ふわもこのチョロカラ(未完)「ねえねえ! 僕、ふわもこだよ!」
冬。それはひつじのチョロ松にとって、一年で一番うれしい季節です。
クリスマスにお正月、雪遊び。冬の「うれしいこと」はたくさんありますが、中でもチョロ松がとびきりうれしいのは、寒くなるとみんながチョロ松を頼ってくれることでした。
「僕の毛皮、ふわふわのもこもこであったかいよ! 触ってみてよ」
チョロ松が呼びかけると、同じ森に住むどうぶつたちが、暖を求めてチョロ松の元にやってきます。
チョロ松はそんなどうぶつたちに、ふわふわに整えた自分の毛を触らせてあげるのです。
「本当だ、あったかい!」
「もこもこしてる」
「これなら寒くないね」
「触らせてくれてありがとう!」
みんなから口々にお礼を言われると、チョロ松はくすぐったい気分になります。寒さの厳しい冬の間、ふわふわもこもこの毛皮でみんなを暖かくできるチョロ松は、森のヒーローでした。
自分はみんなを笑顔にできる、すばらしい毛皮を持っている。チョロ松はそのことが誇らしくて誇らしくてなりません。
みんなの前では褒められても謙遜して見せますが、家に帰ると得意になって、一人でえへんと胸を張っているのです。
「チョロ松、オレも毛皮に触らせてくれ」
「いいよ!」
チョロ松と仲良しのトラ、カラ松が、みんなから少し遅れてやってきました。
チョロ松は誰もいない所にカラ松を連れて行って、毛皮をひとり占めさせてあげました。
「チョロ松の毛皮はいつ触っても気持ちいいな」
「当然! だって毎日、きちんととお手入れしてるもん」
ふわもこに埋もれるカラ松と、チョロ松はくすくす笑い合います。
「元気になった?」
「なったぜ~! センキューちょろまあつ! お礼にオレの胸毛、触ってもいいぞ!」
「やったあ!」
チョロ松が冬をうれしく思う理由は、実はもうひとつありました。冬の間は、毛皮で暖をとったお礼にと、カラ松が胸毛を触らせてくれるのです。
真っ白くてふわふわの胸毛は、カラ松の一番の自慢です。本人いわく「触ると元気が出る」とのことで、元気をなくしたどうぶつがいると触らせてくれるのです。それ以外の時には、なかなか触らせてくれません。
けれども冬の間、カラ松はチョロ松にだけ、ふわふわの胸毛をたくさん触らせてくれました。カラ松のことが大好きなチョロ松は、そのことがうれしくてたまらなかったのです。
「カラ松の胸毛、ふわふわしてる」
「たくさん触っていいからな!」
冬って、なんて素敵な季節なんだろう。
カラ松の胸毛にほっぺを擦り寄せながら、チョロ松は幸せを噛み締めていました。
そんな冬のある日のこと。チョロ松は森を抜けて、一匹で海岸へ向かっていました。
うさぎのトド松が「どうしてもホタテの貝殻がほしい」と駄々をこねたので、見かねたチョロ松が取ってくると言ってしまったのです。
冬の海は森の中よりずっとずっと寒くて、いつもびゅうびゅうと強い風が吹いています。体は冷えるし波は高くて危ないしで、森のどうぶつたちは誰も近づきません。
「あれ?」
けれどもその日。チョロ松が海に着いてみると、海は驚くほど穏やかで風もなく、小さな砂浜には静かに波が打ち寄せていました。
そして砂浜の岩場に、誰かが座っています。チョロ松はちょっぴりどきどきしながら、そうっと人影に近づいてみました。
金の冠に、金のガントレット。脱ぎ捨てられたごつごつの靴。青い鱗を散りばめたような、水着のように薄い衣。うなじの辺りで一つにまとめられた、流れるような美しい黒髪。
森のどのどうぶつとも違う「人間」の姿をしたその人は、寒い海に両足を浸して、じっと岩場に腰掛けていました。
人間はひつじのチョロ松よりずっと背が高く、ずっと大きく見えます。こっそりこっそり後ろから忍び寄って、チョロ松はあることに気がつきました。
どこか悲しげに、どこか憂いを帯びた表情で海を見つめるその人の目に、一粒の雫がぴかりと光っていたのです。
「こんにちは」
声をかけると、その人は弾かれたようにチョロ松の方を振り向きました。
「……こんにちは」
しばらく驚いたようにチョロ松を見つめて、けれども穏やかに微笑みながら、その人は挨拶を返してくれます。
笑っているのに、チョロ松にはその人の顔が、とてもとても悲しそうに見えました。
「こんにちは、こんにちは。ねえねえ。僕、ふわもこだよ」
考えるより先に、チョロ松の口から決まり文句が飛び出します。こつこつと蹄を鳴らして、海辺のその人に近づきました。
「ねえ見てよ。とってもふわふわで、とってももこもこしてるでしょ」
「うん? そうだな、ふわふわでもこもこしてるな」
「触るとすっごく気持ちいいよ。すっごくあったかいよ。ねえ、触ってみてよ」
「さ、触る?」
「そう! ほらほらねえねえ、触ってよ」
ふわもこの頭を差し出すチョロ松に、その人は顔をきょとんとさせました。
それもそのはずです。だってチョロ松のことを知っている森のどうぶつたちならまだしも、いきなり毛皮を触れと迫られたら、誰だって戸惑ってしまうでしょう。
けれども森から出たことのないチョロ松には、そんなことわかりません。この世の誰もが、みんなチョロ松のふわもこの毛皮を喜んで触ってくれると思い込んでのです。
じっと撫でられ待ちしているチョロ松を、その人はしげしげと見つめました。少し考えて、頭に手を乗せようとして。一旦引っ込めてガントレットを外すと、今度こそチョロ松の頭に、ふわもこの毛並みにそっと指を埋めました。
「本当だ。ふわふわしてる」
おっかなびっくり触れていた指が、ふわふわと優しく頭を撫でさすります。
しっとり濡れて少し冷たいその人の手が、寒い冬の季節だというのに、チョロ松にはなんだか心地よく思えました。
「陸の子はこんなに柔らかくて温いのか……」
「僕、あったかい?」
「ああ、温かいぞ」
大きな手がふわふわとチョロ松の頭を撫でます。大きな手が離れるのを、チョロ松はちょっとだけ残念に思いました。
「ありがとう。存分に触らせてもらったよ」
「元気出た?」
「ああ。いくらか元気になったぜ」
「そっかあ!」
やっぱり自分の毛皮は、どんな人でも元気にできるすごい毛皮なんだ。
チョロ松はますます自身に満ちあふれて、思わずくふくふと笑顔になりました。
「ところで君はどうしてここに? まさか泳ぎに来たんじゃないだろう?」
「僕、ホタテの貝殻を取りにきたんだ」
「ホタテを? 冬の海は陸の子には危険じゃないか?」
「うん……。でも、取ってくるって言っちゃったから……」
「そうか……。それじゃあ、これはお礼だ」
ざぱり。海に手を突っ込んで、岩場に座るその人が何かを取り出します。
赤茶けた二枚の貝殻が、海のしぶきを散らしながら、きらきらと太陽に照らし出されました。
「ホタテ貝だ!」
「今日はもう帰りなさい。冬の海は危ないから、今度から一人で来たらダメだぞ」
「ありがとう! さようなら!」
ホタテを受け取って、チョロ松は元気に岩場を離れました。自分の毛皮がまた役に立ったし、ホタテも首尾良く手に入ったし、いいことばかりで鼻歌でも歌いたい気分です。
スキップしながら森に戻ろうとして、途中でふと海の方を振り向いてみました。
遠くなった岩場に、まだあの人が座っています。海の方をじっと見つめるその横顔は、チョロ松と話していた時とすっかり変わって、また悲しげな表情をしていました。
(「元気になった」って言ってたのに!)
がつんと頭を殴られた気分です。今までどんなどうぶつだって、チョロ松のふわもこな毛皮を触ったら、みんな笑顔になったのに。
(こんなこと初めてだ……)
浮き足だった気持ちはどこへやら。チョロ松はホタテを抱えて、とぼとぼと森の中へ戻りました。
▼
翌日。チョロ松はまた一人で、海の方へ向かっていました。太陽の高さはてっぺんより少し下。昨日と全く同じ時間。けれども今日は、ホタテを取りに行くのではありません。
森を抜けるとすぐ海と、少し離れた岩場が見えます。そこにはやっぱり、長い黒髪を垂らした背中がぽつんと座っていました。昨日のあの人です。
帰るときに見たのと全く同じ姿勢なので、まるで昨日からずっとそこにいたように見えます。
穏やかに打ち寄せる波打ち際に蹄の跡を残して、チョロ松はそっと岩場に近づきました。
「一人で来てはいけないと言ったはずだ」
ふいに投げかけられた言葉に、チョロ松はぎくりと立ち止まりました。人影は海の方を見つめたままです。どうしてチョロ松のことがわかったのでしょう。
「一人じゃないよ。あなたと僕で二人だもん」
「そんな屁理屈は聞いてない。なぜ今日も来た? またホタテか? あれは一度きりだぞ」
「今日もいるかもしれない、って思って。そしたら、やっぱりいた」
海を見ていたその人は、その言葉にゆっくりと振り向きました。
「……オレに会いに来たのか?」
「うん!」
無邪気にうなずくチョロ松に何を思ったのか。その人は言い聞かせるような口調をおさめて、ばつが悪そうに口をもごもごとさせました。
「ねえねえ。僕、今日もふわもこだよ」
チョロ松は自分の毛皮をふわふわさせて、いつもの文句を繰り出します。
「すごくふわふわで、すごくもこもこなんだよ」
「ああ。昨日触らせてもらったから、オレもよく知ってる」
「昨日よりもっとふわもこになるよ! ねえねえ、そんな海の近くじゃなくて、こっちにきて触ってよ。触ったらぜったい元気になるよ」
チョロ松は岩の影に立って、その人を誘いました。波は今日も穏やかですが、海風はぴゅうぴゅうと吹いています。
塩気をふくんだ海風に長く吹かれると、毛がべたべたになって絡まりやすくなってしまいます。そうなったら、チョロ松の自慢のふわもこは台無しです。
昨日、あの人が元気にならなかったのは、海風のせいで本来のふわもこ感がでなかったせいだ。それがベッドの中で一晩考え続けたチョロ松の結論でした。
海風の当たらない岩陰で触ってもらえれば、チョロ松のふわもこで今度こそ笑顔になってくれるはず。
完璧な計画です。チョロ松はふわもこに触ってもらうために、懸命に人影を誘います。
「ねえねえ。ふわもこだよ。こっちにおいでよ」
「ごめんな、オレはそっちには行けない」
「どうして?」
「海から離れられないんだ。できないことはないけど、海水が無い場所に行くのは難しくて……」
「そんなあ!」
一分の隙も無い、百点満点の作戦だと思ったのに。チョロ松はがっくりと肩を落としました。
「本当にすまない……」
(未完)