ぼうれい 木から木へと飛び移り、森の中を追手から逃げ続ける。腹の傷から襲ってくる鈍い痛みと熱を無視して、ひたすら進む。カカシは、暗部の部隊の隊長として他里から密書を持ち帰る任務に従事していた。任務の危険度はそれほど高くなかったはずだが、予定通り密書を手に入れたところで、どこからか情報が漏れたのかカカシの部隊は襲撃を受けた。密書と仲間の命を優先するために、カカシは一人囮役を買って出た。敵の襲撃部隊を殲滅させたのがつい数刻前であり、さらなる追手を危惧して、森の中をただひたすらに前進する。
完全に日が暮れたころ今晩のうちは敵襲はないと判断したカカシはやっと足を止める。木々の間、野営に適した茂みに腰を落ち着けると、傷の処置に取り掛かる。幸い傷は浅く、今晩安静にしていれば翌朝には里に向けて問題なく出発できるだろうと判断し安堵したカカシは、一息ついて空を見上げる。
まん丸に満ちた月が夜空を青白く照らしている。奇妙なほど、美しい夜空にカカシは少し恐ろしくなる。
「なあ、俺は絶対いつか火影になるんだ」
左から、幼げな少年の声が聞こえる。カカシが決して忘れることのできない声。しかし、カカシは声の主の方を見ようとはしない。まるで、その少年の声が聞こえていないふりをするように、月から目を離さない。
少年はカカシに無視されていることを気にしていないようで、さらに続ける。
「俺はいつか火影になって、そんでリンに思いを伝えるんだ」
「なあ、カカシそれまでリンを頼んだぜ」
カカシは目をぎゅっと閉じて耳を塞ぎうずくまる。カカシの左側には、あの日と寸分変わらないオビトが腰かけている。正確には、オビトの亡霊だ。
リンが死んでから、オビトの亡霊がカカシの前に頻繁に現れるようになった。カカシからの返事を期待しているわけでもなく、ひたすらカカシに話しかけ続けるのだ。はじめはオビトが現れるたびに酷く動揺し取り乱したカカシも、最近ではオビトが消えるまで、ひたすら目を閉じ耳を塞ぎ耐えるだけになっていた。
オビトは蹲って震えるカカシをまるで気にする様子もなく、ただひたすらに話し続ける。
「なあ、リンを守るって約束したよな」
「それなのにお前はリンをどうした?」
やめてくれ!!たまらずカカシが声をあげる。返事はない。しんと静まり返った森にカカシの声が響く。日頃の姿からは想像もつかないほど、弱弱しく小さく丸まったカカシは、折り曲げた膝にひたいを押しつけ、両腕で外敵から身を守るように頭を包み、震えた。それでも、オビトは消える様子はない。
「その目は、お前には相応しくない」
「その目を返せ」
「リンを返せ」
「全部お前のせいだ」
はっとしてカカシは左を見る。そこには、カカシの向こうどこか遠くの方を焦点の合わない目で見つめるオビトがいた。「ごめん、ごめん、オビト、、、、ごめん」ただひたすらうわごとのようにカカシは謝り続ける。
どれくらいの時間そうしていたかカカシにはわからなかったが、すっかり夜が更けてしまったようだった。いつの間にかオビトは姿を消し、森は静寂に包まれている。カカシはほっとしてようやく一息ついた。
ふとカカシは誰かの気配を察知した。少し離れた木の陰に誰かの気配がする。こちらが気づいたことに相手も気が付いたのか、木の陰からぬるりと姿を現した。いつからいたのか、とこれまで全く気づかなかった自分の失態に舌打ちをしたくなる。
「誰だ」
カカシは片足を立て刀に手をあて臨戦態勢をとる。呼吸を整え、相手の様子をうかがう。
「あー、ばれちゃいました?木の葉の狐さん?」
気味の悪い陽気な裏声で話す、渦を巻いたような模様の面をつけた男が、まるでカカシを警戒する様子もなく近づいてくる。存在を察知されても警戒する様子のない覆面男に、この男は自分より幾分の格上の相手だと判断したカカシは自分の警戒の甘さに舌打ちをした。それと同時に、もしこのままこの男が自分を殺してくれたらなどと頭の隅で考え、慌ててかき消す。
「見慣れない模様の面だな。どこの里の忍だ」
「うーん、しいていうならどこでもないですねえ、、。あ!僕のことはトビって呼んでくださいね!」
抜け忍だろうか、厄介だとカカシは思う。その一方で、自分では相手にならないような格上の忍を相手にして、通常ならすぐにでも距離をおくべきなのに、カカシがそうしなかったのは、先ほどの期待が胸をかすめたからだった。
カカシの期待を見透かしたように、再びオビトの亡霊が現れ、話しかける。
「カカシ、任務で死んだら許される、なんて考えてないよな?リンを見殺しにしたお前が、死んだくらいで許されるわけがないだろう」
「お前の罪は、お前が死んだくらいが消えない」
カカシの心を見透かしたようなオビトの言葉に、敵前にも関わらずカカシは胸が苦しくなって呼吸が乱れる。違う、そうじゃない、許してほしいわけじゃない、、、そう心の中で自分に言い聞かせるように繰り返す。
「罪から逃げるのか?」さらにカカシを追い詰めるようにオビトの亡霊が畳かける。ぐっと言葉につまったカカシは、
「ごめん、、、ごめんなさいオビト、、ごめんなさい」
とそれしか言葉を知らないかのように繰り返し繰り返しカカシは呟く。
一方で、トビはカカシのその異様な様子を興味深そうに面白がるように眺めている。仮面に隠れてその表情はカカシには見えないが、口角は吊り上がり瞳は弧を描いていた。
「独り言?あ!もしかしてこれってイマジナリーフレンドってやつですかぁ?」
「心の中のお友達とおしゃべりなんて狐さんかわいー♡」
大げさに手を口の周りでばたつかせてかわいいー!と言いたげなしぐさをする。トビはそうしながらも、徐々にカカシとの距離をつめていく。
「だまれ、これ以上近づくな」
カカシは刀をトビに向けけん制する。トビは今度は顔の周りでまた両手をばたつかせ怖い怖いなどと抜かしている。それは、トビがカカシなど警戒するにあたいしないと思っていることを示していた。しかし、カカシの言葉通りに距離を詰めるのをやめたトビは言葉を続ける。
「でもでも、僕気になっちゃって!狐さん、さっきからずっとそのお友達に謝ってばかりですよ?もしかして、なにかすーーーーごくわるいことしちゃったんじゃないですか?」
「、、、」
ずっと見られていたのかと、カカシは頭を抱えたくなる。そして、トビにもっとも痛いところを突かれて押し黙ってしまう。それは、、、と言い出そうとしても、喉は閉まって息はうまく吐き出せないし、唇はわなわなと震えるだけで、言葉は出てこなかった。完全に黙りこくってしまったカカシはトビは満足げだ。
「急にだんまりですか?じゃあ、質問を変えてあげます。狐さんのお友達はなんでそんなに怒っているんですか?」
カカシの顔を覗き込むようにトビは問いかける。
「それは、俺が、、俺が、、約束を破ったから。仲間を守るって命に変えても守るって約束したのに、守れなかった」
絞り出したような声でカカシはやっと答える。今にも、泣きだしそうな顔になる。
「ひぇーー、そんな大事な約束を破るなんて、狐さんったら最低!」
トビはまた両手を大きく振り回して驚いているように、大げさに振る舞う。そして続ける、
「僕だったらぜったいに許さない!」
「,,,,絶対に許さない」
低く、そしてとても冷たい声でそう告げる。カカシが今まで一度も聞いたことがないほど、冷たくそして悲しい声。その声がカカシの耳を伝い、そしてカカシの全身を這いずり回る。
カカシの心にぽっかりと空いた穴が全身を急速に蝕んでいるのを感じる。カカシはふと隣に目をやる。相変わらずカカシの隣にはオビトの亡霊が立っている。しかし、先ほどとは様子がずいぶん違う。オビトの右半身はつぶれ、左目がぽっかりと空いている。カカシはひっと喉を鳴らして、一歩後ずさる。そして、今度は自分の右手に目をやる。あの時のように、べっとりと血がついて生温かい。何度洗っても、消えることのない感触に腰が抜けて、その場にへたり込む。刀が手からこぼれ落ちる。こらえていた涙があふれて止まらなくなる。
いつの間にか目の前に立っているトビに目をやる。面のせいで表情は読み取れない。でも、どこか悲しそうに見えた。
「あーあ。もしかして僕、狐さんのこと泣かせちゃいました?でもでも、僕なーんにも間違ったこといってないから、狐さんが勝手に泣いちゃっただけ?」
泣いている身振りでトビはおどけてみせたが、酷く動揺したカカシはそれに気づいていないようでただただ小さく震えるだけだった。そんなカカシの様子に、トビは自然と口角が上がってしまい、今にも喉から乾いた笑いがこぼれ出そうだった。
しばらく、そうして震えているだけのカカシを眺めていたトビだったが、ふと手のひらに握ったこぶしをポンを当ててわざとらしく閃いたというようなしぐさをする。
「あ!でも、狐さんは約束を破ったわるーーーい狐さんだけど、僕がそのお友達だったら狐さんが心から反省してたらゆるしてあげるかもしてないです」
その言葉にカカシがはっと顔を上げて、すがるような表情でトビを見つめる。その様子にトビは面の下で舌なめずりをする。
「ほんとに,,,,?」
「どうしたらいい?」
「もし僕がそのお友達だったら、狐さんがのうのうと里で暮らしているのは許せないですねぇ、、それに」
「勝手に死ぬなんて尚更許せない」
トビの渦を巻いた模様の奇妙な面が、月明かりに照らされて青白く光る。トビはカカシの狐の面にぐっと手を伸ばす。そして、そのまま面に手をかけて無理矢理はがす。カランとした軽い音とともに、カカシの狐の面が地面に転がる。カカシは硬直したまま目線だけで面の行方を追う。
トビの人差し指が、カカシの口布にかけられる。カカシはごくりと息をのむ。口布はそのまま顎の下まで引き下げられ、カカシの素顔があらわになる。
カカシはトビに顎を掴まれ強引に顔を引き寄せられる。奇妙な模様の面が眼前にせまり、カカシの左目と同じ赤い瞳と目が合う。
「あ♡狐さんの素顔すっごくかわいー♡,,,,涙でぐちゃぐちゃ」
トビが親指でカカシの左目をなぞって涙を拭う。カカシは思わず吐息を漏らす。トビの目が鋭くカカシを射抜く。
「もっと、ぐちゃぐちゃにしたい」
低く冷たい声が、カカシの全身を這いずり回る。今すぐ逃げなければ、もう決してひき返すことができないと頭ではわかっているのに、体がいうことを聞かない。どこかで、期待してしまっている。
鬱陶しかったオビトの亡霊はいつの間にか姿を消していた。右手に纏わりつく嫌な感覚ももうない。頭に靄がかかったようで、思考が巡らない。ただ、カカシは目の前の男から目が離せなかった。
「僕、優しいから、君に選択させてあげます。このまま何事もなく里に戻るか、それとも,,,,」
「連れてって。どこでもいいよ。地獄でも」
面の中の瞳が満足そうに弧を描く。
「二度と、離さない」