ねぶるⅠ
半月の夜。国境付近の雑木林で。殺気だった大勢の忍に、暁の装束に身を包んだオビトとカカシが取り囲まれていた。
「お前は、そっち側の部隊をやれ。俺がこちらを始末する」
オビトの雑な指示にカカシは無言で頷くと、月明りに照らされて朱くひかる左目で敵をぐるりと見渡すと、雷切を発動させて敵に向かって一直線で走り出した。
カカシの様子を確認したオビトは、対称的にその場から一歩も動かないまま、「まとめてかかって来い」とでも言いたげに、顎を持ち上げ敵を見下ろす。オビトの態度に激昂した敵の忍は一斉にオビトの攻撃を仕掛ける。
敵忍たちは次々にオビトに攻撃を仕掛けるが、その攻撃はすべてオビトの身体をすり抜け、一撃たりともオビトに当たることはなかった。一方で、余裕の様子で敵の攻撃をかわすオビトは一人ずつ確実に敵を仕留めていき、敵の数はどんどん減っていった。木遁刺し木の術を使えばこの程度の敵は一度に倒すことができるオビトだったが、派手に木遁を使っては足がついてしまってもいけないから、できるだけありきたりな術で敵を殲滅していった。倒しても倒しても、襲い掛かってくる敵の多さにオビトは舌打ちをした。
一方のカカシも、敵の攻撃を食らうことはなく雷切を駆使しして電光石火のごとく敵を殲滅していった。敵の数も減り、あと少しだというところで、死角から飛ばされて来ていたクナイの存在に気付いた。はっとしたカカシは慌てて体勢を整えようとしたが間に合わず、仕方なく咄嗟に万華鏡写輪眼の瞳術のよってクナイを神威空間に飛ばした。
その数秒後に数メートル離れた場所で戦闘中のオビトが「ぐっ…」と鈍い呻き声をあげたが、その声は敵の怒号や悲鳴にかき消されてカカシの耳に届くことはなかった。
Ⅱ
敵の忍を殲滅し終わったオビトとカカシは血の海に立っていた。二人とも返り血を大量に浴びていて、空間に立ち込める空気が血の匂いでいっぱいだった。
ふとカカシがオビトの足元を見ると、オビトが先刻まで付けていた仮面が真っ二つにわれた状態で落ちていた。カカシは驚いて「え」と声をあげた。先程まで戦っていた敵にオビトの仮面をに攻撃を当てられるような強さの忍はいただろうかとカカシは首をひねる。
しかし、カカシはオビトの顔を見てさらに驚くことになった。オビトの頬に赤い切り傷が一筋走っていて、今もそこから鮮血が流れていたからだ。カカシがオビトと再会してからいままでオビトが戦闘で傷を負っているところなど見たことがなかった。
オビトは相変わらず無言だったが、「この傷を見ろ」とでも言いたげな顔でカカシの顔をじっと見つめていた。
「え…、俺?」
「神威で、クナイを飛ばしただろ」
「あ…」
オビトの頬についた傷は紛れもなくカカシがつけたものだった。
「ご、ごめん…つい咄嗟に」
「俺と同時に神威を使うな、と前にも言ったよな」
「ごめん…」
カカシは以前にオビトから自分たちの神威空間は繋がっているから戦闘中に同時に使うと接触事故を起こすかもしれないから、同時に使うなと釘を刺されていたことを思い出した。言いつけを守れなかったカカシは、飼い主に叱られた駄犬のように項垂れた。
「顔に傷が残ったら大変だから、すぐ手当てしよう」
「こんなかすり傷ごとき…今更だろう。それに…」
何か言いかけたオビトを遮るようにカカシが続ける。
「傷を舐めた方が治りが早いってパックンが言ってた」
「....…そうか」
「オビトじっとしてて。俺が舐めるから」
「いや、待て。おかしい」
「…??だって、自分じゃ舐められないでしょ」
「.....」
自分の傷を舐めると言い出すカカシにオビトが混乱する一方、カカシは何の疑問にも思っていないようで、オビトがなぜ止めるのかわからないといった表情でオビトを真っすぐ見つめている。普段従順なカカシが、実は頑固で一度走り出すと止めることは難しいということをオビトは数年ぶりに思い出したのだった。
「じゃあ、オビト動かないで」
「さっさと終わらせろ」
オビトにとってカカシをねじ伏せることなど造作もなかったが、この状態になったカカシは酷く粘着質でしつこいことを理解していたから、どうせ害はないとカカシの好きなようにさせて嵐が去るのを待つことにした。
カカシがオビトの頬に顔を寄せる。身長はほとんど変わらないから、簡単に距離が近くなる。口布に人差し指をかけておもむろに下げる。薄い唇があらわになり、カカシの吐息がオビトの頬にかかる。
カカシの乾燥した唇がオビトの頬に触れ、傷口から流れる鮮血がカカシの唇を濡らした。カカシが頬から唇を離して、顎を引いて上目使いでオビトの目を見る。
「痛くない?」
「ああ.....」
真っすぐに目を見つめて問いかける。カカシの赤い瞳とオビトの赤い瞳が重なり合う。カカシはオビトを見つめたまま、唇についた血をぺろりと舐めると、唇についた血が紅をひいたように色素の薄いカカシの唇を染める。
唇を血に染め、血の海に立つカカシの恍惚とした表情が、半月の明りに照らされて官能的で、オビトは息をのんだ。この男は毒だ、と本能的にオビトは思った。
「もしかしたら滲みるかも」
「…ああ」
ぴとり、とカカシの舌がオビトの傷口の触れる。しっとりとした温い感覚が頬から伝わって、オビトの背筋に冷ややかな感覚が走る。カカシの舌が傷口をなぞる。流れる鮮血を一滴たりとも零さないように傷口にそって、カカシの舌がちろちろと蠢く。
空間に立ちこめる血の匂いと、口の広がるオビトの血の味がカカシの脳を溶かす。傷口から零れる血液だけでは満たされなくて、血を奪うようにカカシの舌がオビトの頬を這う。
「おい、もう充分だろ」
オビトがカカシの肩を掴んで引き剝がす。引き剥がされたカカシは、名残惜しそうな顔をして潤んだ双眼がオビトを見つめる。
「なんて顔してるんだ」
「あ、ごめん。おれ、我を忘れて.....」
我に返ったカカシは慌てて飛びのいて、謝る。オビトがカカシの頬にそっと手をかけて、血と涎がべっとりとついたカカシの唇を親指でなぞってふき取る。カカシの火照った頬にオビトの冷たい手が触れて心地よかった。
「あれ…傷が…」
いつの間にかオビトの頬の傷が癒えていて、カカシは首をかしげる。
「俺は柱間細胞の影響で傷の治りが早い。だからこの程度の傷で治療は不要だ」
「.....そう、だったんだ」
カカシが悲しそうな表情でオビトを見つめ、何か言いたげに口を開いたが、それを飲み込むように口を閉じた。
「もういい。用は済んだ。俺は先に戻る、後は任せた」
カカシの頬から手を離したオビトはそういうと、返事も待たぬまま万華鏡写輪眼の瞳術で消えていった。