っていたビデオを手から落としてしまったがアキラにとってはそれどころではなく、急いで振り向き、駐車場に繋がっている裏口から逃走を図る、が…扉の開け手に手をかけた瞬間…
ドンっ…
隣の壁にぶつかる鈍い音と背中に伝わるじんわりとした熱に息を飲んだ。アキラの耳に悠真の形の良い唇が近づき、
「どこに行くの?」
その言葉が終わるやいなや片方の手首を捕まれ、無理やり目線を合わせられる。
「は、離してくれ…!」
「だめ、そしたらアンタ逃げるでしょ?いくら優しい僕でもさぁ、これ以上はもう限界だから」
頑張って抵抗してみるも、現役の執行官と一般人では力の差は明らかだった。
「ちょ、ちょっと悠真!落ち着きなって!」
「ごめんリンちゃん、ちょっと無理かも」
悠真は口ではにこやかに返しつつも、目が笑ってない。普段見ない悠真の表情に身体が強ばってしまうのはしょうがない事だと思いたい。
「あーもう!せめてお姉ちゃんの部屋でやって!またビデオ屋は営業中なんだから!!」
「分かった、アキラちゃん行くよ」
「え…あ…」
「抵抗しないでね?アンタを部屋まで連れてくのなんてわけないけどあんま僕も乱暴したくないからさ〜。」
そう言いながら悠真はアキラの腕をぐいぐいと引っ張っていく。こちらをちらりとも見ない悠真が今どんな表情をしているかなんてアキラには分からなくて、不安で仕方なかった。
アキラの部屋の前に着くと、扉を開け、さっきまで痛いくらいに掴んでいた手首をすんなり離し、アキラに中に入るように促す。
「ほら入って」
アキラが中に入ると、そのあとを追うように中に入り、後ろ手で鍵を閉めてしまった。
「ソファー、座ったら?」
「えっと…悠真は…?」
「僕は…一応ね…」
そう言いながら入ってきたばかりの扉に寄りかかり腕を組む。おそらく何かの拍子に逃げるの心配してるのだろう。心配しなくとも、ここまで連れてこられてしまったら悠真から逃げることなんて無理に等しいのに。
「もう逃げないから…」
「そう?助かるよ〜僕もあんたとちゃんと話したいからさ?」
そう言いながらどかっとソファに座りながら片手を掴まれると、信用されてないんだなと少し悲しくなる。
「そんなに信用ないかい…?」
「そりゃ僕だってアンタのこと信じてあげたいけどさ、ここ2週間どれだけ避けられてると思ってんのー?そりゃ慎重にもならざるおえないよね?」
いつものにこやかな悠真はどこに行ってしまったのか、もしや偽物なのではないかと疑いたくなるくらいの低い声に俯く顔はちっとも上がらない。動揺する僕を置いて悠真はどんどん話を続ける。
「それで?そろそろ僕がアンタに避けられてる理由を知りたいな〜?」
「えっと…」
いつもならすらすらと回る口も喉が渇いて、貼り付いてしまったように動かない。零れるのはどれも意味の無い音ばかりだった。
「言っとくけど僕が納得する理由聞かせてもらわないと帰んないから。まだ僕が優しいうちに諦めて全部吐いた方がいいよ〜」
そういう悠真の顔をちらりと伺うが、そこにはいつもとろりと溶けたような優しい悠真の姿はなく、冷えきった目でこちらを見つめる悠真が居た。その姿を見たアキラは瞬時に理解した。
あぁ自分は嫌われてしまったのだと…。
「…?いつまで黙ってるの?さすがの僕も…ってえ?」
顔を上げるとそこにはなにやら困惑する悠真の顔があってまたもや見た事ない表情にこんな時なのに笑ってしまいたくなった。
「ちょ、ちょっと!なんで泣いてんの!?」
「え…あ…僕…」
ぼろぼろと頬を伝う熱にアキラはぼんやりと他人事のようにこんなに涙を流すのは何年ぶりだろうなどとよく分からない思考に頭を使う。悠真は先程の冷たい態度はなりを潜め、今は慌てふためく一方だった。
「あーもうそんな擦らないの…!腫れちゃうから!」
「ぅ…ふっ……」
とりあえず目を擦り、涙止めようとするアキラを止めようとしたのかハンカチを取り出しアキラの目に優しく押し当てる。
「本当は水で濡れてるといいんだけど持ってないしなぁ…あぁもう!」
悠真も突然泣き出したアキラにどうしたらいいか分からないのか、おどおどと慌ただしくした末、アキラの頭が悠真の胸に優しく引き寄せられる。久しぶりに感じた暖かさにアキラは思わず擦り寄った。
「もしかして怖がらせちゃった…?ほんとにごめん、アンタに避けられまくっててさすがに頭に血が上っててさ〜。リンちゃんにそれとなく聞いてもなんも教えてくれないし、僕も不安だったんだよね…。……アンタに泣かれると弱いんだよ…だからいつもみたいに笑っててよ…お願いだからさ。」
悠真の手のひらがアキラの小さな頭を何度も横断する。いつもの優しい悠真に戻った気配を感じ取ったアキラはその包み込んでくれる暖かさにしばらく身を任せた。
………………
「落ち着いた…?」
「うん、ごめん…悠真」
「いや僕の方こそごめんね、怖かったよね?手痛くない?」
「うん…」
2人の間に沈黙が流れる。長く続く沈黙にアキラはなにか話さないとと勇気を持って声を発する。
「悠真…!」「アキラちゃん…!」
重なる声にお互い目を合わせた。
「え、っと悠真から…」
「いや…アキラちゃんから言って…」
「えっと……じゃあその」
いざ声に出すとなると緊張するがこうなってしまったのも元はと言えば自分のせいなのだろう。ここは勇気を持って言わなくては。
「悠真は…僕のこと……嫌いになったかい?」
「……はぁ??」
悠真は信じられない物を見るかのように僕を見て大声を発する。
「…なわけなくない!?僕が今までどれだけ我慢してきたと思って…!いや……」
すると悠真は何が都合の悪いことがあったのか、1度言葉に詰まった。
「と、とにかく僕がアンタを嫌うとかぜっったい有り得ないから…!分かった!?」
「わ、分かった…」
そこまで言うと悠真は耳まで顔を真っ赤にして顔を逸らしてしまった。
(そっか…嫌われた訳じゃなかったんだ…)
思わずほっとして緩んでしまう表情をみた悠真は僕の頬に大きな掌を滑らせる。
「もしかして僕に嫌われたと思って、泣いちゃったの…?」
そう問いかけられて恥ずかしさに口を噤み、俯きながらこくりと頷く。すると悠真は急に胸を抑えだして同じように俯くものだから、もしかして具合がわるくなったのではと慌てて背中を擦る。
「あー…ごめん!大丈夫大丈夫、具合悪い訳じゃないから」
「ほんとうかい…?」
「心配症だね、本当だよ。僕の身体は僕が一番大事にしてるってアンタが1番よく知ってるでしょ?それに今のはちょっと説明が難しいんだけど、なんというか癒し?みたいな…?」
「???」
悠真が何を言ってるのかよく分からないが具合が悪くなった訳じゃないのならそれでいい。
「じゃあ次は僕の番、いい?」
悠真は僕が安心するように優しくてをつないだまま続ける。
「最初の質問に戻るんだけどさ…なんでアキラちゃんは僕を避けてたの?」
「それは…えっと」
「言いづらいこと…?それとも僕なんかしちゃった…?」
悠真が不安そうにこちらを伺うが悠真は悪くないという意味を込めて首を振る。
「じゃあどうして?」
「…悠真の邪魔をしちゃいけないと思って。」
「僕の邪魔…?」
「そう…この前リンと出かけた時。」
そうしてアキラは数日前にあった、悠真の好きな人騒動について一から説明した。すると話が進んでいくたびに、悠真の顔が嘘でしょという表情を浮かべていく。
「だから僕は悠真と悠真の好きな人が上手くいくように邪魔をしないようにと…」
「………」
「悠真…?」
「ちょ、ちょっと待って整理させて?つまりアンタはあの時、僕とファンの子の会話を聞いてて、その時僕が言った好きな子と僕の仲を気にして会うのを避けてたってこと……?」
「そうだとも」
いくらアキラでも羞恥心はあるので自分が悠真を好きだと自覚してしまったことも、悠真に好きな人がいると知って嫌だと思ってしまったことも黙っていたが悠真はそれどころではないらしい。
「な、なにそれ!じゃあ僕がアンタになんかしちゃったかもって思い悩んでたのもぜーんぶ無駄だったってわけ!?」
「は、悠真?」
「あーもう、怖がらせないように僕が少しづつ距離をつめて、意識して貰えるように頑張ってたのが馬鹿みたい!こんなに伝わってなかったとはね!!」
急にガシガシと頭を振り乱したり、落ち込んだりする悠真の様子に心配になりながらも、座っていることしか出来ないアキラはひたすら悠真を待つ。するといつの間にか元に戻ったのか悠真がアキラの両手をとった。
「でもこれ以上アンタに傷ついて欲しくないからハッキリいうね?」
悠真は目を閉じてゆっくり深呼吸し、覚悟を決めたかのようにゆっくり瞼を開く。そのいつになく真剣な表情に思わず、つい最近自覚してしまった心臓はどきりと音を立てる。
「アキラちゃん、実は僕…アキラちゃんのことが好きなんだ。あの日ファンの子に言った好きな子ってのもアンタのこと…アンタには全く伝わってなかったみたいだけどね!」
悠真の突然の告白にアキラはまるで周りの時がすべて止まってしまったかのように頭が働かなかった。
「僕は後先短いし、ずっとアキラちゃんの傍にいれるわけじゃないけど…僕が死んじゃうその時まで絶対大事にするし…!僕の人生全部あげるから、僕と……付き合ってください!」」
だけどゆっくりその言葉を理解すると…
「…っ!」
顔からじんわりと熱がひろがり、体全体に伝わる。鏡を見ずとも自分の顔がそれはもう真っ赤になっていることは手に取るように分かるくらいには。そのアキラの表情を見て、同じように顔を赤く染めた悠真がアキラに触れ、嫌がられていないとわかると強く抱き締めた。
「アキラちゃんさ…ずるいよ。そんな顔したらさ…僕期待しちゃうよ…?いいの?」
ぎゅうぎゅうに抱きしめられて動かしづらい身体でも、なんとかこくりと頷く。すると悠真は抱きしめているアキラの耳元でこう呟く。
「ねぇ、わがまま言っていい?」
「わが、まま…?」
「そう、わがまま…」
すると悠真は身体をゆっくりと離し、アキラの頬に手を添える。そして
「アンタの言葉が聞きたいな…?」
「僕の…」
それの言葉に悠真はこくりと頷き、アキラの言葉を待つ。アキラはその優しい蜂蜜の少年の瞳を見たらその期待に応えたいと強く思った。だからアキラは口を開くのだ。
「本当は悠真に好きな人がいるって知って本当は凄く嫌で。でも悠真は好きな人がいるからって…邪魔しちゃいけないって…。こんな想いは悠真の迷惑にしかならないから捨てなきゃって…。」
「うん」
「だから悠真と距離を置いて少しでも悠真と好きな人が上手くいくようにって……そう思ってたんだけど。でも悠真に好きって言って貰えて僕も悠真のこと離したくなくなってしまった…」
「それじゃあ…?」
悠真は僕の言葉に期待に満ちた目を向ける。そんな愛おしい人を僕の言葉で喜ばせることができるなら……。
「僕も悠真が好きだ…。どうか僕の最初で最後の人になって欲しい。」
それを聞くやいなや悠真は僕の首筋に頭を埋め、ぐりぐりと甘えた飼い猫のように押し付ける。
「アンタほんとにずるいよ…どこでそんなに殺し文句覚えてくるわけ…?これ、実は僕の都合のいい夢でした〜なんてことないよね…?」
「もう…なにを馬鹿なこと言ってるんだい…?僕の一世一代の告白を夢にするなんで酷いな…?」
「あーごめんごめん!僕もちょっとまだ混乱してるみたい…ごめんね?」
そう呟く悠真にたまらなくなった僕は悠真の自分よりも一回り以上大きな背中に手を回した。すると自分を抱きしめる悠真の腕がさらに強くなったのは僕の勘違いではないだろうか?
……………
しばらくそうしていてどれくらいの時間がたったのだろう。流石の自分でも恥ずかしくなってきたので悠真の身体を優しく押し返す。すると悠真は名残惜しそうにゆっくりと身体を離した。
「それにしてもあんたがこんな突拍子もないことする人だとは思わなかったなぁ〜」
「う、言わないでくれ…」
「あはは、うそうそ!でも結果的には丸く収まったんだし今回はとりあえずお互い様だったってことで!あ、でも今回アンタを傷つけちゃったことはどこかで埋め合わせさせて?僕の気が済まないからさ。後もうひとつ聞きたいことがあるんだけど…いい?」
「うん…?」
悠真は少しいいづらそうに両指は付き合わせながら目を逸らす。
「もしかしてなんだけど、もう僕って今年のアキラちゃんからのチョコ貰えるチャンス逃してたりする…?」
何を聞かれると思えばそんな拍子抜けな質問に思わず笑みが零れる。
「ふふ、そんなことを心配してたのかい…?」
「な!そんなことって、僕にとっては超重大事項なんですけど!?だって課長や副課長、蒼角ちゃん、セスくんだって貰ったって聞いてるんだから!僕の情報網甘く見ないでよね!!」
「はいはい、下の冷蔵庫に大事にしまってあるとも。」
「ほんとに!?やったー!アキラちゃんからの本命チョコだー!」
「はぁ…またそうやって…。でも悠真、セスから聞いていたけど甘いものは苦手なんじゃないのかい?」
「はぁ!?全然違うって!!好きな子からのチョコならなんだって嬉しいの!!」
思わず悠真が立ち上がり喜んでいると…
「ちょっと!悠真、うるさーい!」
と下から響くリンの声に思わず苦笑する。
「そうだここ壁薄いんだった…」
そう言いながらそっと座る悠真にやんわり近づきその肩に頭を預ける。横で悠真がなにやら騒いでるのが聞こえるが今は少しだけ…。そしたら今度は悠真と何をしようか。1波乱あった恋人がすることと言えばまずは2人で甘いチョコを摘むことだろうか…。