不仲もどき暁if おまけ過去エピソードⅠ①
カカシは今、暁のアジトから少々離れたところにあるボロ屋で一人寝込んでいた。理由は単純で、いつも通りの暗殺任務でしくじって、負傷してしまったことが原因だった。
ターゲットは小国の忍で、カカシも暗部時代に噂を一度や二度聞いたことがあるという程度の、いわゆるそこそこの忍だった。だが、ターゲットが強敵ではないというだけで油断してへまをするようなカカシではない。どんな難易度の任務でも手は抜かないのが、カカシのモットーだった。
しかし、その任務である一つの誤算が生じた。ターゲットの忍が、オビトに、カカシが忠誠を誓う主に、瓜二つだったのである。情けないことに、ターゲットの外見がオビトに似ているというだけでカカシは酷く動揺してしまった。動揺したカカシの雷切は数ミリ標的の心臓からずれ、結果相手からの反撃を許してしまった。
「ぐっ…!!」
カカシの胴を標的の短刀が切り裂いた。瞬間、カカシの腹に鋭い痛みが走った。ドクドクを血液が傷口からあふれるのがわかった。どうやら先ほどの一撃が、標的の渾身の一撃だったようで、標的はカカシを切り付けたのちそのまま倒れこんで息を引き取った。オビトに似た顔で、血だらけで倒れる様はカカシに辛い過去を思い起こさせた。
(オビト…)
結局その後、傷口を確認してうまく臓器を避けていることを確認したカカシは、止血の応急処置を自ら施し、満身創痍で任務を完了させ、現在に至る。
暗部時代に嫌というほど怪我をしたカカシは、多少は医療に心得があった。痛みに悶絶しながらもなんとか傷口を洗浄し、縫い合わせ、あとは数日安静にしていればまた任務に出れるほど回復するだろうというところまで漕ぎつけた。オビトを追いかけて里を抜け暁に加入してから、休みなく任務に出ていたカカシにとって、何もせずただ安静にする時間はとても久しいものだった。周囲に集落もない山間部に位置するこの小屋は日当たりも悪く一日中静寂に包まれ、カカシの心を蝕んだ。
右目の傷跡を指でなぞる。指に前髪が当たってそろそろ切らないとなとカカシは思った。
辛いときに考えるのは、きまってオビトのことだった。死んでいたと思っていたオビトが生きているとわかったあの日、カカシがどれほど歓喜したか。しかし、再会したオビトはカカシのよく知るオビトとは似ても似つかなかった。火影の夢などとうに捨て、無限月読という理想に向かって突き進むオビトの視界にカカシは入っていないようだった。
当時のカカシはひどく混乱した。今まで、オビトの意思とともに生きてきた、すべてを失ったカカシにとってそれだけが生きる意味であったといっても過言ではない。しかし、実際にはオビトは変わり果て、今までカカシが大切にしてきたオビトの意思は、朽ち果てた過去の残骸でしかなかった。生きる指針をなくしたカカシは新たな崇拝対象を探した。それが、今のオビトだったのだ。
以来、カカシは滑稽なほどオビトに縋りつくことに必死だった。オビトに右目を捧げたあの日もそうだった。欠片もカカシに関心を示さないオビトに「誠意を見せろ」と言われたとき、カカシは失うものの大きさなどほんの少しも考えなかった。頭にあったのは、今のオビトに認められること、オビトの期待に応えることだけだった。躊躇なく、右目にクナイを突き刺したとき、オビトは驚愕した表情をしていた。もしかしたら、自分の行動はオビトが予測していたものとは違ったのかもしれないとカカシは思った。だが、それまでカカシになんの興味も示していなかったオビトの目がその時だけカカシに釘付けになっていたのを、カカシは見逃さなかった。
潰れた眼球から走る鋭い痛み、滝のように止めどなく流れる血液、そしてオビトから注がれる熱い視線、痛み、恐怖、罪悪感、悔恨、高揚感、幸福感、希望、爆発的にやってくる情動は一瞬にしてカカシを飲み込み、すべてを塗り替えた。
カカシは途方もない疲労感に見舞われ、いつの間にか眠ってしまった。夢に出てくるのは、やはりオビトだった。血で染まった荒野をオビトが歩き続けている。空には真っ赤な満月が出ていて、そんなオビトを赤黒く奇妙に照らす。カカシはオビトの背中を必死に追いかける。次第に足が縺れて前に進めなくなる。オビトとの差は開いていく一方だ。
「オビト…!!」
必死に呼びかける。オビトは振り返らない。徐々に霧が濃くなり、オビトが霞んで見えなくなる。
「嫌だ!オビト!置いていかないで!」
そこで映像はプツンと切れる。徐々に意識が浮上してくる。
(夢か…)
重たい瞼を持ち上げる。見慣れた天井が視界に映って、カカシは少し安堵した。
「やっと起きたか、屑」
「…!!」
カカシの枕元には、橙の渦を巻いた奇妙な模様の面を付けて、暁の装束を身にまとったオビトが立っていた。面を付けているせいで、表情は読み取れないが、その地を這うような低い声は主の機嫌の悪さをうかがわせた。
オビトがカカシの隠れ家にやって来たのは初めてでカカシは驚いた。そして、それ以上にカカシを邪険にしているあのオビトがわざわざカカシに会いに来た事に、驚愕した。
「オビト…どうしてここに?もしかして俺の様子を見に来てくれたの?あ、ありがとう…うれしいよ…。でも、大丈夫だよ、安静にしていればすぐに…」
鼓動が早くなり、声が上ずった。言いたいことがたくさんあって、不思議なほど饒舌になった。カカシはどうしても期待せずにはいられなかった。オビトが自分の怪我の心配をしてくれているのではないかと…。
「笑わせるな。貴様の心配などはなからしていない。ゼツから貴様が致命傷を負ったと聞いた。俺は、貴様が死んだらその眼を回収する必要があるから来ただけだ」
「そ、そう。そうだよね、はは」
自分の大きな勘違いに気付いたカカシの口から、乾いた笑いがこぼれた。あのオビトが、カカシのことを心配するなど、万が一にもあり得ないことであったとカカシは思い出した。オビトにとってカカシは写輪眼の入れ物でしかないのだ。カカシはうつむいてシーツの皺を睨みつける。カカシがシーツを握る力が強くなって、皺が濃くなる。カカシは目に溜まった涙がこぼれないようにすることに必死だった。
「死に損ないめ、俺はもう行く」
「ま、待って!オビト!少しだけでいいから…い、一緒にいたいんだ!オビト!」
カカシがオビトを追いかけるために、立ち上がろうとする。しかし、病み上がりの身体は思い通りに動かず、ふらつき、そのまま床に倒れこむ。必死に立ち上がろうとするが、万華鏡写輪眼の瞳術で、渦を巻いて消えていくオビトには、もう触れられそうになかった。
オビトがいなくなり、しんと静まり返った部屋でカカシは咽び泣いた。あまりにも酷く泣いたから傷口が開いて包帯に血が滲んでいた。カカシの嗚咽だけが、静かに響いた。
②
オビトは神威を使って、暁のアジトまで戻ってきた。傍の土壁からゼツが音もなく現れた。
「あーあ、オビト、カカシあの後泣いてたよ。お前が素直に心配してきたって言えばそれでよかったのに」
「黙れ。盗み聞きとは趣味が悪いな」
「ふふ、そう怒らないでオビト。それよりも、写輪眼を回収するなんて…そんなつもり全くない癖に。可哀想に…カカシは酷く怯えていたよ」
「アイツニトッテハ、命ヨリ大事ナ眼ダ…」
「黙れと言っているの聞こえなかったか?」
オビトが声を荒げると、ゼツは何も言わず消えていった。
カカシにとっては命より大事な眼…ゼツの言葉を反芻する。いくら鈍いオビトでも、カカシがオビトに対して異常なまでの執着を示していることには気づいていた。だが、それは過去のオビトへの信仰を代替的に今のオビトに向けているだけだとオビトは思っていた。だからこそ、カカシがオビトに向けてくる執着はオビトにとっては居心地の悪いものだった。
ゼツからカカシが負傷したと聞いたとき、オビトは自分の中で今まで感じたことのないような真っ黒い感情が腹の底から湧いてくることに気づいた。カカシが自分ではない誰かから傷を負うことをよしとしていると思うと、カカシに裏切られたようなそんな悔しさが湧いてきて、無性に腹が立った。そして、オビトは苛立ったまま、気持ちを整理しきれないままカカシの様子を見に行くことにした。カカシに対して、オビトが自分からアクションを起こすのは初めてのことで、オビトは自分がカカシに関心を注いでいるという事実に驚いた。
カカシが暁のアジトに居たがらず、小さな古ぼけた山小屋を隠れ家に使っていることはゼツから聞いて知っていた。日の当たらない酷いところだ、とゼツは昔言っていた。場所は全く知らなかったが、見透かしたようにゼツはオビトに山小屋の位置を教えてくれた。
オビトは神威を使って直接山小屋の中に移動することにした。気配を消して部屋の中に侵入する。オビトが気配を完全に消せば、右目を失ったカカシは写輪眼を使わない限りオビトの存在に気づかないことは以前確認済みだった。案の定、カカシはオビトの侵入には全く気付かず、布団にくるまって眠っていた。部屋を見渡してみると、最低限の衣服と忍具、それと医療用の箱以外何もなく、まるで生活感がなかった。実際、普段この小屋に長居することはないのだろう。カカシが休みなく取りつかれたように任務に明け暮れていることはオビトも知っていた。
カカシの枕元に立ちカカシを見下ろした。以前会った時よりも伸びた前髪が目にかかって鬱陶しそうだ。先ほどからカカシは魘されているようで、うんうんと呻いたり身をよじったりしている。額から滴った汗を、屈んで拭ってやる。これくらいしてやってもいいだろう、とオビトは自分の行動を肯定する。自分の行動を理屈っぽく肯定しなければ気が済まないのは、オビトの悪い癖だった。
「オビト…!!」
「…!!」
カカシが急に声を上げ、オビトが反射的に退く。いつの間に目を覚ましたのかと驚いて様子を探るとどうやら寝言だったらしい。おおかた昔の夢でも見ているのだろう。こいつは夢の中でも、昔の自分にご執心なのかと頭を抱えたくなるのと同時に、やはり今の自分はカカシにとって憧れのオビトの抜け殻でしかないのだと思い腹が立った。
「嫌だ!オビト!置いていかないで!」
またかカカシが声を上げる。どうやら夢の中でオビトを追いかけているらしい。オビトは「お前が、追いかけている男なら今、目の前にいるぞ」と言ってやりたくなった。
そのあとすぐカカシが目を覚ましてからは、思ってもいないことばかり口から出てきて、結局言いたいことは何も言えず仕舞いだった。泣きながら呼び止めるカカシをオビトは無視して、さっさと瞳術でアジトまで戻ってきて今に至るわけだ。
カカシはまだ泣いているだろうか、あまり酷く泣くとまた傷口が開いてしまうのではないだろうか、と柄にもない考えが湧いてきたが、すぐに搔き消した。無限月読という理想を完成させるためには、くだらないことに現を抜かしている暇はない。
カカシに渡そうかと思って用意した包帯を興味なさげに放り投げると、オビトは万華鏡写輪眼の瞳術で、どこかに消えていった。