夜の香港は、生き物のようにざわめいていた。建物からは屋台の油煙と甘辛い香りが立ちのぼり、どこかの部屋からはテレビの音、どこかの路地からは喧嘩の怒鳴り声が聞こえる。路地の水たまりに映るネオンが、人の顔を赤く染めていた。
ナマエは、城砦近くのアパートの一室で、ぼんやりとソファに腰かけていた。扇風機の生ぬるい風が、ゆるく髪を揺らす。
「……遅いな」
時計の針は、すでに夜中の十二時を回っていた。朝に信一から「今夜はそっちに泊まる」と連絡があり、ナマエは珍しさに少し浮かれながら部屋を整えた。けれどそのときの気持ちは、もう遠い昔のことのように思える。
こういう夜は、たいてい決まっている。
信一はまた、どこかで飲んでいるのだ。屋台か、城砦内の仲間との集まりか、それとも商売相手との付き合いか。理由はどうあれ、帰ってくる頃にはたいてい、酒の匂いをまとっている。
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